1
一年を通して四季の移ろいの乏しい世界、スノウランド。大陸一面を雪で覆ったこの大地の端に、ライアスと呼ばれる小さな村があった。
いつもは静かで少々質素な田舎だが、ここ最近は『クリスマス』が近付いていることもあって俄かに活気づいていた。
しかし、聖夜が近付くにつれ、とある問題も無視出来ないものとなっていた。
「ほ、本当かフロスト?」
「……こんなことで嘘吐いて、どうすんだよ」
大人達が何度も繰り返す台詞に、フロストは心底うんざりしていた。口端で弄んでいた、飴玉の無くなった棒を暖炉の炎に投げ、この場に入った時に言った言葉をもう一度繰り返す。
今度は大人達が囲む卓上の地図を、指差しながら。
「南の雪原の掃除を終わらせて来た。粗方始末して来たから、暫くは安全だと思うぜ」
「だ、だが此処はこの間特別危険区域に指定された場所だぞ?」
「だから行ってきたんだろが。困るんだろ、そこが塞がってると」
言って、卓から離れると一人傍らの壁に背を預ける。それでもまだ、疑いの目を向ける者は後を絶たない。
「信じられない、こんなに早く……。ほ、本当に一人で?」
「この村の戦士は俺だけだ」
「そう……確かに、そうだが」
「そんなに疑うなら、自分の目で見て来いよ」
うぜぇ。そう言って吐き捨てると、新しいロリポップキャンディを取り出して包みを剥がしにかかる。露骨に苛立つ口調の彼に、大人達は何も言えなかった。
フロストはまだ十八歳になったばかりだが、この村でたった一人の戦士なのだ。
「……フロストを信じよう。彼は優秀な戦士だ、嘘なんて付く筈が無い。疑って悪かった、そして有り難う」
フロスト。感謝の言葉を述べたのは、村の長であるサン・ニコラだ。齢八十に近い彼は真っ赤なガウンを着込み、口元にはたっぷりの白い髭をたくわえている。
穏やかな表情に、暖かな言葉。彼には幼い頃から世話になっているが、いつも、いつでもそれは変わらない。
「……別に」
気恥ずかしさを覚えて、視線を逸らす。飴玉をくわえ、それ以上は何も言わない。
「ふうむ。そうすると、此処を迂回する必要は無くなるな」
「これで、時間にかなり余裕が出来ますね!」
「後はこの道をどうするか……」
赤鉛筆で地図に書き込み、何やら話し込む大人達。全員が卓の地図を見つめ、ああだこうだ言い合う彼等を、フロストは黙って待つ。
橙色の暖炉の炎、年代物の柱時計、天井から吊らされたポプリ。全てが昔から馴染み深い物で、ここは自分の家の次によく知っている場所だが、出来ることなら早く去りたい。気難しい雰囲気の中、居心地が悪いからという理由では無い。ただ嫌な予感がするだけ。
「そろそろ、来る頃か――」
「フロスト!!」
鼓膜が破れるのではないか、もしくは扉の蝶番が砕け散ったのではないかという程の轟音が、呟いた言葉を一掃した。フロストも、そして大人達も一様に其方を見やる。
立っていたのは、一人の小柄な少女。この場に居る者全員が彼女のことを知っている。
「フロスト……あんた今まで、一体どこに行ってたの?」
「……ミカ」
やっぱり。飴玉をくわえたまま、フロストは内心で悪態を吐いた。アーモンド型の大きな目が特徴的な童顔を、虚無なんかよりよっぽど恐ろしい形相に歪めた少女。
頭に枝に似た角を二本生やした、フロストの幼なじみであるミカだ。
「今まで、どこに、行ってたの?」
「……買い物」
「うそ。買い物なら、わざわざスノーモービルなんか出さないでしょ?」
「テメェ、俺の家にまで来たのかよ」
「誤魔化そうとしても、むだなんだからっ!」
肩を怒らせ、つかつかと歩み寄るミカ。長身のフロストと並ぶと、小柄な彼女は一層小さく見えてしまう。それでも彼の顔を見上げて、今にも噛み付いてくるのではないかと思わせる剣幕で怒鳴る。
「あんた、また一人で虚無退治に行ったわね!? なんで、『トナカイ』のあたしを連れて行かないわけぇ!!」
きーん、と耳鳴り。燃える暖炉の、時折薪が爆ぜる音以外、誰も何も言わない。否、言えない。
ミカは、フロストからの言葉しか許していないのだから。
「……だから、今まで何十回も言ったが、俺にトナカイは要らねえんだよ。皆と違って、『人間界』に行ってプレゼントを配達するわけじゃねえんだから」
溜め息混じりに、フロストが言った。ここにいる大人達は、全員が戦士ではない普通のサンタクロース、もしくはトナカイだ。彼等は年に一度、クリスマスの日だけ『人間界』と呼ばれる並行世界に行き、人間の子供達にプレゼントを配ることを使命としている。
そして、人間界に行くにはその枝のような立派な角で案内人となるトナカイが確かに必要だ。しかし、フロストは違う。
生態は未だ詳しくは解明されておらず、しかしサンタクロースとトナカイを脅かす生きた災いとされる『虚無』。フロストは子供にプレゼントを配るのではなく、虚無に殺戮を贈る戦士なのだ。
「テメェが居たって、何の役にも立たねえんだよ」
「立つもん! サンタクロースにはトナカイが必要なの、フロストのトナカイはあたしなの! だから、いつも一緒じゃなきゃダメなの!」
「いつもって……」
はっとした。自分を見守る、妙に生暖かい視線。恐る恐る目をやれば、にやつく顔達がフロストとミカを眺めている。
ミカと同じような角を生やした者、昔ながらの真っ赤なナイトキャップ――最近の若者は誰も被ろうとしない――を被った者、皆が一様に口角を吊り上げながら、二人を見ていた。
「……いやあ、二人はいつも仲が良いのう? 見ているこっちが熱いわい」
「本当に、昔からミカはフロストにベッタリだったからな」
「村長、次の跡取りはもう決まりですかな?」
「ふうむ、下手な男よりフロストなら……」
此処は都会から離れた小さな田舎村。村民は全員顔見知りであり、家族のようなものだ。なので、本当にシャレにならない。
加えて、ミカはこの屋敷の住人であり、村長の孫娘にあたる。年頃になった彼女の色恋沙汰は、村ではとても需要度の高いゴシップだったりするのだ。
「……おい、ミカ」
ぱきん。奥歯で噛んでいた飴玉が、口中で真っ二つに割れる。
「なに?」
自分に注がれる視線は気にならないのか、はたまた気が付いて居ないのか、ミカはとぼけた顔で首を傾げる。視界の端で、揺れる角。
それらの根元を、畑のにんじんでも収穫するかのごとく、むんずと掴む。
「うきゃぁっ、やだやだっ離して、抜けちゃうぅ!!」
「テメェのせいで、また変な噂が立ったらどうすんだよ! 村の中歩けなくなんだろうがっ!!」
「いやあぁあ! 角がっ、角が抜けちゃうぅー!」
じたばたとミカがもがく。フロストにはわからないが、トナカイは自分の角が抜けることに何よりも恐怖を感じるらしい。
