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短いお盆休みが終わって、とーさんとかーさんは日常に戻った。ぼくとセティカは柴三郎さんに留守を頼み、揃って神社を訪ねていた。宮司さんに『神隠しの池』のことを聞くためだ。おばあちゃんの話を聞いたセティカがどうしてそうしようと考えたのか、理由は聞かなかった。どんな理由だろうと反対する気もなかったし。
宮司さんの顔を見るなりセティカは「『神隠しの池』について、詳しい話をお聞きしたい」と言った。宮司さんは驚いた様子もなく、淡々と「そうでしたか」と応えた。宮司さんはセティカが足繫くあの池のほとりに通っていることを知っているから、そんな反応だったんだろう。快く「こちらへどうぞ」と招き入れてくれたのは、神社の本殿ではなくご自宅だった。通された客間ですすめられた椅子に腰かける。対面の椅子に座った宮司さんが穏やかな表情で言った。
「『神隠しの池』とは。久しぶりにその名を聞きました」
宮司さんの目は柔らかく、気を悪くした様子も全くない。むしろ楽しそうにさえ見える。
「どこでその名を聞いたのです?」
「祖母が話してくれました」
ぼくの返事を聞いて、宮司さんはどこか納得したような顔をした。見たところ宮司さんもおばあちゃんと同じくらいの年に見えるし、似たような話を聞いたことがあるのかもしれない。そこでたぶん宮司さんの奥さんが、お茶を運んできてくれた。やや大ぶりの氷が浮かんだ麦茶はよく冷えていて、すすめられるままに口に運んだ水羊羹はよく冷えていたうえに、口に入れた瞬間にさらりと溶けてなくなった。水羊羹を初めて食べたセティカは「これは、おまんじゅうなどに入っているあんこと同じものか?」と聞いてきた。ぼくが頷くとセティカが目を丸くして、宮司さんが声を立てて笑った。馬鹿にした、というのではなく、微笑ましい、という感じで。
「水羊羹は初めてでしたか」
「あんこはずっしり重く口に残る甘さがよいと思うておったが、さらりと溶けるこれもまた、うまい」
「そうでしょう。こちらの水羊羹は期間限定販売でして。僕の好物なので、山ほど買っては妻に叱られています」
宮司さんがそんなことを言って、そのまま思い思いに水羊羹を味わった。水羊羹を食べ終え麦茶を飲んでから、宮司さんが口を開いた。
「最近はね、不幸な事件や事故も起こらないのでね、もう忘れられた名かと思っていました。僕が幼い頃にはもう、誰が言い始めたものか『神隠しの池』と呼ばれていましてね。子どもが何人も、行方知れずになっている──という噂でした」
「宮司さんは、あの池が『神隠しの池』と呼ばれるに至った具体的な事情などはご存知だろうか?」
宮司さんはゆるっと首を振った。
「行方知れずになった子どもがいたことは事実と聞いていますし、不幸にもあの池で事故に遭われたお子さんがいたことも事実ではあります。そういったことが子どもたちの想像力を掻き立てた──というところでしょうなあ」
そりゃあまあそうだよね、とぼくも思った。
「僕が生まれてすぐの頃には、あの池を埋めてしまおうか、という話も出たそうなのですが、そもそもこの神社の来歴があの池を祀ることにあったもので、埋めずにそのままにしてある、とは聞いていますよ」
「来歴?」
セティカが問うと、宮司さんは頷いた。
「あの池は、空から降ってきた石によりできた──と言われています。池の畔に小さなお社があるのはご覧になりましたか?」
今度はセティカが首を振った。ぼくもそんな祠には覚えがなかった。
「そうでしょうねえ。古い時代には、その石を崇めてお参りする方もいたようですが『神隠しの池』と呼ばれるようになってからは、お参りする方の姿もとんと見かけなくなり、形ばかり祀ってあるようなものになってしまいましたからね。ご案内しましょうか?」
「はい、ぜひ」
