88.黒蛇の毒
ユニコーン騎兵隊を撃破した黒蛇軍団は、日が暮れると野営に入った。
セレーネは宿営地の隅にある天幕に軟禁されていた。
捕虜とはいえ、その待遇は貴人に対するものだ。
部屋の中央に置かれた燭台は、ろうそくが5本立ての豪華なもので、一晩中でも読書が可能だった。実際、テーブルの上には聖書が置かれている。
ベッドの敷き布団はふかふかで、清潔な毛布もついていた。
サイドテーブルの上には籠に盛られた果物が載っており、さらにはワインまで用意されていた。
だが、もちろん武器は取り上げられている。
(なんとか王都へ護送される前に脱走しなくては)
反乱を起こした諸侯を王が許すはずがない。セレーネは死罪、ノクトレイン家は取り潰されるだろう。それに――、
“反乱軍に閣下の身柄を奪い返されそうになったなら、そのお命を頂戴しなければなりません”
マケランはそう言っていた。
つまり助けを待っていてはだめだ。自力でなんとかする必要がある。
セレーネは天幕の入り口まで移動し、外の様子をうかがう。
垂れ布のすぐ外に、複数の兵士の気配があった。夜が明けるまで、交代で見張りを続けるのだろう。
今度は天幕の反対側へ移動する。布に耳をあてて外の様子をうかがうが、人の気配は感じられない。
しかし哨戒している兵士が、きっといるはずだ。なんとか天幕の外に出られたとしても、すぐに見つかるに違いない。
「火の手よ!」
「第4歩兵隊の天幕が燃えているわ!」
その時、外から怒号が聞こえてきた。
多くの人間が、慌ただしく駆けていく足音もする。
「中にいた兵士は、すでに避難しました!」
「他の天幕に燃え移る前に消火しなさい!」
兵士と下士官の声も飛び交っている。
(火事か?)
セレーネは入り口に戻って垂れ布を持ち上げ、そこにいた2人の兵士に声をかけた。
「何があった?」
「どうやら火事のようです。バカな兵士が火の不始末をしたのでしょう」
兵士の1人が答えた。
「ですが、ここまで火の手がまわることはありません。閣下の安全は私たちが責任を持って守りますので、ごゆっくりお休みください」
もう1人の兵士は、セレーネを安心させるように言った。
「そうか、よろしく頼む」
セレーネは天幕の中に戻った。
(あの2人は持ち場を離れないだろう。だが周囲の警備は薄くなっているはずだ。このチャンスを逃すわけにはいかない)
なんとかこの天幕の外に出る手段はないだろうか?
そう思って室内を見回していると、サイドテーブルの上のワインが目に入った。
(これだ!)
セレーネはワインのビンを手に持った。
(ガラス製のビン……これならいける!)
セレーネは迷いなく毛布でビンをくるんだ。
そしてそれを地面に置き、ブーツで思いっきり踏みつける。ビンのガラスが割れる感触が伝わったが、毛布が音を吸収してくれているので、見張りには気付かれていないだろう。
毛布を広げると、ワインのいい香りが漂ってきた。かなり上質のワインのようだが、逃げるためなら惜しくはない。
ガラスの破片の1つを手に取り、入り口の反対側へと移動する。
そして大きく深呼吸をしてから、慎重に布を裂いていく。
(あわてるな……音を立てないように……)
なんとか外に出られる大きさの裂け目をつくると、冷たい夜風が頬をなでた。
兵士の気配はない。ここは宿営地の外縁部のようだ。
周囲には土塁も壕も築かれてはいないので、逃げることはできそうだ。
だが、できれば馬が欲しい。そう思って辺りを見渡すと、物資置き場の陰に縄でつながれた馬がいた。
(まさに天佑だ。ムーズ様が私に味方してくださっている)
縄をほどき、素早く馬の背に跨がる。幸いにも、馬は声を上げなかった。
(サーペンス王国の馬はおとなしいな。ユニコーンの気性の激しさとは比べものにならない)
セレーネはブーツで馬の腹をグッと押す。
すると馬はセレーネを乗せ、夜の闇の中へと駆け出した。
―――
マケランは司令官用の天幕で、ガラガラと向かい合ってワインを飲んでいた。
そこへシャノンが入ってきた。
「火はすべて消火しました」
彼女はマケランの隣に立ち、落ち着いた口調で報告をした。
「負傷者は?」
「いません」
「ユニコーンの乙女たちは?」
「全員、静かに休んでいます」
「ノクトレイン女公は?」
「逃げました。天幕の布を鋭利なもので裂いて外へ出たようです」
「そうか。ろうそくで火をつけるよりも、ずっとスマートな方法を思いついてくれてよかったな」
「はい。馬もいなくなっていました」
「わかった。今日はもうゆっくり休め」
