47.王太后メロディア
王との謁見を終えたマケランは、城内のラウンジのソファーに座って、高い天井をボーッと見上げていた。
「おい御主人、なんで中尉に昇進したのにそんな浮かない顔をしてるんだ?」
ピットだ。ウェアドッグ1人なら王城に入れても構わないと役人に言われている。
「俺が昇進したのは結構なことだが、兵士たちに対する特別手当は出なかったんだ。あいつらになんて言ったらいいか……」
「あの女たちはカネなんて欲しくないんじゃないか?」
「金が欲しくない人間はいない。それに金だけの問題じゃなく、功績に対して正当な評価がされなかったことが問題なんだ」
「ふうん、そういうもんか?」
「もしおまえが、がんばって働いたのに俺に褒めてもらえなかったらどう思う?」
「ああ、それは問題だな。おい、早くオレを褒めろ」
「まだ何もしてないだろうが」
「マケラン、ここにいたのか。探したぞ」
金髪の美青年がラウンジに入ってきた。
「リンクード、しばらくぶりだな。俺に何か用か?」
「先ほどの君と陛下のやりとりについては、私も人づてに聞いた」
リンクードはそう言ってから、眉をひそめた。「どうもあのお方は、王にしては器が小さいようだ」
彼は諸侯の嫡男なので、王に対する手厳しい批判を堂々と口にできる。しかしマケランの立場では、それは難しい。
「いや、たびたびタイパン様と比較されては、気分を害して当然だ。陛下はみんなから冷酷な人間と評価されて、気の毒だと思う」
これは本心だ。マケランはラッセルのことが嫌いなわけではない。尊敬できないだけだ。
「なるほど、君も初めて会う人間からは冷酷だと思われるから、気持ちがわかるのかもな」
リンクードはフッと笑みをもらした。「まあ、それはいい。実はさるお方が、君に会いたいとおっしゃっているんだ。今から私についてきてくれ」
マケランとピットはリンクードの後について、王城の2階にやってきた。
その部屋の前には騎士が2人立っていたが、マケランの姿を見るとビシッと敬礼をした。
「マケラン殿、王太后陛下が中でお待ちです」
「はい」
マケランに会いたいと言っているのは、王太后のサーペンス・メロディアだった。
先王タイパンの妻であり、現国王ラッセルの母親である。この国で唯一、王が頭が上がらない人物だ。
「マケラン、私はここで待っている」
「わかった。ピット、おまえもリンクードと一緒に廊下で待っていろ」
「おう」
マケランは王太后の部屋に入った。
シナモンのような香りがただよっている。香が焚かれているのかもしれない。
メロディアは窓際のテーブルでお茶を飲んでいた。
年齢は50代後半のはずだが、とてもそうは見えないほどの若々しさだ。艶のある銀色の髪を複雑な形で編み込んでおり、それが実に似合っている。
カップの取っ手をつかんでゆっくりと持ち上げ、その中身を口に流し込む。ただそれだけの動作が洗練されていて、見惚れるほどに美しい。
そしてメロディアの隣の席には、ピットより少し年上ぐらいの少女が座っていた。
青いドレスの上にサイズが大きすぎる白いカーディガンを羽織り、赤い髪を高い位置で束ねて背中に垂らしている。
少女はマケランに顔を向けると、刺すような視線でにらみつけてきた。その勝気な顔立ちは、どこかで見たことがあるような気がした。
少女のことは気になるが、まずはメロディアの前に進み出て片ひざをつく。
「王太后陛下、私はハマーチルド・マケランと申します。お召しにより参上いたしました」
「よろしい。そこに座りなさい」
人に命令することに慣れている者の話し方だ。王よりもはるかに威厳がある。
「はっ、失礼いたします」
マケランはメロディアの対面の席に座った。
「この子が誰かわかりますか?」
メロディアはニヤリと笑みを浮かべると、隣に座る少女について問いかけてきた。
「いえ、わかりません。王族の方でしょうか?」
「彼女は王族とは認められていません。ですが、タイパンの実の娘であることは確かです」
衝撃の事実だ。
(不義の子、ということか?)
