100.猛虎
黒蛇軍団が治安維持を命じられたのは、公都ラブレーだけではない。公都を含む旧ゲニントン公領の全域が担当地域である。
よってマケランは領内の各地に200人規模の部隊をいくつも派遣し、任務にあたらせていた。
兵站部に所属するサミとエリカは、新任将校エンシェン少尉を指揮官とする部隊に配属された。
彼女たちの任地は、人口500人ほどのバフトン村だ。
「こんにちは。何か困ったことはありませんか?」
サミは精一杯の笑顔で、道ばたで立ち話をしている3人の中年女に声をかけた。
「…………」
声をかけられた3人は困ったように顔を見合わせた後、そそくさとその場を立ち去った。
(はあ。やっぱり怖がられてるのかな)
「仕方ないよー。人口が500人の村に、武装した兵士が200人もやってきたんだから、おびえるのが当然だよー」
エリカがなぐさめてくれた。
「そうだよね。こんな田舎に住む人たちは、よそ者ってだけでも警戒しちゃうよね」
「うんうん、だよねー」
のんきな顔のエリカだが、その正体はユリゴルという名の蛇天使である。
彼女の本来の姿は、頭部にツノの生えた巨大なヘビなのだ。
それを知ったサミは、せめてマケランにだけは報告するべきかと迷ったが、エリカに止められた。
天界の住人である蛇天使が地上で人間と行動を共にしていることは、誰であろうと明かせないそうだ。
だったら、なぜサミは例外なのか?
それは聞いても答えてくれなかった。どうやら「ヘビの記憶」とやらを思い出す必要があるらしい。
わかっているのは、蛇天使には龍天使というライバル的な存在がいること。そして、そのうちの1人が地上に降りてきているということだ。
あろうことかその龍天使は、人間を襲って殺したらしい。
「またそんなことをするようなら、あたしはその龍天使と戦わないといけないかもねー」
エリカはやはり緊張感のない顔で、そんなことを言ったものだ。
(もしそうなったら、ボクはどうすればいいんだろう? 一緒に戦うなんてできそうにないし……)
そんなことを考えながら村内を一回りして、やがて2人は教会に帰ってきた。
人口500人の村には似つかわしくない立派な教会だ。今は黒蛇軍団が使わせてもらっている。
サミとエリカは扉を開け、中に入った。
「ただいま巡回から戻りました!」
「同じくー」
2人が大声で帰還を告げると、
「お、お疲れ様でした! 2人ともお怪我はありませんか?」
ぽっちゃり体型の女性が、心配そうな顔で駆け寄ってきた。
部隊長のエンシェンだ。黒蛇軍団に配属されたばかりの新任将校である。
「はい。ただ村を歩いていただけですので」
「ああ、よかったです! マケラン先輩から預かった大事な兵士に、何かあったら大変ですから! 特にサミさんは、ヘビを召喚することができる偉大な方だそうですしね!」
(この人と話してると、どうも調子が狂うなあ)
将校なのだから、もっと堂々としていてほしいと思う。
「少尉、下士官である私たちに対して、そんな丁寧な口の利き方をされなくてもよいのではないでしょうか」
「そうですよー。もっと偉そうにふんぞり返っててくださいー」
「で、でも、わたしは士官学校を卒業したばかりの見習い将校ですし……」
「た、大変です、少尉!」
下士官が長い髪を振り乱して、脇の階段を駆け降りてきた。
サマンサという歩兵隊所属の投射兵長で、この部隊ではエンシェンの補佐を任されている。朗らかで面倒見がいいので、サミは好感を抱いていた。
「ど、ど、ど、どうしました!? 何があったんですか!?」
ただごとではないサマンサの様子に、エンシェンは声を震わせながら問いかける。
「武器を持った男たちが、この村に近づいてくるのを視認しました! 数は少なくとも400人はいます!」
それを聞いたサミの顔が、蒼白になった。
(そんな……ボクたちは200人しかいないのに)
サミはすがるようにエリカに目を向けたが、彼女は黙って首を振った。
相手が龍天使ならともかく、人間に対して蛇天使の力を行使することは許されないのだ。
ヘビを喚び出すサミの能力も、戦いの役には立たない。
(少尉は実戦経験はないそうだし、きっとおびえてるよね)
そう思ってエンシェンに目を向けた。
(え……?)
