17.死と苦痛を愛する少女
日が暮れると、ハシゴ登りをしていた敵は引き揚げていった。
地面にはリザードマンの死体が散乱しているが、味方に負傷者はいない。グラディスに顔面を殴られた、ググという名の兵士を除けばだが。
マケランは彼女を叱責するため、自室に呼び出した。
「ググ、参上しました!」
少女はマケランの机の前に立つと、ビシッと左手を上げて敬礼をした。
肉体的にも精神的にも疲労困憊の他の兵士と異なり、元気いっぱいのようだ。
そんなググを挟んで立つグラディスとシャノンは、苦々しい表情だ。おそらく普段から、彼女には苦労させられているのだろう。
ピットはマケランの隣に立ち、この不思議な少女を興味深げにながめている。
(彼女はまだ17歳ということだが……)
マケランは机の上で手を組み、ググの姿を観察する。
年齢の割には幼い顔立ちで、パッチリとした大きな目が印象的だ。
初めて入るマケランの部屋が珍しいのか、落ち着きなくあちこちに顔を向け、そのたびにオレンジ色のポニーテールがピョンピョン揺れている。ヘビの形のリボンがかわいらしい。
「キョロキョロするな。ちゃんと少尉の顔を見ろ」
グラディスに注意されたググは、マケランに顔を向けた。瞳がキラキラと輝いている。
「君はなんでそんなに嬉しそうな顔をしてるんだ?」
「だって少尉とお話ができるんですから! 後でみんなに自慢できます!」
「おしゃべりをするために呼んだわけじゃない。君を叱責するために呼んだんだ」
マケランは厳粛な顔をつくって言った。「今日はなぜ、あんな無茶をした? いくらなんでも危険すぎるぞ」
「だからですよ! 危険なことは大好きなんです!」
「……どういうことだ?」
「アタシ、6歳の時に雷に打たれたことがあるんです。でもその時は、全身に大やけどを負った程度で済みました」
「程度で済んだ、というレベルの怪我じゃないと思うが」
「そうですよね、アタシの人生が一変するほどの大やけどでした。それ以来、死にかけた快感が忘れられなくて、たびたび危ないことに首を突っ込むようになったんです」
(やはり頭がおかしい)
「危ないことというのは、例えばどんな?」
「アタシの故郷のボヒット村では、男子は成人の儀式として断崖絶壁から滝つぼに飛び込む風習があるんですよ。死ぬこともある危険な儀式ですが、アタシは女なのにそれを9歳の時にやりました。それ以来、毎年飛び込んでます」
「成人の儀式というのは毎年やるものじゃないと思うんだが……。他には?」
「馬に後ろから抱きついて蹴られたり、全裸で雪山に登って幻覚を見たり、素手でカバと戦って頭から喰われたり――」
「わかった、もういい」
マケランはグラディスとシャノンに目をやった。2人とも申し訳なさそうな顔をしている。
「確かにググは頭がおかしいです」
グラディスは釈明した。「でも身体は頑健で、戦闘訓練では誰よりも強いです。あたしでも、パワーではこいつにかないません」
「それはすごいな」
グラディスよりも力が強い兵士がいたとは驚きだ。
「危険を怖れない彼女の資質は、兵士としては悪くないかもしれません」
シャノンも彼女を弁護した。「ただ……自分から死のうとするのはやはり困りますね。今日のようなことをすれば、皆に迷惑がかかりますし……」
「危険なことが好きと言ったが、死ぬことも好きなのか?」
マケランはググを問いただした。
「もちろんです! アタシは死を知りたいんです! 死に近付いていることを実感すると、背筋がゾクゾクして楽しくなるんです!」
「それで本当に死んだら、2度と楽しいと感じることはできなくなるだろう」
「そうなんですよ、1回しか死を経験できないってのは理不尽ですよね。死なない程度の苦痛で満足するしかないのかなー。あっ、もちろん体の痛みだけじゃなくて、心の痛みも大好きですよ。好きだった男の子に告白して、『消えろ変態女』って言われた時は、興奮して頭が沸騰しそうになりました」
「君はひょっとして、何かおかしなクスリを飲んでいたりしないか?」
「薬は飲んでませんが、時々実家からキノコを送ってもらってます。そのキノコを食べると吐き気がして、全身がしびれるんですよ。死がすぐそばにいることを実感できます」
(ああ、もうこいつに関わりたくない)
ピットに目を向けると、耳をペタンと前に倒し、しっぽを股の間に挟んでいる。
さらには体を小刻みに震わせ、マケランに寄り添ってきた。理解できない生物を目の前にして、怖がっているようだ。
(死を怖れないというのは、兵士にとって優れた資質と言えるかもしれないが……)
だが初日の演説で言ったように、兵士は生きるために戦うべきというのがマケランの信念だ。
二度と今日のような無茶をしないよう、厳しく叱っておかねばならない。
(叱るのは苦手だが、そうも言ってられないか)
マケランはコホンと咳ばらいをしてから、大声で怒鳴りつけた。
「君が勝手な行動をすれば、他の兵士までが危険にさらされるんだぞ! 死にたいなら軍をやめろ! 規律を乱すような者はここには必要ないっ!」
見たこともないマケランの剣幕に、グラディスとシャノンは息をのんでいる。
(厳しく言い過ぎたかな)
不安になった。叱ることに慣れていないため、言葉が強くなりすぎたかもしれない。
ググの様子をうかがうと、両手で自分の体を抱きしめ、なぜかウットリした表情を浮かべている。
「ハア……ハア……、あの……もっと強く叱ってもらえますか? 変態と罵ってくださっても構いませんよ。
あ、でも少尉になら大声で怒鳴られるよりも、メガネをクイッと押し上げて、蔑んだ目付きで、『失せろ、ゴミ』と突き放すように言われた方が興奮するかもしれません」
「グラディス、彼女のことは君に任せた」
「すいません、あたしの手には負えそうにないです」
2人で譲り合っていると、シャノンが提案した。
「この状況で追い出すこともできませんし、ググには危険な任務を与えてやってはどうでしょうか? 今後、そのようなことが必要になるかもしれません」
「さすが副兵士長、ぜひそれでお願いします! あ、イイこと思いつきました! アタシ一人で決死隊を結成して、夜が更けてから敵の陣地に忍び込むんです! それで大将の寝首をかくことができれば、少尉も褒めてくれますよね!」
楽しそうなググを見て、マケランは頭が痛くなった。
「……考えておこう。だが当分の間は、君を戦闘には参加させない。勝手な行動をする者がいると、規律が乱れるからな」
「えー、ひどいです。戦闘に参加できないなら、アタシは何をしたらいいんですか?」
「男たちと一緒に坑道を掘ってもらう」
ググの瞳が輝いた。
「坑道を掘ってたら、崩落して生き埋めになる危険がありますよね?」
「そんな危険はない。崩落しないように支柱を立て、天井や壁もしっかりと木材で補強しながら、慎重に掘り進めているからな」
「そうなんですか……」
ググは不満そうだが、譲るわけにはいかない。
「明日から君の仕事場は坑道だ。リーダーのフレッドの指示には必ず従ってもらう。もし従わなければ、ずっと安全な場所に閉じ込めておくからな」