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それから二日後の、朝。
柴三郎さんと朝ん歩に行こうと部屋を出たら、ちょうど朝ん歩を終えたらしいとーさんとセティカに出くわした。
「ずいぶん早いね……?」
そう声をかけると、呑気な声で返事をしたのはとーさんだ。
「せーちゃんが朝ん歩に行くっていうから、着いて行っちゃった」
とーさんの隣のセティカをちらっと見ると、浮いていたクマは少し薄くなったように見える。昨夜はちゃんと眠ったようでほっとした。セティカの言葉通り「片が付いた」ってことなんだろう。胸がちくっとした。
「お味噌汁の具、何にしよっか?」
柴三郎さんの足を拭き終わったとーさんに聞かれてセティカが答えた。
「豆腐と若芽」
「おっけー」
とーさんは機嫌よく返事をしてキッチンに向かう。セティカはとーさんに着いていった。きっととーさんの手伝いをするのだろう。ぼくはさっさとリビングに向かう柴三郎さんを見送ってから顔を洗い着替えを済ませてキッチンを覗いた。かーさんももうキッチンに居た。ぼくに気が付いて「おー、おはよう」と声をかけてきたのでぼくも「おはよう」を返す。とーさんとかーさんがセティカを交えて楽しそうに朝ごはんの支度を始めたので、ぼくはリビングで寛ぐ柴三郎さんを構いに行った。柴三郎さんはお気に入りのぬいぐるみを抱えてクッションに横たわっていて、ぼくを構ってはくれなかった。つまんないの。キッチンからは三人の楽し気な笑い声が聞こえてきて、それが無性に寂しかった。ぼくは柴三郎さんの隣に寝そべって、遠慮がちにその背を撫でながら朝ごはんができるのを待った。テレビからは朝の星座占いが流れている。
『今日の最下位は、ごめんなさい、かに座のあなた』
女性アナウンサーが『ラッキーカラーは空色、ラッキーアイテムは名刺入れ』と続けるのを聞きながら、どうして『ごめんなさい』なんだろうとぼんやり考える。女性アナウンサー自身が何か悪事を働いたでもないのに『ごめんなさい』って謝るのは筋違いだと思うんだよなあ。
「しょーちゃん、食べよ」
呼ばれてダイニングに行くと、かーさんが向かって左に、とーさんがその隣に座っていた。いつもは左にとーさんなのに。いつもは朝ものんびり食べるかーさんが、今朝はなんとなく急いでいるように見えて、そうかきっと今日はかーさんが出かけるのが早いから、出入りしやすい左側にかーさんが座ってるんだな、と考えた。
さっさと朝ごはんを終えたかーさんはいそいそとダイニングを出ていき、のんびり食べ終えたとーさんが後片付けを始める。かーさんはペットボトルをまとめたごみ袋を片手に「行ってきまーす」と出かけて行った。それから後片付けを終えて出かけるとーさんを見送って、さて今日こそは数学のワークを進めなくちゃと考えていると、リビングからセティカがぼくを呼ぶ声が聞こえた。
「なに?」
リビングに戻ってぎょっとした。セティカが柴三郎さんのお気に入りのクッションに、だらりと横になっていた。柴三郎さんの姿を探すと、ちょっと困ったような顔でリビングの隅に佇んでいる。
「……柴三郎さんが困ってるじゃん」
セティカはいかにも面倒そうな様子で、ちょっと首を伸ばしてぼくに顔を向けた。ひとを呼んでおいてどういう態度なんだこれは。イラっとしてセティカに近づき膝をつく。
「どういうつもり? ふざけてるの?」
「ふざけてなどおらぬ」
言葉とは裏腹にセティカはくわあ、と大きな欠伸をした。いやどう見たってふざけてるでしょ。イライラが募る。柴三郎さんがとぼとぼとぼくに歩み寄ってくるのが目に入る。柴三郎さんに「だいじょぶだよ」と声をかけてから、目の前でまだだらけているセティカに向き直る。
「ちょっと起きなよセティカ。柴三郎さんも困ってるじゃん?」
言いながら手を伸ばした。だらしなく投げ出されているセティカの手を引いて身体を起こすつもりで。握った手に明らかな違和感があった。顔を上げた。ぼくを見下ろすセティカと目があった。
「え?」
視線を戻すとぼくが握っていたのは柴三郎さんの前足だった。柴三郎さんはいかにも迷惑そうな目をぼくに向けている。
「ごめん!」
ぱっと手を離してセティカを見た。魔術を使ったのは明らかだ。
「うん、うまくいった」
セティカは満足そうだ。
「何をしたの?」
ぼくの問いを受け、セティカは答える前に「座ろうか」とぼくをソファに促した。ぼくは柴三郎さんの首筋を撫でながら、もう一度「ごめんね」と謝って、それから一人掛けのソファにを選んで座った。セティカは斜めに置かれた三人掛けの方に座り、ぼくのを顔を見ながら口を開いた。
「転移術だ」
転移術? そう言われれば確かにセティカと柴三郎さんの位置が瞬時に入れ替わったと思うけど──なんというか──そういうことじゃないような感じがする。
「お師匠と儂は思い違いをしておったのだ。ひとや物を即時に移動する術ばかりを考えておったが、そうではなかった、ということだ。暗黒魔術の性質から考え併せても、そのようなことは不可能だったのだ」
──ええと、つまり?
