96.蛇天使ユリゴル
「リンクード、陛下への挨拶はもう済んだのか?」
マケランは、王城から出てきた親友に声をかけた。
リンクードは明日、ハイウェザー家の軍を引き連れて領地へ戻ることになっているのだ。
「ああ、マケランか」
リンクードはマケランに顔を向けた。「うん、謁見は無事に終わったよ。陛下はハイウェザー家に対し、王国の盾としての役割を期待すると――」
言葉の途中で、彼はマケランと一緒にいる者の存在に気づいたようだ。
マケランの隣にはピットと――タマナブリがいた。
「……君もいたのか」
「ああ、リンクード君の顔を見たくなってね」
タマナブリが目を輝かせて言うと、リンクードは嫌そうな顔をした。
「フッ、もちろんそれだけじゃないぜ。明日の出発について打ち合わせておこうと思ったのさ」
「明日の出発というのは、なんのことだ?」
「おれの軍も明日、王都を発つことになったんだ」
タマナブリの軍というのは、旧ダンフォード家の軍のことだ。
ダンフォード家は反乱軍に加担しようとしたために領地を没収され、諸侯の地位も剥奪された。
しかしダンフォード公はかろうじて命だけは助けられ、彼と1400人の兵士たちは、今後もタマナブリの指揮下に入ることになったのだ。
「王都を発って、どこへ行くんだ?」
「もちろんハイウェザー公領だよ。おれの『好漢軍団』はハイウェザー家に出向することになったんだ。これからよろしくな」
「な、なんだって!? 聞いてないぞ!?」
「そうなのかい? マケラン君が陛下に対し、そうするように進言してくれたらしいんだが」
「マケラン、どういうことだ?」
リンクードは不審そうな目でマケランを見つめた。
「その……ハイウェザー家は領地が増えたから、さらに兵力が必要になるだろ?」
「それはそうだが……なぜタマナブリなんだ?」
「この間の戦いで君たちは見事な連携を見せていたし、相性は悪くないと思ったんだ」
「ひょっとして君は、自分がタマナブリと関わりたくないから、私に押しつけようとしていないか?」
「そんなことはない、と思う」
「なぜ目をそらすんだ」
「フッ、おれをめぐって争うのはやめてくれ」
タマナブリはリンクードの肩にポンと手を置いた。「さあ、共に王国の盾として、共和国の侵攻に備えようじゃないか」
「いや、しかし――」
カラーン、カラーン、カラーン。
その時、正午を知らせる大聖堂の鐘が鳴った。
「ワオーーーン、オーーーン、オーーーン」
するとピットが、鐘の音に応えるように遠吠えをした。
彼は王都の大聖堂の鐘が鳴ると、なぜか音に合わせるように遠吠えをするのである。
「ピットの野生の本能が刺激されたようだから、俺たちはもう行くよ。明日また会おう」
マケランはピットの手を引き、リンクードとタマナブリを置いて、逃げるようにその場を去った。
―――
ググが下着姿で、ベッドにうつ伏せになっている。
その横には兵站部部長のマイラと、医療隊のサミとエリカが立っていた。
これからサミの主導により、麻酔の実験を行うのだ。
(ボクの体ではうまくいったから、きっと大丈夫)
ググの体にも麻酔が効くことが確認できれば、マケランに報告することになっている。
「ググちゃん、それじゃあいくね」
マイラはそう声をかけてから、ググの太ももの裏側を思いっきりつねった。
見るからに痛そうだが、ググはまったく反応しない。
「どうしたの、マイラちゃん。まだ痛めつけてくれないの?」
ググが顔を下に向けたまま言った。局所麻酔なので意識はあるのだ。
「え? さっきから思いっきりつねってるんだけど、何も感じないの?」
「全然痛くないよ。もっと強い苦痛をお願いします」
(うん、ちゃんと麻酔が効いてるみたい)
「部長、これをどうぞー」
エリカが革鞭を差し出した。
それを受け取ったマイラは、じっと鞭を見つめて考え込んでいる。
(マイラさんは優しい人だから、鞭で人を叩くのは抵抗があるよね)
「大丈夫です。もしググさんが痛がったら、ボクが責任をとります」
サミは毅然として言った。
だがマイラはためらっているのではなく、初めて見る鞭に興味津々なだけだった。
「ググちゃんならむしろ喜ぶから、その必要はないわ。じゃあ、やるね」
ピシィッ!
マイラはググの健康的な太ももに鞭を振り下ろした。
目をそらしたくなるような光景だが――、
「やっぱり何も感じないよ」
ググは悲しそうだ。
(よしっ!)
