105.生誕の悲劇
「私たちには仕事があります。横になっているわけにはいきません」
ストラティスラはきっぱりと答えた。「ほとんどの人間は、立って働かなければその日の糧を得ることができないのです。殿下のように王族として生まれた者は、彼らの犠牲の上で恵まれた生活を送っていることを自覚してください」
カタリナが驚いた顔を向けた。王子であるマンバを強い口調で諫めたことが意外なのだろう。
「王族だろうが庶民だろうが、この世に生まれてきたことは人間にとって最大の不幸だよ。もちろん君もね」
マンバは不機嫌そうな顔のまま、言い返した。
「そんなことはありません。私は自分を生んでくれた両親に感謝しています」
「君だって生まれた直後は、泣いて悲しんだはずだよ」
「生まれたばかりの赤子が泣くのは、悲しいからではないでしょう」
「いや、赤子が泣くのは、自分の不幸な運命を理解しているからなんだ。しかし成長するにつれ、人はその時の悲しみを忘れてしまう」
「殿下は忘れていないようですね」
「僕は病気だからね。病気の人間は健康な人間よりも、この世の真理が見えてしまうんだよ」
(なんで私はマンバ殿下とこんな話をしてるのかしら。城下の様子について報告するつもりだったのに)
もっとも、取り立てて報告すべきことがあるわけではない。町は平穏で、兵士たちも真面目に仕事をこなしている。
ただ、物足りなさはあった。デュランが斬新な戦術で反乱軍の残党を討伐したと聞いて、うらやましいと感じているのだ。
(私も戦場で剣を振るって戦いたい。ここには戦いの匂いがしない)
「うっ」
その時、マンバが小さなうめき声を発した。
その肩は小刻みに上下し、呼吸は荒くなり、額からは冷たい汗が流れ落ちる。
苦しそうに体を折り、青白い手で胸をギュッとつかんでいる。まるで心臓をえぐり取ろうとするかのように。
「殿下、大丈夫ですか!」
ストラティスラはあわてて駆け寄り、声をかけた。
しかしマンバは声を発せず、苦悶にあえいでいる。とても大丈夫ではなさそうだ。
「カタリナ、すぐに医師を呼んできなさい!」
「はい!」
カタリナは部屋を飛び出していった。
「殿下、何か私にできることはありますか?」
「…………」
マンバはストラティスラの問いかけを無視して、震える手でサイドテーブルに手を伸ばした。
そこに置いてあったのは薬――ではなく、鞘に収まった短剣だ。
「何をするのですか!」
ストラティスラはあわてて短剣を取り上げた。
「返せ……それは僕のものだ」
「だめです! この短剣で何をするつもりですか!」
「……何もしない。ただ手に持っていたいだけだ」
(何を言っているの?)
ストラティスラにはマンバの言葉が理解できない。そもそも、なぜ枕元に短剣を置いていたのか。
「ハア……ハア……。動悸……呼吸困難……健康な人間にこの苦しみはわからない」
「そんなことはありません! 殿下が本当に苦しんでおられることは、よくわかります。だから、何かお力になりたいのです」
「だったら……その短剣を返してくれ」
「なぜ、ですか?」
「いざとなったら、僕は自分の意志で死ぬことができる。その希望がなければ、こんな苦痛には耐えられるものじゃないんだ」
「…………!」
思いも寄らない答えに絶句する。
(確かに健康な私には、病人の気持ちはわからないかもしれない)
彼女はベッドの脇にしゃがみこみ、マンバの右手にそっと短剣を握らせた。
そして、その手をしっかりと両手で包み込む。
万が一にも、この短剣を使わせるわけにはいかない。
「おい……手を離してくれ」
「拒否します」
「やはり君には……僕の気持ちはわからないんだ」
「はい、わかりません。だからこの手は離しません」
「…………」
マンバはそれ以上何も言わなかった。苦しくてそれどころではないのかもしれない。
ストラティスラはマンバの手を握りしめたまま、医師が来るのをじっと待つ。
その間も、彼はうめき続けている。
(これじゃあ、見てる方が耐えられないわ)
ストラティスラにとって永遠にも思える時間だが、実際は5分も経っていないかもしれない。
しばらくして、マンバはふうっと深い息を吐いた。
とりあえず発作は収まったようだ。徐々に顔色がよくなっていく。
「もう、大丈夫なのですか?」
「うん……まあ、一応礼を言っておこうか」
ストラティスラはホウッと息を吐くと、ゆっくりと手を離す。短剣は再び元の場所に戻した。
「こういうことは、よくあるのですか?」
「まあ、3日に1度ぐらいかな」
(こんなことがたびたびあるんじゃ、生まれたことを不幸と思うのも無理はないわね)
農民の娘として生まれたストラティスラは、幼少時に村が略奪を受けるなど、つらい人生を送ってきた。
しかし、病気に悩まされたことは一度もない。そのことは、非常に幸運なことだったのかもしれない。
さっきまで蔑んでいたマンバに対し、体の奥から同情の念がわき上がってきた。
王族に生まれても、幸福とは限らないのだ。
「殿下、今日はもう、ゆっくりとお休みになってください」
「もちろんだ。君もそうしなよ」
「いえ」
彼女は決意に満ちた表情で立ち上がった。「私は立って戦います。殿下が横になったままでいられるように」
―――
ブンッ! ブンッ!
