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黒蛇の紋章  作者: へびうさ
第1章 レイシールズ城防衛戦

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20.美しくありたい兵士たち

 攻撃側のハシゴ登りは連日続いているが、やはりリザードマンたちの動きは鈍く、問題なく退けることができている。


 マケランは敵が引き揚げたことを確認すると、当番の兵士に見張りを任せて自室に戻った。


「おい御主人、無事だったか?」


 部屋に入るとすぐにピットが駆け寄ってきて、マケランの全身の匂いをクンクンとかいでいく。

 そしてどこにも怪我をしていないことを確認すると、マケランをベッドに座らせた。


「ホラ、さっさと重い防具を脱げ」


 マケランはピットに手伝ってもらいながら、マント、鎖帷子(くさりかたびら)手甲(てっこう)などの装備を外していった。


「マイラが重傷を負ったにもかかわらず、日に日に兵士たちの緊張感が薄れている気がする。敵の攻撃がぬるいせいだ」


 マケランは装備を外しながら、独り言を口にする。「こんなことで、いつか敵が本気で攻めてきた時に防ぎきれるだろうか? もし共和国軍のねらいが俺たちを油断させることだとすれば、そのねらいは成功しているな」


「そうか、そりゃ大変だな」


 返事を期待しているわけではない独り言だが、ピットは適当に相槌を打ってくれる。


 すべての装備を外すと、ピットはマケランの靴をくわえて逃げ出す。そして追いかけっこをして遊ぶ、というのがいつもの日課だ。


 だが今日は遊ぶ気分にはなれない。マケランは自分で靴を脱ぐと、ピットに取られないようしっかりと手に持った。


「悪いな。今日は疲れてるから、靴は渡さない」

「そうか、わかった」


(ん? 意外に素直だな。文句の1つも言うかと思ったが)


 兵士の緊張感が足りないという話を聞いて、自分も遊んでいる場合ではないと思ったのかもしれない。

 ――と思いきや、ピットはそこまで聞き分けがよくはなかった。


「靴よりも、こっちのほうがいいと思ってたんだ」


 そう言ってマケランの靴下を脱がせると、口にくわえて逃げ出した。


「おいっ! そんなものを口に入れる奴があるか!」

「へへっ、じゃあ取り返してみろよ」


 ピットはマケランの靴下をくわえたまま、楽しそうに飛び跳ねている。


(くっ、結局こうなるのか)


 毒づきたくなるが、普段はぶっきらぼうなピットが屈託のない笑顔を浮かべているのを見ると、やはり遊びの時間は必要なのだと思ってしまう。


「いいだろう、今日は本気で相手をしてやる」


 まずはじっくりと相手の動きを観察する。

 ピットは8メートルほど離れた位置でダンスのようなステップを踏みながら、挑発的な笑みを浮かべていた。


(なるほど、俺のことをあなどっているようだな。いつもは勝たせてやっているが、そろそろ飼い主の威厳を示すことにしよう)


 マケランはジリッジリッと近付いていく。

 ピットは動かない。自慢の瞬発力を活かせば、いつでも逃げられると思っているのだろう。


 だがマケランも士官学校で勉強ばかりしていたわけではない。剣術、槍術、格闘などの近接戦闘の成績も、確実に上位5人には入っていた。


「どうした御主人、そんなゆっくりした動きじゃ、オレはつかまえられないぞ?」


 ピットの挑発に対し、マケランはメガネをクイッと上げて答える。


「フッ、俺は『黒蛇』と呼ばれた男だぞ。ヘビはじっくりと獲物の動きを観察し、一瞬で仕留めるんだ」


 連日の追いかけっこで、ピットの動きのくせはつかんでいる。動き出す時には、必ず予備動作があるのだ。

 マケランは少しずつ距離をつめていく。


 タンッ!


 ピットが床を蹴った。


(そこだ!)


