55.新兵の不満
マケランが現場に駆けつけたときには、すでに殴り合いは終わっていた。シャノンと下士官たちが先に到着し、争いを収めていたのだ。
彼女たちの見つめる先には、地面に尻もちをついて震える3人の新兵と、それを堂々と見下ろして立つルーシーがいた。
ルーシーはレイシールズ組で、脱走兵を捕らえようとしたこともある生真面目な兵士だ。現在は下士官に昇格している。
マケランに気付いたシャノンが駆け寄ってきた。
「司令官、お騒がせして申し訳ありません」
「何があったんだ? 殴り合いがあったと聞いていたが」
「実は――」
彼女の説明によると、3人の新兵はマケランの悪口を言っていたらしい。それを聞いたルーシーが激高し、3人を殴ったのだ。
「殴り合いというより、ルーシーが鉄拳制裁を加えたというのが実情です。軍務中に指揮官の悪口を言うのは、明確な軍規違反ですから。3人は反撃を試みたようですが、ルーシーの相手にはならず叩き伏せられたそうです」
3人の新兵は、1日中歩いて疲れ切ったうえに、穴掘りまでさせられたことに不満を抱いていたようだ。マケランのことを「鬼畜」だとか「陰険メガネ」だとか、大声で言い合っていたらしい。
(陰険メガネか、懐かしい呼び方だな)
散々言われてきたので今さら腹は立たないが、他の兵士たちがいる前で司令官の悪口を言ったとなれば、規律を保つためにも罰を与えねばならない。
ルーシーが鉄拳制裁を加えたことは、適切な処分だ。
「問題は、3人がルーシーに反撃しようとしたことですね。上官に対する暴力行為にあたるかもしれません」
「兵士長、自分は暴力を振るわれてはいないであります!」
ルーシーは真剣な顔でシャノンに訴えた。「あんな虫も殺せないような弱々しいパンチが、攻撃であったとは思えないであります!」
ルーシーはこれ以上の処罰は不要と主張した。彼女なりの温情だろう。
しかし3人は感謝する様子も見せず、悔しそうにルーシーを見上げている。
(はあ……やっぱりこうなったか)
レイシールズ組と新兵の間に溝ができることは、当初から懸念していた。
レイシールズ組の兵士はマケランに対して絶対的な信頼を抱いており、マケランも彼女たちの顔と名前を知っている。
だが、新兵はそうではない。
マケランとしては新兵の名前も呼んでやりたいところだが、さすがに3000人を超えると覚えるのは難しい。
「ルーシーもこう言っているし、これ以上の処罰は必要ないと思う」
マケランの言葉に、シャノンはうなずいた。彼女もマケランと同じ危機感を抱いているのだろう。
マケランは地面に座り込む3人の前に移動した。3人は肩を寄せ合って震えている。
(おびえているようだな、無理もない)
「立て」
3人はふらつきながら立ち上がった。
「名前は?」
彼女たちは互いに顔を見合わせてから、恐る恐ると言った様子で名乗った。
「エセルです」
「アンジェラです」
「リディアといいます」
「エセル、アンジェラ、リディア、俺の悪口を言いたくなることもあるだろうが、せめて誰もいないところで言ってくれ。皆がいる前で吐き出すのは絶対にやめろ」
マケランは諭すように言った。「さもないと、君たちを殺さねばならなくなる」
ヒッと息を吸い込む声が聞こえた。
ショックを受けただろうが、自分たちが兵士であることを早く自覚してもらわねばならない。
「もちろん俺は兵士を死なせたくはない。今やっていることはすべて、君たちが生き残る確率を少しでも上げるためのものだ。それは理解してほしい」
「「……はい」」
3人はうなずいた。今はそれで充分だ。
「シャノン、後を頼む」
「はい、お任せください。彼女たちには、私からもよく言い聞かせておきましょう」
後の処理をシャノンに任せて、マケランはその場を離れた。
宿営地の設営を終えた時は、夜11時をまわっていた。
予定よりもかなり時間がかかったが、力仕事に慣れていない者ばかりなので仕方がない。
明朝は8時起床とした。兵士の起床時間としては遅すぎるが、それでも新兵にとってはつらいはずだ。
兵士たちは今ごろ、狭い天幕でぎゅうぎゅうに体を寄せ合って眠っているだろう。
それに対しマケランの使う天幕は、ベッドや机などの家具が置いてあるのに加えて、ピットと追いかけっこができるほど広い。
司令官という立場では、当然ではあるのだが。
マケランが今日の日誌を書いていると、ピットが声をかけてきた。
「おい御主人、赤と白どっちにする?」
ワインのことだ。
「飲むことは確定なのか?」
「新兵に悪口を言われて傷ついてるんだろ? だったら飲めよ」
困ったことがあれば酒を飲むべきだと、ピットは思い込んでいる。
「……じゃあ白で」
とりあえずマケランは答えた。「でも傷ついてるわけじゃないぞ。新兵が俺に不満を抱くことはわかっていた。軍隊というものになじんでいない彼女たちが、その気持ちを皆の前で口に出してしまうことも想定内だ」
「そうなのか?」
「ああ、兵士になったばかりだから仕方がない。さっきは脅すようなことを言ったが、俺は兵士を殺すつもりはない」
マケランはピットが差し出したワインをグイッと飲んだ。
「不満がたまると、前みたいに脱走しようとする奴が出てこないか?」
「宿営地の周りを壁と堀で囲ったから、脱走は難しいだろうな」
「ひょっとして、あの穴掘り作業は新兵を逃がさないためだったのか?」
「まあな。1番の目的は兵士に経験を積ませることだが、脱走を防ぐねらいもある」
「フヘー、さすがだなあ」
ピットはマケランの深慮を知り、感嘆の声をあげた。飼い主が優秀なことは、ウェアドッグにとっても誇らしいことなのだ。
「とはいえ、脱走を考える兵士はほとんどいないはずだ」
「というと?」
「脱走は死刑に値する重罪だ。もし成功したとしても、もう太陽の下で生活することはできなくなる。脱走兵を受け入れてくれるのは犯罪組織ぐらいだ」
「…………」
ピットは沈黙した。新兵たちに同情しているのだろう。
マケランは再びワインをグイッと飲み干した。すかさずピットが注ぎ足す。
「そんなに気前よく注がなくてもいいぞ。酔っぱらうわけにはいかないんだ」
「そういえば御主人が酔った姿は見たことがないな。たまには酔うほど飲んでみたらどうだ?」
「そうはいかない。指揮官は常に非常事態に備えておかねばならない」
「今日はいろんなことがあったし、これ以上の非常事態なんて起きないだろ」
「そんなことはない。想定外の事態は必ず起きると思っておくべきだ」
「司令官、大変です!」
レイシールズ組のシエンナが、息せき切って天幕に入ってきた。
「ほらな」
「どうせたいしたことじゃないよ。――おい、いきなり入ってくるなんて失礼だぞ」
ピットはシエンナに文句を言った。
「で、でも、ホントに大変なことが起きたんだもん」
「何があった? ケンカか? 脱走か? 落ち着いて話せ」
マケランはワインを口に運びながら、余裕の表情で問いただした。たとえ何があろうと、指揮官が取り乱した姿を見せるわけにはいかない。
シエンナはうなずき、呼吸を整えてから報告する。
「体長20メートルを超える大蛇が、宿営地内に現れました!」
「ブーーーーッ!」
マケランはワインを盛大に噴き出した。




