表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
KRAMPUS  作者: 風嵐むげん
4/6

 三日という時間は意外とあっという間に過ぎてしまうもので。次の日には電気が復旧し、キュリの言った通り虚無の襲撃も今のところは無い。

 あれから出血多量により気を失い、昏睡状態に陥ったフロストは二日間をベッドの上で過ごすこととなった。いつ帰ってきても良いように、ミカの家に居た頃の彼の部屋はいつでも使えるような準備をしてはいたのだが、まさかこんな形で役に立つとは思わなかった。

 アンナもミカの家で看病することになったが、彼女の方はもっと酷い状態だ。右の太腿は骨が露わになる程に抉られ、右肩には銃創と火傷を負った。傷による高熱が続き、ここに担ぎ込まれてから左腕にずっと点滴の管が繋がれている。意識も戻らないままだ。

 ミカはほとんど付きっ切りで彼女を見ていた。とは言っても時折額のタオルを変えてやったり、汗を拭いてやることくらいしか出来なかったが。二人だけでなく、村の怪我人の処置に忙しく走り回っているユドの負担を少しでも減らしたくて、そしてアンナに少しでも恩返しがしたくて寝る間も惜しんだくらいだ。

 あの夜、ミカを庇ってアンナはキュリに撃たれた。肩を深く撃たれ、しかもその弾丸が炎のスピネルによって出来ていたものらしく、傷口が赤々と燃えあがったあの光景は今でも鮮明に思い出される。

 そして、ミカを連れ去った後に残った力を振り絞り自身の車まで這い、スナイパーライフルでキュリを狙撃した。結果はキュリを村から追い払うことで留まったが、彼女の執念は凄まじい。

「すごいなぁ……すごいよ、二人とも」

 フロストもアンナも凄い。そして、戦士というものがどういうものなのかを改めて考えさせる出来事となった。

 一度でも、フロストと共に銃を持つと言ってしまった自分が恥ずかしい。アンナの店で、金色のリヴォルヴァーを見た時の能天気な自分を叱ってやりたい。

 ただフロストと一緒に居たいだけだった。虚無との戦いがどれだけ凄惨なものかをわからなかった。そして、幼なじみの覚悟を知らなかった。

 自分は、あまりにも無知だった。

「……だめだなぁ」

 このままじゃ、駄目だ。自分も何かしなければ、何か出来ることがある筈だ。今はとにかく、アンナが目覚めるまで世話をしなければ。重たくなってきた目蓋を擦り、アンナの額を冷やすタオルに触れる。

 ぬるくなったそれを取り上げ、氷水の入ったタライに放る。しかし、氷は既に溶け、水自体も温まってしまった。変えてこなければ。タライを盆の上に載せ、水を零さないように注意し持ち上げて、ミカは部屋を出た。

 静かにドアを閉め、気怠い疲れを溜め息と共に吐き出す。ふと、視界の端に鮮やかな真紅がちらついた。

「え……フロスト?」

 慌てて彼が降りて行った階段に駆け寄り、下を覗き込む。真っ赤なロングコートに、銀の髪。やっぱりフロストだ。何故、家の中でコートなんか着ているのだろうか。

「どこ……行くんだろ」

 夜明け前に目を覚ましてからユドの診察を受け、再び眠っていた筈の彼。まさか、一人で虚無を倒しに行くのでは。ミカは揺れる水面に気をつけながら、フロストの後を追う。

 頼りなく、ふらふらと歩くフロストは背後から追い掛けるミカに気がついていないよう。まだ寝てなきゃ駄目なのに。呼び止めてしまおうか。そう思った矢先、フロストは意外な方向に身体を向けた。

「あ、あれ?」

 てっきり玄関に向かうと思っていたのに。フロストが向かうのは外では無く、どうやら応接室のようだ。よく大人達が難しい顔で会議をしたり、真っ赤になって飲み会をしていたりといつも賑やかな場所だ。今日はどちらかというと前者の方で、とは言っても皆なんだかんだ忙しく、まだいつものメンバーの三分の一くらいしか集まっていない。

 フロストに気付かれないよう、ミカは足音を忍ばせて後を追う。見慣れた長身が応接室の中に消えると、ミカもそこに入ろうとした。

 いや、待て。今までの経験上このまま自分が入って行ったら、変に突っ掛かってしまうかもしれない。それに、今のフロストは何だか近付き難い雰囲気がある。

 ミカは少し考え、応接室の扉を出来るだけ静かに、ほんの少しだけ開けた。これで中の話が聞ける。

 耳を澄ませて、ちょっと緊張しながら部屋の様子を伺う。

「……で、何だよ。話って」

 これはフロストのものだ。いつもより元気が無い気がする。

「……単刀直入に言おう。フロスト、我々はお前が眠っている間に軍へ応援要請を出した」

 これはサンの声だ。思わず、喉が鳴ってしまう。唾をごくりと飲み込む音が、やけに大きく響いているように感じる。

 軍。つまり、国が所有する中で最大の防衛機関である自衛軍は、虚無掃討の為なら多少の犠牲を厭わないという、なかなか暴力的な集団である。

 こんな田舎村にまでわざわざ来るということは、あのキュリとかいうオバサンはそれ程強力な虚無ということらしい。

 確かに、軍の援助は願ってもないものだ。しかし、ライアスのような田舎村が抱く、軍の評判は決して良いものとは言えない。まず、軍は何事にも高圧的で。ミカに言わせれば、偉そうで上から目線なのだ。

 物資の無償補給は当然。作戦の為なら、村人が精魂込めて作り上げた畑を簡単に焼け野原にしてしまう。家が壊れたって知らんぷりだし、とにかくムカツクやつらなのだ。高い税金を払ってるのはこっちだぞ!

 そして、彼等は横暴だ。ヒョウが居なくなってからアンナが来る前までの数年間、軍に何度も世話になったことがあるらしいのだが、その時も決して穏便に済んだとは言い難い。

 確かに、映画でしか見たことのないような戦車や大砲があれば、もうフロストやアンナが怪我をする必要は無い。でも、キュリを倒しても後には焼けただれた土地しか残らないのだ。

