63.優れた軍人の条件
汚れなき乙女たちが、純白の馬体を持つユニコーンの背に乗って、こちらに向かってくる。
言葉にすると幻想的だが、美しさを感じている余裕はない。
あれはすべて、ストラティスラたちを殺しに来ているのだ。その証拠に乙女たちが手に携えているのは、鉄の盾も貫きそうな鋭い槍である。
その迫力を前にして、さっきまで強がっていた傭兵たちも顔面が蒼白になっていた。
「てめえら、シャキッとしろ!」
その時、女の声が戦場に響き渡った。ストラティスラではなく、肌の露出が多めな鎧を着た、女傭兵だ。
「あたしたちが隊列を崩さなけりゃ、ユニコーンだろうが何もできないんだ! 覚悟を決めろ!」
『血染めの盾傭兵団』の団長、アデラインである。ストラティスラでさえ名を知っているほどの有名人だ。
彼女はストラティスラの視線に気づくと、ニヤリと微笑んだ。
(さすがは歴戦の女傭兵ね。いい面構えだわ)
騎士や兵士は全員が男だが、傭兵たちの中にはちらほらと女の姿がある。
それがストラティスラには心強かった。
「彼女の言う通りよ! ユニコーンは空を飛ぶわけでも火を吐くわけでもない! 勇気を失わなければ必ず勝てる! 自分と仲間を信じなさい!」
「「おうっ!!」」
ストラティスラの言葉に、傭兵たちは力強く答えた。どうやら勇気を取り戻してくれたようだ。
(もうすぐユニコーンがロングボウの射程範囲に入るわ)
そうなれば、後ろにいる弓兵隊が一斉射撃を行うはずだ。さすがのユニコーンもひるみ、足並みを乱すに違いない。
(今よ!)
ストラティスラは心の中で叫んだ。
しかし、一斉射撃は行われない。
(何をやってるの!)
焦燥に駆られて後ろを振り向く。
その時、ようやく弓兵隊の指揮官が『放て!』と合図を出した。
「遅いわよ……!」
ユニコーンのスピードは馬よりもはるかに速い――という知識がなかったとしても、目測によって速度を計算していれば、合図を出すタイミングを間違えることはなかったはずなのだ。
弓兵隊の指揮官は士官学校の先輩だが、もし彼が近くにいれば尻を蹴り上げていただろう。
案の定、ほとんどの矢はユニコーンが通り過ぎた後の地面に落下している。
もはやユニコーンの騎兵隊は、騎手の顔が判別できるほどに迫っていた。
「御主人様……」
ストラティスラの馬の口を取っているブリエンが、おびえた声を出した。
「情けない声を出さないで」
「も、申し訳ありません」
もっとも警戒しなければならないのは、兵士が臆病風に吹かれることだ。たった1人でも敵に背を向ければ、隊列に穴が空いてしまう。
騎兵とぶつかるまでは、盾と槍を構えたまま動かないことが重要だ。
しかし、猛スピードの騎兵の集団が目前に迫ってくる恐怖は、経験した者でなければわからない。
そして前衛の兵士のほとんどは、戦場に出るのも初めての者たちだった。
「ひ、ひいぃ!」
隣の隊の農民兵がおびえた声をあげた。
(まずい!)
すぐに指揮官が鼓舞しなければならない。おびえた兵士に勇気を取り戻させることができるのは、指揮官だけなのだ。
しかし隣の隊の指揮官――やはり士官学校の先輩将校だ――は何もしようとしなかった。
もし彼が近くにいれば、ストラティスラは顔面を殴り飛ばしていたに違いない。
「し、死にたくない」
ついに、敵に背を向ける兵士が出た。
恐怖は伝染する。次々に兵士たちが後ろを向き、ついには逃げ始めた。
こうなると、もう止められない。ストラティスラの隊の傭兵たちまでがつられて逃げ始める。
早く逃げないと取り残されるという予感。他人には頼れないという無力感。
もはや、数の有利はまったく意味をなさない。
ストラティスラは、この戦闘に見切りをつけた。
「全員、退却! 一か所に固まらず、バラバラに逃げなさい!」
しかし時すでに遅し。ユニコーン騎兵は勢いを落とすことなく、前衛にぶつかった。
ドゴォォンッ!
