柵
何うして仕舞ったんだ、私は
今日は非番である。
そして、婚約者である百合と久し振りに会う日だ。
山科百合――――
父が決めた婚約者だが、不満は一切無かった。
百合は身体こそ病弱だが、気立てが良く従順である。
勿論家柄は申し分ない。
……そして何より、私に心底惚れて居る。
百合はこれから共に家庭を築いてゆく為の伴侶として十分な女だったのだ。
まあ、私は特別家庭を作りたい、とは思って居ない。
然し由緒正しき有栖川家の長男として生まれたこの身、
結婚して、子孫を残さざるを得ないのである。
この有栖川病院の跡取りを絶やさない為にも。
…父の、為にも。
否……
嗚呼、最近の私は如何にもおカしい。
目に焼付いて離れない。
白く、血管が視えてしまいそうな程に透明な肌が、
硝子眼球の様な瞳が、
――――あの子、が。
「……さん、…清一さん?」
「…あ、ああ、はい?」
ふと気付くと、百合が私の顔を覗き込んで居た。
その表情は少し不安気で、元々白い肌がより青白く見えた。
病弱でろくに外に出られず、運動も出来なかった所為か、
手足も酷く細く、華奢である。
然し、手入れの行き届いた形の良い指先が
彼女の育ちの良さを感じさせた。
決して主張はせずとも、それは彼女の、儚げな魅力の一つだった。
そう思った時、私の脳裏には似た魅力を持つ少女の姿が浮かんだ。
百合がその美しい指を私の手に重ねる。
「少し、疲れていらっしゃるのかしら?
お医者様ですものね。お疲れになるのは当然だわ。
御免なさい、ご無理をさせて仕舞って…」
「否、そんな事はありませんよ。
少し考え事をしていただけです」
「…患者さんの、事とか?」
「ええ、まあ…」
「清一さん、本当にお仕事熱心だわ」
「……それより、今日は何処へ出掛けましょうか?」
「あ、そうそう!私、吉原に行ってみたいんです」
「吉原?あそこは、色街ですよ?」
「ええ、花魁道中を見たいのです。今日の昼過ぎに有るらしくて」
「しかし……」
「お願いです!滅多に見る機会は無いですし、
見てみたかったのです、花魁というのを」
「百合さんの父上はお許しに?」
「い、いえ…許して呉れる筈ありませんわ、
だからお父様には内証で……お願い出来ませんか?」
「本当に、内証ですよ?」
「宜しいの、ですか?」
「はい、大切な婚約者のお願いを無下にも断れませんし」
「まあ…清一さんたら。お優しいのね。ふふ」
そう言って微笑んだ百合の頬は僅かに染まって居た。
……花魁道中、か。
吉原には何度か行った事は有るが、花魁道中は未だ見た事が無かった。
確かに一度はお目に掛かりたいものだ。
そう云えば、父上は吉原で遊び慣れていた様だった。
子供の頃、母と父が遊女の事で言い争っていたのを見た事がある。
『あなた…何ですかこの…は!』
『…は!勝手に…を漁…っただろう!』
『…をなさっても……よ!
私……んですよ、貴方が女郎と…関係に…こと!』
『一家の主に……をきくな!』
『而も相手はあの●●花魁だと…!!』