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◇
朝日が昇り、暗闇に包まれていた街を明るく照らす。
ベットの側にある時計に目をやると、時刻は午前六時を示していて、
結局、昨晩はよく眠れなかった。
ベットに入り、眠ろうと意識しても瞼を閉じれば遼と矢島 圭介の顔が浮かんできて、ぐっすりと眠ることなんてできる筈もなかった。
眠れたのは、きっとほんの一時間程度だと思う。
昨日あんなことがあったせいか、久しぶりに遼の夢を見て。
夢の中の遼はやっぱり15歳のままで、だけど現実と違って、私もあの当時のままだった。
優しい笑顔を浮かべる遼に抱き締められて、幸せそうに笑う私。
そこには確かに『幸せ』が存在していて、絶望なんてものは欠片もなかった。
本当に幸せな二人で。
────その何もかもが、
現実とは違っていた。
「……学校、」
頬に残る涙の跡を拭い、冷たいフローリングの床に足を着く。
遼の夢を見た日の朝は、必ず涙が流れてしまっていて、でもそれが何故なのだか自分でも理由は分からなかった。
現実が悲しいからなのか、夢があまりにも幸せだからなのか、自分の感情が分からなくて上手く説明できることができない。
ひょっとすると、その全部なのかもしれないし。
ただ、ひとつだけはっきりと言えるのは、遼の夢を見た翌朝は、切なさで包まれて心が痛みをあげ、
遼を忘れていないことを実感できるということに、安堵している私が居るという事実。
まだ私の中で、遼が生きているという事実だけだった。
「─…。」
髪を整える為に鏡の前に立つ。
鏡に映る自分の顔は少し赤らんでいて、喉も痛く、風邪かもしれないとそうぼんやり思った。
きっと昨日、バス停から家までの距離を歩く途中に濡れてしまった髪のままで、暫く過ごしたからだろう。
鏡に映る、どこまでも平凡な私の顔。髪は一度も染めたことがなくて、…ほんとこんな女のどこがいいのか。
『好きなんだ』
そう告げた矢島 圭介の思考回路が全くもって分からない。
「─…離れなくちゃ」
アイツから。
遼を、私を、守る為に。
生きる意味を失ってしまわない為に。
そう呟いた私の瞳は、暗く重く、何も写していない黒いガラス…人形の瞳のようだった。
◇
「楓ちゃん」
教室に着くと、いつものように矢島 圭介が私の元へとやって来た。
けれどその声色は普段とは異なり、少し緊張感を纏っていて、コイツも昨日のことを考えていたんだろうと思った。
昨日、あの雨のバス停で私にキスをしたコイツ。
私に好きだと伝えたコイツ。
普段おちゃらけた姿しか見せなかった矢島 圭介だったけど、昨日はそんなの感じさせないくらい真剣で、
そして、普段と違うコイツの行動は、当然歪みを生む。
コイツの気持ちを知ってしまった以上、コイツが本気なんだと分かってしまった以上、私は前のようにコイツと接することはできない。
「…かえ、」
「─…ねぇ」
軽くあしらうことも、嫌味を言って蹴散らそうとすることも、もうできない。
そんな悠長なことは、もうしていられない。
私はただ、コイツを
「もう二度と、私に話しかけないで」
突き放して、遠ざけて、
もう二度と関わることのないようにすることだけ。
私の領域に、踏み込ませなくするだけだ。
「…え?」
戸惑った様子の少し掠れた矢島 圭介の声が、私の耳に届く。
その表情は普段のものとも、昨日のものとも違っていて、初めて見るものだった。
そしてそれは、彼の衝撃を如実に表していて。
だけど私は、彼の顔を真っ直ぐ見て、戸惑う彼を気にすることなく言葉を続けた。
「もう一度だけ言うわ」
きっと彼を
「もう私に話しかけないで」
傷付けるであろう、その言葉を。
「…何、いきなり、何で?」
私の言った言葉の意味を理解したのか、眉間に皺を寄せ、そう疑問を口にする彼。
そこには、いつものようにおちゃらけた雰囲気は、もう欠片だって有りはしない。
有るのは冷たく重い雰囲気だけだ。
「キス、したから怒ってんの?」
「……。」
コイツの疑問に対して何も応えないでいる私の代わりのように、昨日のことを振り返る彼。
確かに、キスは大きな要となった。
あの告白も、あのレモン味も、私にコイツをこうして完璧に拒絶しようと決意させるキッカケとなった。
だけど、それは所詮、キッカケに過ぎず、もっと大きな問題は、
「─…楓ちゃん…」
そう悲しそうに私の名前を呼ぶコイツを、私に好きだと伝えたコイツを、
私自身が無視できなくなってしまったこと。
少しでもコイツに私の中にある傷を癒やされそうになってしまったことだ。
そして、私の中の傷がなくなることはつまり、私が遼を殺してしまうことだから。
私の中で生きている遼をもう一度、死なせてしまうことだから。
そんなこと、それだけは、絶対に避けなくちゃいけない。
だから私は、コイツを拒絶しようと決めたの。
例えそれが、
「…もう、何も話すことないから。帰ってくれる?」
どんなに彼を傷付けようとも…─。
「っ、かえ…」
「オラー。もうすぐチャイム鳴るからさっさと席着けー」
私の名前を言おうとした彼の言葉を遮るように、担任が教室に入って来た。
その瞬間、矢島 圭介の眉間に更に深い皺が刻まれる。彼にとってはまさにバッドタイミングだ。
だが、私にとってはこれ以上ないくらい、良いタイミングだった。
「オイ、矢島。お前もさっさと自分のクラス戻れよ」
担任は慣れたようにその言葉を口にする。
クラスメートも、いつものようにクスクスと笑い声を漏らした。
もうすっかり見慣れた朝の光景。
だけど、ここだけ、私達二人だけが『いつも』とは違っている。
暗く沈んだ空気が私達を包んでいて、まるで切り取られた世界に居るように、分厚い壁に囲まれているように感じた。
「…矢島?」
いつもならブツブツ言いながらも、素直に帰っていた彼が微動だにしないことを不思議に思ったのか、担任が彼の名前を口にする。
「……。」
けれど彼はそれでも動こうとはせず、笑っていたクラスメートもコイツの異変に気付き始めたようだ。
「…楓ちゃん、」
────キーンコーン…
矢島 圭介の声を掻き消すかのようにHRの始まりを告げるチャイムが鳴る。
そのチャイムが鳴り終わるのとほぼ同時に、彼は教室から出ていった。
『また、来るから』
チャイムによってクラスメートには聞こえていない、すぐ側に居た私にしか届かないその言葉を残して。




