29.燃焼菌
共和国軍は引き揚げていった。
魔法使いのルイを仕留めることはできなかったが、土を使った消火作業により火は完全に鎮火している。
だが、安心するには早い。
「魔法使いは城壁に手をあて、何か呪文のようなものを唱えていたようです」
シャノンの指摘に、マケランはうなずいた。
「魔法の詠唱だろうな。城壁がどうなっているか確認しよう」
マケランたちは南東に張り出した塔へやってきた。ここからなら、ルイが触れていた箇所を視認することができる。
「何やら赤い粒のようなものが、城壁に点々とついていますね」
「ああ、確かに何かあるな。パッと見ただけではわからないほど小さいが、赤く光っている。魔法による火かもしれない」
「ハハッ、ずいぶんとしょぼい火ですね」
グラディスが笑い飛ばした。「あんな芥子粒みたいな火で、石の城壁がダメージを受けるわけがありませんよ」
(そうだろうか? なんだか嫌な予感がするな)
「あの……私は魔法使いの詠唱の言葉が聞こえたのですが」
兵士が口をはさんだ。「最後に燃焼菌と言っていたような気がします」
「燃焼菌だと!?」
「知ってるんですか、少尉?」
「ああ、士官学校に付属する図書館で、その魔法に関する本を読んだことがある。あの図書館はすごいんだ。まさに『知識の城』と呼ぶにふさわしく――」
「士官学校の図書館の素晴らしさについては、以前にもうかがいました」
シャノンがさえぎった。「それで、それはどんな魔法なのですか?」
「えーと……君はものが燃える仕組みを知っているか?」
「薪のような燃料に熱が加わると発火する……ということでしょうか?」
「それで合っているが、さらに空気も必要になる。土をかけると火が消えるのは、空気の供給が断たれるからだ」
「あ、はい、それはわかります」
「学者の言葉では、燃焼には『可燃物』と『支燃物』と『熱』の三要素が必要になる。可燃物というのは、薪や油や炭などの燃料だ。支燃物というのは、空気のことだと思っておけばいい。そこに一定以上の熱が加わると発火する」
「それで燃焼菌というのは、どんな魔法なんですか?」
グラディスがじれったそうに先をうながした。学問的な話には興味がないようだ。
「言葉どおり、燃える細菌を生み出す魔法だ。細菌というからには、生物だ」
「生物!? ひょっとしてあの小さな火は、すべて生きているんですか?」
「おそらくな。燃焼菌は自ら発火する生物なんだ。その細胞には燃焼に必要な三要素、可燃物と支燃物と熱がすべて備わっている。自分の体が可燃物だから、周囲に燃料がなくても燃え続けることができる。自分の体が支燃物だから、空気も必要ない。高温も自らの体内で生み出すことができる。そして魔法で生み出された燃焼菌は、外部からの働きかけによって死ぬことはない」
「死なないってことは、つまり――」
「そうだ、あの火は消えないということだ」
「そんな……何をやっても火が消えないんですか?」
「外部からの働きかけでは消えないが、細胞が燃え尽きれば細菌は死滅し、自然に消火する」
「それなら大丈夫ですね」
グラディスはホッとしているが、マケランは首を振る。
「まったく大丈夫じゃない。燃焼菌の恐ろしいところは、死滅するよりも分裂し増殖する速度の方が早いということだ」
グラディスとシャノンは、驚愕に目を見開いた。
「あの火は分裂増殖するんですか!?」
「そうだ。燃焼菌は細胞分裂を繰り返すことによって燃え広がる。どんどん数を増した火は、いずれ城壁を高熱によって崩壊させるだろう」
「そんな……城壁が焼け落ちるまで、どれくらいの時間がかかるでしょうか?」
「見た感じでは増殖スピードは早くないようだから、それなりの日数はかかると思う。だが分裂増殖では等比級数的に数が増えるから、のんびりと構えているわけにはいかない」
「外部からの働きかけでは火は消えないという少尉の言葉を疑うわけではありませんが、それでも一度は消火を試みるべきだと思います」
シャノンが進言した。
「ああ、その通りだ。古い本の知識を鵜呑みにするわけにはいかない。本当に燃焼菌を殺せないかどうか、土や水をかけて試してみよう」
「それを試すためには城外へ出る必要があります」
グラディスは険しい顔で言った。「外へ出れば敵が襲ってくる危険があります。それに消火作業中に誤って燃焼菌を体に付着させれば、じわじわ焼け死ぬという悲惨な目にあうでしょう」
「お呼びですか?」
「お呼びでない」
「でも少尉、こんなことになったのは、きっとアタシが魔法使いを挑発したからです。どうかその責任を取らせてください!」
ググはめずらしく神妙な顔つきだ。
「責任云々はともかく、こういう作業はググが適任だと思います。意外に器用な奴ですから」
グラディスがそう言うので、ググに消火作業を任せることにした。
日が完全に落ちてから静かに城門を開け、彼女を城外に送り出す。たった1人の兵士を襲うために、わざわざ共和国軍がやってくることもないだろう。
30分ほど経ってからググは戻ってきた。悲嘆にくれた表情だ。
「少尉、残念です。水でも土でも燃焼菌の火は消えませんでした。敵は襲ってこないし、誤って体に火がつくこともありませんでした」
「後の方は残念じゃないからな」
ともかく、これで燃焼菌は殺せないことがはっきりしたわけだ。
「打つ手なしってことですか。魔法とは恐ろしいもんですね」
グラディスは深刻な顔で嘆いている。
暗くなったので、赤く燃える無数の細菌ははっきりと目に見えるようになった。それをながめる兵士たちも憂い顔だ。
(まずい、まずい、まずい)
マケランは叫び出したい気分だ。
だが指揮官が兵士の前で、取り乱す姿を見せるわけにはいかない。
「問題ない。燃焼菌を全滅させる方法が1つだけある」
いつものようにすました顔で、メガネをクイッと押し上げてから言った。
「そうなんですか!? その方法というのは?」
興奮した口調で問いかけるグラディスに、マケランは何でもないことのように答える。
「術者であるルイを殺すことだ。そうすれば魔法でつくり出したものはすべて消え失せる」




