005-000 くすぐったい感情
何事もなく数日が経って、金曜日。
1限目の前に教室を出たまま、花菜子は最後まで戻って来なかった。
授業を終えた私は、最後に会話をしただろう、あるクラスメイトに声をかける。
「清掃の時、何かあった?」
クラスメイトの和田 凪。漫研の時からの知り合いで非能力者。ただ、学年一小柄だがロッククライミングが趣味で、幼少から小5まで柔道を習っていたというだけあって、そこらの能力者よりも腕が立つ。その噂が先走って、猪塚のような低能力者は凪から一線を引いていた。
1限目の前には清掃の時間がある。その清掃の前までは普通だったのだから、そこで何かが起きたとしか考えられなかった。だが、私は花菜子と同じ班ではなかった。
「実は自分も、あんまり詳しくは解らないんだけど」
凪は申し訳なさそうな表情で答える。
「トイレ掃除ってさ。基本的にやらないじゃん?」
ここの学園では、トイレ掃除は担任への報告だけで、用具は揃っていても進んで掃除する生徒は滅多にいない。それが普通だったので私は頷き返した。
「だから報告だけで終わらせようって決めていたから、適当に会話で時間潰しして、終了の音楽が鳴ったから、報告係の1人を残して、すぐに戻って来ちゃったんだよねぇ」
「まぁ、普通だよね」
「でもあの後、伊吹が『トイレ、水浸しだったよ?』って言ってきて。見に行ったら、既に先生来てて、1ヶ所だけ使用禁止になっててさ。だから内部までは見れていないけど、伊吹が言うには『上に通ってる水道管が破裂したみたいな感じ』とか」
「うーん。ちなみに、班の誰が報告係に?」
「吉岡さんだよ? 何事も経験とはいえ、昨日も一昨日もその係りだった山田さんじゃぁ、立て続けに押し付けるみたいでかわいそうでしょ?」
「あぁ、なるほど」
この時点で粗方理解した私は納得する。
「情報ありがと」
花菜子の気配を追う前に、偶然にもその道中にいたので、廊下に屯する猪塚達の傍で仁王立ちする。
すぐに気付いた吉岡は肩を竦め、それを見た猪塚と小池が振り返り、私を睨み付けた。
「…… 何か用?」
「花菜子に何をした?」
「アンタには関係なくない?」
小池の一言に内心はムカッとした。が、表情には出さない。
元々は花菜子が猪塚を無視したことだとは思う。だからといって、暴力では解決出来る訳もない。もっとも、猪塚達にそれを言ったところで解ってはもらえない。
「ウチは君らを咎めに来た訳じゃない。ただ、花菜子の身に何が起きたのかが知りたいだけ。授業に無断欠席したのは、この学園では欠席の理由を教師に伝える義務があるってことを、編入生だから知らないのだと思って。君らだって、新学期早々、あまり大事にはしたくないだろう?」
猪塚と小池が目線で会話する。
恐らく、この4人は相手が無知な編入生という点を忘れていたのだろう、猪塚が黙った。
もっとも、粗方の検討はついている。
「鈴木の時のように水でもぶっかけた?」
「・・・」
猪塚は黙っていたものの、吉岡の顔色及び過剰反応から鼻で笑い、その場を後にした。
花菜子の気配は隣の校舎の屋上から感じられたので向かってみる。
学園の屋上は大半が出られないように階段すらない箇所が多く、隣の校舎も例外ではなかった。しかし、出る方法がない訳ではない。
隣の校舎の最上階に行き、廊下の窓から身を乗り出す。窓のサッシを掴みながら立って、すぐ脇の排水管を全身で抱え込むようにしがみ付く。同時にオーラを結界と同様に硬化させ、万が一滑っても管の節で停まるようにし、慎重に手を伸ばして登る。
もっとも、節を4つほど頑張ればそこはもう屋上だった。
「ウチに構わんといて!」
気配から私だと気付いたのだろう、花菜子の悲鳴にも似た声が響いた。
でも、屋上に到着した私は近付いていく。花菜子が後退りした。
「解っとる。ウチがいけへんのやて。せやけど、あかん。生理的に無理や」
「怖いなら、無理に返事する必要はないよ」
ある程度、距離を詰めてから立ち止まって答えた。
花菜子がキョトンと、驚いた表情を私に向けている。