 それに、フロストがヒョウの銃を取り返す機会が、永遠に失われてしまう。

「……そうか」

 フロストの声からは、何の感情も聞き取れなかった。話の内容が理解出来ているのか、それさえも疑ってしまう。

「今日の夜にはこの村に到着するだろう。先方はキュリの脅しなんか気にしなくていいと言っていた。お前にはつらい思いをさせるが、これはお前の為なんだ」

「……そう」

「フロスト、大丈夫か?」

 ライノが不安そうに訊いた。今のフロストはまるで、催眠術にでもかかっているのではないかと思ってしまう程に無感情だった。

 怒って当然なのに。一体彼はどうしてしまったのだろう。

「……皆が決めたことなら、俺はそれに従うよ」

「フロスト……」

「話は、それだけ?」

 大人達が何も言えないでいると、やがて足音が一つ移動した。思わずミカは廊下の曲がり角まで走った。フロストが応接室を出て、今度こそ玄関の方へと向かうのが見えた。

 迷ったが、ミカは床に盆を静かに置いて、フロストの後を追った。

「フロスト!」

 玄関の扉に手をかけたフロストに追いつき、彼を呼ぶ。一瞬、胸に切ない痛みが走った。

 ――フロストが、泣いているように見えたから。

「ミカか。どうした?」

「へ?」

 でも、それは見間違いだった。ぼうっとしたような、眠そうな瑠璃の瞳には涙の気配すらない。……そういえば、この幼馴染が泣いている様子をいつから見なくなったんだろう。

 もしかしたら、一度も見たことがないかもしれない。

「えっと……どこ、行くの?」

 変な勘違いをしてしまい、なんだか気まずい。恐らくミカにしかわからない居心地の悪さを唾と共に飲み込んで、フロストに言った。

「帰るんだよ。いつまでも世話になってらんねぇだろ」

 苛立ちも、焦りもない彼の声はいっそ不気味だ。

「で、でもまだ寝てなきゃ」

「大丈夫だって」

「ねえ……本当に、このままでいいの?」

 訊くつもりは無かった問いが、口から飛び出してしまった。慌てて口を両手で押さえるも、時は既に遅い。

「……軍のことか? まあ、仕方ねぇだろ。俺もこんなだし、アンナもまだ起きないんだろ」

「そうだけど……でも」

 どうしよう。このまま訊いてしまおうか。でも、今の彼に訊いても大丈夫なのだろうか。苛立つ様子もなく、フロストはミカの言葉を待っている。

「……いいの? 軍が来たら、ヒョウさんの銃――」

「跡形もなく消し飛ぶだろうな。……でも、仕方ねぇよな」

 ミカの言葉を遮って、フロストが言った。やはり、彼だってわかっているようだ。しかし、その言葉は憤りでも何でもなく、ただの諦めだった。

「……親父が生きていないことだけでも知ることが出来て、充分だ」

「で、でも。大切なものなんじゃ」

「別に。……使い手の後を追えるんなら、銃だって本望なんじゃねぇの」

 よくわかんねぇけど。力無く笑って、フロストが言った。痛々しい自虐的なそれに、彼は気が付いているのか?

「で、でも……」

 言葉が後に続かない。今のフロストに何て言ってあげればいいのかわからない。今まで知らなさすぎた自分に、彼が求める何かを言ってあげられるのだろうか。

 思えば、自分はフロストの何を知っている? フロストが今まで、どんな思いで引き金を引いてきたのか。ヒョウの帰ってこない家で、彼が何を思ってきたのか。

 何にも知らないじゃないか。

「……ミカ?」

「ご、ご飯食べていきなよ! まだ、食べてないでしょ? うん、そうしなよ。あ、そうだ。昨日ね、お母さんとプリン作ったの。フロストとアンナさんの分もあるから、アンナさんの目が覚めたら――」

「ごめん」

 はっきりとした謝罪。違う、欲しいのは、そんなものじゃないのに。それ以上何も言えなくなってしまったミカに、フロストは続ける。

 言葉や声は柔らかなものなのに、その中に混ざる拒絶は明らかだった。

「悪いけど、しばらく一人になりてぇんだ」

「ふ、フロスト……」

「俺は大丈夫だから。だからもう……もう、放っておいてくれ」

 そう言って、扉を開けてミカの前から消えるフロスト。再び扉が閉まって、彼の気配が完全に無くなっても、ミカはその場に立ち尽くすことしか出来なかった。


 ミカから逃げるようにして、屋敷を出た。どんよりと暗い空模様だが、時刻はまだ午前中。二日分の時間を眠って過ごした身体には、外の空気がやけに冷たく感じる。

 右腕の傷は縫合され、ユドからややこしい名前の経口薬をいくつか貰った。あとは擦り傷や打撲があちこちにあるが、気にする程のものではない。サンには止められたが、右手は動かないわけではないのだからこのまま世話になることはないと、強引に言いくるめてきた。

 とにかく、逃げたかったのだ。

「……帰ろう」

 スノーモービルはトニがフロストの家の車庫にしまってくれたらしい。村長の屋敷から自宅まで歩くことになってしまったが、鈍った身体には丁度良い運動になるだろう。滑る足元に注意して、フロストは丘をゆっくりと下りる。

 無意識にコートのポケットに手を入れ、飴玉を探す。しかし、どうやら全部食べてしまったらしい。

 髪を乱す風は荒々しい。一歩ずつ踏み出す度にブーツが雪に埋まる坂道は、どうやらしばらく雪掻きを行っていないようだ。

 それも、仕方無い。村の中心にやってくると、あの夜に虚無が残した爪痕を改めて見ることとなった。

 ある家は煙突が根こそぎ折られ、また他の家は割れた窓に新聞紙やダンボールで補強してある。男は資材を担いで走り回り、女は掃除や洗濯に勤しんでいる。村中が手分けをして復興に尽力しているようだ。

「あっ、フロストおにいちゃん! もう起きても大丈夫なの?」

 げっ、見つかった。思わず肩を跳ねさせて、舌足らずな声の持ち主を探す。ぱたぱたと慌ただしく走り寄ってきたのは、頬と鼻の頭を真っ赤にしたセニヤとユハだ。二人共、フロストの家の近所に住む姉弟である。

「おにいちゃん。おててのけが……いたい?」

 弟のユハがおずおずと訊いてきた。右腕の傷は痛いというより、熱く火照ってむず痒い方が難儀だった。

「全然。ほら、何てことねぇよ」

 フロストは二人の前で膝を着いて、目線を合わせてやる。そして右手を握ったり開いたりしてやれば、ようやく二人の顔に笑顔が戻った。

「よかった! みんな心配してたんだよ? フロストお兄ちゃんが目をさましてくれないって」

「ぼくとおねえちゃんね、おにいちゃんのおみまいに行こうとしてたの」

「でもね、お兄ちゃんの赤いコートが見えたから。おみまいは行けなかったけど、フロストお兄ちゃんが起きてくれて嬉しい!」

 きゃっきゃっとはしゃぐ二人。フロストは何故か、昔から子供に好かれる体質のようで。どれだけ虫の居所が悪い時でも、村の子供達はフロストの家に遊びに来たり、一緒に遊ぼうとせがんだりするのだ。