「はっ、失礼いたします」
シャノンは敬礼をしてから、天幕を出て行った。
マケランはそれを見届けると、再びワインに口をつけた。
「さあ、殿下ももっと飲んでください」
「あ、ああ」
ガラガラは残っていたワインをグイッと飲み干した。すかさずピットが、グラスに注ぎ足す。
「一番高いワインはノクトレイン女公が無駄にしてしまったようですが、このワインもなかなかでしょう」
「そうだな……これは上等なワインだ」
ガラガラはそう言いながらも、どこか納得がいかない顔でたずねた。「なあマケラン。説明は聞いたが、俺様はバカだから、おまえがやろうとしてることがイマイチわかってねえんだ」
「どのあたりが、わからないのですか?」
「全部」
「なるほど」
「まあ、何かヤバイことを企んでるのはわかるよ。でも向こうのエルギンって参謀は、むちゃくちゃ頭がいいんだろ? おまえの考えが読まれてるってことも……」
「エルギンが私の考えを読んでいたなら、ノクトレイン女公が出陣するのを体を張ってでも止めたはずです」
「そうなのか」
「以前殿下とエルギンの話をしていた時、私がどうやって奴を倒すと言ったか、覚えておられますか?」
「えーと、なんか言ってたっけ?」
「毒…………丸呑み…………」
ガラガラの後ろに控えていたマクドールが、「毒で動けなくしてから丸呑みにする、ですよ」と言った。
「ああ、そうだそうだ、思い出した。確かにそんなことを言ってたな」
「はい。まずは反乱軍に毒を注入します」
マケランはワインをグイッと飲み干した。「それで動きを封じれば、もう相手は『敵』ではなく、『獲物』です。一気に丸呑みにしてやりましょう」
―――
エルギンはアリンガム公に呼び出され、司令官室にやってきた。
「斥候からの報告だ。ユニコーン騎兵隊は黒蛇軍団に敗れ、全員が死ぬか捕まったらしい。ノクトレイン女公も捕らえられた」
総司令官代理のアリンガム公は前置きもなく、険しい顔で告げた。
これには、さすがのエルギンも驚いた。
「まさか、あのユニコーン騎兵が……。いったいどうやって?」
「詳しいことはわからん。わかっているのは、我々は大きな戦力を失ったということだ」
(く……マケランめ。やはり何かねらいがあって軍を分けたのだな)
エルギンは悔しさに拳を握りしめた。
「それでおまえの考えを聞きたい。我々は女公を救うため、黒蛇軍団と戦うべきだろうか?」
「いえ、女公のことは諦めた方がいいでしょう。どうせもう助かりません」
「そうだな、私もそう思う。マケランは女公の身柄を奪われそうになれば、ためらわずに殺すはずだ」
「ええ、あのマケランが、女公を生きたままこちらに返すような、間抜けなことをするはずがありません」
「うむ、では聞こう。これから敵の4つの軍団を各個撃破するとして、次はどの軍団を標的とすべきと考える?」
(ほう、この人の切り替えの早さは、軍司令官の素質があるな)
どこか甘さのあるセレーネよりも、アリンガム公の方がリーダーにふさわしいかもしれない。
(そうだ、私も切り替えよう。アリンガム公を総司令官として、改めて各個撃破を行うのだ。こちらが優位な状況は変わらない)
「王家の騎士軍団を標的とするのがよいでしょう」
「その理由は?」
「あの軍の司令官は、デュランという男が務めているらしいのです。私と同じ第8期生の1人ですが、『蛆虫』と呼ばれていたほど無能な男です。奴が指揮する軍なら、簡単に勝てます」
「その男はドラゴンを倒したという噂があるそうだが」
「何かの間違いでしょう。人間が1人でドラゴンを倒せるはずがありません。ましてや蛆虫では」
「そうか、おまえが言うならそうなのだろう」
アリンガム公は重々しくうなずいた。
(この人は、私を参謀として信頼してくれているようだな)
これは好材料だ。
今はマケランに主導権を握られた形だが、エルギンが知謀を巡らせ、その意見を総司令官が採用してくれるなら、最後には必ず勝つ。
そう信じられるほど、彼は自分の能力に自信を持っていた。
「では出陣の準備に入りますが、その前に閣下が正式に総司令官となったことを、全軍に通達いたしましょう」
「うむ」
「失礼いたします!」
アリンガム家の兵士が、息せき切って部屋に入ってきた。
「なんだ、騒々しい」
「も、申し訳ありません。すぐに閣下にお知らせしなければならないことがありまして」
「悪い知らせか?」
「いえ、よい知らせです」
兵士は明るい声で言った。「総司令官のノクトレイン女公が戻ってこられました!」
(…………は?)
エルギンは絶句した。




