93.愚兄賢弟
少年と老騎士との、激しい打ち合い。
乾いた木剣の音が、訓練場に響く。
「くっ……!」
少年――ランスヘッドが老騎士の一撃を受け止めた瞬間、手首がしびれて木剣が弾かれそうになった。
「足を止めてはなりません!」
叱声とともに、老騎士は容赦なく追い打ちをかける。
だがランスヘッドは左へ退きざま、木剣を受け流した。
(ここだ!)
老騎士の剣先が空を切ったその刹那、少年は足を大きく踏み込み、鋭く剣を返す。
カンッ。
木剣が老騎士の手首を打ち、続けざまの打撃が胴を捉えた。
訓練場に短い沈黙が落ちる。
白髪頭の老騎士は自分が取り落とした木剣を見下ろし、やがて深く息を吐いた。
「見事です、殿下」
ランスヘッドは我に返り、驚いたように自分の手元を見つめた。
(初めて、グレッグから一本取った)
サーペンス・ランスヘッドは現在14歳、ラッセル王の三男である。
幼いころから英才教育を受けており、剣術については守り役である騎士のグレッグを師匠として、厳しい稽古を続けてきた。
その成果が、ついに実ったのだ。
しばし感慨にふけった後、あわてて老騎士に声をかけた。
「グレッグ、体は大丈夫か?」
「ハハッ、殿下の成長が嬉しくて、痛みなど飛んでいきました」
グレッグは先ほどまでの厳しさが嘘のように、満面に笑みを浮かべている。
やがて2人は訓練場の隅に置いてあるベンチへ移動し、並んで腰を下ろした。
「今まで殿下の剣の稽古をつけてきましたが、そろそろ私では相手にならないかもしれませんな」
「そんなことはない。私はまだまだグレッグから学ぶことがあるんだ」
そう答える少年の顔は、真剣だった。
父親や兄たちとは似ても似つかぬ、凜々しい顔立ち。
肩まで伸ばした鮮血のような赤い髪は、サーペンス王家の血を引く証。
そして全身からほとばしる王者の覇気。
ランスヘッドは王国の将来を担う存在として、家臣や領民たちの期待を集めていた。
しかし彼はガラガラ、マンバに続く三男だ。兄2人を差し置いて王位に就くことは、まずあり得ない。そのことを残念がる者は多かった。
「剣術も重要ですが、殿下には戦場で軍を率いる術を学んで欲しいと思います。先の諸侯たちの反乱は初陣には絶好の機会だったのですが……陛下の許可が得られなかったのが残念です」
(そうだ。私も王国のために戦いたかった)
「父上の決めたことだから、仕方がない」
ランスヘッドは不満が声に出ないよう、気をつけて言った。「その代わり、兄上が見事に勝利をもたらしてくれたじゃないか」
その言葉で、さっきまで好々爺のようだったグレッグの表情が、一転して険しくなった。
「ガラガラ殿下は何もしていません。すべてマケランら、軍人たちの働きによるものです」
「そうかもしれないが、兄上が総司令官だったのは事実だ。これで兄上のことを見直した家臣もいるだろう。王家にとってめでたいことだ」
「まったく、めでたくはありません!」
グレッグは色をなして言い返した。「あの自堕落で無責任な男が不当に評価されることは、王家にとって不幸です。あんな男が王になるようなことがあれば、この国は滅びます」
ガラガラは王都に帰ってから、また以前のように部屋に引きこもっている。勉強も剣の稽古もせず、昼間から酒を飲んでいるらしい。
「グレッグ、言い過ぎだぞ」
「いいえ、私は本当のことを言っております。ガラガラは王太子にふさわしくありません。もちろん病弱なマンバ殿下でもだめです。ランスヘッド殿下こそが、王位を継ぐべきなのです!」
「やめてくれ、グレッグ!」
「殿下……」
「おまえにそんなことを言われたら――その気になってしまうじゃないか!」
言い放ったあと、ランスヘッドは自分の声が震えているのに気づいた。
“もし自分が王になれたなら、この国をもっと良くしてみせる”
それは決して口に出してはならない言葉だ。
だからずっと胸に秘めていた。
(そんな望みを抱いてはだめだ。私は弟として、いつまでも兄上を支えなくては)
ランスヘッドは必死に自分を律しようとする。
そんな少年の肩に、グレッグはそっと手を置いた。
「私は殿下がどんな決断をなさろうと、命尽きるまでお味方します」
―――
マケランは再び、王太后メロディアに呼び出されていた。
窓際のテーブルの対面に座るメロディアは、相変わらず若々しい。あのガラガラの祖母とは、とても信じられない。
その隣の席にヒャンがいるのも、前回と同じだ。
ヒャンは先王タイパンとグラディスの娘だが、不義の子であるために王族とは認められていない。
今は13歳になっているが、頬をふくらませてアップルパイをむさぼる姿は、まだまだ子どもである。
そして今回は、ピットも同席していた。
彼は王太后のような高位の王族を目の前にして、ひどく緊張している。お茶にもパイにも手をつけようとせず、太ももの上に拳を置いたまま微動だにしない。
今まで王太子のガラガラに対しては、普通に接することができていたのだが。
「あなたには、またこの国を救ってもらいましたね」
