37.決死
「メアリーの死を無駄にするな! ここは絶対に守るぞ! 俺も一緒に戦う!」
地上で戦況を見守っていたガルズは、並外れた聴力によって城壁の上の声を聞き取った。
「そこにいたか! マケラン!」
女たちの声の中に混じる、唯一の男の声。マケランに違いない。
ガルズは全速力で北側の城壁前まで走ると、自らハシゴを登り始めた。
(ひたすら速く! とにかく速く!)
武器も防具も身に着けず、身軽な体で登っていく。
時間を与えれば、マケランは自分が狙われていることに気付いてしまう。
マケランの指揮能力は、やはり並外れていた。突然のウェアウルフの猛攻に最初はとまどっていたようだが、今では対応され始めている。このままハシゴ登りを続けても、味方の犠牲が増えるだけだろう。
(だが、マケランさえ仕留めれば!)
ガルズは先に登っている兵士を踏み台にして乗り越えながら、強引にハシゴを駆け上がる。
自分が死地に向かって突き進んでいることは理解している。たとえマケランを討ち取ることができたとしても、生きて戻ることは難しいだろう。
(それでも構わぬ。祖国のためなら俺の命など安いものだ)
矢の雨が降り注ぐ中、ただひたすらハシゴを登る。
体に幾本もの矢が突き刺さるが、闘志が充満しているため痛みは感じない。
最後の一歩は、ハシゴを蹴って跳躍した。
ドスンッ!
ついにガルズは壁上に降り立った。
「キャアアアアッ!」
ひときわ大きなウェアウルフの姿を見て、周りの女たちが悲鳴をあげた。
「下がれ! こいつは俺が相手をする!」
勇ましい声と共に、黒いサーコート姿の男が駆け寄ってきた。
(こいつがマケランだな!)
細身でメガネをかけていて、一見学者のようにも見えるが、まとっている空気は完全に軍人だ。胸に光る階級章が、将校としての地位を示しているのだろう。
そんなことを考えている間に、マケランは一瞬で距離を詰めて剣を突き出してきた。
(くっ、速い!)
予想以上に鋭い剣筋だ。他のウェアウルフであれば突き殺されていただろう。
ガルズは素早く床を蹴って剣をかわした。
――と思ったが、剣は肩に突き刺さっている。予想以上にマケランの剣が速い。
(だが、急所でなければ問題ない!)
「ゴアアァァッ!! 俺は共和国軍のガルズだ! マケランよ、その命もらったーっ!」
ガルズは嵐のような咆哮と共に、鋭い爪を相手の肩口に振り下ろした。
サーコートの下には鎖帷子を着込んでいるようだが、そんなものでウェアウルフの強力な爪は防げない。
ガルズの爪は、マケランの胸を大きく引き裂いた。
―――
肩から腹にかけて、大きく肉を削り取られた。
(ねらいは俺だったのか)
目の前のウェアウルフのしてやったりという表情を見て、マケランは悟った。
(俺が……ここで死ぬわけにはいかない)
追撃をかわすためなんとか距離をとろうとするが、足に力が入らない。たまらず、ひざをつく。
「とどめだ!」
ガルズが再び鋭い爪を振りかざした。
「させないっ!!」
そこへ1人の女性兵士が駆けつけてきて、マケランを守るように立ちふさがった。
「邪魔をするな!」
ガルズはその兵士を手で振り払った。体格差を考えれば、それだけで吹っ飛ばされるだろうと思われた。
しかし兵士は剣は取り落としたものの、その場に踏みとどまっている。
「少尉は私が守るっ!」
なんと兵士はガルズに組みつき、その首筋にガブリとかみついた。人間がウェアウルフにかみつくなど、前代未聞の光景だろう。
(なんて気迫だ……! そこまでして俺を守ろうとするのか……!)
マケランはその兵士に加勢しようとするが、立ち上がることができない。意識ももうろうとしてきた。
「早く少尉を城内に運べ!」
グラディスの声がした。非常事態を察し、駆けつけてきたようだ。
(唯一の指揮官である俺が現場を離れるわけには……!)