おびえるどころか、その唇はうっすらと笑みの形を作っていた。
ぷっくりした頬は紅潮し、つぶらな瞳は爛々と燃え盛っている。
さっきまでの頼りない印象は、完全に消え失せていた。
「わたしがこの目で確認します! あなたたちもついてきなさい!」
彼女は大声で告げると、階段を駆け上がっていく。
すぐにサマンサがその後を追い、サミとエリカも続いた。
3階まで上がると、数人の兵士たちが窓の外を見ながら、何やら口論をしていた。
エンシェンに気付いた兵士たちはあわてて敬礼をするが、彼女は軽くうなずいただけで窓際に立った。
ここからなら、村の外まではっきり見渡すことができるのだ。
サミも同じようにして、窓から外を見下ろした。
畑では村人たちが汗を流して働いている。広場では子どもたちがのんきに遊んでいる。
迫り来る危険に、誰一人気付いていない。
「うわ……!」
村の外に目をやって、ゾクッと肌が粟立つ。
サマンサの言ったとおり、武装した集団が村に近づいてきていた。
軍装はバラバラで、隊列も組んでいない。下卑た顔で談笑しながら、ゆっくりと歩いている。
空の荷車を引いているのは、ここで略奪した物資を運ぶためなのだろう。
「ゲニントン家が取り潰され、職を失った家臣や兵士が集まって盗賊団を結成したという噂があります。彼らがそうなのでしょう。この村で略奪を行うつもりと思われます」
サマンサの言葉に、エンシェンは黙ってうなずく。
ゲニントン家の家臣の一部は王家で召し抱えたが、あぶれた者も多い。王家の禄を食むことを拒否して、自ら野に下った者もいるそうだ。
彼らはただの盗賊ではなく、王家に対して恨みを抱いているため、危険な存在だった。
「騎兵はいないな。どいつもこいつも締まらない顔つきだ。戦いになるとは思っていないのだろう」
エンシェンの口調が変わっていた。その声は重々しく、威厳さえ感じさせた。
さっきまで小動物のように見えた顔は、獲物を見つけた肉食獣のような不敵な面構えになっている。
「すぐに狼煙を上げます!」
サマンサがそう言って、駆け出そうとする。
敵を発見したら狼煙を上げて味方に知らせる決まりになっており、その用意もしてあった。
「待て!」
エンシェンが大声で止めた。「援軍が来るのを悠長に待っている余裕はない。この村を囲む柵など、あっという間に引き倒されるぞ」
村の周囲には、丸太を打ち込んで隙間なく並べた柵があるが、その防御力は気休めにしかならないだろう。
「た、確かにその通りですが、敵を発見したら狼煙を上げるというのは、マケラン司令官が決めたルールです」
「ここの指揮官はわたしだ」
「ですが――」
「君がルールに従おうとするのは当然だ。下士官はマニュアル通りに動くのが仕事だからな」
エンシェンは諭すように言った。「だがわたしは将校だ。現場で臨機応変な判断ができないようでは、将校の資格はない」
(この人は、やっぱり将校なんだ)
サミはそれを実感した。
今まではマケランしか将校がいなかったため、下士官も将校に近い役割をこなしていた。
しかしマケランの決めた方針にそって動く以上のことは、誰もできていなかったと思う。
下士官と将校は、根本的なところで役割が違う。
下士官や兵士が手足だとすれば、将校は頭脳だ。
エンシェンが配属されたことにより、黒蛇軍団にようやく2人目の頭脳が加わったのである。
「少尉はここにいる者たちだけで戦うおつもりですか?」
サマンサが不安そうにたずねた。
「当然だ。わたしたちはそのためにいる。この村には指一本触れさせない」
「ですが、戦力は圧倒的に不利です」
「マケラン司令官は、今まで何度も数で上回る敵を打ち破ってきた」
「それは、そうですが」
「わたしは士官学校を卒業したばかりの新任将校だ。才能もマケラン司令官には遠く及ばない」
言葉とは裏腹に、エンシェンは毅然と告げる。「それでも卒業時の序列は第2位で、同期生たちからは『猛虎』と呼ばれていた。盗賊ごときに遅れはとらない」
サミは驚いた。花の第8期ほど有名ではないが、第9期生もかなり優秀な者たちがそろっていたと聞いている。
エンシェンはその中で、首席に次ぐ成績を修めていたのだ。
「少尉は士官学校の模擬戦で、3倍の敵を叩き潰したって噂だよー。それ以来『猛虎』と呼ばれるようになったんだってー」
エリカがそっと耳打ちしてきた。意外にも彼女は情報通だ。
「それに奴らは、現在この村にわたしたちがいることを知らない。これは絶対的に有利な要素だ。それなのに狼煙なんか上げてしまえば、わたしたちの存在を明かすことになる」
(なるほど)
盗賊たちの表情を見れば、まったく戦いを想定していないことは明らかだ。奇襲を仕掛けるに絶好の状況である。
狼煙を上げて救援を求めれば、このチャンスを逃してしまう。
「おっしゃるとおりです」
サマンサは納得した顔でうなずいた。
「うむ、わかってくれてよかった」
エンシェンは笑みを浮かべて言った。
「少尉、楽しそうだねー」
エリカがつぶやいた。サミの目にもそう見えた。
軍人の中には、戦いが始まると高揚し、性格が一変する者が存在する。
たとえばリヴェットがそうだが、エンシェンの豹変ぶりはそれ以上だった。
平時の兎、戦時の虎。
それが『猛虎』エンシェンだ。
「さあ諸君、お楽しみの時間だ! 弱者をいたぶるしか能のない男たちに、地獄を見せてやるぞ!」




