アンタ 誰?
エルニーニョ現象のおかげで猛暑。
いや最近のは猛暑というより、酷暑とか炎暑という方がしっくりくる。
どちらにせよ我慢がならないくらいの暑さが毎日続いているのは間違いない。
打ち水しても全て瞬時に気化されていく感じ。
周りの熱を奪っていっても元々の気温が高すぎてムワァーっとした後味の悪さだけが残る。
今日もそんな脳が溶け出しちゃいそうな暑さの中、律儀に登校してきて、香織は作品を仕上げていっている。
こんな日に登校してくるのは、純粋に真っ直ぐな1年生と香織くらいだ。
香織以外の2年生と学園祭が最後の出展になる3年生は、作品の資材を家に持ち帰ってエアコンの効いた部屋で仕上げている者が殆どだ。
もっとも3年生は、進路に向けて夏期講習や進路先のイベントに参加する時間も割かねばならないから、殆どストレス解消? リフレッシュのための作品製作と鬼のような分量の夏季休暇中の課題にも追われる毎日で大変だ。
「香織先輩。教えて欲しいんですけど、少しいいですか?
図案はこうなってるんですけど、イマイチ私のと違う気がするんです。
この先どうやったらいいんでしょう。」
作品製作の途中で分からない箇所は訊ねる事も出来るし、この暑い中、後輩達からしてみたら優雅にパッチを進める香織の存在は大きかった。
何より香織の的確で分かりやすい説明も、仮に手順を誤ってしまったり、製作過程で行き詰まった時のアレンジのセンスは好評だった。
「どこどこ? うーんと、そうねぇ。
恐らくこの手前の段階で布地の合わせが逆だったのかもしれないね。微妙な台形パーツのここ。
でも、その足りない部分を影と見立てて、このハギレをあわせてみたらどう?
きっと素敵になると思うわ。」
「うわぁ。ありがとうございます!!」
沈んだ表情の後輩もみるみるうちに明るい表情に変わっていって、満面の笑みを浮かべながら深々とお辞儀をしながら礼を言った。
「あっそうそう、最初に写した図案パーツをその箇所にあてて、足りない部分の図案パーツを写し取って作っておけば、カンタンに出来るはずだよ。分からないところがあったら呼んでね、見てみるから。」
「はい。ありがとうございます。やってみます。」
またまたその1年生は、深々と丁寧にお辞儀をするとパタパタと自分の席に戻って作業に取り掛かった。
その際も、周りの同級生に香織とのやり取りの報告をせっつかれていた。
おっとりすぎず、気さくな気質の香織は同級生のみならず、1年生からもとっても慕われていた。
こんな風に手芸部の雰囲気も穏やかに流れて、顧問である家庭科の瀬戸先生も彼女の存在はとても助かっていた。
―――――ガラガラガラッ! バン!―――――
いきなり家庭科被服室の後ろの入り口の戸が、勢いもよく荒々しく開けられた。
1年生達は驚きのあまり一斉に扉の方を向いた。
途端に声もなく身を窄めたり、ヒソヒソと隣同士で話し始めたりしだした。
もちろん香織も驚いて扉の方を向いたが、手にしていた針をピンクッションに刺すと、怯えることなくスッと立ち上がり扉の方に歩き出した。
「あのさぁ、頼みたい事があるんだけどさぁ。こんなの作ってくんない?」
見るからにガラの悪そうな連中がぞろぞろと入ってきて、一番先頭にいた男子生徒が1枚の紙をヒラヒラとさせて少し低めの声で話かけてきた。
それに向かって香織はキッパリと返答した。
「私たちは仕立て屋じゃないんですけど。」
「分かってるよ。家庭科部だかなんだかでしょ。
だから、君たちだったらこんなのチョチョイのチョイで出来ちゃうんじゃないかな。って思って頼みに来たんだ。」
そう言いながら彼はゆっくりと一歩、また一歩と近付いてきた。
