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黒蛇の紋章  作者: へびうさ
第2章 諸侯たちの反乱

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84.感情

 エルギンと8人の北部諸侯は、司令部と定めた屋敷で軍議を行っていた。


「斥候からの報告だ。王家軍はエナシア街道を通って王領へ向かっている。我々と直接戦うつもりのようだ」


 総司令官のノクトレイン女公セレーネが、現状を報告した。


「エルギン、おまえの予想通りになったようだな」


 感心したように言ったのは、アリンガム公だ。


「ウヒャヒャヒャ、マケランが長期戦を選択するはずがありませんからね」

「では聞こう、王家軍をどうやって迎え撃つつもりだ? 数ではこちらが圧倒的に優勢だが、油断はできんぞ」

「優勢ならば、会戦で一気に勝負をつけるのが常道です。決戦の地はラザ平原を考えています」


 エルギンは卓上に大きく広げた地図の一点を指さした。


「なるほど、周囲にさえぎるもののない平野か。強力な騎兵を抱える我々にとって有利な戦場だ。しかしマケランは会戦に応じるかな?」

「早期決着を求めているのはマケランの方ですから、応じざるを得ないのですよ」


「おもしろい。我がユニコーン騎兵の突撃で、一気に勝負をつけてみせよう」


 セレーネの猪武者のようなセリフに、エルギンは呆れた。


(この女は総司令官のくせに、自分が戦いたくてたまらないようだ)


「それでは前回の戦いの時のように、敵が逃げ散ってしまいます。王家の兵士は殲滅せんめつしなければなりません」

「む、ではどうするというのだ?」


「まず前衛には、強制徴兵した2万の民兵を置きます。その左右には反乱軍でもっとも強力な、ノクトレイン家とアリンガム家の歩兵を配置します」


 エルギンは地図の上に駒を並べて説明する。「民兵の後ろには残りの歩兵を並べ、左翼と右翼には騎兵を配置します。ユニコーン騎兵は初めは後方に控えさせます」


「戦意の低い民兵を前衛に置くのか?」


 諸侯の1人が疑問を呈した。


「戦意が低いからこそ、前衛に置くのです。後ろにいる歩兵が槍を突きつけているので、彼らは逃げることができません」

「味方が後ろから槍を突きつけて戦わせるというのか? なんと非道な」


 別の諸侯が非難した。


「王領の住民など、ただの駒ですよ。死んでも数字が減るだけです」


 あまりにも非情な言葉に、室内に重苦しい沈黙が落ちた。


(やれやれ、こいつらは騎士道精神に酔っているのか? 戦争は勝たねば意味がないというのに)


「戦端が開くのは中央部です。敵の歩兵は、弱い民兵をねらって攻撃してきます」


 エルギンは彼らを無視して、淡々と地図上の駒を動かしていく。


「民兵は数で勝るものの、練度も士気も低いため、敵に押されて徐々に後退していきます。でも後ろにいる味方が槍を突きつけているので、逃げることはできません。

 ノクトレイン家とアリンガム家の歩兵は、1歩も退かずに戦い続けます。すると中央をうがつように前進する敵の歩兵は、ノクトレイン家とアリンガム家の歩兵に左右から挟まれる形になるわけです」


「なるほど、包囲をねらっているのだな」と、セレーネ。


「その通りです。ここから完全包囲の形にもっていきます。まず左翼の騎兵を――」


「待て」


 アリンガム公が説明をさえぎった。「おまえはひょっとして、味方の民兵も巻き込んで包囲殲滅しようとしているのではないか?」


(なるほど、さすがにこの人は察しがいい)


「おっしゃる通りです。王領の住民の命は、反乱軍の勝利のために必要な犠牲です」


 その言葉に、一同がざわつく。


「彼らには何の罪もないのだぞ? おまえには人間らしい感情がないのか?」


 セレーネが問い詰めた。


(やれやれ、この女もつまらないヒューマニズムを口にするか)


 戦場は殺し合いの場だ。日常の常識が通用しない世界だ。

 人間らしい感情などにとらわれていては、良心の呵責かしゃくにも死の恐怖にも、耐えられないだろう。


(いや、そういえば……)


 彼は士官学校時代のある光景を思い出した――。




―――




 ――その日の授業で、エルギンはマケランを相手に机上演習を行っていた。


「さあ、これでどうですか?」


 エルギンはニヤリと笑みを浮かべ、騎兵の駒を動かした。


「…………」


 マケランはテーブルの向こうで、盤上を静かに見つめている。


「両翼包囲が完成したな。この演習はエルギンの勝ちだ」


 裁定役の教官が、決着を宣言した。


「ウヒャヒャヒャ……ついにマケランに勝ちましたよ!」


 薄気味悪い笑いが、室内にこだました。

 他の学生たちは眉をひそめるが、そんな反応もエルギンには最高の賛美に思えた。


「参った、完敗だ」


 マケランは大きくうなずいてから、潔く負けを認めた。


 エルギンは胸の奥で快感がぜるのを感じた。

 長い間、自分の前に立ちはだかっていた壁。天才が敗北を認めたのだ。


 その日の授業が終わって学生寮に戻ってからも、彼の興奮は続いていた。


(もう私はマケランを恐れない。次も必ず勝ってみせる)