 それでも、別段子供は嫌いじゃない。煩わしいと感じる時も多々あるが、こうして無邪気に笑う姿は素直に可愛いと感じる。

「でも……お兄ちゃん元気ないね」

「どこがいたいの? ユハがユドせんせーからおくすりもらってくるよ?」

 再び二人の表情が曇る。子供らしい柔らかな髪を撫でて、フロストがゆるゆると首を横に振る。

「どこも痛くねぇよ。大丈夫、心配すんな」

「じゃあ、どうしてそんなにかなしそうなの?」

 息が詰まる。今、自分はどんな顔をしていたのだろう。

 悲しいなんて、思っていないのに。表情が歪む程、腕の傷は痛んでいない筈なのに。

「あ……えっと、お前達の家は無事か? 誰か、怪我したりしてないか?」

 無理矢理に話題を変えようとして、突いて出た内容は子供には酷なものだったかもしれない。しかしフロストの心配とは裏腹に、幼い二人は淡々と喋ってくれた。

「んとね、ユハのうちはだいじょうぶだったよ?」

「窓のガラスは割れちゃったけど、パパとママも元気だよ。セニヤ達ね、お家の外に虚無が居て怖かったけど、でも泣かなかったの!」

「そうか……偉いな」

 フロストの賛辞を素直に受け取り、セニヤとユハがお互いの顔を見て笑う。彼等には大きな被害は無かったようだが、それは幸運な方なのだろう。

 柔らかな癖毛から手を離すと、胸の奥に押し込めていた思いが無意識に零れてしまう。

「……俺が、悪いんだよな」

「え?」

 気がついた時には、もう遅かった。運が良いことに相手はまだ幼い。フロストの言葉の真意を理解するのは、まだ彼等では難しい。

「い、いや……何でもない。ほら、寒いんだから温かくしとけ」

 慌てて取り繕うように二人のマフラーを直してやる。すっかり冷えてしまった頬を撫でてから、フロストは立ち上がる。

「じゃあ、俺は家に帰るから。遊ぶなら、皆から見える場所でな」

「フロストお兄ちゃん……はやく元気になってね?」

 身体をいっぱいに使って、フロストに手を振るセニヤとユハ。そんな二人から、足早に離れた。

 残りの道中でも、フロストの姿を見つけて声を掛けてくる者は何人も居た。だが大人達は決まって、途中で言葉が続かなくなってしまう。その隙を突いて、フロストは自分の家に逃げた。

 最後は駆け込んで、玄関の鍵をかける。

「はぁ……疲れた」

 人気の無い、慣れ親しんだ孤独。外の世界から切り取られたかのような、静かな空間。

 皮肉なことに、虚無にとって一番の敵である筈のフロストの自宅はほとんど無傷で済んだ。襲撃当時は誰も居らず、明かりも点けていなかったからか虚無の興味をそそらなかったようだ。

 背中を玄関のドアに預け、軽く息を吐く。やはり自分の家は落ち着く。他人の目を気にしなくて良いし、一時期を抜かして考えれば生まれ育った場所なのだから。

「……さて、と」

 額のゴーグルを外し、マフラーとコートを脱いで玄関脇に引っ掛ける。ちゃんとクローゼットにしまった方が良いのだろうが、一人だとどうしても怠慢してしまう。

 ガーゼの上に何重にも巻かれた包帯は、まだ取り替える必要は無い。そういえば、自分の血でずぶ濡れになっていた筈のコートは洗濯され、破れた袖や解れていた裾まで綺麗に修繕されていた。

 きっと、ミカの母親のカティだろう。

「やべぇ……気付かなかった」

 礼すら言わないで帰ってきてしまった。後ろ髪引かれる思いで、しかし引き返す気力は無く、二階にある自室へと向かう。

 廊下へ出て、階段を昇ろうと手すりを掴む。だが、ふと思いとどまって廊下の奥へと進む。暖房の入っていない家の中は外より幾分マシかという程度で、冷え切った空気は肌を刺すよう。

 それでも、フロストはあえて上着を取りに行くこともせずにその部屋へと向かった。廊下の突き当たり。家の中でも、掃除をする時くらいしか入ることのない一室。

 明かりを点けて、少々埃っぽい室内を見渡す。この部屋の持ち主は多趣味だったようで、殺風景なフロストの部屋とは正反対の景色である。

 天井まで届く本棚には様々な書籍がぎっしりと詰まり、棚の上に並ぶのは昔のロボットアニメのプラモデル達。他にもレコードやCDの数々が溢れている。

 十三年前から少しも変わらない、ヒョウの部屋だ。

 もう使われることの無い部屋を、あえて残しておく必要もないだろう。中に入り、扉を静かに閉める。

「……ここも、片づけねぇとな」

 ヒョウが居た頃、プラモデル遊びたい時は彼に取って貰っていた。しかし今は、大抵のものなら手が届く程にフロストは成長した。

 それ程までの長い時間が、この部屋でも確かに過ぎ去っていたのだ。

「ん? ……これは」

 小説や図鑑では無い、可愛らしい動物のイラストが表紙の分厚い冊子。懐かしい、そういえばこんなものをあの父親は頑張って作っていた記憶がある。

 色褪せた表紙をめくると、埃と接着剤とインクの匂い。

「懐かしい……これ、こんなところにあったのか」

 それはアルバムだった。ヒョウが持つ趣味の一つで、フロストの成長を追うかのように、物凄い量の写真が貼り付けてある。更に写真の横にはカラフルなペンで細かく何やらコメントが書いてある。

『フロストが初めて寝返りをうった瞬間を激写! すげぇ、なんか超感動!!』

『初めてフーがお父さんって言ってくれた! マジでかわいいんだけど、何この天使!?』

「……本当に、親馬鹿だな」

 ふっ、と零れる小さな笑み。初めて立ったとか、肉を食べられるようになっただとか、そんな些細なことが事細かに記録されている。

 何がそんなに嬉しかったんだか。写真の中で満面の笑みを浮かべるヒョウと、その傍らで笑う自分。思えば、あの頃は楽しいことばかりだった。

 小さな思い出を一つ一つ思い返すように、アルバムのページをぱらぱらと捲る。まだ立ち上がることも出来なかった赤ん坊の頃の自分を見るのは、なんだか気恥ずかしくてむず痒い。

 不意に、一枚の写真が剥がれかかっていることに気がついた。まだ乳飲み子のミカとフロストが並んで昼寝をしている、何の変哲も無いスナップ写真だ。

「これ……ミカ、か。ははっ、あんまり変わってねぇな」

 純真無垢な寝顔に不覚にも可愛いと思ってしまい。アルバムを机の上に置き、すっかり糊が乾いてしまった写真を丁寧に剥がす。

 この部屋の荷物はほとんどずらしていない。ならば、このアルバムに使った糊がある筈。フロストは一度部屋の中を見渡して、机の右袖にある一番上の引き出しを引っ張ってみた。だが、鍵が掛かっていて開かない。少々興味をそそられたが、今は放っておくことにした。

 二番目の引き出しは簡単に開いた。色々な工具がごちゃごちゃと詰め込まれているが、文房具の類は見当たらない。

 三番目も雑多な状態で。電化製品の説明書や、何かの請求書。前々からいつか整理しようと考えていたのだが、今回もまた見事にやる気を削がれてしまった。掃除はフロストも不得手ではあるが、ヒョウの方がずっと上手だったらしい。

 そして一番下の引き出しを開ける。プラモデル用の接着剤は見つけたが、それ以外の糊は見当たらない。仕方がない。これ以上この部屋を探すのも面倒なので、後で自分のものを使うか。潔く諦めて、引き出しをしまおうとした、その時だった。

「……何だ、これ」

 閉めかけた引き出しを再び開ける。奥の左隅に、何やらテープで頑丈に固定された小さな四角い箱のようなものがあった。このままでは暗くて、それが何であるかはわからない。

 フロストは手を伸ばして、指先で撫でてみる。しかし、触れたのはテープのつるりとした表面だけ。思い切ってそれを掴み、いっそこのまま力任せに引き剥がしてしまうことにした。

 かなり劣化しているのか、それは想像していたよりも簡単に剥がすことが出来た。黄色く変色したテープはべたついていて、指に残る感触が不快である。

 劣化したテープを完全に剥がすことは早々に諦め、フロストは中身を取り出すことを優先した。べたべたした嫌な感触に苛つきながら、最終的に外側のケースを思い切って破壊した。透明なプラスチックケースも古いものだ。

