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朝ん歩から帰って朝ごはんを食べて、今日はどこに行こうかとタブレットのマップアプリを眺めていた。暑いから長い時間歩きたくない——となると、最寄り駅の近く、もしくは、乗り換えなしで行ける大きめの駅か。いっそのことバスで行けるところでもいいのかもしれない。セティカが転生してから今まで食べた甘いものを頭の中に並べて、まだ食べていないもので口コミもいいところとなると、なかなかに難しい。
「しょーしろぉ」
セティカに呼ばれて振り向く。
「図書館に行きたいのだが、だいぶ遠いだろうか?」
「図書館?」
尋ねるとセティカが頷く。
「そこに行けばたくさんの本があると聞いた。学校の図書室もなかなかの蔵書数だが、図書館はもっと多いのだろう?」
セティカが通っている学校の図書室の規模が解らないからなんとも言えないけど、たぶん学校の図書館よりは多くの蔵書はあるだろう。となると。
「中央図書館でいいかな……」
「中央図書館?」
今度はセティカがぼくに尋ねた。頷く。
「学校の図書館より確実にたくさんの本があるのは中央図書館だけだと思うよ。ぼくも行ったことないけど。今調べるからちょっと待って……」
マップアプリで検索する。最寄り駅から電車で八分、西塚駅前から文化会館行のバスに乗って十六分、中央図書館前のバス停を降りて徒歩三分。近いと言えば近いしちょっと行きづらいと言えば行きづらい。西塚駅なんて、なんかあったかなあ——そんなことを考えながら駅周辺を拡大してみる。ぼくが知らないだけで評判のいいカフェやパン屋があった。当たり前か。そこにもちゃんと生活しているひとがいるんだもの。
「開館が九時三十分からだって。すぐ出かける?」
市の公式サイトで調べた時間を告げるとセティカは「そうしよう」と頷いた。ぼくはタブレットを充電スペースに戻すとソファで寛ぐとーさんを見た。とーさんもぼくを見ていた。言いたいことはすぐに解ったらしい。
「……遊びに行くんじゃないから、いいでしょ?」
とーさんはやれやれ、という顔をして、立ち上がるとリビングを離れた。かと思うと手に財布を握って戻ってきた。
「とーさんももうこれ以上は出せないぞ~」
とか言いながらも五千円札を握らせてくれた。
「これだけあれば充分だよ、ありがとう」
充電スペースから、今度はスマートフォンを手に取るとボディバッグにハンカチやらICカードやらお財布やらを詰める。セティカも準備が出来たのか、玄関で靴を履いて座っていた。
「ではしょーしろぉ、案内を頼む」
「うん」
リビングに向かってセティカと声を揃えて「行ってきます」と言ってから、ぼくたちは玄関を出た。
エントランスを出ると太陽はぎらぎらとアスファルトを照り付けている。セティカはかーさんに買ってもらったという日傘がいたく気に入ったようで、今日もエントランスを出るなりぱっと日傘を広げた。
「セティカの魔術でどうにか出来ないの、この暑さ?」
そうぼやくとセティカはさらっと言った。
「この国が滅んでも構わぬというなら試してみないこともないが?」
国が滅ぶ? 大げさな。
「そうか? しょーしろぉが考えた『設定』がいかに世界に影響したのか——を考えれば、なくはない話だと思うがな」
セティカがそう言うならそうなのかもしれない、なんて考えをあらためるぼくは単純だ。
「えってことは、魔術は全然使ってないの?」
セティカの返事はない。ちらっと隣のセティカを見れば、セティカはじいっと真っ直ぐに前を見ていた。
「セティカ?」
呼ばれて仕方なく、といった感じでセティカはぼくに顔を向けた。じっとぼくを見ているようで、ちっとも視線が合わない。
「……何に使ったのさ?」
真っ先に思い浮かんだのは、セティカが来たばかりの頃、ショップのお姉さんに使ったあれだ。
「大したことではない。授業で当てられぬようにするとか、そんな程度だ」
ずるじゃん。反射的に出た言葉に、セティカが不機嫌そうに眉間に皺を寄せる。
「元来儂は人前に出るのは好かん。何故に儂が大勢の前で解を発表させられたり英文を読まされたりせねばならぬ。そのようなことをせずとも儂は理解しておるというに」
いやだってそれは授業だし。
「体育の授業など、おぞましくておぞましくて」
「魔術を使ってずる休みしてるんだ、体育?」
「人聞きの悪いことを言うでない。目立たぬようにしておるだけだ」
どうだか。嫌いなことは要領よく避けるのがセティカだもんね、納得はするけど。そんな話をしているうちに駅に着いた。下り電車で西塚駅まで移動して、さらにバスで図書館前まで。バスを降りたらすぐ、道路の向こうに大きな建物が見えて、それが目的の中央図書館だった。徒歩三分、というのは、ぐるっと大回りして横断歩道を渡らなければならないからで、もし道路を突っ切ってよければ、三分もかからないだろう。一階に金融機関の支店とコンビニ、二階は市役所の出張所になっていて、三階から六階までが図書館、七階は催事スペースになっていた。エレベーターで三階に行くと、すぐにセティカはホールに掲げられた案内図を見た。隣に立つとセティカが小さく「天文関連は五階か」と呟いたのが聞こえた。
「天文?」
問うとセティカはうん、と応じた。
「天文部に入部するつもりだ。ここには天文関連の本が潤沢にあると先輩に教わったのだ」
天文部。まったくイメージが湧かない。何をする部活なんだろう?