 マケランはピットの逃げる方向を予測し、前傾姿勢で飛びかかる。

 ピットはバックステップで身をかわすが、そこはもう壁ぎわだった。そうなるように追い込んでいたのである。

 ピットの顔に、初めてあせりの色が見えた。


「クッ、つかまるもんか!」


 ピットはいちかばちか、マケランの横をすり抜けようとする。


「甘いっ!」


 マケランは腕を伸ばしてピットの襟首をつかみ、覆いかぶさるように床に倒した。


「ムギュー」


 完全に押さえ込まれたピットは、悔しそうなうめき声を上げた。


「フフッ、ようやくつかまえたぞ。さあ靴下を返してもらおうか」

「少尉、たいへんです! すぐに兵舎へ来てください!」


 突然入り口の扉がバンと開かれ、あわてた様子の兵士が入ってきた。

 誰かと思えば、ググだ。マケランがピットを組み伏せている姿を見て、なぜか目を輝かせている。


「あっ、突然入ってきちゃってごめんなさい!」

「なにかあったのか?」

「グラディス兵士長と一部の兵士たちが激しく言い争ってるんです。このままだと殴り合いになるかも」

「ケンカか? わかった、すぐに行く」


 マケランは立ち上がった。こうなったからには、遊んでいるわけにもいかない。


「じゃあ、オレも行く」


 ピットも表情を引き締めて立ち上がり、再びマケランに靴と靴下を履かせた。

 ググはそんなピットを見て、申し訳なさそうに告げる。


「ピット君、せっかく御主人様に虐待してもらってたのに、邪魔してごめんね」

「黙れ変態女。おまえじゃあるまいし、虐待されて嬉しいわけないだろ」

「そもそも俺は虐待なんてしてないからな」


 3人で主塔(キープ)を出ると、西の空は夕焼け色に染まっていた。

 兵舎まで歩きながら、ググに詳しい状況を聞く。


「もめごとのきっかけは、兵士長が香水の使用を禁止したことです」

「香水? そんなものがこの城にあったのか?」


 香水は高価なものであり、普通は貴族でなければ使わない。


「騎士さんたちが使ってたのが残ってたんですよ。騎士さんはみんな死んじゃったんで、せっかくだからアタシたちで使おうってことになって。籠城中はあまり体を洗う機会がないから、みんな体臭を気にしてたんです。近くには少尉みたいなカッコイイ男の人もいますからね」


「そういえば兵士からいい匂いがする気がしたが、あれは香水のせいだったのか」

「オレはクサくて鼻が曲がりそうだったぞ。人間はなんでわざわざ変なニオイをつけるのか、理解できない」

「うーん、ピット君の鼻には合わなかったかあ」

「そういうおまえは、香水つけてないな」

「アタシはそういうの気にしないから。ほらほらピット君、クサいって(ののし)ってくれてもイイんだよ?」

「おまえはオークの木のニオイがする。自然な感じで嫌いじゃない」

「そうなんだ……」


 ググはがっかりしている。


「香水を禁止したグラディスは間違っていない」


 マケランはきっぱりと言った。「兵士たちは毎日、生きるか死ぬかの戦いを続けている。本来なら体臭など気にする余裕はないはずだ。だが高い城壁に守られ、リザードマンの攻撃もぬるいせいで、緊張感が薄いようだ」


 もちろん美しくありたいという気持ちは理解できる。この城にいる女性兵士のほとんどは、10代後半から20代半ばの、人生でもっとも美しさを誇れるはずの年齢の者たちなのだ。


 それでも防衛戦が始まってしまったからには、身だしなみを気にしている場合ではない。一瞬の油断が命取りになる。


「兵士長も同じことを言ってました。香水だけじゃないんです。布を腰に巻いてスカートみたいに着こなすことも、剣に飾り紐をつけることも禁止されちゃって。城に1枚しかない鏡を見ることさえダメだって言うんですよ。どれも籠城戦が始まる前は黙認されてたのに」

「それも当然だ。平時と戦時は違う」

「みんなもそれはわかってるんだけど……。兵士長に不満を持った子たちは、ヘレンを殺したこともやりすぎだったって言い出して」


 ヘレンというのは、共和国軍の襲撃があった日にマケランを侮辱したため、グラディスに斬られた兵士の名前だ。


「あの件について、グラディスを批判する奴らがいるのか?」

「はい」


(まずいな。同調する者が出てくれば、兵士たちの間で分断が生じるかもしれない)


「急ぐぞ」


 マケランは足を速めた。

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