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 セティカの暗黒魔術の効き目は驚くほど強力だった。

 たぶん、この世界中がその影響を受けたのだろう、ゲーム『暁の後継者』はこの世界から姿を消してしまった。そりゃあそうだ。あのゲームがあったらセティカの存在の整合性が取れなくなってしまうから。シャワーを浴びてすっきりしたらしいセティカは、ぼくのこの話を聞いて、少し難しい顔をしてから「そうか」と呟いただけだった。かーさんが用意してくれた遅めの朝ごはんの間も、ごはんのあともしばらく難しい顔をしたままのセティカに、恐る恐る声をかけてみた。

「どうしたの、セティカ?」

「ああ——考え事だ」

「考え事?」

 問い返すとセティカが視線を動かした。かーさんのことを気にしているらしいことがすぐに解ったので、リビングを離れてぼくの部屋に移る。ドアのところで部屋の中をひとしきり見回した後で、セティカが言った。

「なんというかこう——こぢんまりとした部屋だな」

 こぢんまり。セティカの感覚ならそうだろう。ごくごく一般的な分譲マンションの子ども部屋だけど。デスクセットの椅子をセティカに勧めて、ぼくはベッドに腰かける。水を向けるまでもなく、セティカがすぐに口を開いた。

「異世界転生をした事例のうち、元の世界に戻った事例はあろうか?」

 ………………さあ? その手の物語には詳しくないから、よく解らなかった。うーん、と唸った後で、あ、と閃いた。

「ネット小説読んでみる? あと、配信されてるアニメとか?」

 セティカがあからさまに「何を言っているのか解らない」という表情を見せたので、ぼくはリビングに向かうとかーさんにタブレットを借りて部屋に戻った。

「ウチはあんまりストリーミングサービスは使ってないけど、ネット小説なら無料で公開してるのも多いから」

 説明しながらタブレットの画面をつけるとセティカが「おおっ」と声を上げる。ブラウザを開く、検索する、ネット小説サイトを開く——そのたびにセティカはお約束みたいにいちいち「おおっ」と声を上げた。それをめんどくさく感じてしまって、ぼくはセティカに提案してみた。

「あの、いちいち説明するのも教えるのも手間だし、ちょっとぼくを『覗いて』くれない? セティカは頭が切れるから、きっとすぐに理解できると思う」

 セティカは椅子に座ったままで、隣に立つ僕にす、っと身を寄せてきた。ぼくもセティカが額を合わせやすいように少し腰を屈める。セティカがぼくの額に彼女の額を合わせるのはこれで三度目で、だから余裕ができたのか、すぐ近くにセティカの息遣いを感じていた。あれ、これって——いやだめだ余計なことは考えるな。タブレットの使い方を——ぎゅっと強く瞼を閉じてタブレットを使う様子を思い浮かべる。検索の仕方、動画の探し方、などなど。しばらくしてセティカが身を引いて額を離した。閉じていた瞼を開いて真っ先に見えたのは、顔を赤くしてもじもじするセティカだった。

「……おぬし、儂を好いておるのか?」

 小さな呟きに顔が熱くなった。ぼくの努力は徒労に終わったらしい。いやあのそのえーっとだってセティカはぼくの推しなので………………はい。嘘をついてもどうせバレていることだからと腹を括って頷くと、意外にもセティカは顔を赤くしたままでこんな返しをしてきた。

「物心ついた頃から儂が異端児であったことは、おぬしも知っておろう? なのに、何故?」

 何故? だってセティカは主人公のために、いつだって一生懸命で——実際に命を懸けたし——、魔術を極めるために常に誠実で真摯で、顔も確かにかわいいけど、それ以上に心が綺麗で。だから——そう思ったけどとても口には出せなくて、だからこれだけをどうにか絞り出した。

「理由はどうあれ、気がついたら好きになってた。セティカだってそうでしょ?」

 その瞬間、セティカの顔の赤みは消え失せ、代わりに苦しげに歪んだ。言っちゃいけないことを言っただろうかと思ったけど、セティカの顔が歪んだ理由はぼくが考えた理由とは違った。

「兄様は儂にとってはとくべつだ。暗黒魔術などという得体の知れない魔術を極めんとしたのも、ひとえに兄様にお力添えをするため。兄様の幸せこそが、儂の幸せで——」

 ——だからこうして異世界に来てしまって、兄様の行く末をこの目で確かめることができないのは、苦しい——か細い声で続けるセティカの姿に胸が痛んだ。どんな言葉をかけるのが正解なのか、すぐには解らない。考えて考えて出た言葉は。