実際に角が抜けたトナカイの話など、聞いたことも見たことも無いのだが。
「大体、テメェは何で昔からいっつも俺にくっ付いて来るんだよ! 良い迷惑だって、わからねえのかよ!?」
「抜けるうぅー! 本当に抜けちゃう、離してえぇ!!」
「……ちっ」
望み通り、両手を同時に離してやる。うきゃあ! と奇天烈な声を上げて、ミカが床を揺らす程に思いっ切り尻餅をついた。
「いたた……うー、フロストひどい!」
「何がひどいだ。そもそも、もし俺が配達人でも、誰がテメェみてえなチビなトナカイと組むかよ」
ふんっ、と安っぽい優越感。掴まれた角と、したたかに打った腰を撫でていたミカが、弾けるように飛び起きる。
「チビじゃないもん! パン屋さんのリアちゃんより大きいんだからっ」
「角を身長に入れると、だろ。ま、俺が真っ直ぐ向いたら、その角すら視界に入らねえけどな?」
「フロストが無駄に大きいだけ!」
「無駄とか言うな、ガキ」
「いっつもアメ舐めてるフロストの方がガキだもん!」
「キノコも食えねえやつに言われたくねえな」
「フロストだって、ピーマン食べられないでしょ!」
「あんなもん食い物じゃ――」
再び、はっとした。ミカとのやり取りは終わりが見えず、しかも幼稚だ。気が付いた途端、あまりの恥ずかしさに思考が音を立てて沸騰した。
それで、口から飛び出したのがこの言葉。
「この……馬鹿女!!」
そして、返ってくるのがこの台詞。
「バカじゃないもん、トナカイだもん!」
これで終結。もう何百回も繰り返したやり取り。言い争う間に本気でムキになって、最後は子供が最初に覚えるような低レベルな罵り合いで終わる。
ミカより二つ年上であるフロストとしては、もう少し大人な対応をしたいものだ。と、最近ひしひしと感じている。
「ホゥホゥホゥ。二人共元気で宜しい」
村長がふわふわと笑う。それがとにかく恥ずかしくて、割れた飴玉をがりがりと噛み砕く。
「フロスト、話は変わるがの」
「……何?」
不機嫌さを露骨に見せて、村長の言葉を待つ。次に行く場所が決まったのだろうか。
しかし、返って来たのは予想外の答えだった。
「よくやってくれた、フロスト。あとはもういい。しばらくゆっくりと休んでくれ」
「はあ?」
「クリスマス当日にはサポートを頼むかもしれんが、それまでは村に居てくれ」
意味がわからなかった。虚無はまだ、村の周りにわんさかと居る。それなのに、彼はフロストに戦うなと言ったのだ。
「……何それ、意味わかんねぇし。虚無はまだそこら中にうようよ居やがるけど? 戦士は、ヤツらを根こそぎ殲滅する為に居るんだろ?」
「フロスト、それは違う」
「違わねぇだろ!」
虚無は一体たりとも生かしておけない。それは、彼等もよく知っている筈。それに、フロストの実力だって思い知った筈だ。
にも関わらず、村長は厳しい声で言った。
「……すまんのフロスト、わしは先程言った言葉を撤回しなければならん」
「は?」
「お前は戦士失格じゃ、フロスト・ヒューティア」
何だそれ、意味がわからない。今まで自分は、戦士として充分過ぎる程の成果をあげてきた筈。
「失格? ……何が言いてぇんだよ」
「そのままの意味じゃよ。これ以上今のお前を、戦士として戦わせることは出来ん」
「戦士として失格? 意味わかんねぇ……俺が今まで、一体どれだけの虚無を葬ってきたと思ってるんだ」
フロスト、と今にも怒り狂いそうな彼に投げかけられる別の声。村で診療所を営む医者であり、トナカイであるユドだ。
分厚い眼鏡を押し上げて、嗄れた声で続ける。
「お前ももう十八か。……お前の父親が居なくなって十三年。お前には言わなかったがやつは、ヒョウは――」
「虚無に殺されたって言いたいのか?」
面食らったのは、ユドの方だった。恐らく、フロストが年齢的にも精神的にも大人に近付いた今こそ、伝えたかった話なのだろう。しかし、フロストはもう随分前に知っていた。
ヒョウ・ヒューティア。フロストの実の父親であり、かつてライアス村の戦士であった男だ。ヒョウは十三年前に、まだ幼いフロストを置いて、忽然と行方を眩ましてしまった。クリスマスを間近に控えた、綺麗な満月の夜のことだった。
周りの大人達は、フロストの前ではヒョウの話を避けていた。同じ銀髪の、真紅のコートと純白のマフラーを身に纏った戦士は、村人がどれだけ探しても、それこそ髪の毛一本も見つからなかったのだ。子供には衝撃的過ぎる話だ。
ヒョウは必ず帰ってくる。そう信じていた時期が、フロストにも確かにあった。でも、今は違う。夢物語に浸るには、あまりに非情な現実を知り過ぎた。
「だから、何? 俺はヒョウとは違う。虚無なんかに殺されない」
「今のお前は戦士ではない。憎悪に突き動かされているだけの復讐者でしかない」
「虚無を滅ぼせるなら関係ねぇだろ」
「冷静になれ。確かにお前は歴代の戦士でも指折りの実力者だ。だが、実力だけではお前を戦士として認めることなんか出来ない。ヒョウと同じ道を辿るだけだ」
戦士ではない。突き付けられたその言葉が理解出来なかった。フロストの実力は自惚れではない。それは皆もわかっている筈、それなのに何故。
フロストが怒鳴り散らしてしまうかと思った瞬間、全く別の声が飛び込んできた。
「みんなのばか! フロストに、そんな話しないでよ!」
「みっ、ミカ!?」
「ヒョウさんは生きてるもん! 今もどこかでちゃんと元気でいるし、絶対にフロストのところに帰ってきてくれるんだから」
背中から飛んで来た声に、思わずフロストが振り返る。しかし、ミカの顔を見ることは出来なかった。
背中に触れる、震える息。幼い頃から変わらない、ミカの泣き方。負けず嫌いな彼女は、誰にも泣き顔を見られたくないという一心でフロストの背中に隠れる。
なんとも困った癖だ。
「……鼻水付けるなよ」
「つけないもん……」
フロストの憤りをすっかり押し流してしまうのだから。ぐずぐずと嗚咽を堪えるミカをそのままに、フロストは大人達に視線を戻す。
それでも、言い返す気は見事に失せてしまって。代わりに湧き上がるのは、びっしょりと濡れてしまった火種のような惨めな感情。
「……結局、あんた達が言いたいのはこういうことだろ。未熟なガキのくせに粋がるな。戦士にもなれないガキは余計なことしないで引っ込んでろ」
「そうじゃない。そうじゃないんだよ、フロスト」
「もういい。……なんか、疲れた。今のままでもクリスマスに支障が無いんなら、もう俺なんか必要ないよな?」
呼び止める声は全て無視した。徐々に肩へと伸しかかる重みに息を吐きながら、ふらりと無意識に扉へと向かう。
「ま、待ちなさいフロスト――」
「俺の用はもう無ぇよ。必要になったら、また呼べば良いだろ」