 そして、中に収められていたものも最近では滅多に見なくなった、酷く懐かしいものだった。

「……カセットテープ?」

 それは、八ミリフィルムのカセットテープだった。近頃は光ディスクやフラッシュメモリなどコンパクトでありながら高性能である記憶媒体が主流であるが、ほんの十数年前まではこのようなカセットテープだって生活の表舞台に立っていた。フロストの記憶にだってちゃんと残っている。

 しかし、どうしてこんなものがこんな場所にあるのだろう。別にここはヒョウの部屋で、カセットテープだって探せスノーモービルらでも出てくるだろう。でも、何の理由があってこのテープは引き出しの奥に固定されていなければならないのだろう。

 改めて、手元のテープを眺めてみる。フロストには、見た目ではそれがいつ頃のものなのか判別出来ない。ただ、背中のシールには青く変色したボールペンの字で年月日が記されている。

 月日は違うが、フロストの生まれ年と同じである。

「何か……怪しいな」

 妙に気になる。どうせしばらくは療養以外やることがないのだ。こうなったら、とことんこの謎のテープを調べてやろう。一旦ズボンのポケットにそれを収めて、フロストはヒョウの部屋を後にした。


 結局、謎のカセットテープの中身を解き明かす為の鍵である再生装置を探すのに結構な時間がかかってしまった。フロストの家も時代の流れに逆らうことなく、家電の大半はそれなりに最近のものに買い替えてきたからだ。

 最終的に物置部屋までもをひっくり返すことになってしまったが、やっと目当てのものを見つけ出すことに成功した。

 古びたハンディタイプのビデオカメラ。とっくの昔に世代交代し、物置部屋で余生を過ごしていた懐かしの機器は電池を変えてやればちゃんと仕事をしてくれるらしい。

 使い方がいまいちわからないままテープをセットして、適当にがちゃがちゃと弄る。すると、小さな画面がぱっと明るくなった。

「おっ、点いた」

 ソファの上で胡座をかきながら、フロストはビデオカメラの画面を見つめる。リビングの空気は電気ストーブ――ライアスでは未だに暖炉を使っている家の方が多いのだが、フロストは面倒なのでここ数年使っていない――のおかげで暖かい。

 いつもの飴玉も一袋手元に用意した。慣れた甘さにようやく一息ついた気になる。灰色の砂嵐を眺め、映像に切り替わるのを待つ。

 しばらくして一度、映像が真っ黒になる。そのまますぐに画面に色がつき、何かの景色を映し出す。

 否、違う。これはどこかの部屋だ。少々様子は違うが、ヒョウの部屋に間違いない。それでも、ただのホームビデオというわけではないようだ。

『……しっかし、自分で自分を撮るのも何か照れくせぇなぁ。おしっ! 気合い入れろよ、ヒョウ』

 ヒョウ。その名前と、懐かしい声に胸がじんと痛む。フロストと同じ銀の髪に、瑠璃の瞳。

「……親父?」

 一瞬、画面に映った人物が誰なのかわからなかった。テープの中に居るヒョウは、フロストの記憶にあるより若い。当然か。シールに記されていた年代は、フロストが生まれた年。記憶にある父親より若くて当たり前なのだ。辛うじて二十代といったところだろうか。

『うーん……えっと、ゴホン。おい、こらヒョウ! テメェ、これを見てるってことは、また人様に迷惑かけるような大ケガしたんだろ』

 ぎくりとした。いや、待て。これはフロストに向けられた説教などではなく。

『いっつつ……はあ、今の俺がどんな怪我をしやがったのかわからねえが。俺はこの通り、右脚を二か所骨折しました』

 ほれほれ、とヒョウが指で指し示す。本当だ。よく見たら画面の端に松葉杖、右脚は真っ白なギプス包帯で固定されている。他にも前髪で隠れてしまっていたが、額に絆創膏が貼ってある。

『今日、ユドにこっぴどく叱られたよ。そんで、やっと皆が言ってる言葉の意味がわかった。俺が、戦士失格だってこと』

 再び、ぎくりとした。まさか、ヒョウも同じことを言われていたなんて、思いもよらなかったのだ。

『今まではわかんねえって、理解することを拒んでた。誰のお陰で平和に暮らせるんだよって。虚無と戦ったことなんかない弱虫達に、俺のことなんかわかんねぇだろって。……まるで、この村では自分が一番偉い、って勘違いしてた』

 でも、違うんだよ。ヒョウが続ける。

『俺は、偉くなんかない。むしろ、この世界で一番底辺だと思う、サイテーでサイアクな野郎だとわかった。フロストが教えてくれた』

「え……俺?」

 思わず、声を出してしまう。自分は、彼に何を教えたというのか、全く心当たりがない。

『彼女が居なくなって、何もかもが嫌になって自暴自棄になってた。後を追おうかとも思った。でも、村の皆にびーびー泣きじゃくるフロストを押し付けられた時、気が付いたんだ。あのちっちゃい手が、俺の服を掴んでた。こんなサイテーな俺を、それでも父親として縋ってくれた。あの子には俺しか居ないし、俺にもあの子しか居ないんだって』

 やっとわかったんだ。何度も何度も繰り返すヒョウの頬を、透明な雫が一つ、つうっと流れる。彼女とは、恐らくフロストの母親のことだろう。名前くらいしか知らないその女性は、フロストを生んだ時に出血が止まらずそのまま亡くなってしまったのだ。

『俺が、あの子を育てなくちゃいけないんだって。俺と同じなんだって。だって、フロストは母親に一度も抱かれることは無かったんだ。彼女が残してくれたフロストを、彼女の分まで俺が愛してやらなきゃいけない。その為には、こんな怪我なんかしてる場合じゃないんだって。気が付いたら、フロストと一緒にわんわん泣いてた』

 ぐすっとヒョウが鼻を鳴らす。こんな父親は、見たことが無い。

『俺は、フロストの為に生きなきゃならない。戦士を辞めても良いって、言われたけど。それはなんかちょっと違う気がする。だから、俺はもうしばらく戦士を続けることにした。でもそれは怪我をする為ではないし、力を誇示するわけでもない。フロストを愛する為、村を護る為、そして……俺が生きる為に。生活費を稼ぐって意味じゃないぞ、それもあるけどな』

 いいか、ヒョウ。父親の言葉を、フロストは黙って待つ。

『俺は、生きなきゃいけない。生きて、フロストや村のみんなを護らなきゃならない。銃は虚無を殺す為の武器じゃない、大切なものを護る為の手段であり、意思だ。ヒョウ、お前は生きなきゃならない。皆を、フロストを護らなきゃいけない。それが、俺の――』

 ヒョウの声がぴたりと止まる。あまりにも不自然な彼に、フロストは一瞬ビデオカメラの調子が悪いのかと思った。でも、違った。

 よく聞けば、何か聴こえる。これは泣き声、だろうか。フロストが思案していると、ヒョウの表情が一変した。

 今まで泣きじゃくっていた筈の顔面が、さあっと青くなる。 

『うわあああ!! どうしたフロスト!? ミルクか、それともおむつか! 今行くぞって、いったた……あいたたたたた!!』

 そこから先は、一体何が起こったのかわからなかった。ヒョウが慌てて立ち上がるも、骨折をしているらしい脚では姿勢を保つこともままならず。咄嗟に立て掛けてあった杖に手を伸ばすも、無情にも届かず。物凄い量の音に嫌なノイズが混じり、フロストは電源を消してしまう。

