5.黒蛇の脱皮
頭部を失った首から勢いよく血が噴き出し、兵士の体は糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちた。
あまりにも非日常な光景に、誰もが言葉を失っている。
(バカな……。こんな簡単に人の命を奪っていいものか……!)
グラディスはやりすぎだ。確かに兵士の暴言には腹が立ったが、だからといって殺すことはない。彼女だってさっきはマケランに対し、横柄な口をきいていたではないか。
――と思ったが、マケランはすぐに自分の甘さに気付いた。
(いや……違う。この状況ではグラディスが正しい)
平時であれば、指揮官を侮辱した兵士に対しては、鉄拳制裁ですませることもできただろう。
しかし今は非常事態である。じきに共和国軍がここを攻めてくるのだ。
そんな時に指揮官の権威がゆらぐことは絶対にあってはならない。それはここにいる者たち全員の死を意味するからだ。
女性兵士たちは戦うことを期待されていなかったため、危機意識が欠けていたのだろう。そんな者たちの目を覚まさせるには、今のグラディスの行為は絶大な効果があった。
「他にマケラン少尉に従えないという者はいるか! いるなら名乗り出ろ!」
グラディスは剣を鞘に納めると、兵士たちに呼びかけた。
名乗り出る者など、いるはずがない。
「う、うん。兵士長の言うとおり、もうあの人に指揮官になってもらうしかないよね」
「だからって、私たちが戦うなんて無理だよ」
「そ、そうよ。たとえ指揮官がいたって、兵士が女だけじゃどうにもならないわ。みんな殺されるだけよ」
彼女たちはグラディスの荒療治により、戦うしか道がないことは理解した。だからこそ、間違いなく訪れるであろう死におびえていた。
周囲を見渡すと、騒ぎを聞きつけたのか、さっきよりも多くの人間が集まっていた。
レイシールズ城には兵士以外にも、家令、料理人、馬丁、鍛冶師、大工、下働きの者など、民間人たちが住んでいる。彼らも一様に、恐怖で平常心を失っているようだ。
(俺は、ここにいるすべての者たちの命を握っている)
マケランの胸に責任感がわきあがってきた。
「立場が人をつくる」という言葉があるように、立場が変われば、人はそれにふさわしい態度を示すようになる。
女だけとはいえ、マケランは率いる兵士たちを得た。そのことにより、彼は真の意味で指揮官となったのだ。
(ここには俺しか指揮官がいない。ならば――覚悟を決めろ!)
マケランは大きく息を吸い込んだ。
「聞け! 誇り高きレイシールズ城の者たちよ! 戦死したサー・レックスに代わり、今から俺が君たちを指揮する!」
彼の力強い声は、周囲を圧した。
顔つきも一変している。目は大きく見開かれ、瞳の奥には黒い炎が揺らめいた。その表情は獲物をねらう肉食獣のごとき獰猛さだ。
全身からは闘気が立ち昇り、漆黒の髪は重力を無視して逆立った。
グラディスとシャノンはその変貌ぶりに目を丸くしている。ついさっき軍人にはなりたくないなどと言っていた男はどこへ行ったのか。
ヘビが神聖な動物とされる理由の1つに、「脱皮」があげられる。古い自分の皮を脱ぎ捨てて新しく生まれ変わるその姿が、人の目には神秘的に映るのだ。
『黒蛇』と称されたマケランも、やる気のない新任将校の皮を脱ぎ捨てることにした。
(まずは、ここにいる兵士たちの信頼を得ることだ。その上で、戦う勇気を与える。そうしなければ……全員が死ぬ)
騎士の時代になってからはすたれた習慣だが、古来より指揮官は、言葉による鼓舞によって兵士の戦意を高めてきた。
今こそ、そうするべきだ。
