24
暑さを避けて早朝の朝ん歩から帰ってくると、セティカがリビングに佇んでいた。何をしているのかとそっと様子を伺ってみれば、どうやら棚に飾られたキュウリの馬とナスの牛を見ているようだった。
「儂の国にはこういった風習はないからな」
ぼくが近くにいることにとっくに気が付いていたらしいセティカは、そう言いながら振り返った。
「おかえりー。今日も暑い?」
対面式になっているキッチンからかーさんに聞かれて、うん、と頷く。かーさんはそのまま、朝ごはんの支度を続ける。顔を洗ったとーさんもリビングに来て、ぼくにこそっと耳打ちした。
「祥志朗が話したのかい?」
厳密には──話してはいない。でも話したのと同じだ。頷いて問い返す。
「……話さない方がよかった?」
とーさんは何も言わずにぼくの肩をぽんぽん、とした。
それから四人でいつも通りに朝食を終えて、精霊馬とせいちゃんの話をした。
せいちゃん、というのは、ぼくの姉だ。とはいってもぼくが生まれる前に亡くなってしまったので、ねーさんがいた、というよりは、そういうことがあったんだ、という受け止めになっている。リビングの片隅にはこの棚──お仏壇があって、せいちゃんの誕生日にはいつもよりちょっと特別なお供えが置かれて、お盆の時期にはキュウリの馬とナスの牛が飾られて──物心ついたころにはこれが当たり前だったから、特に深く考えたこともなかった。ねーさんの名前は、聖花、という。
「せーちゃんがうちに来て、たぶん無意識にせーちゃんをせいちゃんと重ねてたんだろうな」
朝ごはんのあと、リビングでコーヒーを飲みながらとーさんが言った。セティカは静かにとーさんの話を聞いている。
「もし気を悪くしたのなら、ごめんな?」
そこでセティカはしっかりと「そんなことを感じたこともない。儂はとーさんとかーさんに、とてもよくしてもらっている」と一息に言った。とーさんとかーさんは顔を見合わせ、嬉しそうに笑う。
「そうそう、それ。せーちゃんはあたしたちを『とーさん』『かーさん』って呼んでくれるでしょ? だからもしせいちゃんがいたら、こんな風だったのかーなんて想像してね。せーちゃんをせいちゃんの代わりにしたかった訳じゃないってことだけは、覚えておいてね?」
「もちろんだ。むしろ儂が、とーさんとかーさんと、それからしょーしろぉにとって大事な『せいちゃん』の代わりになどなれるはずもないのだから」
「せーちゃんはまじめだなあ、な、せいちゃん?」
とーさんがおどけてそんなことを言った。もしねーさんがいたら、それはそれで大変だったかもしれないし、むしろ楽しかったかもしれない。特に、同年代の同性に、近しい友人など持たないセティカにとっては。
「九時には出るからね」
マグカップを洗いながら言ってきたかーさんに「うん」と応えてリビングを出る。セティカの部屋の前でセティカを呼び止めた。気になっていたけど聞けずにいたことを聞いた。
「迷惑だったんじゃない?」
セティカは首を振った。
「まさか」
今日はこのあとおばあちゃんのところを訪ね、おばあちゃんを連れてお墓参りに行き、おばあちゃんを送り届け、ばんごはんは外で済ませて帰ってくる予定だ。ぼくたち家族にとっては毎年当たり前にしていることで、だけどセティカにとっては当たり前じゃない。それを解っていたからだろうけど、セティカに今日の予定を話した時のとーさんは、驚くほど神妙な顔つきをしていたっけ。
「とーさんの話を聞いて、思ったのだ。この機会を逃せば、儂はもう二度とこういった経験をすることもないのだろうな、と。それに──」
そこでセティカはちょっとぼくに身を寄せ、耳元でぽそっと言った。
「神隠しの池」
──かみかくしのいけ。
「おばあちゃんの口から、あの池の話を聞いてみたいと思っている」
どうして? 尋ねるとセティカは口を開こうとして──
「どうかしたか?」
とーさんの声にはっとした様子で口を閉じてしまった。セティカはぼくに目配せをして、だからぼくも目だけで返事をした。それからとーさんに向かって「なんでもないよ」と返して、そそくさと自分の部屋に逃げるように入った。出かけると言っても日帰りだしとーさんとかーさんがいるからお小遣いも要らないし。でも万が一のためにお財布とスマートフォンは持たなくちゃだから、いつものボディーバッグにハンカチとティッシュと財布とモバイルバッテリーを詰め込んだ。バッグを手にリビングに戻ると柴三郎さんにベストを着せ掛けながらとーさんが言った。