 まだ何か言いかけていたようだが、もう充分だった。

「何やってんだ……ほんと、どうしようもねえ親父だな」

 どうやらこれは、ヒョウが自分自身に向けた戒めのテープだったらしい。実際、彼が何度この映像を見たかはわからない。

 でも、これはそのまま父親からの言葉となった。

「そうか。……そういうことか」

 ビデオカメラをテーブルに置いて、フロストは口の中にある飴玉を噛み砕く。そうして要らなくなった棒をごみ箱に捨てる。

 そして、目を瞑る。思考に犇めいていた霧のようなものが、ぱっと晴れた気がした。意図していなかっただろうが、ヒョウは父親として、フロストの一番欲しかった答えをくれた。

 フロストが今、やらなければいけないことを示し、その後押しをしてくれた。

「……やってやろうじゃねえか」

 ゆっくりと開かれる目蓋。ヒョウと同じ瑠璃の瞳にあるのは、強い意思の光。そこにはもう、迷いや弱さの色は一片も存在しなかった。


「なっ、吹雪で軍の到着が遅れるですって!?」

「この辺りは静かなのじゃが、他の村や町では家屋の倒壊や怪我人も既に出ておるらしくての。其方の対応を優先しつつ……しばらく様子を見てからでないと、動けないそうじゃ」

 サンから告げられた悪い知らせに、その場に居た全員が絶望に打ち拉がれた。ある者は顔面を手で覆い、またある者は俯き重々しく溜め息を吐いた。思わず声を上げてしまったトニは両脚から力が抜けていくのを感じ、背もたれに縋るようになんとか椅子に腰を落ち着ける。

 そろそろ日が暮れる。キュリが宣言した夜になる。虚無が約束を守るのか、そもそも約束なんて概念を本当に持っているのかすら疑問なのだが。幸運なことに、あれから虚無の姿を見た者は居ない。

 しかし、今夜が山だろう。キュリ達もそうだが、村人達の疲労も既に限界だった。虚無の奇襲に備えて、男達はほとんど徹夜の日が続いている。トニもそうだ。自分はまだ若いから無理も出来るが、ライアスには彼のような若者は少数派だ。加えて、昼間の肉体労働もある。

 ただ、誰も文句は言わなかった。アンナは未だに目を醒まさず、フロストも戦える状態ではない。そう、特にフロストをこれ以上キュリと戦わせてはならないと、村の誰もがわかっていた。

 キュリがヒョウの銃を持っていた。金色の銃が、フロストをどれだけ傷付けたのか、トニには想像すら出来ない。

「……参ったなぁ」

 フロストがあんな風に形振り構わず弱音を吐いたところなんて、初めて見た。

 六つも年下だが、いつの間にか彼は自分よりずっと強かった。銃を手に、誰もが恐怖する虚無に立ち向かう姿は男のトニでも見惚れてしまう程だ。そんな彼が、あの夜初めて弱さを見せた。

 今度は大人達が、フロストを護ってやる番だ。

「こうなったら、村の有志を募って我々だけで応戦しましょう!」

「武器ならアンナの店に沢山あるしのう? まぁ……後が怖いが」

「やろう、やってやりましょう!!」

 やはり、皆も同じことを思っていたようだ。もちろん、銃の使い方なんか知らない。まともな抵抗なんか出来ないかもしれない。それでも、これは大人達の意地だった。

 フロストに任せて、今まで虚無から逃げていた大人達へ神から与えた罰なのかもしれない。

 ならば、今こそ甘んじて受けよう。

「子供達とご老人方を、どこか安全な場所に避難させなきゃな」

「ユド先生は避難する方ですかな?」

「ばかもん、わしはまだまだ現役だぞ!」

 冗談と、笑い声まで飛び交う。心強かった。だが、不安を完全に拭い去ることは出来ない。

 特に、トニ達にはどうしても目をそらすことが出来ない問題があった。

「あの……こんな時に話すことではないのでしょうが、今年の“クリスマス”は、一体どうなってしまうのでしょうか?」

 サンタクロースの女が、挙手をしながら恐る恐る言った。彼女はマリッタ・カールレラ。本来ならば、この場に居る筈の教師カルロの妻である。先日の襲撃で、カルロは脚と肩に重傷を負ってしまった。絶対安静を言い渡された旦那に代わって、彼女が集会に来たのだ。

 マリッタの言葉に、皆の間に再び沈黙が落ちる。

「クリスマス、か」

「今現在動けるサンタクロースとトナカイを合わせて、なんとかいける……かと」

「なら、これ以上の被害はご法度というわけだな?」

「それよりも……村の修繕で手一杯なこの状況で、クリスマスなんて」

 既に、この場で笑っている者は一人も居なかった。クリスマスは、サンタクロースとトナカイにとって一年で最も重要な行事であり、彼等の存在意義である。

 世界の創造主たる絶対神の生誕祭であるクリスマスは、生を受けた誰もが幸せになるべき特別な日。この日だけは神の意思によって世界の扉が開かれ、人間界へと行くことが出来る。そして、最も幸せになるべき子供達にプレゼントを配らなければならない。

 配達は夜の間に行われる故、原則として人間達に姿を見られてはならないし、人間の世界に痕跡を残してはならない。それでも、神から与えられた役目と与えた子供の笑顔を思うことが、サンタクロースとトナカイの喜びである。

 それを蔑ろにすることなんか出来ない。

「ふうむ……他の村に頼んで、少しでもエリアを受け持ってもらうか?」

「クリスマスはもう二日後ですぞ!? 今からでは、どう頑張っても間に合わないのでは……」

 それに、軍が動けない程の猛吹雪。思うような身動きの取れない状況に何の良案も生まれず、溜め息と沈黙ばかり。トニは無意識に、扉を見つめている自分に気が付いた。

 ヒョウが居なくなった頃、トニは十一歳だった。当時はまだ子供向けの特撮ヒーロー番組が大好きで、玩具の変身グッズでよく遊んでいた記憶がある。そんなトニにとって、ヒョウは一番のヒーローだった。

 だから、彼が居なくなった時の絶望感は今でも胸を締め付ける。だからだろうか、いつしかふと無意識に扉を見つめてしまう癖が付いていた。今にもあそこの扉が大きく開かれて、満面の笑みでヒョウが現れるのではないか。そんな泡沫の夢を見てしまう。

 彼はもう、どこにも居ないのに。

「……駄目だなぁ」

 誰にも聴こえないよう、トニが小さく小さく呟いた。自分はもう。叶いもしない夢を見る年齢でもないのに。俯いて、落ちる影の中で自虐的に嗤った、その時だった。

 今まで見つめていた扉が、大きく開かれたのは。

「……えっ?」

 鮮やかな真紅のコートに、揺れる純白のマフラー。光を集めたかのような銀の髪。

 そして、堂々たる姿。

「ひっ、ひょ――」

 それはトニの声では無かった。でも、トニも同じ名前を胸中で叫んでいた。

 ヒョウ! 戻ってきてくれたのか!?