「フロスト待って!!」
誰とも目を合わせずに、扉を乱暴に開けて外に出るフロスト。そんな彼を、ミカが慌ただしく追い掛ける。二人の若者が居なくなった空間は途端に色褪せ、いくらか暗くなったように見える。
「……いいんですか? フロストをあのままにして」
「ふうむ。……しかし、今はあれ以上の言葉が見つからんしなあ」
「なに、心配いらんよ。あの子は賢い子じゃ。きっと、頭ではわし達が言いたいことは分かっている筈じゃ」
背もたれに背中を預け、村長が言った。羽毛のように柔らかく、冷たい雪がしんしんと降っているのが窓から伺える。
「フロストはヒョウをも上回る実力を、あの若さで身につけおった。しかし、それは父親を失ったという憎しみによってもたらされたもの。負の感情で培われた強さは、己を傷付ける諸刃の刃にしかならん」
たっぷりとした髭を撫でる村長。深く頷き、ユドが引き継ぐ。
「フロストを護るには、この村に閉じ込めておくしかない。なに、ヒョウでも気が付けたことだ。フロスト自身も、その内気が付くだろうよ」
「ちょ、ちょっと待ってよぉ」
フロストぉ! と呼ぶ声。止まる気は無い。放って置いて欲しい。だが、そんな繊細な空気を読み取ってくれる程、ミカは気が利くヤツではない。
空には分厚い雲が広がり、綿のような雪がひっきりなしに髪やコートに貼り付く。払うのも億劫で、熱が奪われるのを感じながら足早にその場から離れる。
否、逃げる。
「ま、待って――うきゃあぁ!」
背中を叩く奇声。思わず振り返って見てみれば、ミカの姿が見当たらない。
「ミカ?」
「うー、滑ったよぉ……」
声を辿ってみればいつもより低い、というよりもはや地面に近い場所で、ミカが呻いていた。
顔面と、背中まで伸びた黒髪の先まで雪まみれになったミカ。その間抜けな様子に、いつの間にかフロストは笑い出してしまっていた。
「ぷっ、くく。……お前、何やってんだよ」
「ふえぇ……だって、フロストが」
「わかったわかった、俺が悪かったよ。……ほら」
座り込むミカの元まで歩み寄り、彼女の前に手を差し出す。ミカは迷うことなくその手を掴み、引っ張られるようにして立ち上がる。
小さな手が服を払う間、フロストが髪に付いた雪をとってやる。指先を滑る硬質な髪に以前、流行りの髪型が上手く出来ないと嘆いていたことを思い出す。
「うう、最悪……冷たいし」
「ほら、粗方取れたぞ」
「え、ほんと? ありがとっ!」
花のような満面の笑顔。ついさっきまで泣いていたくせに、もう笑っている。
くるくると変わる表情が、フロストの張り詰めた緊張を解す。どんな時でも、天真爛漫なミカを見ていると気が楽になる。
鬱陶しい時もあるのだがそれでも、ミカとフロストはなぜかいつも一緒だった。
「あ、あのねフロスト……」
いつも腹立たしいまでに場の空気を読まない彼女にしては珍しく、何かを言い淀んでいるらしい。二人の間で舞い踊る一枚の雪が地面に落ちる頃、漸く桜色の唇を開いた。
「あのね? おじいちゃん達は、フロストが頼り無いからあんなこと言ったんじゃないよ。フロストのことが心配で、無茶してケガとかして欲しくないだけなんだよ!」
それにね、とフロストの顔を見上げるミカ。泣いていたからか、焦げ茶色の瞳が微かに潤んでいる。
「あたしは、ヒョウさんは生きてるって信じてるから」
「は……? 何言って――」
「だから、一緒に待とう? だいじょうぶ、ヒョウさんは絶対に帰ってくるよ。フロストのお父さんだもん!」
ミカの言葉は飾り気が無く、それだけに真っ直ぐだ。嘘でもなければ、演技でもない。
ヒョウがまだどこかで生きていることを、彼女だけは本当に信じているのだ。ろくに顔も覚えていないだろうに、フロストがとっくに諦めたことに未だ縋りついている。
健気で頑ななミカに癒やされ、確かに支えられている自分がここに居る。
「フロスト……怒ってる?」
「えっ?」
「だって、何にも言ってくれないから」
「あ、いや……別に」
一体、どんな顔をしていたのだろうか。少なくとも、投げかけられた言葉に励まされていたなんて言えない。
「……怒ってねぇよ」
そう言って、何となく気恥ずかしく思い目を合わせられなくて、自然と空に視線を逃がす。綿菓子のような雪がひらひらと落ちてくる様子を見つめていると、いつの間にか空に吸い寄せられているかのような感覚に陥ってしまう。
「別に、怒ってねぇ。心配してくれるのは嬉しいし、村長達が言う程自分が強いとも思ってねぇよ」
ただ、ちょっとだけ拗ねただけだ。戦士として認められ、やっと一人前になれたと思っていたのに。自分がこの村で一番強い筈なのに、老いぼれた大人達と、引き金の引き方すら知らない幼なじみに護られてしまう。
結局の所、まだまだガキらしい。
「……ムカつく」
「へ?」
「何でもない」
踵を返し、再び歩き始める。村長の屋敷から少し離れた場所に、フロストの愛車がセンタースタンドで止めてられていた。予想以上に長居してしまっていたようで、随分な待ちぼうけをくらったそれは雪にまみれて不機嫌そうな様子。
若者からの絶大な人気を誇るルナムーン社の大型スノーモービルは、デザインだけでなく機能性にも優れている。赤と黒を基調としたスタイリッシュな外見にも関わらず、氷上や雪道でも走れる程の馬力を兼ね備えている。
加えて、風の魔力を持った『スピネル』――様々な能力を秘める半透明の石。この場合は、自在に空気を溜め込み吹き出す能力がある――を組み込んであるので、厚く降り積もった雪を吹き飛ばすことも可能になった。エンジンの騒音が少々難点だが、それは消音機材を取り付ければ大分抑えられる。
フロストが十五歳になった誕生日に、村長から貰ったものだ。田舎の村には似合わない代物だが、それ故に大切に使わせて貰っている。代金のことは何も言ってくれなかったが、性能に見合った金額は貯金に相当痛手だった筈。
「どこに行くの?」
器用に積もった雪を軽く払って、スノーモービルに乗り込みエンジンをかけようとした時に、ミカが言った。
見ればわかると思うのだが。
「家に帰る」
「うそ!」
「嘘じゃねぇって。疲れたから、帰って寝る」
出て来る前に確認した時間は午後三時を過ぎた辺りだった。昼寝をするには丁度良い。
不貞寝、ではなく。あくまで昼寝だ。
「えー……、帰っちゃうのぉ?」
「ああ。ここに居ても、やることねぇしな」
「じゃあ、あたしも行く!」
「はぁ? 何で」
「だってぇ、家に居たっておじいちゃん達が話し込んでるから気まずいじゃん。絶対に夜まで終わらないし、夕方から再放送するドラマも見たいのにあたしの部屋にはテレビないからさぁ」
