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推しが現世に転生したのでぼくが全力で幸せにします  作者: おぐらあん


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 夏休みになって、最初の一週間はあっという間に過ぎていた。

 セティカは宣言通り天文部に入部したとのことで、毎日のように夏合宿の打ち合わせと称して出かけていて、結局約束のチーズケーキを食べには行けていない。借りてきた本の内容はとっくにまとめ終わったらしいのに、高校の部活というのはそんなに忙しいものなのだろうか。中学とはえらい違いだ。

セティカがそんなふうに忙しそうに過ごしている間、ぼくはエアコンの効いた涼しい部屋で宿題をして、それからセティカの絵を描いた。例の髪飾りのついた絵はとっくに完成して、今度はタブレットを使って図書館で見たセティカの横顔を描いていた。セティカは午前中に出かけ午後すぐには帰ってくることもあれば、午後から出かけて夕飯のころにようやく帰ってくることもある。

 今日は出かける前に、いつもより少し遅くなりそうだから、儂を待たずに夕飯を食べていてほしい──と言い置いて出かけていた。そしてその言葉通り、セティカが帰ってきたのは夜の八時近かった。びっくりするほど遅い時間ではないとはいえ、部活ということで出かけているにしてはさすがに遅いのでは──と、ひとり遅れて夕飯の五目素麵を食べるセティカにとーさんが事情を聞き出した。気になったからぼくもダイニングの自分の椅子に座った。素麺を食べる手を止めたセティカが、とーさんとかーさんの顔を代わりばんこに見てから、一息ついて話し出す。部活の先輩の紹介で、ドラッグストアで品出しやら清掃やらのアルバイトをしているのだ、と。

 セティカがバイト? 自分の時間をそんなことに遣うなんて、セティカらしくなくてびっくりした。とーさんとかーさんはぼくとは違う意味で驚いたらしいけど。

「それは一言相談してほしかったなあ。ホストファミリーとして大事なお子さんを預かっている手前、知らなかったでは責任が取れないだろう?」

 渋い顔をするとーさんの前でセティカはしゅんとした。それもなんだかセティカらしくない。

「申し訳ない。夏合宿の費用のために、そうするのが恒例だそうで。そのドラッグストアの店長さんの知り合いが天文部のОGで、もう何年もそうしているのだとか。部員二三人で一緒に働くようにしているし、危険なことは何もないので、それは信じてほしい」

 セティカの説明を聞いてもとーさんの表情は渋いままだ。かーさんが苦笑いを浮かべつつ言った。

「セティカの話も解るよ。そのドラッグストアも間違いのないところなんでしょ。でも、とーさんがひっかかってるのは、そういうところじゃないの。要するにせーちゃんは、うちの大事な娘なんだから、そういう大事なことは事前に話してほしかったな、ってこと」

 かーさんの言葉にセティカはますますしゅんとした。

「せーちゃんってちょっと秘密主義なのかしら? バイトだってなんだって、せーちゃんが『こうしたい』って思うことを頭ごなしに反対するようなことはないから、もうちょっと信頼してほしい、かな?」

「……これからはできるだけ、そうするようにします」

 セティカの返事にやっととーさんの表情も和らいだ。ぼくはぼくで、今度はセティカの言葉遣いに驚いていた。今まで丁寧語なんて聞いた覚えがなかった。ゲーム内では──確かお師匠にはたまに丁寧語だったっけか。よく覚えて──そこまで思ってはっとした。やっぱりだ。ぼくがセティカに関することを「よく覚えていない」って思うなんて、変だ。絶対に。

「さっきから難しい顔して、どうかしたのか?」

 とーさんに聞かれて、ぼくは慌てて首を振った。

「そうか? せーちゃんが黙ってバイトしてたのがショックだったか?」

 またそういう揶揄うようなことをいう。実際ぼくにも話してくれてなかったことはショックはショックだったけど、今はそれよりもっと重要なことがある。セティカにも何か変化が起こっているんじゃないのか、それが気になる。あとでちゃんと聞いてみないと。セティカはとーさんとかーさんと話をしたことでほっとしたのか、食事を再開していた。最初は覚束なかったお箸も今ではかなり使いこなせるようになっていた。セティカ専用、すべらない箸を使ってるとはいっても、かなりの上達ぶりだと思う。