「1万人の共和国軍は、明日にもここを攻めてくるだろう! だが怖れる必要はない! 俺がここにいるからだ!」
(我ながら、自信過剰なセリフだな)
もちろん人の性格は簡単には変わらない。今の熱血ぶりは、多分に演技である。
しかしここにいる者たちの不安を打ち消し、指示に従わせるためには、自分が優れた指揮官であると信じさせねばならない。
「あの人、意外と頼もしそうじゃない?」
「でも、士官学校を出たばかりなのは確かだよね」
「うん。年齢も私たちとそんなに変わらないみたいだし」
(会ったばかりの俺を、すぐに信用できるわけもないか……)
それでも訴えるしかない。
「確かに俺は士官学校を卒業したばかりで、実戦経験はない! だが案ずるな! 俺は戦史を、過去の偉大な軍人たちの戦術を学んだ! 無謀な突撃を繰り返すだけの騎士とは違い、勝利の方法を知っている!」
「その通りだ!」
グラディスが大声で同意した。「おまえらも聞いたことがあるだろうが、今期の卒業生は『花の第8期』と呼ばれ、最強世代と評価されていている! マケラン少尉もそのうちの1人だ! あの『常勝のストラティスラ』や『完璧のリンクード』ほどではなくとも、『黒蛇のマケラン』の異名で呼ばれていたほどの方だ!」
改めてマケランの経歴を聞かされ、兵士たちも理解し始めた。
平民出身であっても士官学校を卒業したということは、国からエリートとして認められたということだ。そして彼女たちも軍人であるからには、『花の第8期』の噂は聞いたことがあった。
「花の第8期……」
「あの将校さん、そんなすごい人だったんだ……」
「それならサー・レックスよりも、よっぽど頼りになりそう」
兵士たちは好意的な反応だが、訂正しておくべきことがある。
「グラディス、それは少し違うぞ」
「え? なにがですか?」
「俺がストラティスラやリンクードに及ばないと言ったことだ。卒業時の序列はストラティスラが第2位、リンクードは第3位だ」
グラディスの目が、大きく見開かれた。
「つまり少尉は……」
「俺は首席だ。これがその証拠だ」
マケランは自分の胸に鈍く光る銀色のメダルを示した。サーペンス王家の紋章である『円環の蛇』がデザインされた『永劫王蛇勲章』だ。首席卒業者だけが授与される名誉の証である。
一瞬の静寂の後、ワアッという歓声があがった。
「花の第8期の首席っていったら、エリートどころじゃないよっ!」
「言われてみれば、実力がある人じゃないと最前線の城には配属されないよね!」
「どう考えても黒蛇は、常勝や完璧よりも格上ですよ! だってヘビは神の使いですから!」
「そんな人が今日着任してたなんて、ホントに私たち運がよかったんだ!」
(所詮は学生の序列に過ぎないんだが、思った以上に効果があったな)
兵士たちの表情が明らかに変わっている。これならマケランの言葉も説得力を増すだろう。
「そしてこのレイシールズ城は王国でも屈指の堅城だ! 城は高台に建っているため、攻撃側は傾斜を上らなくては近づくことができない! そして周囲は10メートルの深い堀によって囲まれている!
城壁の高さは12メートルを超え、厚さは3メートルもある! 近付く敵兵は壁上歩廊から、さらには各所にある塔からクロスボウで狙い撃つことが可能だ!
城門は木製だが金属で覆ってあるので、魔法使いの炎でも燃えることはない!
そして万が一城内に侵入されたとしても、天高くそびえる主塔が最後の砦となって敵を寄せ付けないだろう!
兵士が300人しかいないことも決して不利ではない! なぜならこの城は、少人数でも守れるように考えて設計されているからだ!
