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白昼夢  作者: Haku
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降下

長女 九条菫 十九歳

“氷みてぇやなあ、この手も、あんたも”



寒い、寒いわ…………誰か……










「小雪、」

「ん……もっと、強く…何も考えられ無くして」

「私の、事もかい?」

「駄目なの?」

「君は其処らの娼婦なんかよりも誘い上手だな」

「あら嫌だ、は……、っ…!栄さ…っ」

「いやらしい子だ、小雪…」


“小雪”と云うのは本当の名前ではありません。

私の本名は九条菫(くじょうすみれ)と云います。

由緒正しい旧家、九条家の長女です。 

旧家の令嬢が何故、こんな異端的な事をしているのか…

それは私の歪んだ性癖、あるいは精神…いえ、私自体が歪んでいるからかもしれません。


私は性行為(セックス)依存症なのです。


私は「男」というものが居ないと生きて往けません。

四六時中、誰かの腕の中に居なければ

寒くて寒くて凍えてしまいそうなのです。

私の身体はドコも冷たくて、

私は私の体温を感じらレ無いのです。

誰かの中に侵入(はい)って誰かの体温を感じていなければ

私は私を確認し得ないのです。



ですから、毎日の様に男に抱レていないといけません。

其の為だけに関係を持っている男の方は沢山居ました。

否…私は身分を隠し、私娼(パンパン)の真似事をしております。

娼婦とは私にとってなんと素敵なお仕事なのでしょう!

彼等は男性の正当な性慾があるが為に私を抱きたい。

私はこの女に在るまじき性慾の為に彼等に抱かれたい。

あら不思議、私達の利害は一致……



私は、週に何回か特飲街に行って、私娼(パンパン)ごっこをしています。

決まった日になりますと、お天道様が傾きかけた頃家を出ます。

家族にはダンスのレッスンだと言っておいてあります。

お店に着いたらお化粧をし、着替えます。

そうして日が暮れたら、お仕事を始めます…

私は名の知れた旧家の娘ですけれど、本性を知られた事はありません。

外も中も暗いですし、皆まさかあの菫お嬢さんが娼婦だなんて思いませんもの。

下手にこそこそするよりも、堂々としていた方が案外判らないものですわね。

ですけれど用心はしておりますし、結婚を控えた妹達に迷惑は掛けられませんので、

妹達の将来の夫になりそうな、育ちの良さそうなお客は取りませんでした。

私のお相手はそれ以外の――――中流階級以下の方。

『九条菫』としてお会いにならなそうな人達です。

学校の先生や庭師、会社員、大学生など……

彼等と交わす他愛もないお話はとても楽しいです。

普段は同じ上流階級の方々としか接する事しか無く、

私にとって彼等(お客)は新鮮でした。


今日のお相手の方は、会社勤めをなさっている栄助さんという方。

少々荒っぽいですけれど大らかな人で、私の馴染み客の一人です。



勿論家に戻れば私は旧家の令嬢として、其れ相応に上品に暮らしております。

手習いとしてピアノを弾いたり、妹達とお茶を飲んだり、兄さんと囲碁をしたり…

最近は私ももう19になりましたので、お父様に連れられて

パーティやらお見合いに行くようになりました。

近い内に私も結婚することになるのでしょう。

別に結婚が嫌とは思っておりません。

相手が変わるだけですもの。

一人のお方としか閨を共にする事が出来なくなるのは、残念ですけれどね。

残り僅かのその日まで、こっそりと、可笑シなこの生活を満喫する心算です。







ある日の夕方四時、開店前の【スカーレット】


女達がお風呂に入ったり化粧をしたり仕事の準備をしている時でした。

二階から姐さんの甲高い叫び声が聞こえてきた。

「きゃあッ、誰かッ、誰か来とくれ!やっちゃんが……!!」

「えっ、どうしたんだい!?」

「まァた康江かい。困った子だ。……ヒロコ、(きょう)ちゃんに電話しとくれ」

「はぁい」

おかみさんは溜息をついて二階に上がって行きました。

康江、とはこの店の売れっ妓の姐さんの事です。


「ヒロちゃん、康江さんどうしたの?」

「なあに、小雪アンタ知らないの?」

ヒロコさんは仲良しの姐さんで、15の時からこの[スカーレット]で働いていて

良く色々なことを教えてもらっていました。

「康江…やっちゃんはねえ、ポン中毒なのよ。

 ほら、あの子、売れっ妓だけどちょっと神経過敏でしょ?