「……なに、変な声出してんだ? 幽霊でも見たのかよ」

「えっ、フロスト?」

 思わず目を擦ってしまう。目の前に居るのは、確かにフロストだった。容姿も、着込んでいるコートやマフラーもヒョウと似ているが、今まで見間違えることなんか無かったのに。何かがおかしい。

 どうして、フロストがヒョウに見えてしまったのだろう。

「ど、どうしたフロスト。何か用か?」

 慌ててトニが取り繕う。他の皆も、やはりトニと同じだったのか。目を擦ったり、わざとらしく咳き込んだりしている。しかし、フロストは苛立つような素振りを見せなかった。やはり、何かが変だ。いくら目を揉んでも、擦っても変わらない。

 どうしても、フロストがヒョウに見えてしまう。

「……村長」

 フロストが、サンの元まで歩み寄る。そして、落ち着き払った声で言った。

「俺に、キュリの討伐を命じてください」

「なっ!? お前、自分が何を言って――」

 ユドが立ち上がった拍子に、椅子が派手な音を立てて倒れた。中断される言葉。響く振動の、僅かな余韻も空気に溶け込んで消えるまで待って、フロストが言う。

「……俺は、今まで虚無さえ始末出来ればそれで良いと思っていた。虚無を殺すことが戦士の役目であり、村の平和に繋がると思っていた。でも、それは間違いだった。やっと、わかったんだ」

 やっとわかった。噛み締めるように繰り返すフロスト。彼の蒼い瞳にあるのが、今までの危うい狂気とは違っていることに気が付いた。

 そうだ、あの瞳だ。この村では珍しい瑠璃色の瞳。あれが、ヒョウと同じ光を宿している。優しくもあり、強くもあるそれが何なのかはトニにはわからないが。

「ただ強さだけを追い求めていた。虚無を殺せるなら、俺のことなんかどうでもよかった。でも、それじゃ駄目なんだ。自分を犠牲にするのは間違っている」

「フロスト、お前……」

「……多分、親父も同じことを言ってたんだろ?」

 ふと、思う。比べられることを極端に嫌う彼が、自ら父親のことを口にするのは珍しい。豊かな髭を撫でながら、サンがふわふわと笑う。

「ホウホウホウ。……やはり、血の縁というのは不思議じゃのう? そう、ヒョウも今のお前と同じことを言っておった。まだ赤ん坊だったお前を抱き締めながら、何度も何度もな」

「やっぱりな」

「しかし、どうしてそのことを知っておるのじゃ? 村の大人でも、知っている者は少ないと思うのじゃが」

「……秘密」

 そう言って、フロストが小さく笑う。痛みを押し隠すようなそれとは違う、子供のような無邪気な笑み。久々に、彼のこんな表情を見た。

「ふむ、気になるのう。……さっき会ったばかりじゃというのに、随分見違えたのう? 全く、若者は老いぼれが茶を啜っている間にどんどん成長しおって。嬉しくもあるが、寂しくもある。お前が居なくなったらもっと悲しくなる。その痛みはもう老いぼれには耐えられん、だから……約束するのじゃ」

 表情は変わらないが、サンの声が微かに震えている。涙は見えないが、泣いているのだろうか。

「必ず、この村に帰ってくるのじゃぞ。お前はヒョウと、この村に住む皆の大切な“息子”なんじゃから」

「……わかった」

「戦士フロスト」

 ぴんと張り詰める空気。思わず息を吸って吐くことも忘れてしまうような緊張感。改めて今、ここに新たな戦士が生まれたのだ。

 この場に同席出来たことを、トニは誇りに思う。

「お前に命じる。キュリを葬り、この村に降り掛かる災厄を払ってくれ」

「……お任せください」

 軽く一礼するその姿は、凛然としていて。本当に、彼は見違えた。知らない間に、別人のように成長したフロストは頼もしいが、置いて行かれたようでなんだかとても寂しい。

「ちょ、ちょっと待てフロスト!」

 先程まで立ったままだったユドが、話に無理矢理に割り込む。そういえば、忘れてはならないことがあった。

「な、何だよ?」

「お前、まだ怪我人だろう!? 右手はどうした、右手は!」

「ああ……この村の名医のおかげですっかり良くなった」

「嘘つけい!」

「あ、その反応はあれか? 自分が名医じゃなくてヤブ医者だって認めたのか?」

「んなっ!?」

 まるで水面に落とされる餌を待つ金魚のように、口をぱくぱくさせるユド。何も言えなくなった彼に、フロストが部屋を出る間際に振り向いて言った。

「心配しなくても、無理はしねぇよ。もう痛いのはゴメンだしな。やばそうだったら時間だけ稼いで、軍に丸投げして逃げて来る」

 酷い怪我をした筈の右手をひらりと振って、フロストが扉を開けて退出した。真紅の戦士が残した余韻の中、すとんと腰を椅子に落としたユドがしばらく呆けたあと、残り少なくなった髪を惜しげもなく掻き乱す。

「くうううぅう!! あんの……小童があぁああ! 小生意気なところまでヒョウに似よってええ!!」

「お、落ち着いて先生! また血圧上がっちゃいますって!」

 今のも額に浮きだした血管が切れるのではないかという程に、憤怒するユド。冷めきった紅茶をごくごくと飲み干すと、少しは落ち着いたのか長々しい溜め息をこれでもかというくらい吐きだした。

「……ふん。急に大人びおって。ヒョウが戻って来たのかと思ったわい」

「あ、やっぱり。自分もそう思いました、びっくりしてまだ脚震えてますよ」

「ええ? みなさんもそうだったんですかぁ?」

 思い思いに言葉を交わす大人達。そんな騒ぎの中で一人、サンが背もたれを軋ませ天井を見上げて、何事か呟いたのを、トニを含めた全員が気が付くことは無かった。

「……ヒョウ、お主は立派な息子を持って本当に幸せ者じゃな」


「あー……ちょっと、緊張した」

 大人達の前では気丈に振る舞って見せたが、フロストの心臓は今にも弾け飛びそうな程に激しく鼓動していた。ほとんどハッタリだったのだ。

 右腕はまだ痛むし、足元のふらつきも消えたわけではない。しかし、決して彼等に嘘を吐いたわけではなかった。

 今、自分にどれだけのことが出来るかわからない。キュリを目の前にしたら、また憎悪に狂ってしまうかもしれない。何としてでも、ヒョウの銃を取り戻したくなるかもしれない。

 腕の傷が、上手い具合にストッパーになってくれれば良いが。

「あ、そうだ」

 このまますぐに出発しようとしたが、気が変わった。一度、玄関から向きを変え階段を昇る。

 以前、自分が使っていた部屋を今でも残していたことには驚いたが、部屋数の多いこの屋敷にとってそんなに苦にはならないのだろう。そんなことを考えながら、フロストは二階の廊下を歩く。確か、この辺りだった筈。

