04 受け入れる力
僕と母を頭痛から解き放ったのは、ミルフィの力だった。
彼女が差し出した手はほのかに光を帯び、
触れられた額の奥から、締め付けるような痛みがゆっくりと引いていく。
空気に混じって、微かに温かい気配が残った。
これも──権能の力なのだろうか。
「すごい……権能ってそんなこともできるの?」
「これは違う。元々持ってた力ね。」
三人はその場で呼吸を整え、ようやく落ち着きを取り戻した。
転移直後の混乱と誤解について、僕は母へと一つずつ事情を説明していく。
「……先ほどまでの非礼を詫びたい。」
母の顔は、かつて見たことがないほど暗かった。
誤解だったとはいえ、ミルフィの腕を傷つけたという事実が、
胸の奥に重く沈んでいるのだろう。
「すごいビックリしたけど、まぁ……解決したのならいいかなって」
ミルフィの態度は、どこか拍子抜けするほど軽かった。
命を落としかねなかった状況だったにも関わらず、その赤い瞳には動揺の色が見えない。
むしろ、冷静すぎるほど澄んでいて、僕はそこに微かな違和感を覚えた。
「合流できたんだし、さっさと会場向かいなさいよ。
受付すらしてないんでしょ?」
正論だ。
今の僕にとって、急いで会場へ向かうこと以外に考える余裕はなかった。
「ミルフィ──ありがとう。」
「あなたとは……あんまり戦いたくないね。」
最後に交わしたのは、短い握手だった。
「またね」という言葉とともに、ミルフィは森の奥へと去っていく。
その背中を見送りながら、僕はどこか不安を感じていた。
彼女が見せた温かさと冷たさの落差に──
※※※
祭の会場である闘技場は、すぐそこまで迫っていた。
しかし、視界いっぱいに広がる群衆を目の当たりにし、僕は思わず足を止める。
首が痛くなるほど背の高い者、耳の長い者、鱗に覆われた者。
ミルフィのように角を持つ者もいる。
本当に、世界中の種族がこの場所へ集まっているのだと、改めて実感した。
未知の光景に心が落ち着かず、胸の奥がざわつく。
「フェイ、手を離さないで」
母はそう言うと、痛いほど強く僕の手を握りしめた。
闘技場へ近づくにつれ、周囲の視線がじわじわと集まってくるのが分かる。
「──おい。あれ見ろよ」
「本物の『傾国の狼姫』じゃねぇか」
「……って事はその横のが例の」
ひそひそと交わされる声は、明らかに僕らに向けられたものだった。
だが母は一切反応せず、無言のまま僕の手を引き進む。
やがて正面から、大柄な獣人の男が二人、笑みを浮かべて近づいてきた。
片方は鬣を指で弄り、もう片方は妙に丁寧な態度を崩さない。
「やぁ、ナタリア」
「──お久しゅうございます、ナタリア様」
僕には二人のことは分からない。
だが、母の纏う空気が一瞬で変わったことで、ただならぬ相手だと察した。
「……一度しか言わない。よく聞いておけ」
「私たちの前から、消えろ」
言葉と同時に放たれた殺気に、周囲のざわめきが一斉に止む。
二人の男は何も言い返さず、その場から身を引いた。
「──フェイ、行こう」
恐る恐る母の顔を覗き込む。
そこにあったのは、敵意でも怒りでもない。
様々な負の感情を押し殺した末に残った、静かな狂気だった。
僕は何も言えないまま、母に導かれるように闘技場の中へと足を踏み入れた。
※※※
案内されたのは、異様なほど広い部屋だった。
だが、その理由にはすぐに気付く。
部屋の奥。
眩しいほどの装飾が施された椅子に、ひときわ大きな男が腰掛けている。
散々話には聞いてきた存在──おそらく、最高神。
周囲には純白の衣を纏った者たちが静かに並び立っている。
その装いから、最高神の使いであろうことは容易に想像がついた。
だが、見慣れたあの男の姿は、どこにも見当たらない。
「ようやく来たか」
何が気に障るのか、まるで予想がつかない。
下手に発言はしないと、心に決める。
「余を一週間も待たせるとは……罪な少年だな、貴様は」
──どうやら、不機嫌らしい。
一週間……?