少女の年齢から考えて、メロディアの娘ということはないだろう。しかしタイパンには、正妃であるメロディア以外に妻はいなかったはずだ。
「タイパン様のご子息は、現国王であるラッセル陛下だけのはずですが」
「公式にはそのとおりです。でもタイパンは使用人だった女に手を付け、こっそりと子どもをつくっていたのです。それがこの少女、ヒャンです。あの男は名君と言われていましたが、女にはだらしないところがありました」
「そうなのですか」
あまり知りたくなかった事実だ。
「その使用人というのが、グラディスです」
一瞬何を言われたのかわからなかった。
「グラディスというのは……まさか……」
「ええ。レイシールズ城で下士官をやっていた女です。あなたはよく知っているでしょう」
知っているどころではない。
「彼女は私にとって、もっとも頼りとする下士官でした。しかし私の力不足により、死なせてしまいました」
「彼女が死んだことは残念です。でもそう思えるようになったのは、私が年をとったからでしょうね。
12年前にヒャンが生まれたのを知った時、私は烈火のごとく怒り、グラディスもヒャンも殺そうとしました。でもタイパンが床に額をすりつけて謝るので、2度と2人に会わないことを条件に許してやりました。
ヒャンは王都の女子修道院に入ることになり、それを見届けたグラディスは自ら王都を出て行ったのです」
(そういえばグラディスは、子どもは王都で預かってもらっていると言っていたな)
タイパンにもヒャンにも2度と会わない覚悟を決めて、軍務を続けていたのだろう。彼女の孤独を想像すると、胸が痛む。
彼女の愛国心が強かったのは、タイパンの影響を受けていたからかもしれない。
「ヒャン様の素性については、公にはされなかったのですね」
今もマケランをにらみつけている少女にチラッと目をやってから、たずねた。
「ええ、彼女はそのまま修道女として一生を終えるはずでした。ですが、ヒャンがタイパンの娘であることに勘づく者が何人も出てきたのです。タイパンのバカが、娘の顔を見るためにこっそりと修道院に通っていたからでしょう」
「ハア」
「そしてヒャンが7歳になった時、タイパンは病気で亡くなりました。私は彼女を修道院から引き取り、自らの手で養育することにしました」
「それは……なぜですか?」
「ヒャンの素性を知った者が彼女を政治利用するのを防ぐためには、私の目の届くところに置いておく必要があったのです。王になったラッセルは、彼女を殺そうとしたこともあります」
ヒャンの肩がビクッと震えた。
「ラッセル陛下にとっては妹にあたる方なのに、ですか?」
「ラッセルにも子どもがいます。将来自分の子に王位を継がせるにあたって、その障害になる可能性はつぶしておこうと考えるのは、非情ではありますが間違っているとは言えません。もしヒャンを担ぎ上げようとする者が出てくれば、内乱になりますから」
「それでもメロディア陛下はヒャン様を自分の手元に置き、大事に育てておられるのですね」
「子どもに罪はありませんからね」
「おいマケラン」
ずっと黙って話を聞いていたヒャンが、初めて口を開いた。「おまえは士官学校を首席で卒業し、『黒蛇』という大層なあだ名をつけられておったそうだな」
「はい、そのとおりです」
「そんな優秀な軍人なら、なぜ母上を守れなかったのだ! 母上は、なぜ死なねばならなかった!」
12歳の少女とは思えないほどの迫力だ。
(なるほど、この気の強さはグラディスに似ているな)
記憶にないであろう母親の死を、ヒャンが怒っていることが嬉しかった。グラディスは娘から愛されていたのだ。
「おい、なぜ優しい目で見つめてくるのだ! 我は怒って――ぴぎゃあっ!」
「口を慎みなさい」
メロディアがヒャンの脇腹をつねっていた。「たとえあなたが王の血を引いていようと、まだ12歳の子どもです。大人に対してその口の利き方はなんですか」
「うう……」
「それに将校の仕事は兵士を守ることではなく、勝つことです。マケランは見事にその責を果たしました。もちろんグラディスもその勝利に貢献しました。あなたは母親の死に対して怒るのではなく、誇りなさい」
「でもマケランは――ぎゃぴいっ!」
メロディアがまた脇腹をつねった。
「目上の人間を呼び捨てにするのはやめなさい」
(なかなか厳しい教育をしているな)
「うう……ごめんなさいなのだ、マケラン中尉」
「いえ、よろしいのです」
マケランは優しく言った。「グラディスはムーズ様のもとに召されましたが、娘がこんなにかわいく育っていることを知れば、きっと喜ぶでしょう」
「わ、我がかわいいだと!? ぶ、無礼――」
ヒャンは何か文句を言おうとしたが、メロディアにギロリとにらまれて口を閉ざした。
「マケラン、あなたがこの子のことを気に入ってくれたようで、ホッとしました」
「どういうことでしょうか?」
「あなたはいずれ王家を――いえ、サーペンス王国を背負って立つ軍人になるでしょう。そんなあなたを見込んで、お願いがあるのです」
そしてメロディアは、驚くべきことを告げた。
「ヒャンの後見人になってくれませんか?」




