17
───それは、忘れもしない、二月十日…私の誕生日の三日前。
夜空に、不自然なくらい綺麗な満月が、顔を浮かばせている時間
『─…楓ちゃんっ!りょ、遼が…女の子を庇おうとして、事故に…!』
遼の母親から私の携帯にかかってきた一本の電話が、これから私を襲う酷く長い暗闇の、全ての始まりだった。
電話をもらった時のことは、記憶にない。
驚いただとか、ショックでわけが分からなくなっただとか、そんなこと何ひとつ覚えていない。
ただ、遼の母親の言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になって、次に気が付くと病院に居た。
いつ電話を切ったのかも、どうやってここまで来たのかも、まるで意識を失ってしまってたかのように、記憶が欠落している。
いっそ夢かと思ったが、有り得ないくらいに脈打つ自分の心臓の痛みに、これは夢じゃなく現実なのだと教えられた。
遼が居る筈の病室の扉に手を掛ける。でも、なかなか開くことができない。
見なければ、これは嘘だと本当ではないんだと、自分を誤魔化すことができる。
一度見てしまえば、受け入れなくてはいけなくなる。
『─…今、…瀕死の状態で…っ』
遼の母親のその言葉も、
その言葉が指す意味も、
全部受け入れなくてはいけなくなる。
──見ても見なくても、現実には変わりない。
頭の中で、自分の声がそう囁く。
そんなこと、分かっていた。
分かっていたからこそ、この現実から少しでも遠いところへ行きたかったのだ。
───ガラッ
震える手に力を入れ、やっとの想いで扉を開ける。
驚く程静かな病室、涙を流す遼の両親。
「──…楓ちゃ…っ」
私の姿を見た時の、遼の母親の悲痛な表情。
…それで、全て悟った。
悟りたくなんてなかったけれど、全力で否定したかったけれど、悟ってしまった。
そんな中、一歩一歩、ゆっくりと、遼が寝ているベットへと近付く。
包帯で巻かれた体や、血で濡れた服が酷く痛々しいくて、事故にあった時の凄まじさがひしひしと伝わってきた。
そして、遼に触れようと手を伸ばす。
自分の心臓が、今まで経験したことのない速さで鼓動して。
今まで意識せずともしていた筈の呼吸が、上手くできない。
一瞬とも、永遠ともとれる間、さ迷っていた私の手が遼に触れ、
動かない遼の体と
「…ついさっき、息を引き取ったんだ…」
遼の父親が発した言葉に
酷く残酷な現実を、突き付けられた。
(うそ、だ……)
触れた遼の体はまだ温かくて、ただ眠っているだけのよう。
それなのに、そんな遼が、目の前に居る遼が、死んでいるなんて思えない。
もう二度と動かないなんて、信じられない。
「遼…起きてよ…?」
唇が震え、吐き出した言葉は酷く弱々しい。
私が名前を呼べば、いつも『ん?どうした』って優しい笑顔で振り向いてくれた遼。
「ねぇ、遼…」
だけど、私がどんなに名前を呼んでも、どれだけ体を揺すっても、起きてくれない。
いつものように、優しく微笑んでくれない。
「遼…」
ほら、寝てるフリなんてやめて、起きてよ。
今ならこの冗談も、怒らないで笑って許してあげるから、いつものように笑ってみせて。
『ばーか。嘘だよ、ごめんな』
そうやって、これが嘘なんだよって私に教えて。
「遼っ…!」
もう十分だよ。
もう十分驚いたから、今すぐ起きて。
起きてよっ、
遼っ…──
「─…楓ちゃんっ!」
病室に響いた、遼の父親の声にハッとする。
遼の体をガタガタと大きく揺らしていた筈の私の手が、気が付くと遼の父親によって抑えられていた。
「─…。」
「…楓ちゃん」
そっと、
遼の体から手を離す。
何も考えられなくて、ただ呆然と立ちすくむしかできない。
嘘だと、思いたかった。
悪い夢なら今すぐ覚めてほしかった。
でも違う。
これは質の悪い冗談でも、悪夢でもなくて、現実なんだ。
そして、遼は
「─…遼はもう、死んだんだよ…」
もう二度と、私に笑いかけてはくれない。
「─…っ」
涙がゆっくりと私の頬を伝う。
その涙はとどまることなく後から後から溢れ出て止まらない。
悲しいとか、ツラいとか、そんなちっぽけな言葉で片付けられる程、簡単な感情じゃなく、
もっと深くて、もっと鋭利なものが私を襲う。
こんな感情、私は知らない。こんな痛み、私は知らない。
ついさっきまで、幸せだった筈の世界が一瞬にして色を失い、豹変した。
遼と出会ってから変わった私の世界。
その色鮮やかな世界を知った今の私には、遼が居なくなってしまった世界なんて、何の価値もないのに。
なのに、どうして…─。
「楓ちゃん、これ…」
何の言葉も発せず、ただボロボロと涙を零す私に、遼の母親からあるものを差し出される。
長さ15cm程の細長く白い箱のそれは、まったく見覚えのないもので。
「…こ、れ?」
「遼が最期に持っていたものなの」
どうしてこの箱を渡されたのか分からないでいた私に、遼の母親は応えてくれた。
(遼が…)
最期に持っていたもの…?
そう意識した途端、私の手にあるこの白い箱が、何よりも大切で重いものに思えて、手にギュッと力が入る。
「…本当は、綺麗に包装されていたのだけど、中身を確かめる為に一度開けてしまったの」
そう申し訳なさそうな表情をする遼の母親に、私は左右に緩く頭を振る。
遼が最期に持っていた、綺麗に包装されていた、
その箱の中身。
それを見た遼の母親が、私にこれを渡したのにはきっと理由がある筈。
「……。」
私は震える手で、
その箱をそっと開いた。




