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「──────は??????」

 思わず声が出た。池の中程──誰もいなかったはずのその場所に、ぼうっと黒い影が俯き、佇んでいる。息を吸ったら、ひゅっ、と変な音が出た。黒い影が顔を上げた。長くて艶々とした黒い髪が、顔の半分くらいを覆うように乱れていたのと、少し距離があったせいで、顔つきや表情はよく見えなかったけれど、ぼくに気がついたのは間違いない。さぶさぶと大きく水音を立てながらぼくに向かって歩いてくる。柴三郎さんは警戒を解いた様子はなく、だけどむやみに吠えることもなかった。ぼくはぼくで逃げ出したいのに足が動かず、その場にじっと突っ立っていることしかできず、なにも言わずこちらに向かって歩いてくるその黒い影──っていうか正確には黒っぽい服に身を包んだ女性だった──を、ただただ見つめていた。

 池から出るとそのひとは立ち止まり、水を吸った黒い服の裾をつかんでぎゅうっと絞った。ぼたぼたと水が落ちる。それからさも鬱陶しげに黒い長い髪を掻き上げ──その隙間から見えた顔に、ぼくの心臓は止まった。

「──セティ……カ──?」

 その顔は、ぼくの推しそっくりそのまま、だった。もしかしてレイヤーさんってやつだろうか。でもレイヤーさんがどうしてこんなところに? 撮影とかいうやつ? こんななにもない小さな町の神社で? ああでもそうか、身近に水回りがある場所なんてそうそうないか。じゃあどこかに撮影のひとがいる? でもそんなひと見かけなかった。自撮りって可能性もなくはない、けど、見える範囲に三脚やカメラはなかった。えっどういうこと??? 考えているうちに、そのひとは柴三郎さんに歩み寄るとひざまづき、柴三郎さんに向かってなにかを言った。そう、確かになにかを言った。まるで柴三郎さんと意思の疎通ができると判断したかのように、ふつうに当たり前に、柴三郎さんに話しかけたように見えた。柴三郎さんは柴三郎さんで小さく、あおん、と応えた。意思の疎通ができたかどうかは定かではないけれど。そのひとは首を傾げるとまたぼくを見た。心臓がどくんと跳ね上がったような感じがした。ゆっくりとその口が動いて、そこから聞いたことのない音が発せられた。外国語っぽいけど、どこの国の言葉なのかも解らず戸惑っていると、どうやらそのひとが小さく咳払いをする音がして、直後目の前で、空気の塊──見えないシャボン玉が弾けたような感触がした。

「はっ?? なに?」

 思わず声が出て、慌てて口を噤む。視線を上げると淡いグリーンの瞳があった。それもセティカと同じだ。カラコンかな。じっと見入ってしまたことにはっとしてあらためてその顔を見ると、うっすらとぼくに微笑みかけてくれていることに気がついて、今度は頬がかあっと熱くなった。

「そなたはこのあたりに住まうものか?」

 なんてことだ。声まで推し──セティカとそっくり同じだなんて! 質問されたことも忘れてぼくは思わず、こう返していた。

「え、地声ですかそれ、佐々倉丸佳にそっくりって言われません?」

 そのひとはきょとんとした。

「ササクラ──マドカ?」

「若手実力ナンバーワンの人気声優ですよ!」

「人気、声優──」

「ですです、彼女と言えば今あなたがやってる『セアルセティカ・イクス・マーロン』なのに、まさか知らずにコスプレしてるんですか???」

 一息に捲し立ててるとそのひとは怪訝そうに眉間に皺を寄せた。初対面なのに興奮のあまり変なことを口走ってしまったことに気がついて、今度はさっと目の前が暗くなった気がした。

「済まぬが小僧、儂の問いに答えてはくれまいか?」

 口調もセティカを再現するとか、なりきり度が高すぎる。とりあえず怒っているようではないことにほっとして、ぼくはようやくそのひとの最初の質問に「はい」と答えた。

「ふむ」

 そのひとは腕を組み瞼を閉じ、じっと考えているようだ。その間ぼくは失礼かなとは思いつつも、そのひとをじっくりと観察していた。髪は艶のある黒髪。輪郭は卵形のお手本みたい。白皙の肌──って、こんなに白いのか。頬の辺りがほんのり桜色に色づいていて、まるでおばあちゃんが宝物だと大事にしていた西洋人形みたいだ。鼻は小さく顔の真ん中に収まっていて、すっと筋が通っていて。唇は少し薄くて、それがまたセティカの聡明さを表しているよう。

 黒くシンプルな服も、セティカが日常的に着ている服の再現なんだろう。胸元には五百円玉くらいの濃い紫の石がぶら下がっていて、イミテーションだとしてもこんなに大きな宝石を用意するのは簡単なことじゃないだろうと思った。装飾も公式設定資料集とよく似ていて、気合いの入れように頭がくらくらした。このひとは本気でセティカのコスプレに入れ込んでいるに違いない──。

 長い沈黙のあとで、ふさふさの睫が小刻みに震え、それからぱっと目が開いた。やや切れ長でアーモンドみたいな形が、やっぱり人形みたいだった。

「ふむ。解らぬことだらけじゃ。けったいな」

 何が解らないというんだろう? 彼女がじっとぼくを見た。

「儂は小僧を知らぬが、小僧は儂を知っているようだな?」

 儂──って要するにセティカのこと、だよね? このひとのなりきり具合が少し怖くなってきた。もしかしてヤバいひとだったり、する? 『セティカ』がにっこりした。ぼくの警戒を解くための作り笑顔だってことは解ったけど、それでもその笑顔は完璧だった。そのまま『セティカ』はぼくの両肩をがっしりと掴んだ。