サミは内心で快哉を叫び、小さく拳を握りしめた。
麻酔の効果を生み出したのは、ヘビの毒である。
以前にソイルバイパーの毒で兵士の靴ずれの痛みを取り除いたことがあったが、ニセカイガンコブラという毒ヘビの毒は、さらに強い鎮痛効果があるのだ。
サミは夢の中で巨大なヘビに力を授けられて以来、そのような知識も得ていた。どの程度が適量かも、彼女にはわかった。
「素晴らしいわ……。これなら痛みを与えずに治療することができる」
マイラは感嘆の声を上げた。
彼女は腕の肉を切り裂いて矢じりを取り出された経験があるので、医療における麻酔のありがたみをよく理解できるのだろう。
「部長、今度はノコギリで切ってみましょうかー?」
エリカがとんでもない提案をした。いくらなんでもやりすぎだ。
「うーん、司令官の許可がないと、そこまではできないかな」
「じゃあ、あたしが司令官に聞いてきますー」
「よろしくね!」
「絶対にだめです! ググさんも乗り気にならないでください!」
サミは3人をあわてて止めた。
実験を終えたサミとエリカは、兵舎に戻った。
一応彼女たちは下士官なので、一般兵士たちとは違う部屋で寝泊まりしている。
サミはその日の日誌をつけ終えると、ベッドにもぐりこんだ。エリカは隣のベッドで、すでに寝息を立てていた。
(それにしても、なんでボクはこんな力を与えられたんだろう?)
サミは横になったまま考えた。
彼女はヘビを喚び出すことができ、ヘビと意思疎通することもできる。ヘビ毒を医療に役立てる方法まで、直感的にわかってしまう。
(やっぱり、この力は蛇魔法なのかな)
蛇属性の魔法は神聖魔法と呼ばれ、蛇神ムーズに啓示を受けることで使えるようになる。
サミの能力が蛇魔法によるものだとすれば、夢に出てきた巨大なヘビは蛇神ムーズということだ。
(ボクみたいな平凡な人間がムーズ様から啓示を授かるなんて、そんなことあるのかな? マケラン様やみんなの役に立てるのは、ありがたいけど)
そんなことを考えながら、サミは眠りについた。
サミは真っ暗な森の中に立っていた。
(ここは……なんだか見覚えのある場所のような……)
まったく音のない世界で、あたりには虫一匹見当たらない。
(そうだ! ここは以前の夢の中で力を授けてもらった場所だ!)
「サミ、また会えましたね」
木々の間から巨大なヘビが姿を現した。額には鋭くとがったツノが生えている。あの時のヘビに間違いない。
口から発声するのではなく、心の中に呼びかけてくるのも前回と同じだ。
「あの……あなたはひょっとして……ムーズ様ですか?」
「違います」
「あ、違うんですか」
「私は蛇天使ユリゴルです」
「蛇天使……様?」
聞いたことのない存在だ。
「まだヘビの記憶を取り戻すことはできないようですね」
「あ、はい、ごめんなさい」
「謝る必要はありません。ですが、少々まずいことが起きています」
「まずいこと? あ、いつかマケラン様がドラゴンと戦うことになるって話ですか?」
以前の夢で、確かそんなことを言っていた。サミが力を与えられたのも、マケランを助けるためらしい。
「いえ、まだその時は来ていません」
「そうなんですか。では、まずいことというのは?」
「神族のドラゴンが、掟を破って地上世界に干渉したようなのです」
「神族のドラゴン?」
また知らない言葉が出てきた。
「今は時間がありません。あなたが夢から覚めたら説明します」
「あの、おっしゃる意味が……」
「大丈夫、私はあなたのそばにいます。今までも、これからも――」
サミは目を覚ました。
「いい夢は見れたー?」
「エリカ?」
いつの間にかエリカが枕元に立っていた。
「やっぱりとまどってるねー。でも2回目だから、前回よりは慣れたかなー?」
「え? 何を言って――」
「えーと、さっきの説明の続きだよねー。
神族のドラゴンってのは龍神ビケイロンの配下の龍天使のことで、そいつらは地上世界で力を使っちゃだめなんだけど、あろうことかドラゴンの姿で人を殺しちゃったバカな奴がいるんだよー。
こうなったら、あたしも対抗して――」
「ちょちょちょ、待って待って! なんでエリカが、ボクが見た夢のこと知ってるの!? それじゃあ、まるで……」
サミはそこまで言うと、ゴクリとつばを飲み込んだ。
(そんなことってある? でもエリカは最初の夢の時から、ずっとボクのそばにいた……)
「君はエリカ……だよね?」
おそるおそるたずねた。
「うん、人間の姿の時の名前はエリカだよー」
安心させるように言ってから、彼女は続けた。
「でも本当のあたしは蛇天使ユリゴルなんだー。これからもよろしくねー」