今日は山場の回なの! と、両手で拳を作り熱く語られて。夕方の再放送のドラマとは、確か王道でベタベタの恋愛ものだった気がする。フロストの一番苦手なジャンルだ。
決して、興味がないというわけではないが。
「あとあと、夜の七時から歌番組あるしぃ。フロストの好きなバンドが今日新曲発表するって」
「って、まだ来て良いって言ってねえし。つか、何時まで居る気だよ」
ヒョウが居なくなってから暫く、フロストはミカの家で世話になっていたが現在は一人暮らしだ。元々親子二人で住んでいた家は彼一人では広すぎるのだが、それでも住処を変える気は今のところ無い。
今のようにちょくちょくミカが問答無用に押し掛けてくるから、寂しいとも感じていない。。
「……仕方ねえな」
「やった! じゃあ、コート取ってくるね?」
「ちゃんと誰かに言っておけよ」
果たして、両親と祖父である村長は、ミカが一人暮らしの男の家に通っていることについてどう考えて居るのだろうか。幼馴染ではあるが、二人共年頃だというのに。
「……このまま置いて行っちゃうとかしたら、怒るからね?」
「わかったわかった。待っててやるから、早くしろ」
成る程、そういう手があったか。しかし、それを実行すると絶対に後が面倒なことになるので、フロストはそのまま待つことにした。ぱたぱたと慌ただしく――二、三回雪に躓きつつも、屋敷に入っていくミカを見送る。
なんとなく手持無沙汰で、やることの無い手はコートのポケットを探り、いつものように飴玉を取り出してしまう。別に棒が付いていることにこだわっているわけではないが、フロストが持ち歩いているのはいつも決まってロリポップキャンディである。
包み紙を破って、くわえながらふと、スノーモービルの燃料メーターを見やる。また薄く積もった雪を撫でるように払い、矢印が示す値に不覚にも驚いた。思っていた以上に、燃料が減っている。これから家に帰る分には全く問題は無いが、余裕があるとは言えない。
そういえば。右の太腿に吊った銃をホルスターから抜き、弾倉を確認する。それから背中に吊った銃も同じく弾倉を抜く。両方とも、残弾数がゼロに近い。フロストが思っていた以上に消耗していたらしい。
「やばいな……」
暫くは銃の出番は無いとしても、このままにしておくわけはいかない。家にある予備の弾倉はいくつある? スノーモービルの燃料は倉庫にあっただろうか。否、無い。
「あーっ、くそ! 行くしかねえか」
「お待たせー……どうしたの?」
もこもことしたファーが袖口とフードについたピンクのコートを羽織り、手には毛糸のミトンをはめたミカが、きょとんとしてフロストを見やる。
「ミカ……ちょっと寄るところが出来たんだが、いいか?」
「へ? どこ?」
「アンナの所。スノーモービルの燃料とか、色々買わねぇと」
本当は出来るだけ行きたくない。だが、フロストのスノーモービルの燃料や銃の弾は近所の商店では売っていない。よって、どんなに嫌でも行くしかない。
「うん、いいよ。時間あるし、そういえばアンナさんに雑誌の今月号頼んでたの、丁度いいね!」
そう言って、そのままフロストの後ろに乗り込むミカ。当然のように腰に回されてしがみ付く腕が少々くすぐったい。
エンジンをかけ、ハンドルを握ろうとしたその時、眼下で小さな手がわきわきと動く。
「ねぇねぇ、あたしにもアメちょうだい? 小腹すいちゃった」
「…………」
溜め息。片手でコートのポケットを探り、数本のロリポップキャンディを取り出す。フロストが持ち歩く飴は決まってこれだが、その中でも必ずある味が一つだけある。
ピンク色の、可愛らしい苺のイラストが描かれた包みの飴玉は、まとめて買うにあたっては必ず入っている定番の味だが、フロストはあまり食べない。これだけは、後ろで足をぶらつかせる馬鹿専用になっている。
「あ、いちごミルクだ! やったあ!」
差し出された手に掴ませてやれば、すぐに上がる喜びの声。お互いに嫌いなものも知っていれば、当然のように好きなものも知っている。
なんだかんだ言って、甘やかしてしまうのは悪い癖だな。
「涎、つけんなよ?」
「つけないもん!」
「おら、さっさと行くぞ」
額に上げたゴーグルはそのままに緩んだマフラーを払い、緩やかな走りで村長宅を後にする。ミカを乗せていることと、村の中だということもあり、いつも以上の安全運転だ。
彼女の家は村を一望出来る小高い場所にあり、フロストの家がある村の中心までは若干の距離がある。とは言っても、歩いて二十分程のものだが。
どこにどんな木があって、いつ曲がり道があるか、目を瞑っていても分かる。
「うひゃあ、やっぱりスノーモービルだと速いねえ?」
「まあ、歩くよりはな」
感嘆の声を上げるミカ。それから少し走れば、徐々に賑わいが近づいて来る。降り積もった雪を慣れた手つきで削り、屋根から落とす男達。それを道の端や使っていない空き地に運ぶ女や子供達。皆、顔見知りだ。
「やっほー。皆、お疲れ様!」
ミカが片手を離して、屋根の上の中年男に手を振った。微かにバランスが崩れるが、もちろんそのまま滑って転ぶなんてことはしない。
「よう、ミカ! こらー、フロスト。今コケそうになっただろう? ちゃんと見てるぞー」
「うっせえな! テメェらがちゃんと雪掻きしねえからだろが」
「この野郎、文句言うなら手伝いやがれ若造が! デートはその後でいいだろ」
「ぬあっ!?」
馬っ鹿じゃねえの!? 逃げるようにそこを走り抜け、やがて村の中心部まで出た。
都会のような煌びやかさは無いが、暖かな雰囲気が此処にはあるのだ。
「うーん、肌がカピカピになりそう」
店の前でスノーモービルを止めるなり、そんなことを呟いて飛び降りるミカ。化粧もしていない癖に、美容には気を使っていたのか。胸中で意外だと思いながら、フロストもスノーモービルから降りる。
その店は、一見すればただの小屋だ。屋根を覆う分厚い雪に、槍先のような鋭い氷柱。見える窓のカーテンは全て締め切られ、少々不気味な雰囲気を醸し出している。
「うわ、とと……お邪魔しまーす」
ひょこひょこと飛び跳ねるように階段を昇り、なんの躊躇もなく扉を開けるミカ。湖の水面のように凍った階段を見るに、店主がどのような性格の持ち主なのかが容易に伺える。
この店の主は、恐らくフロストが思う中で一番の変態であり変人だ。
「ミカ、アンナは居たか?」
遅れて扉を開ける。薄暗い店内の壁や天井、普通は宝石などを飾るのではないかと思われる硝子のショーケース。その全てには、フロストも名前しか知らないような武器が、所狭しと並べられていた。
フロストの愛銃達と似たような形のもの。小型で、真ん中に蓮根型の弾倉が嵌め込まれたリヴォルヴァー。狩りに使われる長い銃身のライフル。射程範囲は狭いが、豪雨のように敵に弾丸を浴びせることが出来るマシンガン。
