32.火の罠
もう攻撃側の勝利は疑いない。どんどん増殖した燃焼菌は、今や城壁全体を覆っているのである。
アドリアンはガルズとルイを天幕に呼び出し、ワインを振る舞った。
「城壁が焼け崩れるのは時間の問題だな。オレ様に感謝しろよ」
「もちろん感謝しているさ。おまえの活躍は本国にも報告しておこう」
ルイは相変わらず横柄な態度だが、アドリアンもその功績は認めざるを得ない。
「うむ、たいしたものだ」
ルイを嫌っているガルズも、今は褒めたたえた。「城壁がなくなれば、もはや奴らに抵抗する手段はない。全軍で総攻撃をかけよう」
「おう、楽しみだな! 早く生きてる人間の体を焼きたくてたまらねえぜ!」
三人でワインを酌み交わしながらそんな話をしていると、ドワーフのロージが天幕に入ってきた。何やらけわしい顔をしている。
「司令官、報告がある」
「ああ、坑道のことだな。そろそろ守備側の坑道とつながるか?」
「そうじゃない、掘っている途中でおかしなものが出てきたんだ」
「おかしなものとは、なんだ?」
「蛇神ムーズ様の御姿が描かれた木の板だ。その板が城壁へ続くルートを壁のようにふさいでるんだ。もちろん板を傷つけずに取り外すことは可能だし、迂回して掘り進めることもできるが、地中にそんなものが埋まってるなんて異常だから、報告しておこうと思ってな」
アドリアンとガルズは顔を見合わせた。
「ムーズの絵が描かれた板か……。守備側が先回りして設置したということだな。マケランめ、我々が坑道を掘っていることを察しただけでなく、ルートまで正確に読み切っているとは……」
「ムーズ様の絵があるのは城壁の外側とのことだが、守備側の坑道がそこまで到達しているということは、かなり早い段階で掘り始めていたことになる」
「どうやら、祝杯をあげるのは早すぎたようだ」
アドリアンはグラスを卓上に置いた。「なぜそんなに早く、こちらが坑道を掘っていることがバレたのか、見当がつかんな。トカゲたちの話ではマケランは士官学校を出たばかりとのことだが、尋常ではない洞察力だ」
「ムーズ様の絵を置いたことにも、何か意味があるはずだ」
ガルズもワインを飲むのをやめ、腕を組んで考え込む。「うーむ……考えられるとすれば、こちらの坑道掘りを妨害することだが、絵をどけて掘り進めることができるなら、あまり意味はないな」
「他に何かねらいがあるはずだ。坑道掘りは中止したほうがよいだろうな。このまま城壁が焼け落ちるのを待とう」
2人のやり取りを聞いたルイは鼻で笑った。
「ふん、おまえらさっきから何の話をしてるんだ? 木の板なんか叩き壊して掘り進めればいいだろうが」
神を怖れぬ魔法使いの言葉に、ロージは目をむいた。
「とんでもない! そんな畏れ多いことができるもんか!」
当然ながらドワーフたちもジャラン教を信仰している。
偉大な神であるムーズの画像を破壊するような、冒涜的なことができるはずがない。
「くだらねえ、実にくだらねえ」
ルイはあざけるように言った。「所詮は人間が描いた絵じゃねえか。それを叩き壊したからって、どんな祟りがあるってんだ?」
「司令官、もう一つ付け加えることがある」
ロージはルイを無視して報告を続けた。「ムーズ様の絵の下には、赤いインクでこんな文章が書かれてた。『魔法使いに告ぐ。おまえの汚れた火では偉大なるムーズを傷つけることはできない』とな」
ルイの目が暗く輝いた。プライドの高い彼が、自慢の魔法を侮辱されて黙っていられるわけがない。
「バカにしやがって! 傷つけることができないかどうか、奴らに見せてやる!」
「おい、つまらん挑発に乗るな」
アドリアンはルイをなだめた。待っていれば城壁が焼け崩れるというのに、無駄なことをする必要はない。
「必要もないのにムーズ様の絵を傷つけるのは、俺も気に入らぬな」
ガルズの言葉に、ルイはますますムキになった。
「ヘビの神がなんだってんだ! その板の向こうにいる間抜けどもに、オレ様の魔法の力を見せてやる!」
ルイはグラスを床に叩きつけると、返事も聞かずに天幕を出て行った。
―――
止めようとするロージを無視して、ルイは坑道に入った。ロージは悪態をつきながらついてきた。
坑道の突き当たりまで来ると、数十人のドワーフたちが集まり、不安そうに言葉を交わしている。
彼らの目の前にあるのは、高さが2メートルを超える大きな板だ。天井から吊り下げられたランプが、その板に描かれた絵を照らしている。
「それが、さっき話してたムーズ様の絵だ」
あざやかな色使いで描かれた写実的な絵で、とぐろを巻いたムーズがこちらを向いて舌を出している。
普通のヘビとは違い、額の部分にとがったツノが生えている。これが蛇神ムーズの特徴だ。
絵の下には赤い文字で「魔法使いに告ぐ。おまえの汚れた火では偉大なるムーズを傷つけることはできない」と書かれている。
「クソッ、たかがヘビのくせにオレ様をバカにしやがって」
その冒涜的な言葉に、ドワーフたちがいきり立った。
「おい、あんた、ムーズ様に対して不敬だろうが!」
「何がムーズ様だっ! 地を這うしか能のないニョロニョロの分際で、天空を駆けるドラゴンの神に戦いを挑むとは、身の程知らずもはなはだしいっ!」
さらにいきり立つドワーフたちを無視して、ルイは詠唱を始めた。
「火の精霊サラマンダーよ、契約に従い、その力を行使せよ――」
「お、おい貴様、絵を燃やすつもりか!?」
「そのために来たんだ。黙って見てろ」
ルイはドワーフに止められる前に、木の板に向かって手のひらを突き出した。「不浄なるものを焼却せよ、聖火!」
魔法の火はあっという間に板全体を覆い尽くした。周囲のドワーフたちが頭をかかえる。
「よし、燃えろ燃えろ! このままヘビを焼き尽くせ!」
ムーズの絵は炎の中で焼け落ちていく。
しかしルイは違和感を覚えた。
(どうも燃え方が変だな)
だが何が変なのか、深く考えることができない。なぜか頭がもやもやする。
後ろからドサッという音がした。
振り向くと、ロージが地面に倒れこんでいた。
「お、おい、どうしたおまえ!?」
ルイはしゃがみこんでロージの頭をバンバン叩いたが、ピクリとも動かない。完全に意識を失っているようだ。
ロージだけではない。他のドワーフたちも次々と地面に倒れていった。
「ちっ、なにがどうなって……ウッ……!」
ルイもめまいがして、たまらず膝をついた。
(なんだこりゃ……吐き気がする……。まさか神罰じゃねえだろうが……)
充満する煙で目が痛む。板を燃やしただけで、こんなに煙が出るはずがない。
原因を探ろうと周囲を見渡すと、木の板の向こうにある黒い土が大量の煙を上げているのが見えた。
(いや……土じゃねえな……あれは……)
木炭だ。大量の木炭が燃えている。
彼がそれに気付いた時には、すでに意識を失っていた。
―――
翌日、魔法使いのルイと、近くにいたドワーフ16人の死亡が確認された。
共和国軍の軍医は彼らの死因について、煙を吸ったことによる窒息死と判断した。
しかし軍医に化学の知識があれば、より正確な死因を割り出すことができていただろう。
――すなわち、一酸化炭素中毒である。