「ミカ?」

 木製のドアをノックするも、声は返ってこない。間違えたのだろうか。恐る恐るドアノブを回し、部屋の中の様子を伺う。

 消毒液の苦い匂い。やはり、ここで間違っていなかった。フロストが静かにドアを開けるが、出迎えの声は無かった。

「……寝てんのか?」

 それは、二人に向けられた言葉だった。ベッドに寝かされたアンナは、思ったよりも顔色が悪い。それでも、表情は穏やかで苦痛を噛み締める様子は無い。フロスト以上の大怪我を負ったと聞いていたが、少しだけ安堵した。

 ドアを後ろ手で静かに閉め、足音を立てないようにミカに近付く。椅子に座りながら、アンナが横たわるベッドに突っ伏すという器用な格好で沈黙している。

 規則正しく上下する肩に、微かに聴こえる寝息。左手のグローブを取り、少々乱れた黒髪をわしゃわしゃと撫でる。むぎゃっ、と変な声を出したが、この程度で起きる気は無いらしい。

 色々と、言いたいことがあるのだが。しかし起こしたところで、言いたいことがちゃんと言える自信は無い。今からキュリを始末してくると言えば、ミカは絶対に、しがみついてでもフロストを止めにかかるかもしれない。

「……帰ってからで、良いか」

 硬質で、艶やかな髪から手を離す。別に急ぐことではない。ふと、コートのポケットを探る。

 あれだけの騒ぎの後だというのに、“小箱”は汚れ一つ無くそこにあった。

「これも、まだ良いな」

 取り出したそれを再びポケットに押し込む。代わりに取り出した数本の飴玉の中から、ピンク色の包みのものを一本摘み上げ、ミカの手に握らせてやる。

 幼い頃から大して変わっていない、華奢で小さく柔らかい手だ。

「お前が起きてから、こいつを食い終わる頃には帰ってくる。必ずな」

 そう言って、もう一度だけミカの頭を撫でる。そして、静かにドアへと歩みを進める。

 十三年前のあの夜、ヒョウは一体どういう気持ちでフロストを村に置いて行ったのか。多分、今の自分と似たような思いだったのだろう。

 でも、自分はヒョウではない。あの時の幼い自分と同じ気持ちを、誰かに味わわせたりしない。

 静かにドアを開ける。無意識に、右の太腿に吊ったブランシュを指先で撫でる。背中に感じるのは、ネラの頼もしい重み。

「行ってくるぞ、ミカ」

 日暮れまでの時間は残り僅か。暖かな部屋を出たその瞬間、フロストは誇り高き『戦士』となった。


 スノウランドの冬季は常に分厚い雲に覆われていて、太陽や月の顔が顔を覗かせることなど滅多に無い。しかし、今宵は違う。

 銀色の光に満ち満ちた満月が、自身の光で雲を打ち払い、夜空と雪の大地を青白く照らしていた。

「……この雪原の向こうでは、猛吹雪によって軍が翻弄されているというのに。これは一体どういうことでしょうね。月の神は気まぐれだというけれど、闇をつかさどるあの方までわたくし達を嫌うのかしら。……それとも」

 ふわふわと浮遊する美女は闇色のシャボン玉を指先で弄りながら、気だるげに長い髪を払う。

「貴方の無様な死に様に余程興味をお持ちなのかしら。……ねえ、フロスト?」

「出来れば、前者であって欲しいけどな」

 雪原の夜は、思っていたよりもずっと静かだった。フロストはスノーモービルのエンジンをかけたまま、ゴーグルを額に押し上げる。

 うんざりする程の虚無を侍らせているのかと思えば、居るのはキュリ一人だけ。虚無という獣は元来群れをなすものだが、これは何かの罠なのだろうか。キュリの方も、襲い掛かってくる様子は今のところはない。

「よく来ましたわね。軍を呼んだりするから、今から貴方の村におしおきをしに行こうとしていたところですのよ?」

「どうせ、吹雪が静まるまで軍は動けねえよ。そんなに、軍が恐いのか?」

「恐いのでは無いわ。軍は美しくない……わたくしは、醜いものが嫌いですの」

 一番大きいシャボン玉を人差し指で突き、キュリが言う。フロストは彼女を見据えたまま、スノーモービルのハンドルバーに取り付けられた装置の摘みを弄る。

 キュリは、フロストのこの行動に気が付いていないらしい。此方を緩慢に振り向いて、真っ赤な唇を指で撫でる。

「貴方はご存じ? 人間の子供が壮大な夢を思い描くのと同じように、虚無も夢を抱くことを」

「夢?」

「わたくしの夢は、わたくしの周りを美しいもので埋め尽くすこと。花や宝石、ドレスに靴。どれだけあっても良いですわ。それに、わたくしの愛する僕も美しくして差し上げたいの。スイは……わたくしの一番可愛い子でしたのに」

 僅かに垣間見える苛立ちに、呼応するかのように大蛇が唸る。もたげられた大きな頭を撫でながら、キュリが再び穏やかな声色で続ける。

「勘違いをしないで頂きたいので言わせていただきますけど、あの夜に村を襲った虚無はわたくしとは無関係ですわよ。電気が消えたことで我を失った下等な虚無が、あの騒ぎを起こしたのです。あれは、美しくない」

「俺にしてみれば、どっちでも同じなんだけどな」

「貴方は美しいわ、美しいわ」

 うっとりと、キュリが言う。

「月明かりに煌めくその銀の髪も、お顔立ちも戦う姿も全て美しいわ。本当は殺戮者の貴方を醜く、惨たらしく殺して差し上げようと思っていたのですが……気が変わりましたの。ヒトが一番美しい姿をご存じ?」

「…………」

「わたくしの足元に跪き、涙を流しながら許しを懇願する姿ですわ」

 フロストが何も言わないでいると、キュリは勝手に続けた。

「絶望に屈し、せめて命だけはと請う姿……それが一番ヒトの美しい姿だと、わたくしは信じておりました。でも、今はそうは思いませんの。気がつきましたの。美しすぎるものは、時にわたくしの心を大きくかき乱す」

「へぇ、虚無から心なんて言葉が出てくるなんて、思わなかったぜ」

「嫉妬という言葉も存じ上げていましてよ? ……そう、これは嫉妬ですわ」

 突如、キュリの指がシャボン玉を弾く。軽く突いたようにしか見えなかったそれは、かなりの速度をもってフロストの方に向かう。

 だが、直進するだけの物体は的でしかない。フロストはブランシュを引き抜き、一発でそれを撃ち抜く。こびり付いた血を拭うのに苦労したが、整備に不備は無く動作に問題は無い。右腕も今のところ、なんとかなりそうだ。