「お出かけバッグ、頼んでいい?」
「解った」
そのまま玄関へ。お出かけバッグの中身を確認しているとセティカが声をかけてきた。
「儂に手伝えることは?」
「あー、っと、かーさんに聞いて。こっちは大丈夫」
軽やかな足音、続けて「何か手伝えることは?」と尋ねる声、それに応じるかーさんの声を聞きながら、ふと、思う。
セティカがこの世界に現れて、そしてこういう「何でもない毎日」がちょっとずつ重なって、日常になって──ずっと続くのかと思ったのにな。いるのかいないのか解んないけど、もしいるなら、神様。
あなたを少しだけ、恨んでもいいでしょうか。
とーさんの運転でおばあちゃんの住むサポート付き住宅へ向かう。車内ではとーさんが好きな音楽が流れていて。助手席に座ったぼくは半分眠っていた。夢現に、セティカとかーさんの楽しそうな話し声を聞いていた。セティカのおしゃべりの相手はかーさんで、どこにそんなに話題があるのだろうと不思議に思うほど、ふたりのおしゃべりは止まる気配がなかった。途中、柴三郎さんの休憩のためにコンビニに立ち寄る。後部座席の戒めから解かれた柴三郎さんはぴょんと身軽に車を降りたものの、用心深げに辺りの様子を伺いながら駐車場の隅っこをうろうろする。セティカはそんな柴三郎さんに黙って付き合っていた。
サポート付き住宅に着いて、ぼくはとーさんと一緒におばあちゃんを迎えに行った。
「しょうちゃん! また大きくなったんじゃないの?」
おばあちゃんはぼくを見るなりそう言って、ぼくの手を取る。おばあちゃんの手を握り返しながら「まあね」と応えた。
「少し痩せた?」
とーさんに聞かれておばあちゃんは「まあねえ、ひどくならなかっただけでもありがたいことだよ」と応じた。梅雨に入った頃におばあちゃんは体調を崩し、一時は入院が必要では──という状態にまで悪化したんだけど、施設の方のサポートもあって回復して、だけど少し食が細くなったのだと言っていた。おばあちゃんの部屋に置いてあるビデオ通話用のカメラ越しではあんまり感じなかったけど、確かにおばあちゃんは、今年のお正月に会った時よりも一回り小さくなったように見えた。
「しょうちゃんが大きくなってるのよ」
そういっておばあちゃんは笑う。おばあちゃんと手を繋いだままでゆったりとした歩調で駐車場まで行くと、柴三郎さんが真っ先にぼくたちを見つけた。それに気が付いたセティカが、最後にかーさんがぼくたちを見つけて小さく会釈をする。柴三郎さんはおばあちゃんが大好きで、だからセティカの制止も聞かず、セティカごとリードを引っ張っておばあちゃんに近づいてきた。おばあちゃんはぼくの手を離して腰を屈め、柴三郎さんを胸に迎えた。
「柴三郎も元気そうだね。よかったよかった」
どうして柴三郎さんがこんなにおばあちゃんを好きなのか、その理由は家族の誰も知らない。柴三郎さんはおばあちゃんが、当時元気だったおじいちゃんと一緒にサポート付き住宅に移ってから我が家にやってきて、だからたまにしか顔を合わせていないのに。もしかしたらおばあちゃんも何らかの魔術の使い手だったりして。自分で自分の想像がおかしくてちょっと笑った。
「こちらのお嬢さんが?」
ひとしきり柴三郎さんを撫で回した後で、膝をついた姿勢のままでおばあちゃんがセティカに声をかける。
「セアルセティカ・イクス・マーロンと言います。皆さんからは親愛を込めて『せーちゃん』と呼ばれています」
その口調にぎょっとした。でもそんな反応をしたのはぼくだけで、傍にいるとーさんも、向こうから近寄ってきたかーさんも気にする素振りも見せない。
「そう、せーちゃん。素敵ね」
立ち上がったおばあちゃんはにっこりして、リードを握ったままのセティカの手を両手で包んだ。セティカが少し照れたような表情で、はい、と頷いている。
「あなたの国でも、お盆のような習慣はあるの?」
セティカの手を解放したおばあちゃんは、あらためてぼくの手を掴むとゆったりとした歩調で車に向かいつつ、セティカに尋ねた。
「いいえ。ですから精霊馬には驚きました」
「ふふ。そうよね」
おばあちゃんは楽しそうだ。車に乗り込むまで、それから車に乗り込んで墓地に向かうまでの間も、おばあちゃんからのセティカへの質問攻めは止まず、セティカはそのひとつひとつに誠実に答えていた。