「この甘辛いキノコ──シイタケ、と言ったか?」

 セティカの話した内容を理解するのに少し時間がかかった。たぶんセティカはぼくに尋ねたのだろうけど、返事をしたのはかーさんが先だった。

「そうよ。味が染みてておいしいでしょ? かーさんの母さんの味付け」

 かーさんはさも嬉しそうに答えて、セティカの目元がちょっとだけ曇る。

「儂の国では、母親が手ずから料理をこさえることは稀でな。儂の母も例に漏れず一切の料理は料理人に任せきりだった。かーさんの母さんの母さんもまた、こんなふうに甘辛いシイタケを煮たのだろうか?」

「どうかしらね? 昔は嫁いだ家の味付けを覚えるのが嫁の役目だったみたいだから、かーさんの父さんの母さんの味──かな? なんだかややこしいね」

 かーさんが笑って、それにつられたようにセティカも笑った。いつもと変わらないセティカがそこにいるはずなのに、全然知らないきれいなお姉さんが笑っているみたいだった。


 セティカの部屋のドアをノックすると、すぐに返事が聞こえた。ドアを開ける前に「入っていい?」と聞くと、少しの間を置いてドアが開いた。

「どうしたしょーしろぉ。入ってくればよいではないか?」

 ああ、うん──返事を濁してセティカの部屋にお邪魔する。セティカが来てから新調したシンプルで小さめのデスクセットが窓際に置かれ、部屋の隅には布団が畳まれ重ねてあった。ぼくが見たことのない棚がひとつ増えていた。聞けば教科書やこまごましたものを整理するために買い足されたとのことで、胸の高さの棚に、白いハンカチとその上にあのペンダントが置いてあった。そうだよ。このペンダント。これが答えだったのに。どうしてぼくは最初に気が付かなかったんだ。目の前に現れたセティカがあまりにも『推しのセティカ』そのもので、ただのコスプレイヤーだと思い込んでしまったせいかもしれない。

「これ、いつもここに置きっぱなしなの?」

「まさか。出かけるときはその白い布で丁寧に包んで、鞄に忍ばせておる」

 いつでも目に留まるようにしておきたいから──そう付け加えたセティカは柔らかな眼差しでひとしきりペンダントを眺めてから、はっとしたようにぼくを見た。

「用があるのではないのか?」

 うん。あるよ。あるんだけど。どうやって切り出すか考えてるんだよね。黙ったままのぼくに、セティカが言った。

「座ったらどうだ?」

「ああ──そだね」

 素直に床に腰を下ろす。セティカも同じように床に座った。なかなか口を開けないぼくを、セティカは辛抱強く待ってくれた。──よし。

「あの、さ? 何か変わったこと、ない?」

 セティカの表情は変わらなかった。むしろその問いを予期していたようにさえ思った。

「しょーしろぉにもなにか変わりがある──ということか?」

 逆に問われて素直にうんと頷いた。

「前はもっと、セティカのことをいろいろ知ってた気がするんだけど、この頃『よく解らない』と感じることが、増えた気がして」

 正直に話した。セティカの表情がやや深刻さを増したように見える。セティカは立ち上がると、デスクセットからノートとペンを持ってきて、ノートを床に広げた。ノートの半分は見たことのない文字でびっしり埋まり、その半分にはグラフのような図が描いてある。縦軸と横軸、と、緩やかに上下に波打つ曲線。最大値が起点にあって緩やかに下降して、ある時を境にまた上昇して下降して──と、規則的ではあるようだけど、この規則に従っていけばやがて、曲線は最小値で収束するような印象だった。

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