「——だから、戻りたい?」

 セティカが頷く。ぼくは考える。セティカは間違いなく、あの世界では死んだはずだ。もし戻る方法があったとしても、死後の世界に存在し続けることなんてできっこない。セティカにとってはつらい事実を告げてしまうべきだろうか。ぼくがそんなことを考え始めた隣で、セティカはタブレットの画面上で指を滑らせ始めた。ネット小説サイトで「異世界転生」で検索をして、ヒットした作品を読み始めたらしい。きっとほどなく、セティカは答えに辿り着くだろうと確信した。だって異世界転生の物語って、だいたい主人公が死ぬところから始まるから。ぼくは内心、その残酷な事実を自分の口から告げなくてもいいことにほっとしていた。セティカの邪魔になりたくなくて、静かに部屋を出るとリビングに行った。かーさんととーさんがカステラを食べながらコーヒーを飲んでいた。

「彼女は?」

「勉強中」

 とーさんに答えるとリビングのラグに寝そべってスマートフォンを取り出した。最近ハマってるパズルゲームをやり始めたけど気分がのらない。スマートフォンを放り出して仰向けになった。『暁の後継者』が消滅してしまったからゲームをやる気にもならない。

「彼女、コーヒー飲めるかしら?」

「コーヒーくらい飲めるだろう」

「でもほら、あちらの国の習慣とか解らないし」

 かーさんととーさんの会話につい口を挟んでいた。

「コーヒーは飲んだことないはず。普段飲んでるお茶はこっちの緑茶に近いと思うよ」

「あら、詳しいのね? 緑茶——緑茶ね、ティーバッグがあったかな」

 かーさんはどこかうきうきした様子でキッチンの棚をがさごそしている。弾んだ声で「あった」と言って、かーさんはセティカのためにお茶をカステラを用意してくれた。

「祥志朗、持ってってあげて」

 素直に頷いてお茶入りマグとカステラを盛った小皿の載ったトレイを持つ。ノックはしたけど返事がないから相当集中しているのだろう、ドアを開けたらセティカは俯いていた。タブレットに見入っているのかな——そう思ってデスクセットに歩み寄り、そこで初めてぼくはセティカが泣いていることに気がついた。ぎょっとして言葉に詰まるぼくを、涙に濡れた瞳が見上げていた。

「しょーしろぉ、儂は——死んだのだろうか?」

 返事に詰まる。

「ネット小説の『異世界転生』と呼ばれる物語は、主人公が現世で死んで、異世界に転生するところから始まるのが大半のようだ」

 大半って。どれくらい読んだの?

「ざっと三百ほど」

 たったあれだけの時間で? でもセティカならできそうな気がした。それに冒頭をざっと読めば「主人公は現世で死んで異世界に転生した」ことは解るだろうから、つぎつぎに読み飛ばしていけば、それくらいの数にはなったかもしれない。

「しょーしろぉは——知っておったのだろ?」

 うぐ。返事ができない。その僕の態度でセティカには解ってしまったようだった。

「……そうか。ならば――あの世界へ戻る方法はない、ということ、なのだろうな」

 セティカは黙り込んでしまった。かける言葉が見つからない。どれくらいそうしてふたりして、じっと押し黙っていたのだろう。トレイを持ったままだったことを思い出して、ようやくそれを机の脇に置くと、セティカの視線がお皿に載ったカステラに移ったことが見て取れた。

「——それは?」

「かーさんが。カステラと、お茶」

「カステラと、お茶」

 セティカは繰り返す。人形みたいに動かないセティカに、ほんの少しの慰めにでもなればと思って、言ってみた。

「こっちの世界には、美味しいものがたくさんあるよ? 特に甘いもの。甘いもの食べたらきっと元気が出る。だから——」

 いつの間にかセティカが顔を上げてじいっとぼくを見ていた。心臓がばくばく言い始めた。呼吸を整える。

「——だから、ええっと、甘いものたくさん、食べに行こう? どこにでもぼくが、一緒に行くから」

 本当の思いは呑み込んだ。セティカを余計に傷つけてしまうような気がして怖くて、だからぼくは、セティカが無類の「甘いもの好き」であることにつけ込んだ。我ながらずるいやり方だとは思ったけど、セティカがこの世界で生きていく意欲を持ってくれるなら何でもよかった。セティカは、ほほ、とちいさく笑った。涙に濡れた瞳のままで。

「——まだ笑える」

 うん、と頷くとセティカは、また、ほほほ、と笑った。

「甘いものは好きだ。今の言葉忘れるでないぞ」

「忘れるもんか」

 ぼくの答えに満足げに頷いてセティカは、デザートフォークはうっちゃってカステラを手で掴むと思い切り頬張った。もぐもぐとよく噛んでから飲み込むと、さらにもう一口頬張る。そうして四口ほどでカステラを食べ終え、お茶を啜ってから言った。

「うまかった。他にもこんなにうまいものが?」

「こんなの序の口だよ。ぼくは日之出屋のショートケーキがシンプルで好きだけど、かーさんはパティスリーアリサのマカロン以上のお菓子はないって。とーさんはプリン派だから、あちこちのおいしいプリンを知ってる」

 セティカの瞳がきらきらしている。よしよし。これでいい、今は。いつかきっとセティカも「現世に転生してよかった」って思ってくれるはず。そのためならぼくは何だってする。

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