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───矢島 圭介
それが、私を今、もっとも悩ませている馬鹿の名前だ。
校則が割と厳しいこの高校で、金色とまではいかないが結構 明度の高い髪色をしていて、その明るく砕けた性格は、男女問わず人気がある。
クラスに一人は必ず居るような、みんなから愛されるキャラだ。
一方私は、これと言って特質した点もなく、ごくごく平凡な容姿で、…強いて言うなら人より少し、性格がひねくれている位。
別に、自分が他の人より劣っているとか、卑屈になっているわけじゃないけど。事実、そうなのだ。
私には、何もない。
「楓ちゃん、終礼終わったよ?帰ろう?」
終礼が終わって、待ってましたとばかりの勢いで、私の席の前にやって来た矢島 圭介。
首を少し傾けて聞いてくるのは良いが、その姿は可愛くも何ともない。
男がやったら、逆に気持ち悪いだけだ。
「…さっきも言ったけど、アンタとは一緒に帰らないよ?」
「うんっ!いいよ!それでも」
てっきり、断れば拗ねた素振りをするのだろうと思っていた私は、快く笑顔で頷いた矢島 圭介に少し驚く。
意外と、アッサリひいてくれたな。
「俺が後から楓ちゃんの後を付いて行くから!」
「─…は?」
馬鹿だ。馬鹿が居る。
…いや、素直に諦めてくれたと、一瞬でもホッとした私が馬鹿だった。
というか、コイツには日本語が通じないのか?
後から付いて来るなんて、そんなの一緒に帰っているようなもんじゃない。むしろ、ストーカーだ。
「いや、それも無理だから」
「え!なんでっ!?」
「なんでも」
それ位自分の頭を使って考えなよ。
「じゃあね」
私はそれだけ言うと、席を立ち、何か叫んでいる矢島 圭介を置き去りに歩き始めた。
終礼が終わるのと同時に私の元へと来る位なら、普通は追い掛けて来ると思うだろう。
けれど、矢島 圭介が追い掛けて来たりはしないことを私は知っていた。
矢島 圭介という人間は、私が本気で嫌がることはけしてしない。
確かに、何も考えていないように、馬鹿そうに見えるが、アイツは人の感情や気持ちに人一倍敏感なんだ。
「かーえーでーちゃん!バイバーイっ!」
校門へと歩いていた私に、三階からヤツの声が降りかかる。
やめろ。この馬鹿。
思いっきり目立っているじゃないか。
私は軽く、矢島 圭介を睨み付け、何事もなかったかのように再び校門へと歩き出した。
睨み付けた時に瞳に映ったアイツの笑顔は見なかったことにして。
アイツの笑顔や言動は、人を惹きつけ、魅了する。
そしてそれは、人々を明るくさせ、元気にさせる。
そんな不思議な力がある。
だから私は、
そんなアイツが、
嫌いで堪らない。
大体、こんな私にどうしてアイツが絡んでくるのか分からない。
もしも理由が分かったのなら、私はそれと真逆の事を全力でするというのに。原因が分からなくちゃ行動することもできないなんて。
「─…ほんと、迷惑」
私はできることなら、目立つ事なく、ただ平穏に暮らしたかった。
周りの光に紛れる影のように地味に生きたかった。
…いや、生きたかったという言い方は、適切ではないな。
(寧ろ、私は)
存在など、したくなかった。
「…どっちにしろ、アイツのせいで平穏な暮らしが乱れちゃったけど」
そんな私の呟きは、誰の耳に届くことなく風に吹き飛ばされていく。
この風はもう二度と吹くことはない。全く同じ風はもう二度と、生み出されたりしない。
こうしてただなんとなく歩いているこの時だって、どんな方法を使っても取り戻すことはできない。
時間というモノはいつだって、私達に希望や夢を与えてくれるが、それと同じように、絶望や後悔を引き連れてくる。
永遠という長い長い時の中で、私達人間が存在する時間なんて、ほんの一瞬にも満たなくて…。
それなのに、どうして私達は生まれてきたんだろう。
一体、何の為に。
生まれてきてしまったんだろう。
「─…そんなこと、分かるわけ、ないか…」
自分達がなんの為に生まれてきたかなんて、そんなの分かる筈がない。
これからもきっと、ずっと、その答えが出ることはないんだろう。
じゃあ、私は、
「…どうすればいいの…?」
永遠という長い時の中で、私達が存在する時間はほんの一瞬だとしても、私にはその一瞬が永遠に感じる程長くて、
もう、どうすればいいのか分からない。
いっそのこと、死ぬまでずっと眠っていたい。
夢なら君に会えるから、幸せで温かいその夢に包まれていたい。
朝日なんて、現実なんて、見たくない。
「─…駄、目だ」
私は頭を大きく左右に振り、頭の中に浮かんできた負の言葉たちを掻き消した。
どうしようもないことを考えても、仕方ない。
考えれば考える程、負のスパイラルに呑まれていくだけだから。
「…はぁ、」
とりあえず、いい加減アイツを何とかしなくちゃいけない。
付きまとわれる事に、そろそろ本気で疲れてきたから。
『楓ちゃんっ』
アイツの馬鹿みたいに明るいその笑顔に呑み込まれてしまう前に、
アイツから、
離れなくちゃいけない。