 嫌な事あるとね、ポンやるの。

 そんで、度々死にそうになる訳。今日もそうね、きっと」

「ポンって、あのヒロポン?覚醒剤の?」

「そうだよ。……もしもし、夾ちゃん?…うん、そう、そう。んー、よろしくね」

「夾ちゃんに会えるわぁ、やった!」

「たまには良い男見ないとやってらんないわよ」

「夾ちゃんって、どなた?」

「あ。アンタはまだ会ったこと無いんだね。

 まあ、これから会えるよ。穢多(エタ)の人だけど、すーごい良い男だよ」



「どうも、康江はんまだ生きてまっしゃろか」

「ああ夾ちゃん!えらい早いねえ」

「そや、すぐそこの松葉楼で仕事があってん。客の男がネコイラズで死んでしもうてなぁ」

「あら怖い!女に殺されたのかい?」

「そないとこや。…それはそうと、康江はんは?」

「二階の部屋にいるよ、死んでやいないだろうか」

「おかみはんがそない心配するなんて、どないしたん」

「そりゃあ康江は大事な商売道具だもの、死んでもらっては困るんだよ。

 まだまだ稼いでもらわないと」

「はっはっは、おかみは非道いなァ」

「吉原で生きてれば皆こうなるさ。…さ、早く」




「終わったで、命に別状は無いねんけどな、まだ危ないさかい、暫く安静にさせとき」

「そうかい、いつも悪いね」

「構へんよ。………何や、さっきからそこのお嬢さんがジィ、見てくるんやけど」

「ああ、夾ちゃんは会うん初めてだったね。最近来た小雪ちゃんだよ。大の仕事好きさ」

「ははっ、体売る仕事が好きなんかいな。変わった人でやんな。興味あるわ」

「ま、夾ちゃんが興味深々なんて珍しい」

「小雪ちゃんなら仕方ない。ご令嬢にだって負けやしない別嬪だからね」

「おかげで私らは小雪が来てからじじいの相手ばっかりさ。

 若いのはみーんな小雪に取られちまう」

「ふーん」

「ねえ夾ちゃん、たまにはうちで遊んでってよ」

「夾ちゃんみたいな良い男ならタダでもええわ」

「おおきに。じゃあ、小雪はんと遊ぼかな」

「えーっ」

「小雪ばっかりズルいわ」

「姉さん達も後で遊ぼな、部屋借りるで」

「もー!」


「ほな、行こか?」






「……小雪はん、小雪はん、聞いとる?」

「えっ…………」


ハッと気付くと、店の女が騒ぐのも無理はない、

整った顔貌の彼が私の顔を覗き込んでいました。

その時私はやっと正気に戻りました。

初めて視線が絡んでから

手を引かれ、階段を上がり、小さな部屋に2人きりになり、名前を呼ばれる迄

私は宙を漂っているかのような気持で、ぼんやりとしていました。

彼を人目見た瞬間から、私はまるでおかしくなって仕舞った様でした。

生まれた感情に拠って。



「何やぼけっとして。まあ、ええか。

 ……始めるえ?」

「あ……っ、」

「えらい敏感やなァ、それにええ身体やし」

「…っ、あ、あ!…夾、さ…」

「思ったんやけど……あんさん、俺に惚れたやろ?

 えらい熱っぽく俺の事見てくるもんやさかいに、その気になってしもうたわ」




……何て事でしょう。

それは荊の様に私の心臓に絡み付き、気道を苦しめる熱情でした。

火傷の様に私を熱くさせる…

人は此れを、恋と呼ぶのでしょう。


私は蜘蛛の罠に囚われた蝶の様でした。

滑らかな大きな手が蜘蛛の様に肌を這い、

その熱で、私はどんどん痺れて嬌声を上げる事しか出来ません。

鋭い眼から視線を解く事が出来ません。

ああ、私はもう動け無い。



蝶は、捕らわれて仕舞ったのです………………









「冷たい、身体やなぁ………………」





遊郭やパンパンの描写は

あまり史実に基づいてはおりません。

この小説は「仮想」大正時代なので

大正時代をベースにしつつ明治や昭和の描写も織り交ぜています。


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