103.羊海戦術
(まさか、本当に……)
反乱軍の頭領は、斥候の報告が事実であったことをその目で確認した。
「な、なんで羊が……」
「こっちに来るぞ」
兵士たちがざわついている。
地面を埋め尽くす羊の群れが、荒波のごとく押し寄せてくるのだ。
その向こうには、人間の軍隊の姿も見える。大量の羊で反乱軍が混乱したのを見計らって、攻めてくるつもりかもしれない。
「うろたえるな! そのまま隊列を保て!」
頭領はなんとか気を取り直し、兵士に指示を出した。
現在の隊列は、前面に盾を並べ、その後ろから槍を突き出す形だ。
相手が騎兵ならば、問題なく迎撃できる布陣である。
馬はとがったものを恐れるので、突き出された槍の穂先を見れば、おびえて立ち止まるからだ。
(羊とて馬と変わらぬ。きっと止まるはずだ)
そんな期待もむなしく、羊たちは止まらない。
馬より低い体高を活かして槍の下をかいくぐり、そのまま勢いを弱めることなく、前列の盾兵にぶつかった。
先頭の数頭を受け止めても、後続が絶え間なく押し寄せるため、兵士たちは次々に体勢を崩されていく。
やがて羊の波は、左右に配置してあった1200騎の騎兵も含めて、反乱軍を完全に飲み込んだ。
兵士たちの混乱は最高潮に達した。
もはや戦うどころではない。反乱軍は身動きが取れなくなった。
さらに――
ヒュッ、ヒュッ、ヒュッ。
無数の矢が、反乱軍に降り注ぐ。
「ぐあっ!」
「弓だ! 敵の弓兵だぞ!」
向こうで敵の騎士たちが整然と隊をなし、弓を放ってきた。
こちらの兵士たちの足元は羊で埋まっているため、逃げることもできない。
「あれは『龍殺し』の紋章! デュランの龍殺し軍団です!」
部下の叫び声。
敵陣に高々と翻る旗には、男がドラゴンに剣を向ける意匠の図が描かれていた。
「デュランめ、わざわざ自分の軍団の紋章をつくったか! 平民のくせに貴族のまねごととは片腹痛い!」
頭領は勇ましい言葉を吐くが、現状は絶望的だ。
騎士たちの強力な矢は、容赦なく鎧の隙間を貫いてくる。倒れた者は羊に踏まれ、仲間に押し潰され、息絶えていく。
兵士の叫び、馬のいななき、そして羊の鳴き声。
戦場は、秩序を失った地獄だった。
頭領は理解した。
羊の群れが現れたのは、偶然ではない。
方法はわからないが、敵は羊の群れを操っているのだ。
「くそっ、こんなわけのわからぬ戦いなど、認められるものか!」
頭領は怒声を上げるが、彼自身も羊に囲まれ、1歩も動けなくなっていた。
ヒュンッ、ヒュンッ。
再度の矢の雨が、彼の頭上に降り注いだ。
―――
羊に飲み込まれた反乱軍を見て、デュランは次の指示を発した。
「近接戦闘に移る用意を!」
「わかった!」
答えたのは、馬上で短めの金髪をなびかせる女騎士、レオナだ。彼女は元領地持ちの高位騎士である。
他の騎士たちは王家の家付騎士に過ぎないため、ここでは格が違う。
「全員、弓を剣に持ち替えろ!」
「「おうっ!!」」
レオナの指示に、男の騎士たちは力強い声で応えた。
プライドの高い騎士たちがレオナに素直に従っているのは、彼女の身分だけが理由ではない。
レオナ自身が剣術、馬術において、並ぶ者なき実力者であるためだ。
「キャッピー、羊たちをどかせ!」
その間にデュランは、ウェアドッグのキャッピーに指示を出す。
「わかりました! 御主人様!」
キャッピーは指笛を吹きながら、羊の群れを追い立てるように走り出した。
すると羊たちは一斉に方角を変え、戦場から離れていく。
その後に残されたのは、ほぼ壊滅状態の敵の姿だ。
羊の群れを操っていたのは、キャッピーの「牧羊犬」の能力である。
もちろん普通のウェアドッグには、そんな能力はない。
万能のキャッピーだからこそ、周辺の牧場から大量の羊を連れ出し、反乱軍に向かって突撃させることができたのだ。
この前代未聞の戦術を考え出したのは、デュランである。
羊を戦闘で活用することを思いつき、実戦で成功させた彼は、並外れた戦術家と言えるだろう。
「よし、レオナ、残った敵を皆殺しにしろ!」
デュランが命令すると、レオナはキッとにらみ返した。
「すでに敵は戦える状態ではない。降伏勧告を行うべきだ」
「いや、あいつらを生かしておいても、得なことは何もない。ここで殺しておくのがベストの選択だ」