人と盾がまとめて宙に跳ね上がり、血と金属片が飛び散る。
歴戦の女傭兵アデラインも、槍で胸を貫かれて宙を舞っていた。
どんな強者にも、あっさりと死が訪れる。それが戦場だ。
ストラティスラの目の前にも、ユニコーンの巨体がせまっていた。
(ここまでね……。私はどこで間違えたのかしら)
死を覚悟し、目を閉じた。
(…………)
いつまで待っても、衝撃がやってこない。
ゆっくりと目を開けると、地面には無数の死体が散乱していた。
わずかに生き残っている味方もいるようだが、敵の姿はない。
振り返ると、ユニコーン騎兵が潰走する味方を追って戦場を遠ざかっていくのが見えた。
(助かったの……?)
どうやらユニコーン騎兵は、ストラティスラの横を通り過ぎていったようだ。
「私の幸運も相当なものね。ねえブリエン――」
隣に目を向けると、ブリエンは血だまりの中で倒れていた。
幾頭ものユニコーンの馬蹄に踏みつけられたのか、顔も体も原型をとどめていない。
――それでも、あの耳の形、先の白いしっぽ、声をかけて振り向いた時の目元のくせは、どうしても見間違えようがなかった
(私のせいだ……)
なんで彼を戦場に連れてきたんだろう。いえ、従者なんだからそばに置くのは当然よ。私のような軍人に飼われたことが彼の不幸だった。そうでなければ、きっと彼は天寿をまっとうしていたはず。でも彼は大人のウェアドッグだから、こうなることも覚悟してたはずよ。ごまかさないで! ペットの死の責任はすべて、飼い主にある。私が悪いの。せめてもっと安らかな死を迎えてほしかった。こんなのは耐えられない。私が彼にかけた最後の言葉は「情けない声を出さないで」だった。最後になるとわかっていれば、もっと優しい言葉をかけてあげたのに。きっと彼は悲鳴をあげることを必死で我慢したに違いないわ。どんなにか怖かったでしょうに……。私は飼い主としては不適格だった。ちゃんとした飼い主に飼われていれば、ブリエンは幸せな一生を送っていたはず。いえ、彼との楽しい日々は決して嘘じゃなかった。彼も私のことを好きでいてくれたはず。でも最後の時、彼はおびえていた。なんでもっと寄り添ってあげなかったんだろう。私は飼い主失格よ。どこで選択を誤ったのかしら? エルギンみたいにサークの指示を無視すればよかった? いえ、サークを怒らせなければ、こんな危険な場所に配置されることはなかった。ううん、そもそも軍人になんてならなきゃよかった! ブリエン、ブリエン、ブリエン……ごめんなさい。もう一度だけでいい、あの声で私の名を呼んで。抱きしめさせて。
――という意味のない後悔に陥りそうな思考をひと息で断ち切り、乗っている馬に鞭を入れた。
すでに他の諸侯の騎兵隊も、潰走する兵士の追撃に乗り出していた。ここにじっとしていたら死ぬだけだ。
「あなたたち、死にたくなければついてきなさい!」
生き残っている味方に声をかけると、潰走する兵士たちとは別方向に馬を走らせた。
それは現状でもっとも最適な行動を瞬時に判断した結果である。
刻々と状況が変わる戦場において、余計なことを考えていては判断が遅れる。
だからブリエンのことは頭から追い出していた。
「死」などというありふれた事象に、いちいち心を動かすわけにはいかない。
気持ちの切り替えの早さは、優れた軍人の条件である。
この点において、ストラティスラはマケランをも凌駕していた。
(間抜けなサークは、すでにユニコーン騎兵に討たれているでしょうね。もうペルテ共和国への侵攻どころじゃないわ)
ストラティスラは、士官学校の先輩に期待することをやめた。
(諸侯たちの反乱を鎮めることができるのは、きっと私たち『花の第8期』だけよ。マケランとリンクードにも戦わせないと)
ストラティスラは誰もいない方角へ向かって馬を走らせる。
敵は追ってこない。
どうやら危機は脱したようだ。
そう判断した彼女は、少しだけ意味のない後悔を再開することにした。
(ブリエン、ブリエン、ごめんなさい……)
あの柔らかい毛並みを、もう一度だけなでたかった。
寒がりなブリエンの体温は、いつもストラティスラの手を温めてくれたのに。




