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黒蛇の紋章  作者: へびうさ
第1章 レイシールズ城防衛戦

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24.まともではない処置

「俺が初日の演説で、『この戦いの目標は最後まで生き残ることだ』と言ったのを覚えているか?」


 兵士たちがざわつく中、マケランはグラディスに問いかけた。


「もちろん覚えてます。少尉は騎士とは違い、兵士の命を大事にする方だと思いました。それでも罪を犯した兵士は裁かねばなりません、それが指揮官の仕事です」

「その考えは間違っていない。だが指揮官のもっとも重要な仕事は、勝つことだ」

「それはその通りです。だからこそ脱走兵は処刑しなきゃなりません。規律の乱れは士気の低下につながるからです。脱走しようとした兵士に甘い処分をすれば、真面目に戦ってる兵士が不満を抱きます。そうなれば、今後も脱走しようと考える者が出てくるでしょう」

「グラディス、今は非常事態なんだ」


 グラディスは怪訝(けげん)そうに眉をひそめた。何をわかりきったことを、と言いたげだ。


「もちろん今は平時ではなく、戦時です。だからあたしは、少尉を侮辱したヘレンを斬りました」


 ここでヘレンを殺したことに言及したのは、彼女もそのことをずっと気にしていたからだろう。


「あの時の君の処置は、まだ学生気分だった俺の目を覚ましてくれた。おかげで指揮官としての覚悟を決めることができた。

 だが俺が初めから毅然とした態度を示していれば、ヘレンが反抗的な態度をとることはなかったと思う。だから彼女の死は俺に責任がある。そのことは今も後悔している」


 兵士たちがどよめいた。今まで自信満々な態度をとり続けたマケランが、兵士たちの前で自分の非を認めたことが意外なのだろう。


「指揮官が兵士たちの前で、そのような弱気なことを言わないでください!」


 グラディスは声を荒らげて注意した。「ついさっき少尉は、今は戦時だと言ったじゃないですか! そんな時に指揮官の権威がゆらげば――」


「それは違う」


 マケランはグラディスの剣幕にもまったくひるまず言い返す。「戦時ではなく、()()()()だと言ったんだ。軍にとって戦いは通常の状態であり、非常事態ではない」


「それは……確かにそうですが」


 マケランが何を言いたいのかわからず、グラディスはとまどっている。他の下士官や兵士たちも同様だ。


「人間というのはどんなひどい状況でも、毎日続けば慣れてしまう生き物だ。だから君たちは、今がどんなヤバイ状況なのか忘れているようだ。

 俺たちの戦力は女性兵士が300人。それに対し敵は1万人。その中には身体能力の高いウェアウルフもいるし、技術に()けたドワーフもいる。そして人智を越えた魔法使いがいる。

