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かーさんに振り回されるままにあちこちのテナントを巡り、気がつけば一時近くになっていた。ぼくとふたりなら間違いなくフードコートを選んだであろうかーさんは、今日はレストランフロアに向かった。お昼ごはんを食べる場所を選ぶのさえうきうきのかーさん。飾りの窓? に並ぶ食品サンプルを示しながらセティカがぼくに尋ねる。
「あれは何か?」
「サンプル。見本」
「……この世界の食べ物はきらびやかだの」
きらびやか。ぼくが記憶している限り、セティカの世界では火を通さない食材はほとんどなかった気がするし、こんなに色鮮やかではなかったことも簡単に想像はついた。きらびやかなのは——たぶん照明のせいもあるとは思うけど。
「せーちゃんは何が食べたい?」
にっこにこの笑顔で振り向いたかーさんに、セティカは遠慮なく答えた。
「すまぬ。儂の国ではかような料理を食したことがない故、何と聞かれてもとんと解らぬ」
「そっかーそうだよねえ。じゃあ、私の好きなものでいいかな?」
そうして連れて行かれたのはお蕎麦のお店だった。麺類っていきなりハードルが高くない?
「ここの親子丼がおいしいの」
そう言うとかーさんは勝手に親子丼を三つ注文した。運ばれてきた親子丼を見つめるセティカの瞳がきらきらしている。
「これは——卵、か?」
「そう。お出汁が効いてて美味しいの~」
かーさんはトレイに載っていたスプーンで、すぐに一口目を口に運ぶ。セティカもかーさんに倣ってスプーンを握る。一口掬って、だけどすぐには口に入れずに、眉間に薄く皺を寄せ、じっとそれを見つめている。ぼくは心配しつつ、だけど空腹には勝てず、自分の目の前にある親子丼を食べ始める。ついにセティカはぎゅっと目を瞑るとスプーンを口に入れた。意を決して、という表現がこれほど適した場面に遭遇したのは初めてかもしれない。
「——————!!……っ!」
セティカの眉間の皺が消え、目を見開く。ぱあっと表情が明るくなったかと思うと、すぐに二口目を口に入れる。
「なんと……これは」
「ね?」
かあさんは自分のこと以上に嬉しそうに頷いて、それからは黙々と親子丼を食べた。箸休めのお新香をぱりぱり食べていると、セティカもお新香に手を伸ばした。本当はお箸を使ってほしいところだけど、それは大目に見るしかないだろう、今は。
「不思議な味がする」
食べ慣れないとそうだろう。かーさんがセティカのお新香を代わりに食べた。食後のほうじ茶はもしかすると親子丼より気に入ったのかもしれない。お代わりまでしたセティカにかーさんが笑う。
「あとでほうじ茶も買いに行きましょ」
げ。まだ買い物するのかよ——
「不満なら先に帰ってもいいよ?」
ぼくの表情を読んだかーさんに言われて、それもいいかも、と思ったけど。
「最後まで付き合ってくれたら、ご褒美にケーキセットつけてあげようと思ってたんだけどな」
うぐ。それは「帰る」って言いにくい。それに帰ったら帰ったで、とーさんに食事の支度を手伝わされそうな予感もする。
結局そのあと、アクセサリーショップやらコスメショップにも寄ってあれこれ買い漁り、最後にかーさんお気に入りのパティスリーアリサに寄り道した。ショップの二階がイートインスペースになっていて、ショップで販売中のスイーツはどれをオーダーしてもいいようになっている。もちろん選ぶスイーツによって値段は違うけど。かーさんはマカロンを、ぼくはショートケーキを、セティカは散々悩んだ挙句にベイクドチーズケーキを頼む。フルーツがいっぱい乗っかったタルトとかゼリーみたいな、きらびやかなスイーツを選ぶのかと思ったけど、ある意味一番シンプルなケーキを選んだことにちょっと驚いた。理由を聞いてみたら「得体が知れぬものを食べるのには勇気がいるものなのだ」との返事。解るような解らないような。
チーズケーキを食べたセティカは、幸せオーラ全開の笑みを溢した。どこの誰の目にも「めちゃくちゃ幸せ」な姿に見えるに違いない。
「このようにうまいものはかつて食したことがない。かーさんが食べているまかろんとやらもうまいのか?」
「もちろん」
かーさんは躊躇いなく三つのうちのひとつをセティカに分けてあげた。ぼくもまだ口をつけてないところを分けてあげる。セティカはそのたびに満面の笑みを見せ、見ているぼくも幸せだった。きっとかーさんも。その証拠に、かーさんはずーっと笑顔かつ上機嫌だった。帰り際、ショーケースに並ぶ色とりどりのスイーツを横目に、セティカが呟いた。
「あれらをすべて食そうと思うたら、何度もここへ通わねばならぬな」
その目はとても真剣だった。
とーさんが用意してくれた晩ごはんは、とーさんお得意のビーフシチューだった。煮込み料理への抵抗はなかったようで、セティカは何度も「うまい、うまい」と言いながら喜んで食べた。セティカが食べやすいように、との理由で用意されたコブサラダは、あまり得意ではないようだった。火を通さない野菜に慣れていないことと、ドレッシングのスパイスになじみがないせいらしかった。無理に食べなくてもいいのに、というとーさんに、セティカは生真面目な表情でこう返す。
「用意してもらったものを、口にもせずに合わぬだ苦手だなどとほざくのは、ただの我儘でしかない。もう少し慣れてくればきっと食べられるようになろうかと思う。それまで失礼をするかもしれぬが、どうか許してほしい」
とーさんとかーさんは顔を見合わせてから、同じような柔らかな笑顔で「気にしなくて大丈夫、食事も文化だから。口に合わないこともある」「苦手なものは遠慮なくそう言うのよ」なんて言った。ぼくには好き嫌いするなって口うるさいくせに。でも、とーさんとかーさんがそういう気持ちも、なんとなく解る。留学生、というのはぼくが考えた「設定」ではあるけれど、遠く離れた国からここへ、たったひとりでやってきたことは事実で。そんなセティカが困ることがないよう、親切にしたい、という気持ちがあるのだろう。
食事を終えたセティカはとーさんとかーさんを手伝って後片付けをして、ぼくはその間にお風呂の掃除をして、順番にお風呂に入る。今夜もセティカはかーさんのパジャマを借りていた。かーさんはお店で買ったものは洗ってからでないと使えないタイプなので、今日買って来た衣類もそうするってことだった。セティカは気にしない、と言ったが、かーさんの気が済まないみたい。セティカの部屋のドアの前でおやすみを交わす前に、セティカが言った。
「ゆっくり休め。疲れたろう?」
「セティカも疲れたでしょ、かーさんに振り回されて?」
セティカはちょっとびっくりしたような目をして、その目を柔らかく細めると首を振った。
「たぶん——楽しかった。かーさんも楽しそうだったしな。まだまだ覚えねばならぬことも多かろうが——楽しくやっていけそうだ」
ほんのちょとでもセティカがそう思ってくれたなら、よかった。だけどそれはやっぱり口に出せなくて、代わりにぼくは「おやすみ」と言って慌てて自分の部屋に入った。