翔太と私
この小説は、テセウスの船に染まってという短編のオチを変えて、全体的にバージョンアップさせた物です。元の小説を削除して、新しく投稿し直しても良かったのですが、せっかく頂いたいいねが消えてしまうのも悲しかったので、改変という形で投稿し直しました。
「高橋くん、脱退しちゃいましたね。」
ランチタイムの喧騒とは対照的な私たちのテーブルの静けさは、後輩によって破られた。
私は思わずため息が漏れてしまい、慌てて口角を上げる。相次ぐ炎上によって、私の推しグループの、最後の生え抜きのメンバーが、昨晩脱退してしまった。現在残っているのは、後から入ってきた後輩達のみ。私は今のグループも嫌いじゃないけど、かつての支配的な踊りを見るのが大好きだった。
「なんだか寂しいね」
「ひかる先輩、推し、続けるんですか?」
ファンとしての器を測られているようで、少しムッとしてしまったが、後輩である翔太の質問も無理は無い。なにせ、メンバー全員が入れ替わってしまったのだから。しかし、私は最初に出会ったあの日から、このグループに一生ついて行くと誓った。誰がメンバーであるかは些細な問題だと思う。本質を見失ってはいけない。
「当然でしょ」
「ひかる先輩が男性アイドル好きなの、正直今でも信じられないです。まじで純粋な疑問なんですけど、メンバー全員入れ替わっちゃったら、もはや別のグループって感じしません?」
彼はもう少し人の気持ちを慮るということを学んだ方がいい。しかしその一方で、反論に困る自分がいるというのもまた事実で、それが悔しかった。それでも、私はこのグループを応援し続けてきたのだ。もしいつのまにか別のグループに変わってしまったんだとしたら、いつ別のグループになったんだと聞きたい。最後の初期メンバーの、高橋君が抜けた時?それとも、初期のメンバーの人数を、新しく入ったメンバーが追い抜いた時?
「確かに翔太の言うことも分かるけど、それでも変わってないと思いたいな。」
考えがまとまらないうちに、言葉が出てしまった。どうして?と聞き返されたら、私はしっかり答えられないだろう。焦って思考をめぐらせる。翔太もまた、少し考え込んでいた。
「テセウスの船って知ってますか?」
斜め上の言葉に面食らった。
「え、なにそれ?何かのグループ名?」
我ながらマヌケな返答をしてしまった。私の回答を聞いて、翔太は得意げにニコッと笑った。どうやらテセウスの船は、グループの名前ではないらしい。
「かつてテセウスが乗ったとされる船は、劣化したので補修作業が繰り返されていました。やがて船の全ての部品が交換され、元の部品はひとつも無くなってしまいました。ここで問題、この船は最初のテセウスの船と同じ船だと言えるでしょうか?」
ケラケラと楽しそうに説明を始めた。
「えっと、つまり?」
本当に申し訳ないが、全く分からない。翔太は少し不満そうな顔をした。クイズにおいて、なんでもいいから答えを出すというのは一種のマナーだ。
「初期のグループと今のグループが同じかどうかって話ですよ。」
なるほど、確かに。テセウスの船というお話と、今のグループはすごく似ている。かっこいいだけじゃなくて、教養も備えているところは素直に感心した。
「翔太はどう思う?」
質問返しはコミュニケーションにおける禁忌だ。しかし、彼がどんな回答をするのか気になってしまったのだから仕方ない。自分から話し始めたところを見るに、彼なりの持論を用意しているのだろう。
「先にひかる先輩が答えてください」
困った、どうしよう。テセウスの船と今のグループが一緒なら、私は、今も昔もテセウスの船は同じという立場を取るべきなのだろうか。メンバーを船の部品に置き換えるとは、実に言い得て妙だ。船で考えるのなら、別のモノに変わってしまったという感覚も受け入れられる。しかし、彼のペースに飲まれてはいけない。私は断固としてグループの存在証明と、ひいては誇りと名誉をかけて、彼を納得させなければいけないのだから。
「テセウスの船は今も昔もテセウスの船のままだと思うな」
「ふ〜ん」
翔太は拍子抜け、と言った具合に、間の抜けた反応をした。俺はきのこ派だけど、なるほど、あなたはたけのこ派なのね、よし今から遊んであげましょう、といった表情をしている。
考えすぎだろうか。
とにかくテセウスの船がテセウスの船であり続けている理由を考えなければならない。論客翔太対たけのこ派ひかるの火蓋は既に切られている。
「ひかる先輩は、どうしてテセウスの船は変わっていないと思うんですか?」
翔太が最初にしかける。