「少し覗かせてもらおう」

 『セティカ』の言葉にぎくっと身体が強張る。そのまま『セティカ』は強引にぼくの額に、彼女の額をくっつけた。

 ぼくの知るセティカは──中高生に人気のゲーム『暁の後継者』に登場するキャラクターだ。ゲームの主人公の目的はライバルを蹴落とし国王に気に入られ、第一王女と結婚して次期国王になること。とはいえ、マルチエンディングシステムだから、攻略対象は第一王女にとどまらず、第二王女や近衛軍に属する兵士、王女付きの侍女、幼馴染の女の子、歴史研究家や旅の商人などなど多彩な顔触れで、全エンディング解放を目指すのが楽しみのひとつでもある。

 セティカのゲームでの立ち位置は、主人公の義理の妹で、暗黒魔術と呼ばれる魔術の使い手。心から兄を慕い兄への協力は惜しまない。攻略対象外。

 そう。

 セティカは、作中では、一、二を争う美貌の持ち主なのに、主に偏見から忌避されがちな『暗黒魔術の使い手』という役割とヘンな言葉遣いと人嫌いという属性を与えられた、攻略対象外キャラクターなのだ。ストーリー序盤で登場するセティカは当初から「攻略対象外」であることが公表された数少ないキャラクターのひとりで、それを残念がるプレイヤーは数え切れない。『暁の後継者』では、攻略対象かどうかが公表されていないキャラクターが大半で、いわゆる「隠しルート」がたくさんあって、それを解放するのも楽しみのひとつではあるんだけど、セティカについてはその「隠しルート」すら存在しない。セティカは主人公が「大好きすぎる」から、攻略対象にしたところで簡単すぎて面白みには欠けるだろう。でもだからこそ、セティカは人気があるんだと思う。血の繋がりはないとは言え「主人公の妹」という確固たる立場にあって、いついかなるときも主人公の味方。セティカが攻略対象ならよかったのに、と思うこともあるけれど、やっぱり攻略対象じゃなくてよかった、とも思う。だって攻略対象だったらいついかなるときも「主人公(=自分)の味方」では、いてくれないだろうから。

「小僧!!」

 『セティカ』が突然叫んだ。

「そなたは何故に儂と兄様の事情に通じておるのだっ⁈」

 事情……? 事情って。ただゲームのことを考えていただけだけど。戸惑いながらそう考えたときには。

「ゲーム……と、な?」

 『セティカ』がそう応じていた。えっと、ぼく今、声に出したっけ?

「出してはおらぬ。儂が『覗いている』」

 そこでぼくの思考は止まった。でも一瞬後にはもう次のことを考えていた。覗いている? それってゲームのまんまじゃん。え、どういうこと? この『セティカ』はまるでゲームのセティカみたいに、ひとの思考を覗くことができる、ってこと? サイキックじゃん。そこまで考えたところで彼女が額を離した。彼女は疑わしい目つきでぼくを見ている。

「先ほどからごちゃごちゃと訳の解らぬことを。妙に馴れ馴れしい小僧だとは思うておったのだ、儂のことを『セティカ』と呼ぶなど——儂がそれを許したのはこの世にただひとり、兄様だけだというに——!! まさかほかの王婿候補の差し金? かような小僧が?」

 『セティカ』の目つきがどんどん険しくなってくる。ぼくの両肩を掴む手にも次第に力が籠ってきて、ぼくは身体をよじってどうにかその手から逃れた。

「小僧!!」

 『セティカ』がくわっと目を見開く。怖いし逃げたい。だって普通じゃない。コスプレもなりきりも構わないけど、関係のない第三者ぼくを巻き込んでこんなこと。そこで柴三郎さんが「あおんあおん」と二声吠えた。『セティカ』がはっとしたように柴三郎さんに視線を向けた。ぼくも柴三郎さんを見ていた。ふたりとも落ち着きなさい、と言われた気がした。

「すまぬ、小僧。あまりにも訳が解らぬことばかりゆえ、少々、気が立ってしまった」

 『セティカ』はさっきまでとは打って変わって、落ち着いた口調で言うとじっとぼくを見つめてきた。その真剣なまなざしに心臓が勝手にどきどきしはじめる。

「おぬしの言う、その『暁の後継者』というゲーム? について、詳しく聞かせてもらえないだろうか?」

 心臓のどきどきを落ち着かせるように呼吸を整えて、ぼくは考えた。——それはまあ、いいんだけど。ポケットに突っ込んであったスマートフォンを取り出してディスプレイの時計を見る。家を出てから二時間近く経っていた。いくら土曜の朝んぽだとしても、いい加減に帰らないとかーさんがうるさい。まるでどこかでタイミングを計ったかのように、かーさんからメッセージが届く。

『どこで迷子になってる?』

 正直に返そうかどうかちょっと迷って、迷子のくだりはスルーして「もうすぐ帰る」とだけ返した。

「あの、そろそろ帰らないと親がうるさいから——、とりあえず、行くとこないなら、ぼくん家に行きませんか?」

 ぼくの言葉を後押しするように「あおん」と柴三郎さんも吠えた。戸惑いながらも頷いた『セティカ』と一緒に、ぼくは家路を辿った。

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