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夕飯は出前のお寿司だった。とーさんがセティカの歓迎会だ、とか言って。初めて見るお寿司にぎょっとした様子のセティカではあったけど、食べてみたらそのおいしさにすっかり虜になってしまったみたいで、ぼくにこっそり耳打ちしてきた。
「しょーしろぉ、もっとうまいお寿司もあるのか?」
ちゃんとしたお店で食べたら、もっとおいしいものもあるだろうけど、中学生のぼくにはちょっと手が出せない値段に違いなく。適当に言葉を濁していると、それを察したとーさんが苦笑いを浮かべた。
「出前だとどうしても手ごろな値段のものが中心になるしなあ。夏のボーナスが出たら奮発するか?」
「そうねえ」
とーさんもかーさんも、意外と乗り気だ。
「ねえところで、せーちゃんの着替えってどうなってるの?」
かーさんはいつの間にか勝手にセティカの呼び方を「せーちゃん」に決めたらしかった。セアルセティカなんて馴染みのない名前、毎回呼んでたら舌を噛んじゃいそう、とか言って。
セティカは今、かーさんが洗濯してくれたあの黒い服を着ていた。乾燥機にかけたのがよくなかったのか、少し縮んだみたいだったけど、元々だぼっとしていたからそれほど大きな問題ではなかったとはいえ、これ以外に普通の服がないのは困るだろう。急ごしらえの「留学設定」では、そんな細かいところまで考えてなかった。ぼくが答えあぐねていると、セティカが涼しい顔で言った。
「手配が間に合わず。もしどこかで手に入れられるならありがたい」
嘘は言ってない。だから涼しい顔なのだろう。かーさんも困ったように眉を下げた。
「そう。そういう事情なら仕方ないわね。明日モールにでも行ってみる?」
「モール?」
鸚鵡返しをしたセティカに、かーさんがにこっとした。
「憧れだったのよね、女の子と一緒にショッピング。祥志朗も行く?」
セティカだけで行かせるのは気がかりだったので、気乗りはしないけど「行く」と答えた。とーさんはかーさんの「買い物」に付き合わされるのはちょっと、ということで、家で夕飯係になった。お寿司を食べ終えて順々にお風呂に入り、少し早めに部屋に戻る。いつの間に準備したのか、客間として空いていた小さな部屋がセティカの部屋になっていた。その部屋を見たセティカは「しょーしろぉの部屋よりもっと小ぢんまりとしているな。レグラグの巣穴だってもっと大きかろうて」なんて言った。レグラグっていうのはこっちの世界で言うところの熊みたいな大型の獣で、だけどなんと人語を操る知能を持っている。人間では到底できない力仕事を請け負って人間と共生している、心穏やかな獣だ。
「こっちの世界ではこれが普通だってば。それよりセティカ、もうちょっと細かく『設定』を練っておかないと大変かも……」
ぼくの言葉にセティカは楽しそうな表情を浮かべた。
「他にどのような『設定』が必要だと考えておるのだ、しょーしろぉは?」
「留学生なんだから、留学先の学校も決めなきゃだし、セティカの『国』についても、もうちょっと考えておかないと。新しく考えた『設定』で、簡単に上書きできるかな?」
「上書き自体はそれほど難しくはない」
セティカがきっぱりと言うので信じることにした。それからぼくは部屋からノートを持ってきて、セティカの部屋でふたりで細かく決めた設定をそこに書き込んだ。まずは出身国の設定。タブレットで何となくゲームオリジナルの国名「ソロス」で検索をかけてみたら、AIが南太平洋にある小さな島を引っ張ってきた。そんな島あったっけ……と考えてみたけど、これももしかしたらセティカが現世に転生したことと「留学生」っていう設定で魔術を使ったことの影響のひとつなのかもしれない。それにしては影響が大きすぎるような気がして怖いけど。ネットの情報によれば、島の中央にレアメタルの大きな鉱脈があって、それが国の経済を支えているという。世界では珍しい王制の国で、日本との関係も友好的。本来のセティカが住んでいた国と気候風土は大きく異なるものの、この辺からセティカ本人の素性について詮索される心配もなさそうだ。セティカは十七歳だから、高校二年生ってことにした。ここから通えそうな高校を検索してみたら、留学生の受け入れに積極的な高校を見つけた。私立鷺宮高校。ってこれ、ここ周辺じゃ一番の進学校だ。暗黒魔術なんていう、あまり使い手のいない魔術を身に着けているのだから、頭はいいのだろう、セティカは。それを現世での「学力」と呼ばれるものと同じと考えていいのかは不安だけど——これはもう、実際に通ってみて困ることがあったら、その都度『上書き』するしかないだろう。何より近い方が便利だろうし。この学校への留学生ってことで、ノートに書く。他に何か『上書き』しておくべきことがあるだろうか。うーん、思いつかない。とりあえずさっき考えた学校の設定だけ『上書き』してもらって、その日は早めに休むことにした。見慣れない布団に潜り込んだセティカは。
「寝台がないなど信じられぬと思うたが、意外や意外、心地よいものだな」
満足げにそんなことを言った。
次の日、日曜日。
