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 セティカを置いて学校に行かなくてはならないのは、心配だった。出かける前にそっとセティカに「解らないことははっきり『解らない』って言うんだよ?」と耳打ちをしたら、セティカは明らかに不機嫌な調子で「バカにしてもらっては困る」と返してきた。かーさんに「セティカをお願い」と言おうかと思ったけど、それはさすがにぼくの言う言葉じゃないような気がしてやめておいた。柴三郎さんに行ってきますのハグをして、玄関を出る。じめじめは相変わらず、さらにセティカを案ずる気持ちもあって、足が重い。今日はかーさんに任せるしかないから、と何度も繰り返し自分に言い聞かせながら学校に向かった。

 期末テストが近いせいもあって、教室の空気までもが重苦しいように感じてうんざりしながら自分の席に座る。教室の隅に固まっているのはクラスの問題児とその仲間たち。時おりアホみたいにぎゃははと大声で笑ったりするのははっきり言って迷惑だけど、もう誰も注意しようとはしなかった。注意したところで態度は改まらないし、逆に注意した側が先生に宥められることが続いたので、クラス全体に「アイツらは放っておくべき」という認識が染み渡っていた。大きな笑い声にうんざりしながら英語のワークを開いた。今週中に提出しなければならないのに、あれこれあってほとんど手をつけないままに土日を過ごしてしまったので、少し取り戻しておかないと。

「めずらしいねえ朝から勉強なんて」

 からかうような声の主は、今年のクラス替えで初めて同じクラスになって、仲良くなった草間くんだ。

「んー、ちょっといろいろあってさあ」

 顔を上げたら草間くんはぼくの前の席を借りて座っていた。本来の席の持ち主である宮内さんは、窓際の席で仲良しグループの女子で固まってきゃっきゃしている。

「いろいろって?」

 えーっとどうしよう。話した方がいいのかな。返事に迷っていると草間くんはとっとと話題を変えてきた。

「そういえば、市の広報見た? ソロスから留学生が来るんだってね」

 広報なんて見たこともないから知らなかった。ぼくの反応を見て、ぼくがその話題に食いついたと思ったらしい、草間くんは続けた。

「ソロスから日本に来る留学生って、すごく優秀らしいよね。将来は国を背負って立つようなひとばっかりなんだって」

 ぼくが決めた「設定」のはずなのに、ぼくの知らないところで話が広がっているのがちょっと怖いような気がした。でもどうして草間くんはそんなことを知っているんだろう。

「母が市の職員だから」

 なるほど。セティカは確かに優秀と言えるだろうとは思うけど、国を背負って立つような人物だろうか。ぼくはそんなことを考えていた。本来の『セティカ』は、自身が国を背負うというよりは、ゆくゆく国を背負って立つであろう兄——今はもう消えてしまったゲーム『暁の後継者』の主人公——のために身を捧げるつもりだったはずだ。それは叶うことはなかったけれど、もし死なずにいたなら「陰から国を支える」ことにはなったに違いない。

「何難しい顔してるの?」

 草間くんに突っ込まれて「ちょっとここの単語の意味が出てこなくて」と誤魔化した。草間くんが笑った。

「やだなあ。ここに書いてあるじゃん」

 草間くんの指先がワークの端を示して、ぼくは「ほんとだ、目に入ってなかった」とさらに誤魔化した。


 授業が終わると一目散に家に帰った。テスト前で部活が休みなのがありがたいくらいだった。

「ただいま!」

 玄関先で寛いでいる柴三郎さんにただいまのハグをしてリビングに向かう。リビングのテーブルの前に座ったセティカは、幸せそうな笑みを浮かべてほっぺに手を添えていた。見るともなくその姿を見て、あ、と思った。