更には持ち歩く拳銃ではなく、固定式の機関銃。錆び付いた手榴弾が転がっていると思いきや、埃一つなく磨き上げられたロケットランチャーが立てかけてあったりと。上げればキリがない程に、様々な火器の類がびっしりと並べられている。
「うーん……留守なのかな?」
「まさか、どうせ寝てるんだろ」
カウンターから身を乗り出して、店の奥を覗き込むミカ。店の主は商売をする気が無いのか四六時中酒を飲んでは寝ているのが常で、大人しくカウンターに座っていることなど滅多に無い。
フロストもミカの後ろから、奥の様子を伺う。
「……仕方ねえな。叩き起こして来るか」
「だ、ダメだよ!」
慌てて振り返り、大きく首を横に振るミカ。意味が分からない。
「ダメって、何が――」
「フロストはダメだよ! 眠っている女の人に近付くなんて、フケツぅ!!」
ぎゃあぎゃあと、一人でミカが喚く。その際に、危うく飴玉の棒を落としてしまいそうになったが、なんとか自力で堪えた。
そして、彼女が訴えることは理解したが、はっきり言って何を今更である。
「……俺は、多分この村で一番あの女を起こしてきたと思うけどな」
「とにかくダメ! あたしが呼んで来るから、フロストは大人しく待ってなさい!」
何故か命令口調でミカが言って、カウンターをよじ登り店の奥へと潜り込んだ。プライバシー保護と言う自己防衛意識が最近頻繁に謳われているが、村でその意識はかなり薄い。因みにこの店に至っては、そんな意識はほぼ皆無だ。
くすんだ蛍光灯は頼りないが、辺りに何があるのかを判別出来る程度には明るい。フロストは何となく店内を見渡しながら、新しい飴玉を取り出す。
すると、視界に一丁の拳銃が飛び込んで来た。
「……あれは」
どくん、と心臓が跳ねたかと思えば、身体は無意識にその銃に歩み寄っていた。金色の銃身を持った、年代物のリヴォルヴァー。僅かな明かりの中でも、暗闇の中では十分な存在感を示している。
でも、違う。
「……んなわけ、ねぇよな」
壁に引っ掛かっているリヴォルヴァーを手に取る。蓮根型の弾倉は空で、銃身は長い。馴染みの無い感触。記憶とは違う、グリップの形。
やはり、これは知らない銃だ。軽く息を吐いて、元の場所に戻そうとした、その時だった。
「相変わらず、イイ男だねぇ?」
「ッ!?」
突然濃厚になる気配。咄嗟に振り向こうにも、フロストが動くよりも先に、腰と胸に真っ赤なマニキュアが塗られた指が這う。
背中に伝わる柔らかい熱。耳の輪郭をなぞる、肉厚な唇の感触。
「……アンナ」
「ンフフ、焦っちゃって。戦士と言っても、やっぱりまだガキだねぇ」
クスクスと笑う声。苦いアルコールの匂いが、肺腑を侵す。油断していたとは言え、この女に背後を許すだなんて。苛立ちを露わに、舌打ちが零れる。
「焦ってなんかねぇよ。ふざけてねぇで離せ」
「おや、今度は強がりかい?」
「強がりじゃねぇ。つか、ガキ扱いすんな」
「ああ、そうだったねぇ」
妙に艶めくハスキーボイス。胸にある手はそこを撫で、腰にあった手は太腿に降りる。
唇は項まで降りて、さらさらと揺れる銀の髪に口付けを落とす。そこからジワリと滲む熱は、眩暈を誘う程に甘く。
「ッ……」
背筋に走る切ない痺れ。不本意にも漏れる吐息に、女が楽しそうに笑う。
「ガキはこんなエロい身体なんか、してるわけないねぇ?」
「テメェ……くそっ、離せ――」
「あ、ああー!!」
突然割り込んだ叫び声。見ればミカがカウンター越しに、何故か顔を真っ赤にしてわなわなと震えている。
くわえていた棒をポトリと落として、ミカが喚く。
「フロストとアンナさんがえっちなことしてるう!」
「してねえよ!! 見ればわかるだろ、この酔っ払いが勝手に――」
ああ、もう面倒くさい! しかし、このまま弁解しないわけにもいかない。田舎で暮らすには、ちょっとした誤解も命取りなのだ。
が、適切な言葉を選んでいたその隙を取られた。
「隙ありぃ!」
気がつけば、背中からの手はフロストの二つのホルスターに伸びていて。振り払おうとした時には既に、二丁の拳銃はそこには無かった。
「なっ!?」
「ああん、やっぱり二人ともイイ男だねえ」
振り返れば、腰まで流れる緩いウェーブがかった金髪の女が、至福の顔でフロストの拳銃を見つめていた。
右手には白銀の、左手には漆黒の拳銃。その二丁を、まるで恋する乙女のような恍惚とした表情で愛でている。
「ブランシュにネラ。元気にしてたかい?」
ゴツゴツとした拳銃に、何の戸惑いもなく頬ずりをかます女。ファーのついたジャケットを羽織っていても、その下に隠れている豊満な胸元が揺れているのが分かる。右の枝角の根元には、飾り気の無い少々くすんだ銀のシンプルな『アンクルカフ』がはめてある。
ミカくらいに小柄だったら、頭の角をもぎ取ってやるのに。生憎この変人は、ヒールを履かなくともフロストの鼻先程まで背丈がある。顔つきも美人に分類され、一見ファッション雑誌のモデルのようだが、あくまでそれは見た目だけ。
タチの悪い酔っ払いである。
「アンナさあーん! フロストと何してたのお?」
頬をパンパンに膨らませて、ミカがアンナに歩み寄る。ここまで来てようやくアンナも、ミカのことを認識したようだ。
「おや、ミカ。いらっしゃい」
「今、何してたの?」
「今?」
「フロストと!」
「ああ。何って言われても……」
ちらりと、アンナが此方を見る。
そして、にやりと笑う。
「そうだミカ。お姉さんがあんたにイイこと教えてあげる」
「いいこと?」
「……おい、アンナ」
飴玉を戻し、拳銃も元の場所に引っ掛けて。抗議をする前に一応、目の前にいるミカの耳を両手で挟むようにして塞ぐ。
「うひゃっ! やだ、離してよう!?」
「あんまりミカに変なことを吹き込むな。後が面倒だ」
暴れるミカを押さえ込みながらの会話は、なかなか難儀なものがある。
そんな此方の事情など見て見ぬフリで、きょとんとした風でアンナが答える。
「面倒って言われても、ねえ? 今後に役立つことなんだから、別にイイじゃないか」
「今後って何だよ」
「絶対ミカの役に立つでしょ? あんたのイイトコロの知識は――」
「立つか!!」
タチが悪い。村の大人達の中で、この女が一番タチが悪い。そもそも、アンナは元々村の出身ではなく、流れの戦士であった。そんな彼女がこの村にまともに居着いたのは、十年前だ。
数多の銃火器を使いこなし、星の数程の悪夢を破滅に追いやったアンナ。ヒョウが居なくなってから暫く村の戦士として働く一方、フロストに銃の扱い方を教えた。所謂師弟関係なわけだが、二人の関係はそんなストイックなものではない。