まずメロディアは、マケランの反乱軍討伐の功をねぎらった。
「それが私の仕事ですから」
マケランは謙虚に答えた。
「んぐ……もぐもぐ……まあおまえにしては上出来だ」
「ヒャン様にも褒めてもらえるとは光栄です」
「うむ、光栄に思うがいい、なにせ我は――ぎゃぴいっ!」
メロディアがヒャンの脇腹をつねった。
「前にも言いましたが、あなたは年上の人間に対する口の利き方がなっていません。ものを食べながら話すのもやめなさい」
「うう……ごめんなさいなのだ」
(変わってないな)
王城では微妙な立場にいる彼女だが、グラディスの娘であることを考えれば、なんとか幸せになってほしいと思う。
「それに比べてピットは行儀がいいですね。私の前だからといって、そんなにかしこまらなくてもよいのですよ」
「きょ、きょうしゅくでございます」
ピットの声は裏返っていた。
こんなピットを見るのはおもしろいが、少々かわいそうでもある。
「王太后陛下、なぜピットまで呼んでいただけたのでしょうか?」
「あの『黒蛇』が常にそばに置いているウェアドッグに、会ってみたかったのです」
「そうなのですか」
「ですが、どうやらピットには居心地がよくないようですね。ヒャン、彼と一緒に遊んであげなさい」
「我がですか?」
「あなたはピットより1つ年上です。弟だと思って面倒を見てあげなさい。ただし、この部屋からは出ないように」
「弟!? わ、わかりました、任せてください!」
ヒャンは嬉しそうに立ち上がった。彼女の周りにいるのは大人ばかりなので、弟のような存在を求めていたのかもしれない。
彼女はテーブルを回り込んでピットの隣に立つと、胸を反らせて声をかけた。
「おいピット、こっちに来い。我のことを、姉だと思って甘えてもよいぞ」
「アイタタタ、耳を引っ張るな――でございます」
ヒャンとピットは離れて行った。
「ところでマケラン、あなたにたずねたいことがあります」
2人だけになったところで、メロディアが言った。
「なんでしょうか?」
「ガラガラのことをどう評価しますか? あれに王が務まると思いますか? 正直に答えなさい」
(やはりそれを聞いてくるか。これは下手に取り繕わない方がよさそうだな)
「私の見るところでは、ガラガラ殿下は聡明ではないし、勇敢でもないし、責任感もありません」
「正直に答えてくれて助かります」
「ですが殿下は、そんな自分の弱さを素直に認めておられます。だからこそ、人に任せることができるのです」
「なるほど、あなたに討伐軍のすべてを任せたことは、結果的にはよかったのでしょうね」
メロディアはうなずいてから、やや深刻な顔で続けた。「実は、ガラガラが王太子にふさわしくないと考える家臣たちが、少なくないのです」
「…………」
「そうでしょうね」と答えるわけにもいかず、マケランは口を閉ざした。
「それはガラガラが愚かなだけでなく、末弟のランスヘッドがとても優秀だからです。聡明で、勇敢で、責任感があり、ガラガラとは正反対です」
「…………」
「でも王位は長男が継ぐというのが、この国の慣習です。それを破ろうとする者が出てくると、血が流れます。諸侯の反乱を鎮めたばかりで、また内戦を起こすわけにはいきません」
「その通りです」
これは素直に答えられた。長男以外を王位につけようとすると国が乱れることは、歴史が証明している。
「待てー! 我の靴を返せ-!」
ヒャンのかわいい叫び声が、重苦しい空気を破った。
「ワフッ、ワフッ」
小さな靴をくわえたピットが、楽しそうにマケランたちの隣を駆けていく。ヒャンはその後を、真っ赤な髪を振り乱して追いかける。
(どうやら、いつものピットに戻ったようだ)
メロディアの表情をうかがうと、2人の追いかけっこを目を細めてながめていた。子どもが好きなのだろう。
「そういえば、もう1つあなたに話しておくことがありました」
メロディアは再びマケランに向き合った。
「なんでしょうか?」
「ユニコーン騎兵のことです。ノクトレイン家がなくなったことで、あの乙女たちは行き場がなくなりました」
「取り潰した諸侯の家臣や兵士たちは、王家で採用することになると聞いておりますが」
「それも本人たちが望むならです。ユニコーンの乙女たちは全員が、王家のために戦うなんて死んでもいやだ、と言っているのです」
「彼女たちにとって、王家は主君の仇ですからね」
セレーネが処刑されたことは、彼女たちの耳にも入っているだろう。
「あの乙女たちも処刑するべきだ、と言う者もいます。ですが味方につけることができれば、王家にとって強力な戦力になります」
「それはそうでしょうが……難しいと思います。ノクトレイン女公以外に、彼女たちを従えられる者はいないのではないでしょうか?」
「そうは思いません。王家には女性兵士の扱いに長けた将校がいますから」
(いやな予感がするぞ……)
「あなたにお願いがあります」
メロディアはじっとマケランの目を見つめて告げた。
「ユニコーン騎兵隊を、黒蛇軍団で受け入れてくれませんか?」