「夏休みには天体観測をするそうだ。学校祭ではプラネタリウムを展示するのだと聞いた。そのほかには特に目立った活動をするわけではないそうだが、だからこそ、この世界について知るためにもっとも役に立つだろうと思うてな」
セティカはひそひそとそう言って、案内図で見つけた階段に向かって歩き始めた。慌てて後を追う。
「この世界について知るため、って、どうして?」
「儂が得意とする暗黒魔術は、闇の力に大きな影響を受ける魔術だ。闇が濃ければ濃いほど、深ければ深いほど、力が強まる」
そんなの知ってる。
「特に大きく影響するのは月の明かり。月が真円を描く夜には、暗黒魔術の効力は弱まってしまう。だからこそ儂は、月が真円を描く夜が恐ろしかった。儂の魔術をもってしても兄様を守れないかもしれないから」
セティカの口から飛び出した「兄様」という単語にどきっとした。
「儂の国では、月は満ち欠けを繰り返すのは大いなる神の御業──とされているが、この国ではそうではないと知って、興味が沸いた。その仕組みをもっと知りたいと思うてな」
セティカの話を聞いている間に目的の階に着いていた。セティカは案内図で場所を確かめると迷わず天文関連の本が並ぶ書架へと辿り着いた。セティカは真剣な眼差しで本を引き抜いてはパラパラと中身を確かめ腕に抱え、また次の本を手に取り内容を見て、といった具合に、あっという間に三冊の本を選び取った。さらにやや大型の図鑑を手に取ったので、手を差し出しながら言った。
「重いでしょ、手伝うよ、運ぶの」
「すまぬ」
書架の合間に設けられた閲覧コーナーのデスクセットに座り、セティカは鞄からノートとペンを取り出した。これはマジで勉強するやつだ。持っていた図鑑を邪魔にならないように机に置く。セティカはすでに本に集中していて、だからぼくはなにも告げずにその場を離れた。図書館まで来たついでだから、画集とか見て時間を潰してこよう。案内図のところに戻って場所を確かめると、美術関連の本は四階だった。階段を降りて四階に向かい、画集が並ぶ書架を見つけて、気になった画集を手に取り開く。さすがに立ったままで眺めるのは重くてしんどいので、近くに据えてあったボックス型の椅子に腰かける。目は絵を見てはいるけれど、頭の中ではさっきのセティカの言葉がぐるぐるしていた。もうこっちの世界で生きていくんだから、暗黒魔術のことなんて忘れちゃえば──いや、違う。セティカが「覚えていること」を望んでいるんだから、それを受け入れようって決めたばかりなのに。セティカがとっととあの世界のことを忘れてしまうことを期待している。
「……最悪だ」
小さな呟きが零れて落ちる。零れて落ちてしまったら、さらにそれに追い詰められて、息苦しさを覚えた。ぼくは意識してゆっくり長く息を吐き出して、肺を空っぽにしてから新しい空気を吸った。目は変わらず画集に注ぎながら、今度は暗黒魔術のことを考えていた。
セティカのいた世界──『暁の契約者』というゲーム世界には、大の月と小の月、ふたつの月があった。ゲーム内では、そのふたつの月についての天文学的な解釈が語られることがなく、ただ事実として「月がふたつある」こと、その月の満ち欠けが暗黒魔術に影響を与えることは語られていた。月が隠れる夜には効力が強まり、いずれかの月が真円を描けば効力は弱まる、というふうに。ふたつの月が同時に隠れることも、また同時に真円を描くことも稀で、いずれも数年に一度だったと記憶している。効力に影響があるとはいえ魔力そのものが消えてしまう訳ではないし、暗黒魔術以外の魔術を使う分には大きな問題はなかったはずで、だからどうしてセティカがあんなふうに語ったのかが気になっていた。セティカが関連するシナリオは何度もプレイしたし内容もほとんど覚えているけど、セティカがあんなふうに語ったシーンに覚えがなかった。
「月が真円を描く夜──」
どこかでこんなフレーズを聞いた気がする。『暁の契約者』のシナリオだったようにも、なにか他のゲームとかラノベとかだったようにも思う。ひっかかるのに思い当たらない。これはなんだろう。もしかしてセティカがこの世界に来て『暁の契約者』が消えてしまったことが、ぼくにも影響してる?──いや、影響して当たり前だろう。『この世界』はセティカを受け入れ変容しているのだから、『この世界』の一部であるぼくだって変容しない訳がない。だいたいぼくだけがいつまでも『暁の契約者』のことを覚えているなんて、そっちの方が変だ。ってことはぼく自信が気がついていないうちにもう、忘れてしまったこともあるのかもしれない。すっと背筋が寒くなる。ふぉーん、と低い音とともにエアコンが冷たい空気を吐き出したせいにしたい。膝に乗せた分厚い画集を閉じる。ぱたん、と、思いの外大きな音が立った。




