83.マケランとガラガラ
約2万の討伐軍が北部諸侯の領地を抜け、王領へと進軍していた。
敵地なので、夜間の就寝には堅固な宿営地が必要となるが、黒蛇軍団の女性兵士たちは設営作業にすっかり慣れていた。
周囲に壕を掘り、その内側に掘り返した土を積み上げる。それを終えると地面に杭を打ち、天幕を張っていく。
無事に今夜の宿営地が完成し、マケランは司令官用の天幕に入った。
「ワフーン♪ フフーン♪」
ピットが鼻歌を歌いながら、マケランの前のテーブルの上に皿を並べていく。兵站部がつくった夕食を、彼が台車に乗せてここまで運んできたのである。
メニューはライ麦パン、塩漬け豚肉とタマネギの煮込み、レンズ豆のスープ、羊の乳のチーズ、干しイチジク、そして赤ワイン。
さすがに司令官の食事だけあって豪華だ。
「はあ……なんで新任将校の俺が、2万もの軍の総司令官なんてやらされてるんだろうなあ」
マケランは食べ物を口に運びながら、ピットを相手に愚痴をこぼす。
「それだけ評価されてるってことだろ。素直に喜べよ」
「喜べるものか。レイシールズ城の時よりも、はるかに責任が重いんだぞ。もし反乱軍に負けるようなことがあれば、王家は滅亡する。王族たちは全員殺されるに違いない」
「勝てばいいじゃないか」
「簡単に言ってくれるな。相手は4万、俺たちの倍の兵力なんだぞ。強力なユニコーン騎兵もいる。そしてエルギンが敵の参謀についている」
「ああ、黒龍とかいう、悪い異名をつけられた奴だな」
「確かにドラゴンは悪だが、恐怖の存在でもある。エルギンもその並外れた知謀で、皆から怖れられていた。もちろん俺もあいつが怖い」
「向こうも御主人のことを怖がってるよ、きっと」
マケランが本音を打ち明けることができる相手は、家族同然のピットだけだ。
だからピットは毎日のように飼い主の弱音を聞かされているが、それも仕事と心得ている彼は、きちんと相づちを返した。
(そういえば、最近ピットと遊んでやっていないな)
ピットは体を動かす遊びが好きだ。
特に好きなのは追いかけっこで、レイシールズ城にいたころはマケランの靴、もしくは靴下をくわえて走り回っていたものだ。
最近それをしないのは、マケランの疲れを察して遠慮しているのだろう。
「給仕はもういい、おまえも自分の食事をとれ」
「わかった」
ピットはテーブルから離れ、うれしそうに自分の食事を用意し始めた。
彼はいつも、地べたに座って食べる。マケランと一緒のテーブルで食べないのは、従者としての分を守っているからだ。
今夜のピットの食事は、黒パン、スープ、よくわからない肉のかたまり。
いつもとさほど変わらないメニューのようだが、今日はもう1品、見慣れない物が加わっていた。
ネギだ。ピットはネギにミートソースをつけ、うまそうにかじっている。
それを見たマケランの胸がざわついた。
(ネギだと? そういえば、昔飼ってた犬に食べさせたことがあったな)
犬は雑食でなんでも食べるが、食べさせてはいけない食材も存在する。
ネギやタマネギ、ニンニクなどのネギ類だ。
幼いころのマケランはそれを知らず、愛犬にネギを食わせてしまった。そのせいで犬はぐったりし、3日間何も食べられなくなったのだ。
血の気が引いた。あのときの悪夢が頭をよぎる。
「だめだ、ピット!」
マケランはあわてて駆け寄り、彼の手からネギを取り上げた。
「へ?」
ピットは意味がわからないのか、キョトンとしている。
(くっ、すでに食っているな。遅かったか……!)
「すぐに吐き出せ!」
「え!? なんで?」
「いいから、口に指を突っ込んで吐くんだ! できないなら俺がやってやる!」
マケランはピットの体を後ろからかかえ込み、押さえつけようとする。しかし相手は体をひねって逃れようとする。
(こいつ、なんてやわらかい体だ。このままでは逃げられる……!)
