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部屋の真ん中に座ったぼくのそばにセティカも座った。手には例のノートを持っていた。文字はやっぱり読めない。セティカはまず、グラフを見せてくれた。
「儂の予想よりも、魔力の減少幅は大きいようでな」
先日セティカが予測して打った点より低めの個所に点が打たれている。日付は昨日だ。
「今日はこの辺り、思った通り上昇に転じてはいる。だが谷が予測よりも低かった分、上昇も少ない気がするな。次の新月でどこまで戻るか、やや心もとない」
声の調子も弱々しく感じられて心配になる。だけど──聞かなくちゃ。
「あのさ。暗黒魔術について詳しく聞いても解んないけど、転移術について、何か掴んだの?」
セティカは軽く頷きかけて、思い直したように首を左右にした。どっちだ。
「あちらの世界ではこちらの世界ほど天文学が進んでいないし、天体の数や位置も異なるだろうから、そっくりそのまま当てはめることはできないながら、仮説を立ててみた。暗黒魔術は引力の影響を受けているもの──と思ったのだが、だとするとこちらの世界では、新月の日と満月の日に同じことが起こらねば説明がつかぬ。次に立てた仮説は磁場だが、これも引力と同様。満月と新月の明確な違いは何かと言ったら『月光』のみだが、だがそれならば日中と夜間で顕著な差が出ねば説明がつかず、正直、お手上げだ」
お手上げ、なんて言いながらもセティカはどこか嬉しそうにも見えた。
「いずれ科学が発達すれば、魔術が解明されるときが来るのだろうと思うておったが、こちらの世界の化学に当てはめても解明できない。それこそが『魔術』だと思うと、嬉しくなった。儂が操る『暗黒魔術』は、まだまだ解明されず存在し続けるのだろう、と」
セティカの気持ちが解るような解らないような。
「──ただ、こうした形で解明できないとなると、転移術とは結局何なのか、儂の魔力では扱えぬ壮大な術なのではないかと思ってな。よくもまあこんなことで、元の世界へ戻る方法を探すなどと言ったものだ」
ぼくがもっと暗黒魔術のことを知っていたら、何か力になれたかもしれないのに。とはいえゲーム内でもただ『暗黒魔術』と称され、特に人心に影響を与える術だとしか説明されないしなあ。もっとこう具体的に何か伝えられる情報を持っていればいいのに。
「だから、考えられるとすればあとは『冥府の泉』に重要な手がかりがるのではとないかと思うのだが──どうしても詳細を思い出せず。しょーしろぉの、その、げーむとやらの記憶が薄らいでいるのと同様に、儂の、あちらの世界に関する記憶自体も薄らいでいるのではないかと思う。儂が儂自身を『覗く』ことができればよいのだが」
セティカの口から飛びだした『覗く』という言葉にはっとした。そうか、『覗く』。
「──ねえセティカ、今はセティカの魔力自体が弱まっているから、ぼくを『覗いて』も、無駄かな?」
セティカがきょとんとして、それから思案顔になった。
「暗黒魔術は、その性質上、効果を制御するのがむつかしいのだ。儂がしょーしろぉをうまく『覗け』なかったのは、しょーしろぉが儂に触れてほしくない『領域』を避けて術を施したからだ。たとえば──そうだな、特定の誰かに対しての好意のみを消し去る──といった、繊細な術を施すのであれば、暗黒魔術の効果の高い日を狙って施すが、だれかの記憶を『覗く』程度の魔術なら、儂はいつでも自在に操れたぞ、あちらの世界にいたときは」
「……ってことは、そういうことを気にせずに全力ですべてを『覗く』なら、魔術の効果がある日がどうとか、魔力の強弱とかは、関係ない、ってこと?」
「そうだな。こちらの世界に来るまで魔力そのものが弱まったことがないゆえ確かなことは言えぬが、魔力が弱まるということはすなわち魔術の効果も弱まるということだろうから、魔力の弱まっている時期には繊細な術は扱えぬということなんだろう」
なるほど。それじゃあ。
「今、セティカがそういう、考慮? 気遣い? なしで、全力でぼくを『覗いた』ら、どうなる?」
「しょーしろぉが儂に『触れてほしくない』と思っていることまで、筒抜けになろうな」
筒抜け。それってどの程度なんだろう。
「しょーしろぉ自身が意識しておらぬことまで、仔細漏らさず、ということだ」
意識していないことまで。それって、つまり。
「──ぼくの記憶から薄れかかってる、『暁の契約者』のことも?」
セティカが目を見開いた。ぼくの意図に気が付いたようだ。