「だって、テセウスの船は世界に一つしかないでしょ。だから、パーツが全部変わってしまっても、テセウスの船という言葉が指すのはあの船以外にないと思う。」
我ながら即興にしてはいい回答が出来たと思ったのも束の間、翔太は不敵な笑みを浮かべた。
「確かにその通りですね!なら、こう考えて見てください。もし取り替えた古いパーツを全部集めて、もう一度組み直したら、この船は一体何になるでしょう。」
テセウスの船が2隻出来ちゃった!これでたくさんの人が乗れるね!という能天気な返答は許されない。これは厳粛な討論なのだから。
「古いパーツを組み立てても、それは船としては使えないから、船とはみなせないと思うんだけど、どうかな?」
翔太は少し驚いたようで、さっき飲んだばかりのペットボトルにまた口をつけた。どうやら彼はこのターンで決着がつく想定だったらしい。
「ひかる先輩は機能を基準にして考えるんですね。それなら、もしやめてしまったメンバーが、もう1度集まって活動を再開したら、どっちを応援しますか?」
はぅーーん。もう私の負けでいいから、しんどかった当時の記憶をいじくり回さないでくれ。私は動揺がバレないように、両方の眉尻をくいっと持ち上げて、翔太を威嚇した。呂布カルマみたいになってしまったが致し方ない。今までずっと防戦一方だったけど、今度は私がしかけてやる。
「ちゃんと聞いてなかったけど、翔太はテセウスの船、どっち派なの?」
もし彼が変わらない派ならば、そもそも私たちはこんな不毛な争いはしなくて良かったのだ。手を取り合って仲良く暮らす未来も見えてくるだろう。
「俺はどっち派でもないですね」
第三の選択肢、答えは沈黙ってか?ハンターハンターの読みすぎだよ、まったく。しかし、私はただ実直に真理を追求する求道者なのである。彼の答えを真摯に聞こう。
「というと?」
ランチタイムは残り10分を切った。
「突貫工事で一気にパーツが取り替えられたなら、その船はテセウスの船とは別の船だと思います。しかし逆に、時間をかけてゆっくりパーツが取り替えられたなら、例え全てのパーツが入れ替わってしまっても、テセウスの船はテセウスの船のままだと思うんです」
なるほど。彼はテセウスの船に時間という概念を導入したのか。確かに、急にたくさんのメンバーが入れ替わったら、流石の私でも違うグループになってしまったと思うかもしれない。時間という触媒を使って、2つの立場を混ぜ合わせた化学反応を起こしたのか。
「弁証法ってやつかな?面白い考え方だね!」
まるで誰かに憑依されてるみたいに気取ってしまったので、わざとビックリマークをつけてアホらしさを演出した。能ある鷹は爪を隠すと言うやつだ。
「俺は、全ての物質は周りに影響を与えてると思うんです。例えるなら、水が染み込んでいくみたいに」
翔太が急にポエマーみたいになってしまった。
「水が染みるって、具体的にはどういうこと?」
翔太が喋りたかった部分はここにある気がしたので、詳しく掘り下げた。
ランチタイムは残り5分を切った。
「例えばテセウスの船に新しい部品が1つ交換されたとするじゃないですか。そしたらその部品は、船に取り付けられた瞬間から、周りにある古いパーツに影響を受けて、どんどんテセウスの船に染まっていくと思うんです。そうしていつか、立派なテセウスの船のパーツになる。」
分かるような、分からないような。慣れるとか、馴染むとか、そういったことだろうか。
「話を少し戻すけど、全ての物質が周りに影響を与えているってことは、例えば今いるこの食堂でも、そういう影響は起こっているの?」
少しの沈黙の後、ふふふと翔太は笑った。
「俺はひかる先輩に染められてますよ。」
鼓動が早くなる。え、なに、この人。どうしてそんなに恥ずかしいことを、直接本人に伝えられるんだろう。もしかして、これが恋ってやつ?おい、目を合わせてくるな!
「ありがとう?でいいのかな。面白いこと言うね」
こっちが恥ずかしくなってきて、ソワソワしてしまう。
「ひかる先輩、前髪直さなくても素敵ですよ。」
胸がほとほと熱くなって、なんだか悪いことをしているような気持ちになる。彼の顔が見れない。私は今どんな顔をしてるだろうか。うまく頭が回らない。ついさっきまでは小難しい思考問題を話し合っていたのに、何かを考えようとすれば、胸の鼓動に急かされるように、頭が真っ白になる。
遠くから給食委員会らしき人の声が聞こえてくる。どうやら食堂をもう閉めるらしく、食事を中断して昼休みに入ってくださいということらしい。その声によって現実に引き戻される。
「僕たちもそろそろ行きましょうか。」
私たちは少し駆け足で、食堂を後にした。