「誰だって怖いものの、1つや2つはある、と思う。だから怖いなら返事はしなくても構わない。ただ、何で怖いのか、何で返事しないのか、何で授業をサボったのか、理由は教えてよ。ウチに言いにくいなら、ウチじゃなくて先生でも構わないから」
「ゆか ……」
「勘違いしてもらいたくないから言うけど、ウチは花菜子に怒ってるんだからね?」
私の一言に花菜子から安堵の表情は消えていく。
「困ったことがあったなら相談してよ。1人で解決しようと、抱え込もうとしないでよ。もうウチら、友達なんだからさ」
「…… 参ったなぁ」
花菜子が呟く。
「そこまで信頼されとったとは思ってもなかった。ウチはほとんど、紫に何も話してへんというのに」
その理由は私にも解らなかった。でも、
「花菜子の性格、なんとなく解るから。少なくとも、自分の気分で授業を欠席するような人じゃないってことは出会って2日目で解ってたつもり」
思ったことを答えている間に、残酷にも2限目の授業の開始を告げるチャイムが鳴り響いていた。
*****************************
*
* 馴染みのないクラスメイトの素手に、触れてしまった。
* オーラのない、非能力者だった。
* すぐに離れたけど、やっぱりダメだった。
* 皮膚が、融け始めていた。
* 一応、咲九に渡されていた薬を飲もうと個室に入った。
* そうしたら、上から水が降って来た。
* 青いバケツと、外からの笑い声と共に。
* だから、手にしていた薬は流れてしまった。
* 探したけど、見つからなかった。
* 嗚呼 …… このままだと、教室には戻れない。
*
*****************************
「紫!!」
耳元の大声に驚愕して顔を上げれば、そこはお手洗いの個室 ―― ではなく、2組の教室だった。机の隅にちょこんと手を乗せた瞳がニヤニヤしている。
「ホント、よく寝るよなー。それでいて成績良いとか。いつ勉強してんの?」
「んー? 勉強なんてしなくても ………… 今、3限終わった、休憩中?」
予鈴の余韻から察して訊ねたが、
「バカか。もう昼だよ」
瞳のその一言に私は思い切り立ち上がっていた。
いつも通り、1組で昼食を摂る。
だけど、そこに花菜子とその相方の姿はなかった。
「―― 聞いているの? 紫」
「ん?」
円に話しを振られ、お箸を咥えたまま固まる。
皆の心配そうな視線が何故か私に向いていた。
「何?」
「だから。紫が2組の転入生をお助けになったこと、もう学年中に噂されていますわよ?」
「ふーん ……?」
「…… ふーん、って。普段のお前なら、『無敵のスーパーヒーローだからね!』とか、『だって転入生が無知だから』とか言うのに」
「今日はいつも以上に元気がありませんわね。食事量も少ないようですし。どうかなさって?」
円の指摘に少し悩んだものの、だからといって夢のことを話しても信じてはもらえないだろうし、そもそも2人も鬼の面を持つ相手。下手に関係性を誇張すれば、死神様に報告されてしまうかもしれない。
「うーん。…… うーん」
「そんなに唸ってばかりでは解りませんわ」
「…… いやぁ、さ。その原因、猪塚なんだよね、多分」
「「は?」」
一斉に驚き、一部が返事をしてくれた。
このことで話せる流れが生まれたので続ける。
「花菜子、えっと、ウチのクラスの転入生は、能力に関係する持病があるんじゃないかなぁ?」
私の視線の先には千尋が居る。千尋は目を丸くしていた。
「花菜子が? …… うーん? 私は聞いたことないけど、幼馴染の咲九なら何か知ってるかも …………あ!」
しっかりと悩んだ後で思い出したらしい千尋が叫ぶ。
「そう言えば! 花菜子、前に非能力者に対しては能力の調整が出来なくて結界が破れちゃう、とか言ってたよ!」
「なるほど」
「それと、猪塚とはどんな関係があるんだよ?」
瞳のツッコミに私は答えを出す。
「多分、なんだけど。