梅雨らしいじめじめとした雨の降る中、かーさんが運転する車でショッピングモールへ向かった。かーさんがお気に入りのアドルグループの歌がエンドレスでステレオから流れていて、これは何かと聞かれたので「国民的アイドルグループの歌」だって教えてあげた。あいどるぐるぅぷ、とセティカが呟いたので、スマートフォンで検索したものを読ませてあげた。なるほど、と頷いたセティカだったけど、絶対にイメージできてないだろって気がした。今はちょっとかーさんも一緒だから無理だけど、あとでまたぼくを『覗いて』もらうのが手っ取り早そうだ。モールに着くとかーさんは今にもスキップでもするんじゃないかってくらいうきうきで、真っ先にお目当てのブランドのショップに向かった。女の子の服はぼくにはまるで解らないけど、なるほどいかにも「女の子」って感じの服がずらっと並んでいる。るんるんで服を見繕うかーさん、あまり興味はなさそうだけど、一応手に取ってみるセティカの対比は見事だった。
「どういったものをお探しですかぁ?」
ショップのお姉さんがいかにもな作り声で話しかけて来て、セティカが眉を顰めた。明らかに警戒している。
「店員さん。好みの服や似合う服を選んでくれるひとだから、そんなに警戒しないで」
ぼくはセティカにそう説明してから、店員さんに言い訳をした。
「このひと、ソロスって小さな国から留学生としてこっちに来たばっかで、まだこっちの習慣に慣れてないんです」
「そうなんですねえ。あまりお見掛けしないデザインのお洋服をお召しなのは、そういう理由だったんですねー。シンプルでよくお似合いですう」
喋り方はわざとらしいけど、嘘ではないだろうと思った。この黒い服は、セティカの美しさを際立てていると思う。
「普段お召しになるお洋服なら、シンプルなデザインがよさそうですね。スタイルもいいですもんね」
店員さんは言いながら、下げてあるブラウスを何着か手に取った。他のブラウスはレースとかフリルとかでこてこてした感じだったけど、店員さんが手にしたのはどれも、レースやフリルといった装飾が控えめなものだった。
「ふむ」
セティカが考えるような仕草をした。たぶんこういう服を着たことがないからよく解ってないんだろう。
「そなた、儂にはこれが似合うと?」
「ええ。ご試着もいただけます、いかがいたしますかぁ?」
セティカの目がきらりと光ったように見えたのは、気のせいだろうか。
「かーさん!」
セティカは自然とかーさんを「かーさん」と呼んでいた。かーさんは喜んですっ飛んで来た。その手にはふわふわしたスカートと、やっぱりふわふわしたワンピースを持って。
「かーさんはどうだ? 儂にこれが似合うと思うか?」
「せーちゃんなら何でも似合うって。美人さんだもの」
かーさんの「美人さんだもの」という言葉がまんざらでもなかったらしい、セティカはちょっとはにかんで、それから。
「ではこれをいただくとしよう。かーさんが選んでくれたそっちも」
「ご試着はよろしかったですか? サイズ感とか、一応見てもらった方がいいと思うんですよねえ、お客様細身でいらっしゃるから、もしかしたらもうワンサイズ下の方が、すっきりおしゃれに見るかもですう」
「なるほどそういうこともあるのか。では試させていただこうか」
「かしこまりましたぁ。こちらへどーぞ」
三人が連れ立って試着室の方へ行ってしまったので、ぼくはお店から出たところに据えてあるベンチで待つことにした。ベンチには、まだ午前中なのにちょっと疲れた顔をしたおじさんが座って、スマートフォンをぽちぽちしている。そのおじさんの気持ちがよく解るような気がした。おじさんのため息を聞きながら、スマートフォンでパズルゲームをやっていると、どこかぼーっとしたような店員さんが大きな紙袋を手に持ち、やっぱりどこかぼーっとしたようなかーさんが、その紙袋を受け取っていた。セティカだけが満足げな表情で、店員さんの「またどうぞお越しくださいませぇ」を受けている。何かした。ピンときた。でも何を? かーさんから紙袋を受け取ってセティカの袖口を引っ張る。ぼくの表情からぼくが聞きたいことを読み取ったらしいセティカが事も無げに言い放った。
「それらをいただこう、と言っただけだが?」
「………………使ったでしょ」
口をぱくぱくして「暗黒魔術」と伝えると、セティカは楽しそうににんまりした。
「あの店員とやらが、どれもこれも『お似合いですう』などとおべんちゃらを言うものでな。ちぃとばかりいらいらしてしもうてなあ」
いやだからって。泥棒と一緒じゃん。
「心外な。好みではない服をあれこれと着させては本気とも思えぬおべんちゃらを言われて、快いはずがなかろうに。ちょっとした意趣返しだ。それにかーさんがうきうきとしているから言いにくかったが、儂は今着ているような、簡素なつくりの服で充分だ。きらきらと飾り立てるのは、姫と呼ばれるような女性にこそ相応しかろ」
セティカはどうも、自己認識が歪んでいる。ゲーム内でも自らの容姿には一切の関心がない様子が描かれてはいたけれど、まさかここまでとは。だから主人公にもああいう態度を取り続けたんだろう。健気ではあるけれど、可愛げはない。思わずため息をつくと、後ろからかーさんが話しかけてきた。
「なんかごめんね? せーちゃん、あの店員さん苦手だったでしょ? あのショップ、服は可愛いけど店員さんがイマイチなのよねえ。お店の利益が出そうな服ばっかり選んで『お似合いですう』なんて。私がもうちょっとがつんと言えばよかったのよね。ほんとごめん」
かーさんの言葉に、セティカは『それ見たことか』と言わんばかりの、得意げな表情を浮かべている。
「さ、気を取り直して次に行きましょ。今度はもっとシンプルなワンピースとかが多いとこにしよ」
かーさんは言葉通り、気を取り直したように先頭に立って歩き出す。セティカは素直にかーさんの後に続き、ぼくは両手に紙袋を持って後を追った。