 頬をゆるませながら、1人廊下を歩いていると、


「ちょっといいかな」


 突然、後ろから声をかけられた。

 振り返るとそこには、床に杖をつき、銀の仮面で顔を覆った男が立っていた。


 メタルハート・アルタバイン。

 第8期生の中では『病将』と呼ばれる男だ。


 その異名の通り、彼は「龍皮りゅうひ病」と呼ばれる不治の病に冒されている。

 全身の皮膚が龍のうろこのように硬くなり、手足が麻痺して運動が困難になる病気だ。仮面をつけているのは、醜い顔を隠すためである。


 体調不良で授業や試験を休みがちなので、成績は中位だが、その戦術能力はマケランをも上回ると評されていた。


「私に何か用ですか?」


 問いかけると、アルタバインは体を揺らし、杖をコツコツ鳴らしてゆっくりと近づいてきた。


「今日の机上演習で、君はマケランに勝った」

「ええ、その通りです」

「でも僕が審判なら、マケランが勝っていたと思う」


 エルギンはギロリとにらみつけた。


「どういうことですか?」

「君の戦術は、理論上完璧に見える。でも現実では成立しないんだ」

「……理由を言ってみろ」


 エルギンの顔から、笑みが消えていた。


「兵士はみんな、感情を持った人間だ。恐怖に陥れば逃げ出し、仲間が倒れれば動揺し、非道な命令には反発を覚える。でも君は感情をまったく考慮していない。人間は駒のようには動かせないんだ」


 口調は穏やかだが、その言葉は刃のように鋭かった。


(感情? そんな曖昧なものに戦闘が左右されるだと?)


「ごめん、気を悪くさせてしまったね」


 アルタバインは続けた。「君は寝る間も惜しんで、誰よりもひたむきに戦術を研究している。そんな君を僕は心から尊敬する。だからこそ、君がこのまま間違った方向へ進んでいくのを、黙って見ていることはできなかったんだ」


(私が、間違っているだと?)


 仮面のせいでアルタバインの表情はわからないが、彼の性格を考えれば、本気でエルギンを心配しているのだろう。

 だからこそ、余計に腹が立つ。


(歩くことすらままならぬ男が、この私に対して偉そうに説教か)


「間違っているのは、おまえの方だ」


 エルギンはそう吐き捨てると、アルタバインに背を向けた。


「待ってくれ、僕の話を――」


「黙れ」


 エルギンはどす黒い感情を、そのまま相手にぶつけた。「私の正しさは、いずれ実戦で明らかになるだろう」


「そうか。じゃあ、これだけは言わせてくれ」


 歩き出したエルギンの背中に、アルタバインは声をかけた。


「感情を持つ人間は、決して合理的には動かない。――今の君のように」




―――




(ふっ、私としたことが、くだらないことを思い出してしまった)


「ウヒャヒャヒャッ、閣下は私に何を期待しているのですか?」

「どういう意味だ?」

「もし閣下が品行方正で情に厚い人間をお求めなら、どうぞ私を解雇してください。私は非情な戦術家。差し上げることができるのは、勝利だけです」


 セレーネは目を閉じてじっと考え込む。確かにこの状況で重要なのは、倫理よりも勝利だ。

 やがて彼女は、決然と口を開いた。


「おまえの言うとおりだ。これからもその戦術の才、反乱軍のために使ってくれ」




―――




 討伐軍は、ついに王領に入った。

 そしてマケランの目の前には、反乱軍に略奪され、焼き討ちにあった町の光景が広がっていた。


 無事な家は一軒もない。焦げた木の匂いが鼻を刺し、風に乗って灰が舞う。


 町の規模から判断すると、元の人口は約3000、だが今は1000にも満たないだろう。

 誰の顔にも笑顔はない。彼らは瓦礫がれきに埋もれるようにして、沈黙の中で日々を送っていた。


 働き手の男を反乱軍に徴兵されてしまったため、家を建て直すことができないのだろう。

 住民たちはマケランの姿を見ても、逃げるでもなく近づくでもなく、うつろな目で地面に座り込んだままだ。


「痛ましいものだ。すっかり気力がえてしまっている」


 リンクードが隣に立ち、悲痛な顔で言った。


「リンクード、俺は全然わかっていなかったようだ」

「何のことだ?」

「物資を略奪され、抵抗した者は殺され、若い男は強制的に徴兵されたことは知っていた。だが、この目で見るまでは、それをただの情報としかとらえていなかった」

「それは私も同じだよ。こうして惨状を目にすると、反乱軍に対する怒りがこみあげてくるな」

「このまま立ち去ることはできない。せめて住む家ぐらいは建てていってやろう」


「気持ちはわかるが、それは賛成できない」


 リンクードはきっぱりと言った。「私たちが王領へ来たのは、内戦を1日でも早く終わらせるためだったはずだ。それがここの住民のためにできる最善のことだ」


「…………」


「それに略奪を受けた町はここだけではない。すべての町でそんなことをしていたら、いつまで経っても反乱軍を倒せない」


「君の言うことは正しい」


 マケランはうなずいた。「それでも俺は、目に入った者たちだけでも助けていこうと思う」


「なぜだ?」

「俺たちと同じように、他の将校や兵士たちも、王領の住民がどんな目にわされたか、頭では理解しても実感できていなかったはずだ」

「そうだな」

「だからこそ、自分の足で荒れ果てた町を歩き、自分の目で生き残った者の顔を見ておく必要があるんだ」


 リンクードはマケランの顔を見つめた。

 そして彼が本気であることを知ると、力強くうなずいた。


「わかった。君の言うとおりにしよう」

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