 はっきり言って絶望的な戦力差であり、戦時という言葉ではとてもこの状況を表現できない。俺たちがまだ生きていて、こうして話をしているのは奇跡なんだ」


 グラディスはもちろん、全員がハッとした表情になった。最近のリザードマンの攻撃がぬるいせいで、楽観的になっていたことに気付いたようだ。


 いつまでも共和国軍がこんな戦い方を続けてくれると期待することはできない。敵が戦力の温存をやめて全力で攻撃してくれば、今の状態ではとても防ぎきれないのだ。


「そうですね」


 グラディスは認めた。「今が絶望的な状況であることは、無意識のうちに考えないようにしてたのだと思います」


「私もそうです」


 シャノンが続けた。「常に死を意識して正気で日々を過ごせるほど、私の心は強くありませんでした。だから少尉の命令に従って戦うことだけを考えていました」


「俺は指揮官だから、絶望的な状況から目をそらすわけにはいかなかった。

 その危機感は、どうか君たちも共有してほしい。

 俺の指示に忠実に従ってくれるのはありがたいが、それだけでは足りない。君たちの1人ひとりが持っている以上の力を発揮しなければ、最後まで生き残ることはできないんだ」


 兵士たちは恥じるように顔を伏せた。危機感がなかったからこそ、香水のような小さな問題で言い争いができたのだ。


「おい御主人」


 今まで黙って成り行きを見守っていたピットが、口をはさんだ。「今がヤバイ状況なのはわかったが、それと脱走兵を許すことと、どうつながるんだ?」


「軍規に照らして脱走兵を処刑する、それは正しい処置だ。だが今のような非常事態でそんな()()()()()()をしていては、とても勝てない」


 マケランは左袖をまくり上げた。そして剣を抜き、腕の内側に刃をあててスッと引く。

 肌に赤い線が走り、やがて鮮血がポタポタと(したた)った。


「えええっ!? なにやってんだ!?」


 突然の自傷行為に、ピットが目をむいた。


「全兵士に告ぐ! 俺と同じように左腕を切れ!」


 脱走しようとしてルーシーに斬られた兵士は、左腕に傷を負っている。だからみんなで同じ傷を負い、誰が脱走兵かわからなくしよう。

 これがマケランの考えた、まともではない処置だ。


「はあ……第一印象では真面目な方だと思ってたのに、とんでもない不良軍人ですね、あなたは」


 ため息をついて愚痴りながらも、真っ先に動いたのはグラディスだ。左腕の袖をまくり上げると、剣を抜いてスッと刃をすべらせる。

 そして血が滴る左腕を、兵士たちに見せつけるように高く掲げた。


「指揮官の命令だ! 全員従え!」

「はい!」


 元気よく返事をしたのはググだ。さわやかな笑顔で自分の左腕を切ると、プシューッと激しく血が噴き出した。


「そんなに深く切らなくていい! 皮膚の表面を薄く切るだけでいいんだ!」


 マケランはたまらず叫んだ。


「こうですね」


 腕に矢傷を受けているマイラは、包帯でぐるぐる巻きの右腕でなんとか剣を抜くと、その刃に左腕をあてて軽く切った。


「自分も少尉に従うであります!」


 脱走兵の腕に傷をつけた張本人であるルーシーも、迷わず自分の左腕を切る。

 それから兵士たちは、競うように自らの左腕を傷つけていった。ためらう者は1人もいない。


 だがピットだけは(あき)れた様子で、マケランの傷口をぺろぺろとなめている。そうすれば早く治ると思っているようだ。


「ピット、もういい」


 マケランはピットをなだめてから、左腕を天に向かって突き上げる。


「これで俺たちは、同じ傷を負った戦友だ!」


 兵士たちも同様に、左腕を天に突き上げた。


「「おーーーーーっ!!」」


 夕日が赤く照らす中庭(ウォード)で、300人の赤い血が滴った。

 誰もが、自分がこの軍の一員であることに誇りを抱いていた。


「よし、全員腕を下ろせ」


 マケランが命令すると、全員がすぐに従った。「これで君たちは絶望的な状況から目をそらすことはない。怖くなった時にはその傷を見ろ。勇気がわいてくるはずだ」


「「はい!!」」


「いい返事だ。ではもう1つ、不良軍人にふさわしい通告をしよう」


 マケランは兵士たちの顔を見渡して告げた。「軍務中をのぞき、香水や鏡の使用を許可する。他にも良識の範囲内ならば、おしゃれを楽しむことを認める」


 ワアッと大きな歓声が上がった。

 彼女たちは今、真の意味で戦う覚悟を決めたのだ。多少身だしなみに気を使ったところで、規律が乱れることはあり得ない。


「なお、どこまでが良識の範囲内かは、グラディス兵士長の判断にゆだねる」

「勝手なことを言い出しておいて、あたしに丸投げですか!?」


 その軽妙なやり取りに、兵士たちは笑い合った。

 マケランも自然に笑っていた。




「ずいぶん熱い指揮官だったじゃないか」


 兵士たちを解散させて自室に戻ったところで、ピットが嬉しそうに声をかけてきた。


「まあな。これでもう、俺のことを冷酷などと言う奴はいないだろう」


 マケランはフッと微笑み、親指と中指でメガネを押し上げた。


「少尉、たいへんです!」


 扉がバンと開かれ、ググが入ってきた。


「またか。今度はなんだ」

「グラディス兵士長と一部の兵士たちが言い争いを始めちゃいました」

「なぜだ? 問題は解決したはずだろ?」


「あの後みんなで、少尉がすごくカッコよかったって話をしてたんです。それで誰が最初に告白しようかって騒いでたら、兵士長が怒っちゃって。

 兵士が指揮官に対して、風紀を乱すような(よこしま)な気持ちを抱くなって言うんですよ。もっともだけど、それに反発する子もいて」


 マケランはピットに顔を向けた。


「どうすればいいと思う?」

「知らん」




―――




 その日の深夜、兵舎にて――。


 兵士たちは寒さを少しでも軽減するため、(わら)布団の中で体を寄せ合いながら、明日の戦いに備えて静かな寝息を立てている。

 その中に1人、仲間たちから離れてすすり泣いている兵士がいた。


「ううっ……。少尉……マケラン様……」


 彼女の左腕には、先ほどつけたばかりの傷が赤い線となって走っていた。

 脱走しようとした時に斬られた傷を、覆い隠すように。

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