16.リザードマンの悲劇
「そんなバカな!?」
「まさか!?」
グラディスとシャノンは同時に驚きの声を発した。彼女たちの視線の先には、息を切らして城壁に向かってくるリザードマンたちの姿がある。
「人間と亜人種が共存するペルテ共和国でも、リザードマンは被差別種族なんだ」
マケランはけわしい顔で説明する。「もちろん建前上は、人間もすべての亜人種も平等ということになっている。だが実際には、リザードマンに対する差別は今でも根強く残っているんだ。住む場所や就ける職業が制限されているし、何もしていないのに犯罪者のように扱われることもある。他種族がリザードマンを殺しても、何のおとがめもなかったりする」
「なんでそんなひどいことを!?」
「リザードマンの外見がドラゴンに似ているからだ。ペルテ共和国もジャラン教を信じる国だから、ドラゴンは忌み嫌われているんだ」
ジャラン教の教えでは、ドラゴンの神である龍神ビケイロンは、世界を滅ぼそうとする悪神とされている。だからドラゴンは忌まわしい生物とされ、外見が似ているリザードマンも嫌われているのだ。
宗教がからむと、不合理がまかり通ってしまうことは往々にしてある。
「そうだったんですか……あたしは知りませんでした」
「知らなくても無理はない。サーペンス王国にはリザードマンがいないし、語られることもほとんどないからな」
「ペルテ共和国は8種族協和なんて理念を掲げているのに、そんなひどい差別を行っているなんて……!」
普段はあまり感情を見せないシャノンだが、その声には強い怒りがこもっていた。
「おそらく共和国の政治家を問い詰めれば、『我々の国には差別は存在しない』と答えるだろう。大評議会にはリザードマン族にも議席が割り当てられているし、憲法でもリザードマンの権利は保障されているからな。
だが法律をつくっても、人々の意識が変わらなければ差別はなくならない。
特に遠征中の軍隊なんてのは一般社会から隔離されているから、法の網が届かない」
「ハシゴがかけられました! トカゲたちが登ってきます!」
各所で兵士たちから報告の声が上がった。
「やはり登ってくるか」
嫌な予想は当たっていたようだ。リザードマンたちには同情するが、来るからには迎え撃たねばならない。
「各自持ち場に移動しろ! 装填が終わった者から、リザードマンに向けて矢を放つんだ!」
マケランは決然とした語調で兵士たちに指示を出した。
「「はい!!」」
兵士たちは声をそろえて返事をし、上官の指示に従って配置についた。
「グラディス、シャノン、君たちも気合を入れろ! 今はリザードマンに同情している場合じゃないぞ!」
リザードマン差別の話にショックを受けていたグラディスとシャノンは、マケランに怒鳴られて表情を引き締めた。
「はっ! 申し訳ありません!」
「すぐに兵士たちの指揮に向かいます!」
2人は持ち場に走っていった。
(俺も覚悟を決める必要があるな。ここからが本当の戦いだ)
リザードマンたちは右腕に装着した丸盾を頭上に掲げ、恐る恐るといった様子でハシゴを登ってきた。女性兵士たちは胸壁の間から身を乗り出し、クロスボウで狙いをつける。
「さあ、勇気を振り絞れ! 君たちよりも、登ってくる奴らの方がはるかに怖い思いをしているんだぞ!」
「「はい!!」」
兵士たちはマケランの督励に応え、登ってくるリザードマンを狙って次々と矢を放った。
矢を体に受けた哀れなリザードマンは、断末魔の悲鳴を上げて落下していった。
撃ち終わった者はいったん後ろに下がり、矢の装填を行う。入れ替わって2列目の兵士が前に出て発射する。そうやって交代しながら矢の雨を降らせていくのだ。
兵士たちが殺人行為をためらう様子がないのは、相手が自分たちと同じ人間ではなく、亜人種だからだろう。
(リザードマンには気の毒だが、ここで兵士たちに殺しを経験させることができるのは好都合だ)
寒さのため、リザードマンたちの動きは鈍い。
注意すべきは人間の兵士たちによる地上からの援護射撃だが、距離が遠く散発的で、あまり迫力は感じられない。どうやら彼らはリザードマンを援護することに熱心ではないようだ。
(やはり本気で城壁を越えようとは思っていないな)
攻撃側の本命は坑道戦であり、ハシゴ登りはそのカモフラージュに過ぎないのだろう。
「少尉、イイこと思いつきました!」
1人の女性兵士が手を挙げ、場違いに明るい声で話しかけてきた。まだ少女と言っていいほどの兵士だ。
「なんだ?」
「矢を射るよりも、ハシゴを向こうに倒せばいいと思うんです! そうすれば矢も節約できます!」
「それはそうだが、あれは簡単に倒せるものじゃないぞ」
ハシゴは鉄製で、その上端は鉤状になっている。リザードマンたちの体重がかかることによってその鉤が胸壁に食い込み、外れにくくなっているのだ。加えて地上では、ハシゴの下部を複数人でしっかりと支えている。
「確かにちょっと押したぐらいでは倒れないでしょうけど、きっとアタシならなんとかできます!」
「何をするつもりだ?」
「見ていてください!」
陽気な少女は、胸壁に向かって走り出した。
「お、おい! まだやっていいとは言ってないぞ!」
マケランが止めるのも聞かず、少女は胸壁を飛び越えて空中に身を投げた。
(なっ!? 飛び降り自殺!?)
と思ったが、落ちてはいない。体を反転させ、向こうからハシゴをつかんでいた。
信じられない行動に、他の兵士たちはあっけに取られている。
しかし命知らずな少女は、さらにとんでもないことを始めた。
「よいしょっ!」
両手でハシゴをつかんだまま体を反らし、壁を強く蹴ってハシゴを外そうとしているのである。
(バカか、あいつは!)
マケランは慌てて駆け寄った。
「おい死ぬ気か!? 早く戻れ!」
「ぐぐぐ……思ってた以上にしっかりと食い込んでます……もう少しで外れると思うんですが……!」
「外れてハシゴが倒れたら、君も墜落して死ぬだろうが!」
「大丈夫です! その前に城壁の上に飛び移りますから! アタシ、運動神経はいいんです!」
「いいから戻れ! そんな無防備な姿をさらしてたら、下から矢で狙われるぞ!」
「望むところです!」
(頭がおかしい)
「ググ、やめろ!」
グラディスが駆けつけて来て、命知らずな少女を怒鳴りつけた。
「ですが兵士長、もう少しで――」
「やかましい!」
グラディスは身を乗り出し、ググという名の少女の両腕をつかんで強引に引っ張り上げ、そのまま歩廊に投げ捨てた。
ググは一回転して着地した。運動神経がいいというのは嘘ではなさそうだ。
(ふう……助かったか)
マケランはホッと胸をなで下ろした。こんなくだらないことで最初の戦死者を出してはたまらない。
「この、バカちくしょう!」
グラディスはググの顔面を拳で殴りつけた。「勝手なことをすればおまえが死ぬだけじゃなく、味方まで危険にさらすことになるんだぞ!」
「はい! 申し訳ありません!」
殴られたググは、なぜか嬉しそうに謝った。
将校になったばかりのマケランは、ここでようやく知ることになる。
300人も兵士がいれば、1人ぐらいは頭のおかしい奴が混じっているのが必然であることを。