「いや──だが──しかし、それは」
「──可能性は、あるんだね?」
問い詰めるとセティカが目を逸らした。そうか。解った。
「じゃあ──そうして」
「だが、それは、」
「いいから!」
セティカを遮る。
「今のぼくにできることは、少しでもセティカの力になること。ぼくのこの頭の中にそのヒントになるものが眠っているなら、それを知ることはセティカの助けになるに違いないから」
セティカはまだ、口を半分開いたままでぼくを見ていた。その瞳がちょっとだけ揺らいだみたいに見えた。
「迷ってるなら『覗いて』。ぼくのことは気にしなくていい。それから、もし変なものが見えても『見えた』って言わずにいてくれたら、それで」
それ以上セティカは何も言わなかった。一度伏せた目を元に戻して、深々と頭を下げた。
「助かる」
「うん」
応えてぼくは、ぎゅっと強く握った拳を膝の上に置いて、瞼を閉じた。心持ち顔を上げて、セティカがぼくのおでこにそのおでこをくっつけやすいようにした。微かな衣擦れの後で、セティカのおでこがぼくのおでこに触れた。ぼくの知ること──薄れかかっているあれもこれも──を全部知ったらセティカはきっと傷つくだろう。だけどセティカ自身が思い出せないのだとしたら、ぼくが教えてあげるべきで。知らずにいた方がいいこと、知らずに済んだことまでも知ってしまうことになるのは、きっと辛い。だけどセティカはそれを乗り越えるよ。だってセティカは強いし。ぼくがこうして「セティカが傷つくだろう」って考えていることまで、セティカは『覗いて』いるんだろうな。だからぼくは一心に思っていた。
ごめんね、セティカ。ごめんなさい。知りたくもないことを知らせてしまって。こんなことでしか力になれなくて、ごめんなさい。……
どれくらいの時間、セティカはぼくを『覗いて』いたんだろう。おでこに触れていた温もりが離れて、それでもぼくはしばらく、瞼を開けることができなかった。恥ずかしさもあったけど、それ以上に強かったのはセティカへの申し訳なさ、だった。
「──しょーしろぉ」
消え入るようなか細い声で、セティカがぼくの名を呼んだ。意を決して瞼を開くと、セティカははらはらと涙を流していた。ぎょっとして声も出ない。セティカははらはらと涙を流したままで、笑おうとしたようだった。だけどそれはうまくいかず、セティカの顔は不格好に歪んだだけだった。それでもやっぱり、セティカは綺麗だった。
「──セティカ、あの、その──」
おろおろしながら口を開きかけたぼくに、ようやくセティカが言った。
「……しょーしろぉが、いちばん、隠し、たかった……のは、──毒矢を仕込んだ者の名、だったのだ、な……」
途切れ途切れに吐き出された言葉に頷いた。ゲームの主人公の命を狙うため、毒矢を仕込んだのは──女婿に選ばれるべく努力を惜しまない主人公を助け励まし続けてくれた、主人公の無二の親友、ザイアム。ぼくがこの事実をセティカに隠したかったのは、セティカ自身もザイアムに信頼を寄せていたから。初めてプレイしたときにはぼくもかなりの衝撃を受けたし。だってあんなに『ぼく(主人公)』を助けてくれていたザイアムがどうして、『ぼく(主人公)』の命を狙うようなことを、って。その理由が身勝手なものだったら気持ちの収めようもあったのかもしれないけれど、ただの身勝手ではなかったからこそショックだったし、何よりザイアムが哀れで。ザイアムが毒矢を仕込んだことは、セティカが亡くなったのちに明かされる事実だから、セティカ本人には絶対に知られずに済むはずだった。ザイアムもその後自ら命を絶つのだけど、セティカに知られなかったことが唯一の救いだと言っていた。それを、ぼくは。
目の前でただ泣いているセティカを、どう慰めればいいのかも解らない。ごめん──と口を開きかけたところで、セティカがぼくにしがみついてきた。
「──謝るな。しょーしろぉは、悪く、ない。兄様も、ザイアムも、儂も、誰も。悪く──ない」
それはセティカの言う通り──なのだろう。そう思うのに気持ちをどう整理したらいいのか解らない。気が付くとぼくもまたセティカをぎゅうと抱き締めていた。あんなに甘いものをたくさん食べたはずなのにセティカはやせっぽちで頼りなくて、だけどこれからひとりで主人公を助けるためだけにあの世界に戻るのかと思ったら、それも辛い。どうにかセティカを救う方法はないだろうか。
「………………セティカ──」
──ぼくも、一緒に行けないかな。きみがもといた、あの世界へ。




