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「儂が口にしたことのないうまいものが、まだまだたくさんあるのだろうな」
それがさみしそうに聞こえたから、ぼくは聞いてみた。
「帰りたくなくなった?」
セティカは目を伏せて、残っていたバスクチーズケーキを頬張った。ゆっくりと時間をかけてそれを綺麗に飲み込んでから、セティカは。
「惜しくない、と言えば嘘になろう。ここでの生活は、正直、楽しい。まだまだもっと学びたいこともある」
そう思うならずうっとここに居ればいいのに──とは、言えなかった。言ったところでセティカの決心が揺らぐはずがない。セティカの一番の目的は、あの人を護ること──だから。心がちくちくする。ぼくは麻婆丼を食べることに集中することにした。黙々と食べ進めている間にシャワーを終えたかーさんがセティカに声をかけ、セティカはすぐにシャワーを浴びに行ってしまった。空になったプラスチックの器を洗っていると。
「しょーしろぉ」
いつもに比べてやや低い声で、セティカに呼びかけられた。
「なに?」
深刻な空気にならないように、努めて明るい声で返事をして、だけどセティカを見ることはできなかった。セティカはセティカでたっぷりと間を空けた。どきどきしながら平静を装って、洗い終わった器を水切り籠に伏せたところで、やっとセティカが口を開いた。
「宮司さんを訪ねるのはいつがいいと思う?」
そこでぼくはようやくセティカを振り返った。たぶん、本当に聞きたかったのはこんなことじゃない──というのは、一目で解った。解ったうえでぼくは、それには触れずに問いに答えた。
「どうだろう。ぼくも宮司さんのスケジュールは知らないし。とりあえず訪ねてみて、都合が悪かったら出直す、って感じでいいんじゃない?」
ぼくの答えにセティカは強張った表情のままで頷いた。聞いた方がいいんだろうか。いいのかもしれない。そう思ったけど聞くのが怖くて「じゃあぼくもシャワー浴びてくるね」と一方的な宣言をして逃げるようにダイニングを離れた。
とーさんとかーさんがお盆休みで家にいる間に、四人で例のショッピングモールに行った。かーさんはあちこちのショップにセティカを連れ回し「あたしの好きなショップの新作」とスワロフスキークリスタルのついたネックレスを買ったらしい。その場で身につけさせられたセティカは、ほんの少しの申し訳なさを含んだ笑顔で、それをぼくととーさんに見せてくれた。
「もったいない、と言ったのだが」
「だってこんなデザイン、若すぎてあたしには似合わないし」
セティカよりも何倍も嬉しそうなかーさんに、とーさんは苦笑いを浮かべている。
「気を悪くしたならごめんな。このひと、昔からこういうところがあるから」
かーさんに聞こえないように音量を落としてセティカにだけ言ったらしいのに、ぼくにも聞こえたし、当然のことながらかーさんにもばっちり聞かれていて、それでもかーさんは怒ることなく言った。
「だってねえ。こんなにかわいい娘を連れていたら、あれもこれも買ってあげたくなっちゃうのが母親ってもんでしょ? 祥志朗はこういうの欲しがらないし」
欲しがらないも何も、似合うはずもないじゃん。言えなかったけど。それからも「見るだけだから」と言い残し、かーさんはセティカを連れて行ってしまった。「とても付き合いきれない」と呆れたようにとーさんが呟いて、ぼくをフードコートに誘った。お茶を飲みながらふたりを待つことに決めたらしかった。同じテーブルについて、特に喋ることもないからスマートフォンでゲームをやっていると、里村からのメッセージを受信した。
『これどう?』
一緒に送られてきた写真には、セティカのフィギュアが映っている。この前見せてもらったものより完成度が上がっていて、普通に売り物みたいだった。
『セティカさんに、展示してもいいか聞いてみてくれない?』
この前、微妙な空気になってしまったことにはまったく触れない里村は、ぼくなんかよりずっとおとなだ。ぼくは「りょうかい」のスタンプだけ返して、ゲームを再開しようとしたら、さらにメッセージが届いた。
『花火やらない?』
唐突な誘いに驚いていると、さらにメッセージが来る。
『うちの近くの公園、花火OKなんだよ』
そんな公園あるのか。初めて聞いた。ぼくの手が止まったことに気が付いたとーさんが、さりげなさを装って聞いてきた。
「どうかしたか?」
「あー、うん、友だちが花火しないか、って」
近くの公園が花火OKなんだって、と言い添える。
「珍しいね、今どき。どこの公園?」
とーさんの言葉をそっくりそのまま送ったら、マップが共有された。それをとーさんに見せた。
「へえ、ここか。確かに周りは建売住宅が多いし、そういう要望があったんだろうね。行くのかい?」
どうしよう。きっと里村はセティカも誘えって言うだろうし。
『セティカさんと一緒にどう? セティカさん、花火したことないでしょ?』
心を読まれたみたいなメッセージが届いて、そういえば里村と、夏の遊びってなんだろう、って話をしたな。里村はそれを覚えていて、セティカに気を遣って誘ってくれたのかも。
「あとでセティカにも聞いてみる」
それだけ返すと里村から『よろー』ってスタンプが返ってきた。ぼくはそれに「OK」マークをつけて、それからゲームを再開しようとしたらとーさんに聞かれた。
「どういう友だち?」
「美術部で一緒で。たまに一緒に勉強したり」
「もし行くなら、日時はちゃんと知らせるんだよ」
「もちろん」
ちらっととーさんの顔を見たら、まだ何か言いたそうだったけど、気が付かないふりをしてゲームを再開した。両手に紙袋を下げたかーさんがセティカと一緒に戻ったのは、それから二時間も経ってからで、ランチのピークも過ぎようとしていた頃だった。かーさんはいつもこうなので、とーさんもぼくも慣れっこだ。それからイタリアンのお店に移ってピザとパスタを三種類ずつ選べるランチセットをみんなでシェアして食べて、食品売り場で夕飯の買い出しをして家に帰った。材料を見て手巻き寿司だってことは解ったけど、いざ食材が並べられたテーブルを見たセティカは「好みの食材を選び、手ずから巻いて食べるなど、なんと面白い文化だ」と、心から驚いたように言った。