「待て! 俺はこの場に残る!」
と言おうとして口をパクパクさせるが、声が出てこない。
「くっ……この女……ぐあっ!」
兵士にかみつかれているガルズが、たまらず苦悶の声を上げた。硬くて分厚いウェアウルフの皮膚を傷つけるとは、驚くべき咬筋力だ。
しかしガルズの腕力も度外れている。兵士の肩をつかむと、強引に引きはがした。
それでも兵士は歯を離さなかったため、ガルズは肉を食いちぎられた。毛むくじゃらの首から、勢いよく鮮血が噴き出す。
「ぐむう……指揮官を守ろうとするその気迫、見事なり! だが、ここまでだ!」
ガルズはその兵士の頭に鋭い爪を振り下ろす。
ガシュッ!
兵士の顔の右半分が消失した。
「はあ……、はあ……、マケラン様……」
驚くべきことに、それでも兵士は倒れない。さすがのガルズも恐怖を感じたのか、動きを止めている。
「やあああああっ!!」
ググが走ってきて、ガルズに体当たりを敢行した。体重では大きく劣る彼女でも、速度が加われば大きな衝撃が生まれる。
「ウォッ!? き、貴様っ!」
ガルズは城壁のきわまで押し込まれ、胸壁に足がかかった。その後ろには何もない。
ググのねらいは、ガルズを地面に突き落とすことだ。
「くっ! マケランにとどめを刺すまでは、俺は死なぬ!」
ガルズは必死に体勢を立て直そうともがく。ググはそうはさせまいと相手の腰に手をまわし、腰を落として組みつく。
「これが怒涛の寄り身っ!」
ググは激しく体を揺らしながら、ガルズを空中へ押し出そうとする。自分も一緒に落ちようとする勢いだ。
「ぬうっ、貴様も指揮官を助けるために自ら犠牲となるか!」
ガルズは感嘆の言葉をもらしたが、ググに悲壮感はない。子どものように無邪気な笑顔を浮かべている。
(あいつ、死ぬ気か……!)
マケランはググを怒鳴りつけたかったが、やはり声が出ない。
「ググのことなら、放っておいてください」
マケランの隣でひざをついたのは、グラディスだ。
彼女はググには目もくれず、自分のマントを使って即席の担架をつくり始めた。マケランを運ぶためだろう。
「どっこい……しょおっ!」
ググは躊躇なく自分の体を預け、ガルズと組み合ったまま地上に落下していった。
(ググーっ!)
――と思いきや、落ちたのはガルズだけだ。ググは相手の大きな腹を蹴って、その反動で胸壁の上に飛び乗ったのだ。
「あーあ、また死ねなかったかー」
彼女しか言わないであろうセリフだ。
(なるほど……あいつのことは心配するだけ無駄か)
安心したとたん、体が強烈に痛み出した。
「少尉、しっかりしてください!」
「そんな! 出血が多すぎる!」
兵士たちのあわてふためく声が聞こえる。
痛い。熱い。現実感がない。意識がもうろうとして、自分がどこにいるのかわからなくなる。
見えるのは、澄み切った青空だ。いつの間にか、担架の上で仰向けに寝かされていた。
(俺がここを離れるわけには……)
しかし気力だけではどうしようもない。
「ここまでだ! 城壁を放棄し、主塔へ撤退しろ!」
グラディスが大声で指示を出した。「早く少尉を運べ! シャノン、少尉を頼む!」
「わかりました!」
いつの間にかシャノンも近くに来ていたようだ。「兵士長はどうされますか?」
「あたしはここに残る!」
「だめだグラディス……おまえも撤退しろ……」
ようやく声が出た。
「少尉、誰かがここに残って敵を食い止めなければ、主塔にまで侵入されます!」
(ああ……いまいましいことに、まったくその通りだ)
「兵士長! 私も残ります!」
「なんとしても、ここで敵を食い止めましょう!」
「少尉や仲間たちを助けるために死ぬなら、本望です!」
兵士たちが次々に声をあげた。
「よく言った! ではおまえらも、あたしと共に死んでくれ! 国のために死んでくれ!」
(ダメだ! 俺が生きるために戦えと言ったのを忘れたのか!)
そう言いたいのだが、口からはヒューヒューと息がもれるだけだ。マケランは指一本動かせないまま、担架に乗せられて運ばれていった。
もはや考える力もなく、ゆっくりと目を閉じる。
きれいな青空だけが、目に残った。




