56.サミと蛇魔法
夜の宿営地は静かだった。
設営作業を終えて疲れ果てた兵士たちに、ようやく就寝の時が訪れたのだ。
一般兵士用の天幕には8人の女性兵士が詰め込まれ、薄い布団の上で身を寄せるように横になっていた。
その中に、サミという名の15歳の少女がいる。
小柄で手も足もほっそりしているが、キリッとした眉とパッチリした目は、見る者に意志の強さを感じさせる。
腰まで伸ばしていた青い髪は、軍に入る前に自分でバッサリと切って短くした。これからの人生を兵士として生きる覚悟の証だ。
彼女が両親の反対を押し切って黒蛇軍団の兵士になったのは、レイシールズ城の奇跡のような勝利を知ったからだ。
自分もあの女性兵士たちのような英雄になりたい。黒蛇のマケランの下で戦いたい。
そう心に決めると、いてもたってもいられなかったのだ。
しかし、兵士の生活は予想以上に過酷であることが、初日の行軍で明らかになった。
1日中歩き続けた後に、空堀と土塁で周囲を囲った宿営地の設営である。土木作業のつらさに耐えかね、マケランの悪口を言って上官に殴られた新兵もいたらしい。
だが、サミのマケランに対する憧れはまったく揺らがなかった。『黒蛇』のやることには、必ず意味があるはずなのだ。
もちろん彼女も疲れてはいたが、それ以上に興奮が体を包んでいた。布団の上で横になっていても、まったく眠くならない。
「サミ、あんたも眠れないのー?」
小声で話しかけてきたのは、隣で寝ているエリカだ。彼女とは知り合ったばかりだが、すぐに仲良くなった。
「うん、今日の出来事を思い出してたら、興奮しちゃって。エリカも眠れないの?」
「あたしはマケラン様のことを考えてたら、ムラムラしてきちゃってー」
「あ、わかるわかる! かっこいいもんね!」
「うんうん。マケラン様はあの冷たい目であたしをにらみつけ、メガネをクイッとあげて命令するの。『おい豚、四つんばいになってブウと鳴け』って。想像するとゾクゾクするよねー」
サミは唖然とした。
(エリカの目には、マケラン様がそんなふうに見えてるの?)
そんなことを言う指揮官なら、レイシールズ組の兵士たちがあそこまで心酔しているはずがないではないか。
「マケラン様はそんなひどいこと言わないよ。きっと優しい方だから」
「そうかなー」
「ねえ、明日も1日中歩くことになるだろうし、もう寝た方がいいんじゃない?」
「眠れるかなー」
「もしよかったら、ボクの睡眠薬をあげよっか?」
「え? なんでそんなもん持ってるのー?」
「こんなこともあろうかと思って持ってきたの。ボクが調合したんだよ」
「そういえば、あんたのお父さん医者だっけー?」
「うん。ボクも仕事を手伝ってたから、ちょっとだけ医療と薬学の知識があるんだ」
「おー、すごいねー。じゃあ、ちょっとだけもらおっかなー」
「うん、一緒に飲も」
睡眠薬を飲んだサミは、すぐに眠りに落ちた。
サミは真っ暗な森の中に立っていた。
静まりかえった世界、空には星も月もない。
(え? ここはどこ? みんなはどこに行ったの?)