どちらかと言うと、奥様方の井戸端会議でよくネタになる、ギットギトなメロドラマだ。ちなみに、内容は当人達しか知らない、筈。
「まっ、この二人をいじらせてくれるんなら、言わないでおいてあげるけど?」
「あー……好きにしろ」
「うきゃあ!」
話は纏まったので、暴れていたミカを離す。その際に、勢い余って床にまた尻餅をついたが、いつものことだから気にしない。
他人に銃を触られるのは嫌なのだが、アンナならば問題は無い。と言うより、触らせて置かないといつまでもうるさい。
「うふふ……でも、この二人は本当にイイ男だよ。フロスト、あんたには勿体無いねえ?」
カウンターのあちら側に潜り込んで、ジャケットの代わりに作業用の薄汚れた上着を羽織り、意気込むアンナ。埃っぽい床からのろのろと立ち上がり、ミカが首を傾げた。
「いいおとこ?」
「ミカ、あんたいっつもフロストにべったりだけど、世の中にはそんな若白髪野郎よりイイ男はいっぱいいるのよ?」
若白髪とか言うな、この髪は遺伝だ。
「特にこの二人! ブランシュは見た目は王子様みたいなキレイな顔してるのに、中身はいやらしいサディストだね。涼しい顔して、一発で的の肉を問答無用に潰しちゃうんだから」
白銀の銃身を撫でながら、もう何百回聞いたか分からないことをうっとりと語り始めた。先程しまった飴玉を取り出し、包みを破る。
また長くなるぞ。
「ネラは見た目は完全に冷血な肉食獣なのに、意外と思いやりのある兄貴だねえ。使用者が左利きじゃなくても、狙いやすい造りになってる」
熱い視線で漆黒の拳銃を愛でながら言った。火器に全く携わったことのないミカなんかは、口を半開きにしたまま瞬きを繰り返すだけで。アンナには拳銃を中心とした火器を何故か擬人化して考える傾向がある。
しかも、フロストが思うに、彼女は銃火器と生き物の見分けがついていないのでは無いだろうか。白銀の拳銃を分解整備しながら、此処最近あったハプニングやゴシックなんかで世間話に花を咲かせている辺りは、そうとしか思えない。
傍から見たら盛大な独り言なのだが。
「……アンナさんの言ってること、よく分かんない」
「ほっとけ。いつものことだ」
飴玉をくわえて言った。彼女のお気に入りは、最高に面倒なことにフロストの二丁の愛銃達である。
白銀の拳銃はブランシュ。漆黒の拳銃はネラ。二丁ともヒョウが消えてから、フロストの家の金庫から出てきたものである。一体いつからそこにあったのか、どうしてそこにあったのかも分からない。
二丁拳銃は両手の自由を引き換えに、絶大な破壊力を誇る。再装填の手間や腕への負荷を考慮すれば、両手に銃を握ることは見た目は良くても効率は悪い。しかし、それでもブランシュとネラは個々ではなく、あくまでも二丁で一つらしい。
「あーあ。こんな名銃、なんでフロストなんかが持っているのかねえ?」
アンナが呟く。彼女の話によると、かつてその筋ではとんでもなく有名なガンスミスが、何者かの為に生涯最後に造った銃がこの二丁だと言われている。
白銀のブランシュに、漆黒のネラ。世間に出せば、マニアが涎を垂らしながら山のように札束を積むだろう。それこそ、ルナムーン社の新型スノーモービルが何台も買える。だが、フロストは銃の事情に興味も無ければ売る気も無い。
「フロスト、あんたが死んだらこの二人、私に頂戴よ?」
「……好きにしろ。死んだ後までそいつらに執着する気はねぇよ」
と、アンナは縁起でもないことを平気で言う。ミカが眼下でビクついたみたいだが、気が付かないふりをする。
死んだ後のことなどどうでもいい。アンナなら、毎日のように解体して整備して愛でてくれるだろう。この店にある、火器達のように。
そういえば。傍らに見える、見覚えの無いリヴォルヴァーに再び目を向ける。
「なあ、こんな銃あったか?」
「なに……ああ、それ?」
アンナが顔を上げる。それに倣ってミカも、金色の拳銃の方を向いた。
「そいつは先週街に行った時にね、知り合いの骨董屋から貰ったのさ。名前は無いけど凄く古い物でね。有り難く頂いたんだよ。渋くてセクシーだろ?」
「……あれ、この銃って」
首を傾げるミカ。やはり彼女も、この銃には見覚えがあるらしい。だが、見分けられる程鮮明な記憶では無いようだ。
「違う、これは親父の銃じゃない」
「ああ、あんたの親父さんって、金色のリヴォルヴァーを使っていた……って、言ってたねぇ」
再び作業に戻るアンナ。そう、かつてヒョウはこの銃に良く似た、金色に輝くリヴォルヴァーを使っていた。
実際に戦っているところを見たわけではないが、それでもなんとなく覚えている。
「リヴォルヴァーか……あんたとは違って、頭脳派だったんだねぇ」
「悪かったな」
「いやあ、私も言うとオートマチック派だし。ていうか、リヴォルヴァーを使ってる方が珍しいよ。よほど自分の力量に自信があったんだろ」
リヴォルヴァーはフロストが使っているオートマチックとは違い、蓮根型の弾倉にわざわざ一つずつ弾丸となるスピネルをはめ込まなければならない。
穴の数はリヴォルヴァーによって違う。数の分だけ、色々な属性の弾丸を放つことが出来るのが利点ではあるが、同じ穴にはめられたスピネルは連続して放つことは出来ない。スピネルの大きさには限界がある為、それはどうしても変えられない。再び魔力を充填させるまで、速くても数秒かかる。だが、穴の数だけ多彩な弾丸を使用することが可能である。
対してオートマチックは、グリップの部分に長方形の弾倉をはめ込む形になっている。スピネルも大きく再充填する時間はほとんど必要無いので、使用者の好きなだけ連射することが可能である。
だが弾倉を変えない限り、撃てる弾丸の種類は一つだけである。加えて連射すればするだけ、スピネルの寿命は縮んでしまう。
現にフロストの場合、一つの弾倉は長くても一日の命だ。
「そうだ、もう予備の弾倉ねえんだけど」
「ちゃんと用意してあるよ。いつものでイイんだろう?」
「あと、スノーモービルの燃料も」
「あー、それは裏の倉庫だ。あとで取ってくるよ」
「いや、なら俺が――」
行くけど。そう言おうとしたその時だった。
珍しくずっと黙っていたミカが、素っ頓狂な言葉を漏らしたのは。
「……この銃、いいかも」
「は?」
「アンナさーん! あたし、この金ぴかな銃ほしいなあ!」
ああ、やっぱりコイツは馬鹿らしい。あのアンナでさえも、意味が分からんと言った風に首を傾げている。
眼下で揺れる角を掴む。同時に上がる、奇天烈な声。
「うきゃあ! ぬ、抜けるうぅ!!」
「お前は一体、毎日何考えて生きてんだよ」
「いいじゃん! あたしは、フロストのトナカイなんだよ?」
