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○○の多い家

ソネットの足音

作者: かふぇいん

シェイクスピア作品へのオマージュのような作品です。

お題「たくさん本が出てくる話」に書いたもの。台詞の引用あり。

 自分の知り合いに、変な男がいる。正確に言えば、変なところに住む変わった男だ。住宅街にポツンとある小さな林の、その中に立つ大きな白い屋敷がその男の居城。いつ尋ねても居て、いつ尋ねても一人だった。

 どうやって出会ったのか、招かれたのか。どうしてこうして訪れるのか。今思えばそれすらよくわからない。


 その部屋にはたくさんの本。本棚が壁と言う壁、床から天井までを覆っている。窓は少し高いところにある小さな明かりとりだけだ。それにも、本が痛まないようにとカーテンが引かれている。薄暗いのに、妙に開かれて感じるような、そのものが劇場のような場所だった。

北の棟の一階、東側の大部屋。作家はおろか言語を問わず、古今東西の本が集められた書庫だ。カーテンの隙間から細く落ちる光はその下で、歩く男を照らしている。手には一冊の分厚い本。

「Life's but a walking shadow; a poor player」

 流暢な英語で、男は呟く。声は僅かに響いた後、本の中に吸い込まれて消えていった。暗がりの、部屋の隅に座りながら、こちらはその声に応える。

「人生は歩きまわる影法師、あわれな役者だ。――『マクベス』だ」

「じゃあ、これは。All the world's a stage, And all the men and women merely players」

 美しいクイーンズイングリッシュ。本の上に視線を落とし、光に照らされた埃の、キラキラした粒を纏いながら、奴は歩く。石の床の上で、足音がコツン、と鳴る。

「この世界はすべてこれ、一つの舞台、人間は男女を問わず、すべてこれ役者に過ぎない。なんだったかな、ああ、そうだ。『お気に召すまま』だったな」

 応えると、奴はへぇ、と微笑み、こちらを向いて立ち止まる。

「よくわかるな。有名とはいえたった一節だ」

「大学の時、ゼミの教授がシェイクスピアのファンだったんだよ。研究書も出して、何度か手伝ったことがある」

 そうか、と応えて、奴はまた歩き出す。その姿は薄暗い書架の間に消えて、声だけが紙の間を染みとおって聞こえて来る。光の差す部屋の中央が舞台で、ここに座る自分は、さながら観客だ。この部屋における主役は、今舞台袖に引っ込んでいる。

 いや、この部屋でなくても、自分はきっと観客か舞台袖のスタッフ、よくて脇役なのだ。華々しく名優たちが往きすぎる間にも、ライトの端さえかからないような、端役。きっと誰の目にもかかることはないだろう。

「お前も、きっと主役なんだろうな」

 呟くと、書架の向こうから声が返る。

「シェイクスピアと同じように」

 コツコツ、と大理石の床が鳴る。書架の向こうから現れた男は、光の真下に立って、こちらへ向かって微笑んで見せる。沈黙さえも絵になる立ち姿、きっとこういう人間の為に、用意された舞台が世界なのだ。少しばかり羨ましく思う。あたる光はきっと柔らかく温かいだろう。ページを繰って、奴は笑う。

「It is the green-eyed monster which doth mock the meat it feed on」

「こいつは緑色の目をした怪物で、人の心を餌としてそれを弄ぶ。――『オセロー』か。緑の目をした嫉妬か。身に合った役でなきゃ、それは結局悲劇になるんだろうな」

 まるで心を読んだような台詞に、苦笑する。確かに、端役が主役に妬いたところで、何もならない。自分の役をこなしながら、主役の演技を眺めているのが、きっと一番穏やかな生き方じゃないか、と思う。

「おれは、観客で充分だ」

 そう言って、椅子を光の筋に向けて、座り直した。部屋の中央に立ちつくす男を、こうやって眺めていられるなら、自分は端役だろうと背景だろうと構わない。ページに落としていた視線を上げ、奴はさも面白そうに口角を上げた。まっすぐ向けられた視線は、逸らす事が出来ぬほどに惹きつけられる色。

「自分で言ったじゃないか、人間はみな役者。皆、自分の物語の主役。観客ってのは、神だ。神になりたいのか」

「そういう傲慢なつもりで言ったんじゃない」

 困惑を込めて、笑み曲げる。こんな自分が主役の物語は、さぞかし退屈だろう。マクベスやハムレットのように見栄えのするような悲劇も、人を巻き込んでいくような喜劇も望めそうにない。終わりよければすべて良しとはいえ、幕引きにはまだ遠い。

 仕方ないな、と言わんばかりに奴は、息をつく。

「演ずる前から終わりの見える劇はつまらない。舞台の端にいるな、主役は中央にいるべきだ」

 奴がこちらに向かって手を差し出した。まるでヒーローがヒロインに手を述べるように。優美に向けられた手を辞しながら、奴の手元の本を見やる。閉じられた背表紙には題がない。古めかしく、飴のようなつやをもった革の表紙。

「きっと大団円になる。幕が下りるまで、演じきるべきだ。お前という役を」

拒絶にひらめかせた手をぐいと掴んで、奴はこちらを光の下まで引き出した。そして、朗々とした声を響かせる。

「How beauteous mankind is! O brave new world That has such people in't! 」

「人間がこうも美しいとは! ああ、素晴らしい新世界だ、こういう人達がいるとは!」

 奴が言う傍から、その言葉を復唱する。美しい名優の台詞を、たどたどしく追う未熟な演じ手の声。嵐の中に開ける世界を見た人間のそれは、今の自分の心に似ているのだろうと思う。

「お前の物語は、きっと面白い。悲劇でも喜劇でもいい。幕引きには、必ずいっぱいの拍手を送ろう」

 奴はにこりと笑う。奴の物語と交差した自分の物語は、今、“観客”にどのように映るのだろう。彼もまた、終わりには拍手をくれるだろうか。


 ばさり、と本が落ちる。風もなくめくれるページは白く、一言もなく続く。大理石の上を這う光に、言葉だけが足音を立てて、歩いていく。

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― 新着の感想 ―
[一言] 拝読致しました。 『白い水槽』と同じく、とても綺麗な話だなと感じました。 シェイクスピアは作品こそ数冊しか読んでいないのですが、彼の作品の名言が好きで、個人的に色々と調べていたことがあって、…
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