レオナは一瞬だけ目を伏せた。
「……了解だ」
彼女は苦々しげにうなずくと、騎士たちに号令を出す。
「全員、私に続け! 1人も生かしておくな!」
「「おうっ!!」」
単騎で敵に突っ込むレオナに続いて、騎士たちも駆け出した。
ほとんどの者が徒歩だ。馬上戦を好む騎士たちが、文句も言わずに歩兵をやっているのは、それだけデュランに心服しているということだ。
(あいつらはバカだが、体力と勇気は上等だな。指揮官が優秀なら、充分な働きができそうだ)
一方デュランの方は、騎士たちをただの駒としか思っていない。
彼が心から信頼しているのは、5人の女たちだけだ。
ウェアドッグのキャッピー。
騎士レオナ。
エルフのミリエール。
魔法使いのザランディア。
そして、龍天使ヴルガナ。
しかしサーペンス王国では亜人種や魔法使いの存在は認められていないため、ミリエールやザランディアが公に姿を見せるわけにはいかない。
ドラゴンの姿のヴルガナは、言わずもがなだ。
よってデュランが戦力として扱えるのは、キャッピーとレオナだけである。
――現時点では。
(いずれはこの国でも、ドラゴンや魔法使いが大手を振って人前に出られるようにしてみせる)
そのためには権力が必要だ。
今の最高権力者は、もちろん国王ラッセルである。
(この国を支配するのは、もっとも強い者であるべきだ。ラッセルごときに命令されるのは、そろそろ終わりにしたいもんだ)
彼は味方の旗手が高々と掲げている、龍殺しの紋章旗を見上げた。
(ヘビは神聖、ドラゴンは邪悪。そんなくだらない常識を、俺は逆転させる。そのための力になるなら、『龍殺し』の異名も甘んじて受け入れるさ)
「またデュラン将軍が勝ったぞ!」
「羊をけしかけたって話だ。わけがわからんが、とにかくすげえ」
「士官学校では落ちこぼれだったらしいから、親しみがわくじゃねえか」
デュランの勝利を耳にした王都の住民たちは、口々に彼を称えた。
王都に帰還したデュランは、そんな賞賛の声に舞い上がることもなく、すぐに王城に入った。
入ってすぐのホールで、意外な人物が彼を待ち構えていた。
「お帰り、デュラン。見事な勝利だったそうだね」
銀の仮面で顔を覆った男が、杖をつきながらゆっくりと近づいてきた。
「誰かと思えば、『病将』か。そんな体で、わざわざ俺の出迎えか?」
デュランと同じ第8期生の1人、『病将』アルタバインだ。
彼は「龍皮病」と呼ばれる不治の病に冒されている。
仮面をつけているのは、龍のうろこのように堅くただれた顔を隠すためだ。
手足も麻痺して思うように動かせないため、杖も必要だった。
「君に挨拶をしておこうと思ってね。僕は南部に派遣されることになったから、しばらく会うことはできなくなる」
「そうなのか。病人まで働かせるとは、陛下も厳しいな」
「今は人手不足だから、仕方がないよ」
アルタバインは、軽く肩をすくめて見せた。
(相変わらず、何を考えてるのかわからない奴だ)
彼は病気のために授業や試験を休みがちだったため、成績は中位だったが、その戦術能力はマケランを上回るという評価もあった。
デュランもまた、アルタバインには底知れなさを感じていた。できれば敵にまわしたくない相手だ。
「そうか、さびしくなるな。ま、体に気をつけてがんばってくれ」
デュランは心にもない言葉を返し、その場を離れようとする。
「心残りなのは、ロセスの行方がわからないことだ」
アルタバインの言葉に、思わず足を止めた。
ロセスを殺したのは、デュランである。正確には、デュランの意を受けたザランディアだが。
「ああ、奴はどこへ行ったんだろうな」
「君なら、何か知ってるんじゃないか?」
(こいつ、まさか感づいてるのか?)
「なぜ、そう思う?」
「ロセスは行方不明になる直前、君のことを話していたんだ。『デュランは何か隠しているに違いない』ってね」
仮面のためにその表情はわからないが、声からは疑念――あるいは怒りが感じられた。
(なるほど、こいつはロセスと仲がよかったんだったな)
「そう言われても、俺にはなんのことかわからないな」
デュランはそう言うと、アルタバインに背を向けて立ち去った。
仮面の下の鋭い視線から逃れるように。