それに対して共和国軍は大軍のために、糧食が尽きるのも早い! しかし俺たちは兵糧の備蓄に余裕がある! グラディス、そうだろう?」
「はい。人数が大幅に減ったので兵糧は有り余っているはずです。それにしても少尉は今日着任されたばかりなのに、どうしてそんなに詳しいんですか?」
「自分が配属される城のことは、当然調べてある」
「おおっ! さすがです!」
「そして何よりも俺たちが有利な点は、共和国軍が俺たちをなめているであろうことだ
マケランは再び兵士たちに顔を向けた。「俺が今日ここに来たことは偶然だから、奴らはこの城の指揮官は騎士だけだと思っているはずだ。騎士たちを全滅させたことで、共和国軍はこの城を簡単に落とせると思っているだろう。しかし俺がここにいる。籠城戦について熟知している指揮官が、ここにいる」
マケランの言葉は兵士たちの心に響いた。
なぜなら、それが事実だからだ。実戦経験はなくとも、マケランはあらゆる戦いを熟知している。
「もちろん何年も籠城を続ける必要はない! その前にきっと援軍が来る! 俺たちは援軍が来るまで、そして敵軍が撤退するまで、この城を守り抜けばいい!」
「はい! あたしたちは援軍が来るまでの時間を稼ぐため、ここで死ぬ覚悟です!」
(グラディスの心意気は立派だが、これも訂正しておこう)
彼女は兵士を斬ったことで、命に対する感覚がマヒしているのかもしれない。
「兵士長、軽々しく死を口にするな。俺たちは生きるんだ。生きて、この城を守り抜かねばならない」
「ですがあたしたちは兵士です。兵士の任務は、戦って死ぬことでは?」
「違う! 兵士の任務は生きるために戦うことだ! どんな絶望的な状況になったとしても、最後まで生きることをあきらめるな! 俺は君たちを死なせるつもりはない!」
初めて会った指揮官に「城を守って死ね」などと言われても、内心で反発するだけだろう。
さっきグラディスは兵士を処断したが、それが許されるのは、すでに彼女が兵士たちから強い信頼を得ているからだ。
マケランも、まず兵士たちと信頼関係を築く必要がある。
この指揮官は絶対に自分を見捨てない。そう信じることができなければ、兵士は命がけで戦おうとはしないのだ。
「この戦いの目標は最後まで生き残ることだ! 生きるために戦え! それこそが勝利への道だ!」
「少尉、あたしが間違ってました! 生きてこの城を守り抜きましょう!」
グラディスは自分の考えを引っ込めた。指揮官であるマケランを立てたのかもしれない。
「そうですね。兵力の補充ができない籠城戦では、1人ひとりの兵士の命を大切に扱わなければなりません。私たちは300人しかいないのですから」
シャノンはもっともな理由を挙げて、マケランに賛同した。
「その通りだ、みんなもわかってくれたな?」
マケランは兵士たちに向かってニコッと微笑みかけた。
(ああ、おかしくもないのに笑うなんて苦痛だ)
マケランはめったに笑わない。そのせいで冷酷な人間と思われることが多いのだが、だからこそ、たまに笑顔を見せると効果がある。
ずっとけわしい顔だったマケランが笑顔を見せたことで、女性兵士たちはホッとした表情を浮かべた。
「はい!」
「わかりました、少尉!」
「私たちは最後まで生きて戦います!」
兵士たちは先を争うように答えた。彼女たちの顔から、おびえの色が消えていた。
「よく言った! 君たちが戦う覚悟を決めたなら、今の状況は決して絶望的ではない! この籠城戦、俺には勝利への道が見えている!」
(そんな道は見えないが、言い切るしかない!)
ここで不安な顔を見せるわけにはいかない。
マケランならば勝利をもたらしてくれると、信じさせねばならない。
「俺たちは必ず勝つ!」
マケランは高揚し、拳を天に突き上げた。
(まったく俺らしくないが、今は感情を爆発させるべき時だ)
戦術知識があるというだけでは、参謀にはなれても指揮官にはなれない。優秀な指揮官とは、兵士の士気を高めることができる者だ。
「そうだ! あたしたちは生きるために戦う! そして勝つ!」
グラディスも拳を突き上げて絶叫した。
「私たちに勝利を!」
シャノンも続けた。
「勝利を!!」「勝利を!!」「勝利を!!」
女性兵士たちも、民間人も、誰もが拳を突き上げて勝利を叫んだ。
体の内からわき上がってくる闘争心を、抑えることができないかのように。