僕が祭の存在を知ったのは昨日だ。
そんなに待たせた覚えなど、正直言ってない。
だが、ここで言い訳をすればどうなる。
不機嫌をさらに加速させた時、怒りの矛先は誰に向くのか。
僕を連れて暗黒大陸で雲隠れしていた母か。
それとも、僕をここへ連れてくる役目を担っていたであろうケインか。
言い訳の内容次第では、僕自身の命も危ういかもしれない。
最高神相手に機嫌取りなどできる自信は欠片もなかった。
それでも、僕にできることは一つだけだ。
「……お待たせしてしまい、申し訳ございません。最高神様」
「祭のことについては、昨日知ったばかりです」
「ですが、自分のため、そして母のために……全力で取り組ませていただきます」
首を垂れ、事実だけを口にする。
ミルフィに通じたこのやり方が、最高神に通じる保証はない。
それでも、偽りのない心だけは伝えた。
「ほう……」
「誠実だな」
「だが──つまらん」
息を呑む。
駄目だったのか……。
「貴様は祭のことを知らなすぎる」
「どいつもこいつも、命の奪い合いだの、神聖な儀式だの……正直、くだらん」
「余がはっきりさせてやろう」
「祭というのは……楽しむものだ」
どういうことだ……?
「余が、貴様に求めることを教えてやろうか?」
「自分のためでも、母のためでもない」
「余のために、祭を盛り上げるために全力を出せ。命を使え」
理解不能だった。
僕らの命も、種族も、何も見ていない。
ただ己の退屈を満たすためだけに、この世界を弄んでいる。
だが、それでも抗う術など、僕にはない。
「──承知しました」
それだけだ。
それだけが、僕にできる精一杯の抵抗だった。
生き延びるために、強者に頭を垂れる。
最も醜く、最低の行為だと、自分でもわかっている。
「では、こちらへ寄れ」
最高神が指先でこちらを招く。
恐る恐る、そこへ近づいた。
「では、またな」
次の瞬間だった。
これまで味わったことのない衝撃が、頭を貫く。
最高神の指から放たれた、一発のデコピン。
避ける間もなく額を打たれ、
視界が回転しながら、扉を突き破って外へと吹き飛ばされた。
※※※
目を開くと、見知らぬ天井が視界に映る。
どうやら気を失っていたらしい。
「やぁ、気分はどうだい?」
声の主はケインだった。
「……最悪かも」
ケインは天を仰ぎ、豪快に笑い飛ばす。
「おいおい。神の使いのおれの前で、そんなこと言っていいのかな?」
まだ頭部に鈍い痛みが残っている。
細かい気遣いなどできる状態ではなかった。
どうやら今日は、頭に関する運がとことん悪いらしい。
「権能は、もらえたようだな」
「……そうなの?」
実感はないが、ケインがそう言うなら間違いないのだろう。
「僕は、どんな権能をもらったの?」
「おや? わからないのかい?」
ケインは僕の身体に触れながら、何かを探るように考え込む。
「まだ権能が身体に定着していないようだね。珍しいことだ」
「祭までに間に合うのかな……」
「心配はいらないさ。最悪、君は権能がなくても強い。俺が保証するよ」
慰めとしては、あまりにも雑だ。
このまま権能が使えなかったらと思うと、不安は消えない。
「そういえば……ここはどこなの?」
「闘士村さ。代表闘士や、その家族が滞在するための場所だね」
「お母さんは……?」
「今は買い物に行かせてる。気分転換だよ」
会場に着いた時から、母の様子はどこかおかしかった。
ケインが気を利かせてくれたのだと思ったが、
表情を見る限り、事情はもっと複雑らしい。
「はぁ……大変だったんだぜ? 君の母親を落ち着かせるのは」
「最高神に殴り込みに行きかねない勢いだったんだから。正気じゃない」
母の怒り狂う姿が、容易に想像できた。
「明日は前夜祭。明後日には戦場だ」
「今だけでも、ゆっくりしておきな」
明後日には戦場。
その言葉だけで、胸の奥に押し込めていた不安が顔を出す。
「ねえ、ケイン」
「僕は……勝つために、人を殺さないといけないのかな」
「まだ、迷っているんだな」
僕は深く頷いた。
「ここに来た時、道に迷っていた僕を優しく導いてくれた人がいた」
「でも、その人は……この先、戦うかもしれない相手だった」
「生きるために魔獣を狩ることはあったけど……」
「これから戦うのは、意志を持つ人なんだって思うと、覚悟が揺らぎそうなんだ」