それはさっき、完全に否定した気がするが。呆然と脱力した隙を取られ、両手から角がするりと逃げられる。
「フロストがあたしを連れて行かないのは、あたしが戦えないからでしょ?」
「いや……だからそれ以前に」
「あたしが戦えるようになったら、虚無退治にも連れて行ってくれるんだよね?」
「……あっはっは! そりゃイイねえ? ミカは面白いこと考えるなぁ」
カウンターを叩きながら、腹を抱えてアンナが笑う。しかし、次に顔を上げた時にはもう笑っていなかった。
否、表情は笑顔である。だが、目は違う。
「でもね、ミカ。私は止めておいた方が良いと思うけどね」
「えっ!? どうしてぇ?」
やんわりと諌めるアンナに、ミカが口を尖らせる。ふざけていることがステータスのアンナだが、彼女は言うときは言う女だ。
だから、なんだかんだいってもフロストは彼女を信頼している。
「だって、あんたには銃なんて似合わないもの。私はさ、あんたには真っ当なトナカイになって欲しいのさ」
「うー……でもぉ」
「別にさ、フロストのトナカイじゃないからと言ってそれはあくまでも仕事上のパートナーなんだ。だから、別に結婚は好きなヤツとすりゃあ良いんだからさ」
前言撤回。……何ほざいてやがるこの女。
「けっ、けけけ結婚!?」
「おいコラ酔っ払い、適当なこと言ってんじゃねぇよ」
「おや、満更適当でもないだろう? フロスト、そろそろ女の子一人くらい養っていけるんじゃないの?」
ケラケラと嫌な笑い方。彼女の戯言に、ミカは耳の先まで真っ赤にして俯いている。
「それに、フロストって意外と貯金はマメにするタイプだろ?」
「……こんな田舎で散財出来るヤツの方が珍しいだろ」
「それにさ、村長の孫娘と結婚出来たら逆玉の輿じゃん?」
「はっ、ありえねー。こんなちんちくりん、誰が――」
不意に、顔面に飛んできた拳――恐らく、そのまま立っていても届いてなかっただろうが――を片手で受け止める。フロストの鍛え抜かれた反射神経と身のこなしに、ミカがきいぃ! と喚いた。
「だれがちんちくりんなの!? むっかつく、一発殴らせなさい!」
「断る。つか、ムリだろ。だって届いてねぇし」
「むきいぃ! なによ、フロストのばか!」
馬鹿とは何だ、馬鹿とは。
「フロスト……あんたって、意外とバカだったんだねぇ?」
「そう、そうなの! よくぞ言ってくれました、アンナさん」
「な、何だよ」
さすがにアンナに言われると戸惑ってしまう。呆れたように酒臭い溜め息を吐いて、再び工具を手に作業を再開させる。
「いや、経験は豊富なのにニブいなぁと思ってね。カラダの方はあんなに敏感なのに――」
「うるせぇよ!!」
「まあミカ、よく考えてみなよ。そこのバカでも……えーっと、ロストがなんとか戦えるようになるには五年かかった。簡単そうに見えるけど、そんなすぐに銃で戦えるようになるわけじゃないんだよ」
ミカが再び俯いてしまう。すっかり落ち込んでしまった様子に、どうしてやればいいかわからなくなる。
だが、これで良い。
「あんたは銃なんか持たなくて良いんだよ、ミカ」
「うー……でもぉ」
「あんたはあんたに出来ることをやればいいんだ。そうだ、ミカ。ちょっと手伝ってくれない?」
油まみれの手で招いて、アンナがミカを呼んだ。
「あたしに?」
「そ。悪いんだけどさ、裏の倉庫からフロストのスノーモービルの燃料を取ってきて補充してくれない? 車の運転は出来るんだから、それなら余裕だろ?」
「いや、だからそれは俺が――」
「ブランシュとネラの調整があるだろ。あんたがやりやすい用にいじってやった方が良いし、久し振りに撃ち方見たいし」
「あ、あたしがやる! やります!」
フロスト、スノーモービル動かすよ! ばたばたと慌ただしく店を出て行くミカを、呼び止める暇すら無かった。
「……あんなデカいスノーモービル、ミカに動かせるのか?」
「ちょっとでもあんたの為に何かやりたいんでしょ? 健気だねぇ、あんたにはもったいないねぇ?」
ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて、アンナが言った。何だか腹立たしさ思い、カウンターにツカツカと歩み寄る。
「何だよ、その言い方」
「別にぃ? でも、これで貸しが出来たね。まったく、変なところで不器用なんだから」
埃でべたつくカウンターに、先程よりも輝きを増したブランシュが置かれる。すぐに嬉々としてネラに取り掛かるアンナに、フロストが肩を落とす。
認めたくはないが、フロストには落ち込んだ時のミカをどう取り扱って良いかが分からないのだ。
「ああ、助かった。借りが一つな」
「いいや、二つだね」
言って、手元の引き出しから何やら小さなサイコロのような小箱を取り、フロストの手前に置く。
紺色の、手の平に容易に収まる小さな箱。蓋を開けると、其処に入っているものが静かに顔を覗かせた。
「……これか。やけに仕事が早いじゃねぇか」
「次のクリスマスまで一週間も無いからねぇ? カワイイ愛弟子の為に、お姉さんが頑張ってあげたわけさ」
蓋を閉め、とりあえずの隠し場所としてコートの内ポケットに押し込む。戦士であるフロストは、特にクリスマスが近いこの時期に遠出をすることは不可能だ。だから、ちょっとしたものでもよく街に行くアンナに頼まなければならない。
本来ならば、この品はフロストが直接買いに行きたかっのだが。しかし、アンナに任せて正解だったらしい。
「で、どうなのさ?」
「あ? なにが」
「ホントはミカのこと、どう思ってるの? お姉さんにこっそり教えちゃいなよ。それを私に買いに頼むくらいなんだから、ただの幼なじみだとは思ってないんだろ?」
ほらほら、と手を耳に当てて。女という生き物は一体どうしてこういう下世話な話が好きなのだろうか。
「……別に、ただの幼なじみだ」
「おや、それだけとはつまんないねぇ。つまんないよねぇ?」
アンナはただの酔っ払い、もといただのマニアでもましてや変人でもない。彼女も村に来るまでは戦士として、大陸を練り歩いていたらしい。
元々は軍人だったのかもしれない。時折見せる身のこなしは、軍人らしく無駄の無い洗練されたものがある。酒に酔ってない、本当に時折なのだが。
「ところで、最近具合どうだ?」
「ん? ああ、調子良いよ」
恐らく無意識に、自らの胸元を撫でる指。アンナの身体には、凄まじい古傷が胸元から左の横腹まで抉るように走っている。
彼女は絶対に弱音を吐かない女であるが、度々ユドのところに行って痛み止めの注射や薬を貰っていることをフロストは知っている。
彼女の性格を知っているからこそ、フロストはあえて手を貸したりしないのだが。