花菜子、えっと、編入生はまだクラスに馴染めていなくて、暴力的な言葉を話す人が特に苦手みたいで。だから無視しちゃう相手がいた。その内の1人が猪塚ね。
それで、編入生は持病を持っていて、こっそり薬を摂取する為にトイレの個室に入った。それを何も知らない猪塚が狙って水をぶっかけた。編入生は薬を流してしまって、持病の発作を抑えられなくて、クラスに迷惑をかけられないと思って授業を無断欠席した ―― これが全容だとは思うんだ」
「え。その転入生、相当な怖がりってことじゃ ……」
「うん。花菜子は凄い怖がりだよ。でも、それを強さでねじ伏せているだけで。(まぁ、咲九から聞いたことがあるだけで私はそう思っていないのだけど)」
後半の呟きが気になりつつも、千尋の裏付けに安堵した私は続ける。
「ただ、この話しは本人から聞いた訳じゃないし、編入生や猪塚のことを考えれば解ると思うけど、これはただのすれ違い。そもそも大事にはしたくない。だから先生に報告するにしても、どのように話せば良いのか、ずっと悩んでた」
こう言えば、円と瞳の思考から花菜子を離し、猪塚を勘違いしている悪役に持っていくことは出来る。憶測とはいえ、多分という単語は多用したので咎められることはないだろう。悩んでいた内容にも相違はないはず。
「市原先生は、どうかな?」
千尋が私を見ながら言った。円が頭を傾げる。
「聞いたことがないお名前ですわね。どなたですの?」
「私達と一緒に、この学校に赴任になった唯一の先生。前の学校でも私達の学年の担任ではなかったけど、生徒の全体数は少なかったから、もしかしたら花菜子のことも知っているかもしれない、と思って」
「情報ありがとう!」
居ても立ってもいられなくなった私は、既にまとめ始めていた荷物を掴んで教室を飛び出した。
職員室の前には教員と関係者の座席名簿が張り出されてある。
そこで市原という先生を探していると、不意に感じたことのない、柔らかな視線を感じ取った。
振り返れば、廊下の奥側に1人の女性が立っていた。女性はニッコリと私に微笑んでいることから、なんとなく、お目当ての市原先生なのだと悟る。思っていたよりも綺麗な老婆だと感じた。
「市原先生、ですか?」
「えぇ、そうよ」
やんわりとした声が廊下に響く。
「どうかしたのかしら? 羽生さん」
「!」
咄嗟に身構えてしまった私に市原先生がウフフと笑う。
「そこまで警戒する必要はないわよ。貴方のお名前が、私の良く知る者と同じお名前でしたから、何となく貴方のことを覚えていただけで」
「(それだけでは、ないはず。この笑顔の裏に隠れた眼力 ―― 只の先生ではない気がする)」
そんな感想を持ちながらも、本来の目的は私のことではなく花菜子のこと。だから話を先に進める為にも私は市原先生へと警戒しつつも近付いた。
もちろん、市原先生は赴任してきたばかりで学園を良く知らないはず。今、この学園の中で事を荒げるようなことはしないだろう、という推測もあった。
「山田 花菜子さんのことで相談したくて先生を探していました」
「まあ、まあ! またあの子、何かやらかしたのかしら?」
千尋の憶測通り、やっぱり知っていたらしい。
私はその場で経緯をざっと説明する。
すると、市原先生は納得した表情で微笑んだ。先程までの眼力は感じ取れない。
「持病のこと ―― 担任の橋本先生なら詳細にご存じよ」
その答えに私は一瞬悩んだ。が、すぐに理解する。
「じゃぁ、橋本先生に報告しても問題はない、と?」
「ええ。でも、怖がりの反動からくる強がりだってことは、多分知らないと思うの。その点は私からもフォローするわ。今から2人で橋本先生の所に向かいましょう?」
市原先生は優しく背中を押してくれた。それで一気に警戒心を解される。
基本的にこの学園の先生は信頼できなかった。こうして相談することなんて滅多になかったし、そもそも問題児の円と瞳は、円が全てを正直に、それも完璧に話すから私の出番なんてなかった。
「(お母さんって、居たらこんな感じなのかな……)」
そんな感情にくすぐったさを覚えてしまった。