あたりには人間どころか、一切の生物の気配がない。
──と思いきや、巨大な何かが木々の間から姿を現した。
ヘビだ。
常識では考えられないほどの大きさ。眼は深い琥珀色に光り、口からは深紅の舌がチョロチョロと飛び出している。
そして額からは、鋭くとがったツノが生えていた。
不思議と恐ろしさは感じない。むしろ、どこか懐かしさすら感じた。
「サミよ。いつの日か黒蛇は、ドラゴンとの戦いに身を投じることになるでしょう」
その巨大なヘビの声は、直接心の中に響いた。
「マケラン様が?」
たずねてから、ヘビには耳がないので声は聞こえないことに気付いた。
「そうです」
しかし巨大なヘビは、心の中へちゃんと答えを返してくれた。「そなたはその時に備えて、黒蛇をそばで支えられる強さを身につけなさい。そのために私の力の一部を分け与えます」
その言葉と同時に、サミの胸に衝撃が走った。
何かが体の奥底から湧き上がる。炎のように燃え、風のように渦巻き、そして水のように静かに広がっていく。
「え? この力は……!」
「今はまだ、そなたの本当の力は眠っています。ヘビの記憶を取り戻しなさい」
「待ってください、あなたは――」
サミは目を覚ました。
(夢……?)
ゆっくりと体を起こす。天幕の中は真っ暗だ。
「やっぱり眠れないのー? あの睡眠薬、あんまり効かないねー」
エリカの声だ。
「ううん、眠ってたんだけど、夢を見てたみたいで」
「ホントにー? 睡眠薬を飲んでから10分も経ってないよー」
「え!? そうなの?」
そんな短い時間で眠りに落ち、夢を見たのだろうか。
「うん。あたしは今んとこ、全然眠くならないかなー」
「ご、ごめんね、エリカの体質には合わなかったかな」
サミは立ち上がり、天幕の垂れ布に手をかけた。
「どこに行くのー?」
「ちょっとトイレに」
「そう、行ってらー」
サミは外へ出た。
本当は尿意を催したわけではない。外の風にあたって頭を冷やしたかったのだ。
宿営地内ではあちこちで篝火が焚かれており、意外に明るかった。当直の兵士が土塁の上に立って哨戒している姿が見える。
周囲には一般兵士用の天幕が並んでいる。やはり眠れずに悶々としている者がいるだろうか。
(さっきの夢、なんだったんだろ?)
サミの胸の奥には、確かに熱いものが残っている。ただの夢だったとはとても思えない。
(ヘビの記憶とか言ってたっけ)
それが何かはわからないが、なんとなく感じるものがある。まるで世界中のヘビと心を通わせられるような感覚。
父の蔵書を読みあさっていた経験から、思い当たることがあった。
――蛇魔法。
魔法には火、土、風、水の属性を持つ精霊魔法と、蛇属性の神聖魔法がある。
精霊魔法は、龍神ビケイロンの眷属である4種の精霊と契約を交わすことで使えるようになる。
レイシールズ城の防衛戦でマケランが倒した魔法使いは、火の精霊サラマンダーと契約を結んでいた。
しかしジャラン教の教義では、ビケイロンは世界を滅ぼそうとする悪神であるため、精霊魔法の使い手は忌まわしい存在とされる。サーペンス王国では問答無用で死刑だ。
それに対して神聖魔法は、蛇神ムーズの啓示を受けて使えるようになる。これは精霊魔法とは異なり、自分の意志で習得することはできない。
だからこそ神聖魔法の使い手は希少であり、その存在は1000年以上確認されていない。もし現れれば、聖者として崇拝の対象になるだろう。
(あれはムーズ様だったのかな)
自分のような平凡な少女が、ムーズの啓示を受けるとは信じられない。
しかし、仮に蛇魔法を使えるようになったのだとすれば、具体的に何ができるのだろうか?
(たとえば、ヘビを召喚できるようになったりとか?)
幼い頃、そんな内容の冒険小説を読んだことがある。
そこでサミは目を閉じ、ヘビの姿を思い浮かべてみた。
(やっぱり大きなヘビがいいよね。世界最大のヘビといえば、体長20メートルを超えるものもいるキングアナコンダ。図鑑でしか見たことがないけど、呼び出してみよっかな)
サミは「キングアナコンダ、カモン」とそっとつぶやく。
(ふふっ、そんなことができるわけないけどね)
自分の考えをおかしく思いながら、目を開けた。
とぐろを巻いたキングアナコンダが、サミを見下ろしていた。