「やっぱり歳には勝てないねぇ。昔は無理が効いたけど、今じゃもうアンタに頼りっぱなしだよ。アンタ一人じゃ負担がデカいから、サポートくらいしてやりたいんだけど」
「まあ、今のところは俺一人で間に合ってるよ」
先程の言葉を思い出すと、胸の中がむかむかする。虚無は一晩で何十、何百も増える。クリスマスまであと一週間、やはりこのままではいけない。だが戦士である以上、村長の命令は絶対だ。
だから、早急に何とかしなければ。
「やらなきゃいけねぇことが、山積みだな」
「そうだねぇ、とりあえず……屋根の雪下ろしから頼むよ」
「……あ?」
何だと? 薄汚れたカウンターを挟んで、眼下でアンナが笑う。
「屋根の雪と氷柱落として。それから、この店の掃除と薪割り。あと、店の前の道の雪掻きもよろしく。この二人の整備が終わるまでに」
「何でだよ!? 何で俺がお前の家の雪掻きまでやんなきゃいけねぇんだよ!」
絶えず降り続く羽毛のような牡丹雪は、気がついた時にはとんでもない高さまで積もってしまっていることが常で。こまめに氷柱を落としたり雪を道の脇に退けなければ、まともに歩くこともままならない。
自宅の雪掻きもしなければならないのに。しかも、半日程フロストはずっと虚無退治に尽力していたのだ。
「いいじゃないか。これで貸し一つ減らしてやるからさ、よろしくー」
「こっちは疲れてるんだ! 朝っぱらから酒飲んで寝やがって、ブタになるぞ!!」
「あーら? 私のナイスバディはあんたが一番良くわかってると思うけどねぇ。なに、久しぶりにお姉さんとイイコトしたいって?」
「はあっ!? 誰が――」
「ねぇねぇ、何をするのぉ?」
ぎょっとした。慌てて振り返ると、いつの間にか背後にはミカが立っていた。すっかり油臭くなり、鼻の頭と頬に黒い煤のような汚れがへばり付いている。
とりあえず、彼女に訊いておかなければならないことがある。
「おや、お疲れミカ。ちゃんと入れられたかい?」
「うん! ちゃんと満タンにしてきたよ?」
「ミカ……お前、いつから居た?」
「へ? うんと、雪掻きとか氷柱落とすとか、イッパツがなんとか――」
「……いや、もういい」
健全という二文字からかけ離れた言葉がミカの口から飛び出したことに、フロストががっくりと肩を落とす。
「うふふ。ミカってカワイイよねぇ?」
「ふえぇ!? な、なにいきなり」
「いやあ、なんか色々とお姉さんが教えたくなるんだよねぇ……ねぇ、フロスト?」
これは、決して同意を求められているわけではない。どちらかというと、脅しである。
借りが出来た上に、師弟関係では説得出来ないような問題だらけの過去。それと天秤にかけられた皿の中身は、片方の皿をぴくりとも動かせない程に軽い。
「……屋根の雪と氷柱落として、道の雪掻きだな」
「よろしくー! じゃあミカ、フロストの仕事が終わるまで、部屋の掃除でも手伝ってくれない?」
「うん、いいよ!」
にこにこと楽しそうに笑うミカの横をすり抜ける。一度思い出された記憶は、暫くは熱を持ったままでいるらしい。逃げるようにして、外に出た。
雪は止んでいたが、空気は身を裂くように鋭く冷たい。
「……くっそー」
それでも、頬と記憶は冷めず。戦士としては、どこまでも冷酷になれるフロストであるが、日常を過ごす彼はまだまだ子供である。
人知れず吐き出した思いは溜め息と共に、白く濁って空気に溶けて消えた。
まだ若いサンタクロースの男が、小さく身体を震わせる。
「な、なんだこれは……」
彼の名前はトニ・ユヴォネン。ライアス村で宿屋――外から訪れる客はめったに居らず、大抵は暇を持て余す大人の溜まり場である――の主人である。先程村の長に言われて、村の外れにある祭壇の結界の様子を見に来たのだが。
光を秘める、トニの身長と同じ高さのスピネル。乳白色の、ひし形に象られた結晶は大理石の台座に堂々と座っていて。常に淡い光の、しかし強力な威力でもって村を守護している筈だった。
今朝までは、確かにその筈だった。粉々に砕け散った破片が、トニのブーツの先で今にも消えてしまうのではないか、そう思ってしまう程に儚く輝いている。
「どうして……い、一体誰がこんなことを!?」
無惨に崩壊した光の護り。スピネルの力の強さは、純度と大きさによって変わる。ライアスのスピネルは古いものだが純度は高く強力なものだ。普通なら虚無が入ってくることも、攻撃をすることも不可能な筈。
それに、この傷は。台座に残るおびただしい量の傷。恐る恐るそれらに触り、ゆっくりとなぞる。
「銃、か? まさかフロスト……いや、有り得ないよな」
口は悪いが、あの青年はこんな意味の悪戯は絶対にしない。ならばアンナか。いや、彼女も違うだろう。村で銃を扱えるのはあの二人だけ。
ならば、全く関係無い第三者の行為か。一体誰が。
「……とりあえず、村長に報告だな」
何にせよ、すぐにこのことを皆に知らせなければ。足元の破片を一つ拾い上げ、トニは急いでその場を離れた。
――クスリ。艶美な微笑が一つ、静かに零れる。
「うふふ……ねぇ見た? あのサンタクロース、驚くあまりに凄く間抜けな顔をしていましたわ」
灰色の雲に覆われた空はみるみるうちに暗くなり、やがて長く深い夜が舞い降りる。低く、硝子を引っ掻くようなノイズ混じりの声が訊ねた。
「何故、あの者を生かしたまま見逃したのですか?」
「だって、このまま殺しては美しくないでしょう? わたくしが求めるのは、機械的で無意味な殺戮ではなくてよ?」
女が一人、夜風に靡く髪を払い笑う。腰をうつ髪はビロードのように滑らかで、ふとすれば吸い込まれそうなまでの漆黒。肌は真珠のようで、唇には鮮やかで蠱惑的な紅。
深いスリットから覗く太腿。高く鋭いヒールが、スピネルの欠片を踏みつけ、砕く。切れ長の目をうっとりと細め、片腕にとまる闇黒のフクロウを撫でる。
「まだ駄目。だって、美しくないもの。逃げ場を無くし、じわりじわりと追い詰めて。恐怖に狂い、わたくしの足元に跪かせたいのよ。あのサンタクロースとトナカイ達をね」
「しかしキュリ様。この村には少々、厄介な戦士がおります。我々虚無の中では、名前を耳にしただけで恐れ戦く者も」
「フロスト・ヒューティア。虚無を、無慈悲に蹂躙するサンタクロース……ただ殺戮を繰り返すだけの愚者には、醜い最後がお似合いですわ」
凄絶な美貌に、氷の笑みを纏い。フクロウが羽ばたき離れると、剥き出しの腕を軽く撫でてから、太腿に吊ったホルスターから拳銃を抜いた。
僅かな光を受け、輝く金色。
「まずは、そのフロストに会いにいきましょう。わたくし達『虚無』の足元に跪かせ、服従させて。村人の前で惨たらしく殺しちゃいましょう。この玩具でね?」