「しょーしろぉには、しばさぶろーさんが儂に、儂がしばさぶろーさんに見えるよう術を施した。すぐにばれるかと思うたが、意外とそうでもなかったな」
ああ──なるほど。だから最初に目に飛び込んできたセティカは「だらしなく四肢を投げ出して横たわっている」ように見えたのか。でも、声はどうしたんだろう。間違いなく「だらりと横たわっているセティカ」から聞こえたと思った──けど。
「魔術の作用と思い込み──と言ったところか。儂があのまましょーしろぉの傍へ行かずに声を発していれば、それでばれてしまった可能性はあるな。ところでしょーしろぉ、今朝、何かが変だと思わなんだか?」
今朝? 何を。考えてみたけど特にこれといって思い当たることはない。セティカがにんまりした。
「儂が一緒に朝ん歩をしたのはとーさんで、ペットボトルのごみ袋を持って先に出かけたのもとーさん。かーさんはいつも通り、朝の片づけを済ませて後から出た」
「……は?」
いや確かに今朝はかーさんがとーさんより先に出かけるなんて珍しいなって思ったけど、それって、そういう??? あらためて思い起こしてみれば、今朝のとーさんの言葉遣いはいつもより柔らかかった気がするし、今朝のかーさんはいつもより眠そうで口数が少なかった。とーさんとかーさんが逆だった、と言われれば、確かにその通りだ。どうして気が付かなかったんだろう。毎日顔を合わせているぼくが気が付かないんだから、とーさんとかーさんをよく知らないひとにその『転移術』を使ったなら、よほどのことでも起きない限りばれることはないだろう。
「違和感があったにせよ、その場で気が付かなかったのなら成功だ」
要するにぼくは実験台になったわけか。だけど「ひどい」とは思わなかった。だってセティカは満足そうだし、転移術が完成したならそれはやっぱり喜ぶべきだ。だけどやっぱり胸がちくんとした。でもそれはセティカの魔術に騙されたせいではない。きっと。
「真実を明かしてしまえばどうということはない。ただ今回は魔術を施した相手はしょーしろぉのみ、場所や時間も限定してのことだから、これをもっと大々的におこなおうとするならば、より慎重にせねばならぬだろうし、もっと検討せねばならぬこともある。お師匠の力も借りねばならぬやも知れぬ」
セティカは言い終えて、ふう、とやや大きく息をついた。
「とにかく。転移術は完成したと言ってもよかろう。しょーしろぉのおかげだ。ありがとう」
ぼくは何もしてない。そう思ったから首を振った。
「ぼく何もしてないし」
セティカもゆるりと首を振った。
「糸口となったのは、最初にやった『設定を書き換える』だ。しょーしろぉの発想がなければ、このような形を思いつくことはなかったに違いない。儂がこの世界にやってきた意味はきっと、ここにあったのだ」
セティカの言葉に嘘はないと信じることにした。ぼく自身はほんとにぜんぜん何もしてないしできていないけど、セティカがそう思ってそう言ってくれるなら、もうそれでいいや。そこまで思って。
「──あれ? でも待って? じゃあセティカは『転移術』でこの世界に来たんじゃない、ってこと? じゃあ帰る方法は……?」
ぼくの言葉を受けてセティカが頷いた。