セティカが応じて、それを受けた宮司さんが立ち上がった。三人で連れ立っ客間を出て神社の敷地を移動して、あの池へと向かう。本殿の脇に細いけれど整えられた道があって、宮司さんはここを通って月に一度程度、池の畔の社の手入れをおこなっていると話す。十分と少し歩いただろうか、鳥居を通らずぐるりと回りこんで来る時とは、ほぼ反対側の畔に出た。宮司さんの話の通り、そこにはおとながひとり、余裕で立って入れるくらいの建物があって、知らずに見たらお手洗いと勘違いしそうな佇まいだった。池の向こう側からは、ちょうどこの脇に生えている木が視界を遮るような形になるせいか、そうと知っていなければ、社の存在には気が付きはしないだろう、という感じだ。
「この池の本当の名は『神足の池』と言います。今はただの水ですが、できたばかりの頃は温い風呂くらいの水温だったと記録に残っているんですよ。空から落ちてきたという石はこのお社に奉納してありますが、どういった理由なのか、この神社に仕える者以外の目には触れさせてはならぬ、とされていて、お見せすることはできません」
宮司さんの話を聞いて、セティカが少し残念そうな顔をした。ぼくも見てみたかったような気がする。
「そうするとこの池は、いわゆる隕石により出来上がったもの、という認識で正しいか?」
「そう思います。隕石か、あるいは噴石のようなものか、そのどちらかでしょう。ここの地形から考えても、そもそも流れていた水が滞り池になった──というよりは、そういった要因で出来上がったと考える方が自然に思います。僕がもう少し現実主義者だったら、ここに奉納されている石を科学分析に出すのかもしれませんがね。生憎僕は神職者なので、それはできそうにありません」
宮司さんは冗談めかしてそんなふうに言った。もしかしたらそういう話が出たことがあって、それを断ったことがあったのかもしれない。
「石に姿を変えた神様が降りてきて池ができた、という伝来が、気に入っているんです。それに、神様に気に入られて神様の国へ導かれることを『神隠し』と呼ぶならば、それほど悲観するようなことでもないと、僕は思っているのですけれどね」
宮司さんの言葉にその顔を見ると、その内容とは裏腹に、すごくまじめに話しているんだということは解った。
「仲間内でも、変な考え方をする奴だ、って笑われますがね。長らく貴方たちのように、この池について尋ねて来られる方などおりませんでしたから、神様も喜んでいらっしゃるように思います」
宮司さんの言葉に応えるように、風が吹いて梢が揺れ、ざざ、と音を立てた。
「このお社には、触れても構わぬか?」
「もちろんです」
セティカの言葉に宮司さんが頷いて、セティカはそっと手を伸ばし社の扉に触れた。セティカの眉がぴくっと動く。何を感じたのだろう。でもきっとそれは、決してぼくには感じることのできない何かに違いない。そう確信した。
「……貴重なお話を、ありがとうございました」
扉から手を離したセティカは、宮司さんに向かって深々と頭を下げた。ぼくもセティカに倣って頭を下げる。宮司さんは「とんでもない」と言った。顔を上げてみた宮司さんは、やっぱり笑っていた。
セティカとぼくは宮司さんにあらためてお礼を言って、そこで宮司さんと別れた。宮司さんは元来た細い道沿いに戻って行き、ぼくはセティカと池の畔をぐるりと廻り込んで、いつもの場所からもう一度社を見た。思った通り、社はそのほとんどが木に遮られてしまっている。あそこに社があると解っていてさえ、あることを疑ってしまうくらいだ。
「──ありがとう」
セティカが言った。もう姿が見えなくなった宮司さんに向けてのお礼かと思ったら。
「しょーしろぉのおかげで、だいぶ、解った。ありがとう」
ぼくに向けてのお礼だったようだ。そのまま池の畔から遠ざかろうとしたセティカの腕を、思わず掴んでいた。
「しょーしろぉ?」
セティカが不思議そうな顔でぼくを振り返った。
「──────答えを、聞いてない」
意を決して、ようやくぼくは、そう口に出した。ざざ、っと梢が唸るような音を聞いた。