ケインは静かに問い返す。
「おれが脅して連れてきた形になったのは認める」
「だが、君は成り行きでここまで来たのか?」
「それとも、考えた上で、自分で進む道を選んだのか?」
答えは決まっている。
「お母さんを安心させたいから……僕は、ここへ来た」
「ならば、君は覚悟の意味を理解していない」
「自ら選んだ道の中で得られるもの──」
「望んだ結果だけでなく、それ以外も全て受け入れる力こそが、覚悟だ」
「君は、それを踏まえて……母を救うために戦う道を選ぶか?」
──僕が、甘かった。
僕が受け入れていたのは、知っていることだけだ。
この世界のことも、そこに生きる人たちのことも、何も知らない。
未知すら受け入れる。
その先に、本当の覚悟があるのだろうか。
「……それでも」
「僕は、人を殺したくない」
「無理だよ」
「いつか、いつの日か……君は人を殺さないといけない時が来る」
ケインの表情が歪む。
それは、僕の甘さが招いた結果だった。
彼の言葉に心を委ねて楽になろうとした僕の心、
そこへ一人の少女との記憶が横切っていく。
「……それでも僕は知りたい。どうしてそんな悲しい現実が待っているのかを」
「ちゃんと知った上で、迷って、選択して、受け入れたい……と思う」
「……君は、心底甘いな。現実は君の母とは違う。答えを待っちゃくれない」
「もう、俺から言うことはない」
「でも──応援しているよ」
「ケイン……!」
ケインは背を向け、右手を振る。
権能の光と共に、その姿は掻き消えた。
最後に見えた横顔は、微笑みに見えた。
──そうであってほしいと、強く、強く願った。
※※※
フェイの前を去った男は、雑木林を一人歩きながら、感傷に浸っていた。
その表情は、どこか満足げだった。
我儘で青臭い少年に、
記憶の奥底に眠る誰かを重ねていたからだ。
だが、その時間は一人の来訪者によって終わりを告げる。
「お疲れ様です。ケイン先輩」
「──イセフィラか」
「その名は捨てたと申したはずです。今は『セフィル』とお呼びください」
男の表情が、不機嫌そうに曇る。
「俺に何の用だ。任務は終わらせた」
「──あの闘士に、随分と肩入れしているようですね」
舌打ちが、静寂を裂いた。
「あなたの行動は目に余ります。神の使いとしての自覚をお持ちください」
「元々人だった俺は……言わば『偽神人種』だ」
その言葉が発せられた瞬間、
来訪者の表情がわずかに引きつる。
「任務には真面目に取り組んでいるさ」
「やり方に口出ししないでもらいたいな。同じく『偽神人種』の、イセフィ──」
「あなたという人は……ッ!」
長年崩れることのなかった仮面が、感情と共に砕け散る。
来訪者は翡翠色の刃を持つ剣を握りしめ、男へと切りかかった。
「──まったくさぁ」
男は苦笑しながら、それを素手で迎え撃つ。
「君って本当に冗談が通じないよね!」
※※※
翌日。
代表闘士達と最高神が一堂に会する、前夜祭という名のセレモニーが開かれる。
だがその裏で、二人の神人種が参加を辞退した。
彼らは──
「自分には、相応しくない」とだけ言い残した。
作者コメント
作品完結目指してほどほどに頑張ります!
ここからキャラが一気に増えていくと思いますが、
文章がごちゃごちゃしないように丁寧に書けたらなと考えております。(^^)
キャラ紹介②
フェイの母
名前 :ナタリア=フィローゼ
通り名:狼姫 傾国の狼姫
出身 :狼牙一族の里
年齢 :125歳
一人称:私 フェイに対してはお母さん
種族 :獣人種 狼型獣人の純血
性格 :基本冷静、子の事になるととことん周りが見えない
外見 :藍色の瞳に灰色のクセのない長髪、後ろで結っている
高身長、170㎝より高い。ケモ耳。
好き :息子
嫌い :神位血種祭、最高神、神人種、獣人種、フェイの父
悩み :子供が祭の代表闘士に選ばれた事
特技 :戦闘
趣味 :毛づくろい
実績 :第九回神位血種祭にて獣人種代表闘士として出場
順位は二位であり、獣人種内では最高戦績でもある
武器 :持っていない。素手で戦う。
能力 :卓越した運動能力と比類なき戦闘センス
戦闘や狩りの技術は全て我流であり、
権能 :百年前に分身能力を授かるが、祭後に能力を喪失