マケランは体を密着させたまま素早く体勢を変え、自分が上になった。そして、うつ伏せになった相手の体を両足ではさみつけ、動きを封じる。
「さあ、もう逃げられないぞ」
「ムギュー、本気になった御主人はやっぱり強い……」
「おとなしく吐け!」
「せっかく食べたものを吐くなんて、いやだ!」
「そんなことを言ってる場合か!」
後ろから手を回し、ピットの口を強引にこじ開け、のどに指を突っ込む。
「もがもが……うげえっ」
「さあ吐け! 吐くんだ! 吐かないと――」
「司令官、よろしいですか?」
その時、ググが入り口の垂れ布を持ち上げて、天幕に入ってきた。
彼女はマケランがピットを押さえつけて、「吐け!」と言っている光景を見て、目を輝かせている。
(こいつ、またおかしなことを考えてるな)
「あっ! 待てピット!」
マケランがググに気をとられている隙に、ピットは体をよじって抜け出した。
「おい御主人、いきなり何するんだ!」
そして立ち上がり、怒声を上げた。
「おまえはネギを食っただろう! ネギは犬にとって毒なんだぞ!」
「オレは犬じゃなくてウェアドッグだ! ウェアドッグは人間と同じものを食えるんだよ!」
「え? そうなのか」
マケランはホッと胸をなで下ろした。
「何がそうなのかだ! ちゃんとウェアドッグの飼い方を学べ!」
「むむむ」
マケランは自分の非を悟った。
そしてググは、怒っているピットを見て申し訳なさそうな顔をする。
「ピット君、せっかく御主人様に拷問してもらってたのに、邪魔してごめんね」
「どっか行け変態女! オレをおまえと一緒にすんな! 拷問されても、ほんのちょっとしか楽しくなかったぞ!」
「いや、俺は拷問なんてしてないんだ。本当に」
「何を騒いでるんだ?」
ググに続いて入ってきたのは、王太子のガラガラだ。護衛役のマクドールもいる。
彼らは行軍中、黒蛇軍団と行動を共にしていた。
「あっ、そうでした」
ググがペロッと舌を出して言った。「殿下が司令官にお話があるとのことで、お通ししようとしてたんです」
「それを早く言え。――殿下、こちらへ」
マケランはググを追い出し、ガラガラをテーブルに案内する。すかさずピットがテーブルの上を片付ける。
マケランとガラガラは向かい合って座った。ピットとマクドールは、それぞれの主人の後ろに控えている。
「それで、私に話とはどのようなことでしょうか?」
暗い顔でうつむくガラガラに向かって、マケランは切り出した。
「ああ、こんなこと言うのは恥ずかしいんだが……不安で眠れねえんだよ。反乱軍は倍の兵力だし、ユニコーンとかいうすごい馬もいるんだろ? もし負ければ、きっと俺様は殺される。怖くてたまらねえんだ」
今まで王城でヌクヌクと暮らしてきた彼が、初めて戦場に向かっているのだ。怖いのは無理もない。
(なるほど、この人も何も考えていないわけではなかったか。放ってはおけないな)
ガラガラは名目上とはいえ、総司令官だ。彼が不安そうな顔をしていると、その不安は兵士たちにも伝わってしまう。
(この人には、常に堂々としていてもらわねばならない。なんとか安心させよう)
「まったく恥ずかしがる必要はありません。死を怖れるのは人間ならば当然です」
マケランは優しく笑みを浮かべて言った。
「そ、そうだよな」
「はい。ですが心配には及びません。万が一私たちが敗れて、北部諸侯たちが王権を簒奪するとしても、殿下が命を奪われることはありませんから」
「そうなのか?」
「はい。そんなことをすれば民が黙ってはいませんよ。サーペンス王家に忠誠を抱く家臣や住民が暴動を起こします。東部と南部の諸侯たちも新政権に反感を抱くでしょう。それは平和裏に政権の移行を達成したい北部諸侯たちにとって、とても都合が悪いことなのです」
「おい御主人、さっきと言ってることが違――」
マケランは振り返り、ピットを目で黙らせた。
「なるほど、言われてみればそうだな」
「はい。王族の方たちは僻地に移され、そこで軟禁されるでしょう。殿下は自由を失うことになりますが、これまで通り豊かな生活は享受できます」
「そうか……よかった」
ガラガラはよほど安心したのか、ホウッと大きく息を吐いた。
(やはりこの人は王位には興味がないようだ。贅沢な暮らしさえできれば、満足なんだろうな)
王太子としてどうかとは思うが、甘やかされて育った19歳では、そんなものだろう。
「ですが、そのようなことにはなりません。私が必ず反乱軍を打ち破って見せますから」
「おお、すごい自信だな」
「当然です」
マケランは指でメガネをクイッと押し上げた。「私は300の兵で1万の敵を撃退した実績があります。2倍の兵力の相手など怖れるに足りません。反逆者たちは全員捕らえ、ユニコーンは殿下のペットとして献上いたしましょう」
ここまで堂々と虚勢を張れる人間は、そういるものではない。
「でも反乱軍には、黒龍とかいう怖ろしいあだ名の参謀がいるらしいじゃねえか」
「ああ、エルギンのことですね。あんな男は恐れるに足りません」
「フヘー」
ピットが後ろで感嘆の声をもらす。
「奴が黒龍なら、私は黒蛇です。身の程を知らないドラゴンなど、毒で動けなくしてから丸呑みにしてご覧に入れましょう」
不敵な顔で言い放つと同時に、メガネがランプの光を反射してキラリと光った。
「わぁ……なにこの人……かっこいい」
ガラガラは両手で口元を押さえ、うるんだ目でマケランを見つめる。
マクドールはその後ろで、満足そうに笑みを浮かべていた。
「これで殿下の不安は、解消されましたか?」
ガラガラはコクコクとうなずいた。それから晴れやかな表情で立ち上がり、
「はー、今夜は久しぶりにうまい酒が飲めそうだ。じゃあマケラン、おまえにすべて任せるぜ。俺様が許すから、好きなように軍を動かせ」
そう言って、スキップをするような軽い足取りで天幕を出て行った。マクドールもあわててその後を追う。
2人が出て行ったのを見届けたマケランは大きくため息をつき、椅子の背もたれに体を預けた。
「すべてを任せる? 好きなように軍を動かせ? やっぱり俺だけが王国の運命を背負うことになるのか……」
ピットは同情のこもった目で、さっきのネギを差し出した。
「がんばれ御主人、これ食って元気出せよ」