 粉々に割れたシャボン玉は、夜風に攫われて跡形も無くなる。

「フロスト、どうして貴方はそんな目をしていらっしゃるの?」

 キュリの声色が変わった。今までは甘ったるい猫なで声だったそれが、冷たく素っ気ないものに。陶酔していた紅の瞳が、狂気に煌めく血色に変貌する。

「三日前の貴方はとてもわたくし好みでしたのに。今夜の貴方の姿、そしてその瞳……どうして、そんなに強く輝くことが出来ますの!?」

 あれ程の絶望に、何故打ち勝つことが出来ますの!? キュリの周りに漂っていたシャボン玉が、次々とフロストを目掛けて飛んでくる。左手もネラを抜き、その全てを撃つ。

「腹立たしいわ、その瞳……まるで忌々しい太陽のようね」

「割と間違ってねぇかもな。太陽は闇を払う光、テメェらの天敵ってところは同じだろ」

「そうですわね。でも、貴方は太陽とは違う。手の届く場所に居て、簡単に奈落の底まで引きずりおろすことが出来ますわ」

 音を立てること無く、キュリがふわりと雪上に降り立つ。すると、長く伸びる影がぞわりと蠢き出す。

「……何、だ?」

「虚無が生まれる瞬間は初めて? 大抵は一筋の光も差さない闇夜に虚無は生まれるのですが、わたくしは自由自在に生み出すことが可能ですのよ」

 フロストはちらりと、視線だけ手元のメーターの一つを見やる。速度や燃料など様々な計量器が並ぶ中、一つだけぐんぐん数値を上げているものがある。

「そういえば、あの夜どうしてアンナにトドメを刺さなかったんだ。目の前に居たんだろ?」

 咄嗟に思い付いた疑問で、時間稼ぎを狙ってみる。あからさま過ぎるそれに胸中で舌打ちをするが、意外にもキュリの反応は大きかった。

 整えられ眉をぴくりと上がり、唇がわなわなと震える。

「アンナ? ああ……あの金髪のトナカイですわね。忌々しい……あろうことかあの女わたくしの顔に、女の顔にですよ!? 銃を向けて引き金を……もちろん避けましたけれど。……ああ腹立たしい! 思い出したくもない!!」

 今までの落ち着きはどこへやら、ヒステリックに喚くキュリ。なるほど、あの花火はフロストに助けを求めるためではなく、ただ咄嗟に近くにあった信号弾を撃っただけらしい。

「わたくしがわざわざ手を下さなくとも、放っておけばくたばるかと思っておりましたのに。そう、生きていますの……なら、あとでたっぷりとお礼をしなくてわね」

 また一つ、楽しみが出来ましたわ。くつくつと妖しい笑み。

「でも、まずは貴方から片付けて差し上げますわ。本当ならこの手だけは使いたくないのですが……仕方ありませんわね。フロスト、貴方を今度こそ絶望の闇に突き落として差し上げるわ」

 もう一度、手元のメーターを見やる。不思議なものだ。これまでの自分なら、安い挑発だと知りながらも心の奥底では怒りに震えていた。でも今は違う。

 冷静さを保つことで、あらゆることに思考が行き届く。今からキュリがやろうとしていることは何か。今朝、ベッドから起きたばかりの自分が出来ることは何か。

 虚無を皆殺しにするのではなく、自分がと村の皆を護る為に。意識の違いで、ここまで変わるものかと素直に驚いた。

「俺には、テメェらの方が馬鹿だと思うぜ」

「……何ですって?」

「ああ、テメェらは馬鹿だな。アンナに手こずるようなら、俺には一生かかっても勝てねぇよ」

 ハッタリだ。でも、フロストの思い通りにキュリは怒りの矛先を此方に向けた。

「つい先日、言葉もわからない雑魚に殺されそうになっていたくせに、よくそんな口が利けますわね」

「なら、試してみるか?」

 メーターの赤い矢印が最大値を振り切る。間に合った。スノーモービルから飛び降り、キュリを睨む。

「わたくしは構いませんわよ、フロスト・ヒューティア。絶望に屈し、わたくし達虚無に跪きなさい!!」

 不気味に波打つ影を残し、キュリが軽やかに地面を蹴り後方に跳ぶ。真っ黒な影が徐々に広がり、やがて沸騰した水のようにぼこぼこと泡立つ。

 泡は弾けることなく切り取られ、雪面を転がりやがて様々な生物の姿となり。甲高い産声を上げる虚無の全てが、ぎょろりと赤い目玉をフロストに向けた。

「なっ、何だこの数!?」

「うふふっ、流石の貴方でもこんな大量の虚無を相手にしたことなんて無いでしょう? 機関銃でも無い限り、貴方は蟻に集られる死骸のように食い尽くされるだけですわよ」

 キュリの言う通りだ。ブランシュとネラでは、この数を処理するよりも先に弾丸が底を突く。もしくは、身体の方が先に悲鳴を上げるだろう。

 でも、それならまともに相手をしなければ良いだけの話。キュリは、フロストが本当に焦っていると思い込んでいるのだろう。既に勝ち誇った嘲笑を顔面に飾り、右腕を振り上げ叫ぶ。

「さあ、行きなさい!! そこの愚かで生意気なサンタクロースの坊やを、我々の闇で染め上げてしまいなさい!」

 キュリの声と同時に軽く千体は超えたであろう虚無の赤子達が、フロストを目掛けて一斉に襲い掛かる。生まれたばかりとあって、知能は本当に赤子並み。親――と言って良いものなのかはよくわからないが――であるキュリの言い付けをそのままに、数を武器に真っ向勝負を仕掛ける。

 しかし、フロストはおもむろにブランシュをホルスターに押し込むと、空いた手でスノーモービルの装置を作動させる。

 銃声を圧倒する、凄まじい轟音。それはまるで、天から降りる竜巻の真ん中にいるかのような凄まじい風の唸りであった。

「……吹き飛べ!!」

 本来は、スノーモービルや車両が山道などの雪掻きをされていない場所を走る為の簡易な除雪装置だった。しかし戦士として、様々な土地を巡るフロストのスノーモービルに取り付けられた風のスピネルは通常よりずっと強力である。

 スピネルの中には、自然界のエネルギーを取り込むことで能力を増すものがいくつかある。風はその中の一つで、フロストが繰り返し確認していたのはスピネルが取り込んだ風量を表すメーターだ。

 装置の摘みを調整し、溜め込んだ風を全て前方に居る虚無にぶつけてやったのだ。凄まじい空気の塊は渦を巻き、横に寝かせた旋風となり数多の虚無を巻き込み吹き飛ばす。

 熊や虎のような大型の虚無に巻き込まれ、そのまま息絶えるものも多い。こんな使い方は初めてだが、思っていた以上に使えるようだ。

「なっ、まさか……そんな」

「おお、これ意外とすげぇな」

 なんて、素直に感心してみたりして。再びブランシュを手に、もはや虫の息となった一体のトカゲの姿をした虚無を踏みつける。

 既に虫の息だったトカゲが、小さく呻き声を上げる。

「ギッ、ギィイイ!」

「テメェら虚無に跪くなんて死んでもゴメンだが、足蹴にするのはやっぱり気分が良いな?」

 分厚いブーツの底が食い込み、やがて水っぽい破裂音を最後に漆黒のトカゲは永遠に沈黙した。

 生まれてから最初となる暴力を間近に見て、幼い虚無が恐怖に震える。

「……さて、遊ぶのもここまでにするか」

 まだ数多く残る虚無に、ブランシュとネラを向ける。

「俺は、テメェらなんかには絶対負けねぇ」

 劣勢であることに変わりはない。しかし、フロストの表情に焦燥や困惑は微塵も無い。

 そこに居るのは、自ら戦うことを決めた雄々しく孤高の若き戦士。

「村の皆が受けた痛みや悲しみを、今から百倍にして返してやるよ。謝ったって許してやらねぇ……覚悟しろよ」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