それに向かう彼女は動じもせず、表情もキリッとしたまま相手の目を真っ直ぐ見据えていた。
1年生達は瀬戸先生を呼びに行った方がいいのか、でも下手に動いていいものかどうか迷いつつ事態を見守っているしかなかった。
「ここは家庭科部ではありません。手芸部です。」
「そう怒るなよ、手芸部さん。
材料は聞いてからすぐに揃えさせるから、一度イメージ画見てみてくんないかな。
お礼はキチンと出させてもらうから心配しないで、なっ。」
「そういう問題じゃないんです!」
彼女が少し声を大きめに返した時に、前の扉が開いた。
何も状況を知らないでいつものテンションで美雪が入ってきた。
「あつー。香織頑張ってる?……ってアンタ達何やってるのよ。こんなところで!」
入って早々微妙に雰囲気を察したかと思うと、ガラの悪そうな連中は美雪に”アンタ”呼ばわりされている。
香織を初め1年生たちは、こんな状況下にいきなり現れた事を驚くよりも、目の前の全く手芸部に似つかわしくない男子生徒達を”アンタ達”と呼び捨てる美雪の事を驚いた。
それと同時に美雪をいつも以上に頼もしく感じた。
「「みゆきぃー。」」
香織と彼の声がハモった。
緊迫した空気が流れつつあった被服室が、美雪が来た事によりやや緩和された。
「はぁい。って違うから、悠輔どうしてこんな所にいるのよ。」
美雪にやっと名前で呼ばれた彼は、沖 悠輔 。
彼女達と同じ2年生だが、父親の仕事の関係でこの春ブラジルから転校してきたばかりの帰国生だ。
転校生というだけでも視線は集まる。しかし、彼の派手な言動に周囲から注目の的となっていた。
そんな状況を彼は楽しんでいるのか? 注目を浴びること自体を望んでいるか? ワザと冗談を言ったりして、あっという間にその場の輪の中心になってゆく。
もちろん運動も得意だが、この時期から運動部に入部しても引退まであと1年。ならば好きなように過ごした方が楽しい高校生活を過ごせるっと考えて、部活には所属していない。
代わりに仲良くなった仲間と自由気ままにプラプラと校内外を歩いていたりする。
派手な性格と言動、おまけにスポーツで鍛えられた身体と端正な顔立ちときたから、校内を歩くたびに黄色い声が廊下の隅から湧き上がる。
「学園祭のダンス・コンテストで俺らエントリーしたんだ。で、今日はその衣装の一部をオーダーしに来たんだよ。」
「はあぁ? なんでアンタ達の衣装をアタシ達が作んなきゃいけないのよ!
ここは仕立て屋じゃないのよ!
アタシ達はその学園祭に出品する製作で忙しいのよ。出来るわけがないじゃないのよ。
だったら自分達で作ったらどうなのよ、幸いここにはミシンがたくさんあるんだから。
まあ、指まで縫わないように精々頑張るのね。」
美雪は両手を腰に当てて、ピシッと堂々と立ったまま悠輔に言い放った。
1年生たちからは、いいぞいいぞ! と言わんばかりに小さくだが拍手が沸き起こった。
香織も自分が言いたかった事を全て美雪が言ってくれたので、少し気持ちが軽くなった。
さすがに自分達が縫うなんてイヤだろうから、これでこの人達も仕方なく引き下がってくれるだろう。良かった。っと香織を初め1年生達もやや安心した表情を浮かべていた。
「そんなカンタンに出来ちゃうわけ? ミシンって。
それだったら使ってみても面白そうでいいんだけど、使い方から分からないし……そうだ! 美雪さんとそこの手芸部さんに教えてもらおうかな。 よし! 決まり!!」
もちろん、悠輔一人が満面の笑みで、彼の後ろにいたコワそうなお友達も含め、その場にいた彼ら&彼女達の全ての表情が、一瞬にして凍りついたのは言うまでもない。