ランスヘッドは訓練場で1人、剣を振っていた。
(私はもっと強くならなくては)
先日、守り役の騎士グレッグから初めて一本取った。だが、それで何かが変わったわけでもない。
長兄のガラガラは、反乱軍討伐の総司令官として功績を上げた。
次兄のマンバは、北部で総督を務めている。
しかしランスヘッドには、どんな役目も与えられてはいない。
まだ14歳とはいえ、誰もが彼の才を認めているにもかかわらずだ。
(私が弟だからか)
もちろん弟であるからには、兄に対して従属的な立場になることは仕方ないと理解している。
もし兄たちが尊敬に値する立派な人物であれば、ランスヘッドは喜んで彼らを支え続ける人生を送っただろう。
しかし残念ながら、そうではない。ガラガラもマンバも自堕落な生活を送っており、まったく自分を高めようとしていない。
何より彼らには、リーダーとして人々を引っ張っていくという気概がまったく欠けている。それこそが王にもっとも重要な資質のはずなのだが。
(私のこの感情は、嫉妬なのだろうか?)
違う、と思う。
ただ王国の将来を憂いているだけだ。
祖父のタイパンが死んで、父のラッセルが王位を継いでから、明らかに王家は求心力を失っている。
先の北部諸侯の反乱が、その何よりの証拠だ。
幸いなことに反乱は鎮圧に成功し、北部諸侯はハイウェザー家を除いて取り潰した。
王家の力を恐れた南部と西部の諸侯たちは、改めて臣従を誓ってきた。
だがそれはラッセルやガラガラの功績ではない。すべてはマケランら、平民将校たちの活躍によるものだ。
士官学校を創設して、平民が将校になる道を開いたのはタイパンである。つまり今の王家は、タイパンの遺産によって存続しているに過ぎない。
隣国のペルテ共和国は、相変わらずサーペンス王国を併合しようとねらっている。
このままラッセルが王として統治を続け、その後をガラガラが継ぐという体制で、王国は生き残ることができるのか。
そんなことを考えながら剣を振っているランスヘッドの元に、1人の男が近づいてきた。
グレッグかと思って振り向いたが、違った。はるかに若い男だ。
「おまえはデュランだな。私に何か用か?」
そう声をかけると、デュランはやや意外そうな顔をした。
「私のことをご存じでしたか」
「当然だ。将校は国の宝、王族として、その顔を知らぬでは済まされぬ」
「やはり思った通りです。殿下は誰よりも王の器を備えておられます」
「誰よりも、だと?」
「はい。ラッセル陛下やガラガラ殿下には、王の器がありません。彼らが王では、この国は長くは持たないでしょう」
臣下の立場で、許されざる発言である。
しかし、怒る気にはなれない。まったく同感だからだ。
「おまえが理想とする王は、どのような王だ?」
「強い王です」
デュランは迷いなく答えた。
「なるほど。上に立つ者は強くなくてはならないか」
「はい。血筋が高貴なことよりも、本人の実力のほうがはるかに重要です。私は無能な人間が自分より上にいることが許せないのです」
ランスヘッドはデュランに驚きのまなざしを向けた。
(このようなことを、はっきりと口に出せる者がいたとは)
彼は危険を承知で、本音で話している。
「私も同じことを思っていた」
だから、自分も正直に答えた。
「ならばサーペンス王国の将来のため、殿下が王となるべきです」
デュランはそう言うと、片ひざをついて頭を下げた。
「そのために、私の力をお使いください」