「あら早かったのね。お饅頭食べる?」

 かーさんがキッチンから現れた。手にはマグを二つ持っている。セティカの笑みの理由はお饅頭か。

「和菓子というのだそうだな。しっとりとした皮とずっしり甘いあんこの取り合わせ、なかなかにうまい」

 セティカはかーさんが持ってきたマグに口をつけると中身を啜った。

「そしてこのほうじ茶の香ばしさがたまらん」

 ほう、とため息をついたセティカ。まー、うん、幸せそうで何よりだ。それよりも。

「……それ、制服でしょ?」

 尋ねるとセティカは頷いてから立ち上がった。

「どうだろう、変ではないか?」

 変ではない。ないけど不思議な感じがした。年相応、とはこういうことを言うのだろうか。セティカ自身は、ぼくが知ってるあのゲーム世界にいたセティカと全然変わっていないはずなのに、こうして制服に身を包んでいると、まるで普通の高校生みたいで、別人になってしまったみたいで──。

「祥志郎に見てもらいたかったんだってさ」

 かーさんが口を挟む。え、なんで?

「学生であるしょーしろぉの目から見て、儂がきちんと『学生』に見えるものか、気になってな」

 そんなこと気にするんだ。らしくない。らしくない? ぼくが知ってるセティカ「らしさ」って、あのゲーム世界にいるセティカだけで、だからこういうことを気にするセティカもセティカには違いなく、それをぼくが「らしくない」とか思うのは違うような気がした。セティカはセティカなりに、こっちの世界に馴染もうとしているのかもしれないのに。

「せーちゃん、気が済んだでしょ。着替えてらっしゃい」

 かーさんに素直に頷いて、セティカは部屋に向かう。ぼくも部屋に鞄を置いて着替えてからあらためてリビングでお饅頭をいただいた。確かにあんこがずっしり甘くて、ほうじ茶よりも緑茶と合いそうな気がした。

「で。どうだった、学校?」

 セティカに尋ねる。セティカは「面白かったぞ」と答えた。転入の手続きはわりとすんなり終わって、それから制服の採寸に行って指定された教科書を揃えに行って、鞄なんかの必要な学用品を買って、近くにあった和菓子店でお饅頭を買ったのだそうだ。そんなに甘いものばっかり食べて、太らないのだろうか?

「せーちゃんなら少しくらい太ったって平気でしょ」

 かーさんが答えた。

「もう明日から早速授業を受けるんですってよ」

 どうせならもうちょっとあとで留学してくればよかったのにねえ。かーさんの何気ない言葉に、セティカの表情がやや曇った。かーさんがはっとしたように口を開いた。

「あ……っと、そうよね、それぞれ事情もあるもんね」

「気にせずともよい、むしろ忙しい思いをかけて悪いなと」

「それはせーちゃんが気にすることじゃないって」

 飲み終えたお茶のマグをキッチンに下げて、勉強するからと自室に籠った。時おりかーさんとセティカの楽しげな笑い声が聞こえて、うまく集中できないながらも、提出範囲の三分の二を終えたところで、ノックが聞こえた。返事をして振り返るとドアのところに立ったセティカが何の前置きもなしにいきなり言った。

「少し『覗かせて』もらえぬか?」

 理由を問えば、この世界での日常の細々したことを知りたいとのことで。そういうことならいちいち言葉でやりとりするよりもぼくを『覗いた』方が手っ取り早いのは理解できる。できるけど。

「……ねえそれって確か、深層心理までも解っちゃう、んだった、よね?」

「どこまで『覗く』かによる。しょーしろぉが知られたくないことがあるなら、それ以上奥へは近づかぬ」

 セティカは真面目な顔つきで、加えて言うならちょっと困ってもいる様子で、だからぼくはセティカの望みを聞くことにした。セティカはドアを閉めてぼくのところまでやって来ると、椅子に座ったままのぼくの額に、腰を屈めて額を合わせてきた。嗅いだことのないいい匂いがして、頭がぽわっとしてきた。だめだだめだこんなこと考えてるってバレたら──!!──ぎゅっと瞼を閉じたままで、どれくらい動かずにいただろうか。ふっとセティカの温度が離れたので瞼を開けてセティカを見上げた。

「助かった。しばらくこうさせてもらってもよいか?」

 もちろんだ。セティカの力になれるなら。

「ありがとう。おやすみ」

 セティカはそう言ってぼくの部屋から出て行った。

 それからしばらくの間、セティカがぼくを『覗く』夜が続いた。

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