99.第9期生エンシェン
マケランはピットを連れて散歩をしている。
「あ……あれが王国最強の陰険メガネ……!」
「なんて恐ろしい目つきだ……獲物を求めて街をさまよっているのか」
「シッ、目を合わせちゃダメよ」
住民たちはおびえた顔でささやき合う。子どもはあわてて母親の後ろに隠れる。
(うーん……王都で散歩してた時は、みんな笑顔で手を振ってくれたんだがなあ)
ここは王都からはるか北に位置する城壁都市、ラブレー。
北部諸侯ゲニントン家の公都だった町だ。
しかしゲニントン家は反乱の罪で取り潰され、その領地はすべて王家の支配下に入った。
マケランは当地の治安維持のため、王都から派遣されたのだ。
しかし住民たちから見ればマケランは「占領軍の司令官」であるため、恐れられるのは無理もない。
「この町は迷路みたいで、歩いてておもしろいよな」
住民の反応に悩む飼い主とは対照的に、ピットは楽しそうだ。
「道幅が狭いのも曲がりくねっているのも、防御のためだ。北部の町はどこもこんな感じだな」
「へー、そうなのか。――あっ、あの店から強烈なニオイがするぞ」
「あれは皮なめし屋だな。ウッ……これはキツイ」
悪臭に耐えられず、マケランは鼻を手で覆った。
「なあ、ちょっと見ていこうよ」
ピットはマケランの手を取り、店までひきずっていこうとする。
「なんでおまえは、わざわざ臭いものに近づこうとするんだ」
マケランは文句を言いながらも、皮なめし作業の見学に付き合ってやることにした。
住民たちはそれを遠くからながめている。
「なんだか微笑ましいわね」
「あのウェアドッグの子、かわいい! トゲトゲの首輪も似合ってるわ」
「臭いのを我慢して付き合ってあげるなんて、顔は怖いけど優しい人なのかな」
ピットのおかげで、マケランの好感度も上がりそうである。
「はいはーい。馬車が通るので道を空けてあげてくださーい」
向こうでは女性兵士たちが交通整理をしている。
「どうですか? これで通れますか?」
「はい、ありがとうございます。おかげで助かりました」
御者は兵士に深々と頭を下げている。
「みなさん、ご協力感謝いたします!」
兵士たちは笑顔で、道を空けてくれた住民に礼を言った。
このような光景は、あちこちで見られた。
「司令官は怖いけど、兵士たちは親しみやすいよな」
「ああ、女の子が増えて町が華やかになったよ」
「王国最強の軍団の兵士があんなかわいい子たちだなんて、驚きだよなあ」
住民たちの評判も上々だ。
(なるほど、これは兵士が女であることの利点だな)
男の兵士たちが町をうろついていれば、住民に威圧感を与えてしまう。
自分たちは不当な支配を受けている――そんな反発を招くおそれもある。
だが女の兵士だと、かなり印象が変わってくるようだ。
「どうやら、ここでの任務はうまくいきそうだな」
マケランはフッと笑みを浮かべて言った。
「戦いがないのが、オレには物足りないけど」
「けっこうなことじゃないか。平和が一番だ」
「御主人は軍人なのに、戦うことが嫌いなんだよなあ」
「当然だ。軍人が戦争を好むなんてのは偏見だぞ。誰だって死ぬのは嫌だからな」
「そういうもんか?」
「そういうものだ」
「でもデュランって人は、戦争が好きそうに見えたけどな」
(こいつ、意外にしっかりと観察してるな)
“人間は本能的に戦争が大好きなんだよ”
かつてデュランが言った言葉だ。マケランにはうなずけないが、そういう考え方もあるかもしれない。
「確かにデュランを含め、俺の同期には戦うのが好きな奴が何人もいる」
「そいつらも御主人と同じように、今は北部に派遣されてるんだっけ?」
「北部とは限らないが、各地に散らばっているな。王家は急に領土を増やしたから、人手が足りないんだ」
「そんな時に、ロセスさんはどこにいったんだろうな」
「ああ……ロセスか」
マケランの同期生、『鉄壁』のロセスは忽然と姿を消し、行方がわからなくなっている。
(あの真面目な男が黙っていなくなるはずがない。何か事件に巻き込まれたのかも……)
心配だが、ここでマケランにできることはなかった。
マケランとピットが城館に戻ると、門の前に若い女が立っていた。サーコートの胸には、王家軍の階級章が光っている。
女はマケランに気付くと、淡いピンクのショートヘアを振り乱して駆け寄ってきた。太り気味の体型の割には、軽快な走りだ。
「おひ、お久しぶりです、マケラン先輩!」
女はマケランの前に立つと、こわばった顔で敬礼をした。「ここで待っていれば会えると、文官の方に教えてもらいましたので。あの、お散歩は楽しかったでしょうか?」
(誰だっけ? どこかで見た顔のような気がするが……)
ぽっちゃりとした顔は、お世辞にも美人とは言えない。だが目が丸くクリッとしていて、小動物のようなかわいらしさがある。
「そうだな、有意義な時間を過ごせたと思う。それで、えーと……君は王家の将校か?」
「ご、ごめんなさい、名乗るのを忘れてました! わたしは士官学校第9期卒業生、リスター・エンシェンと申します! 本日から黒蛇軍団に配属されました!」
「え? ああ、『猛虎』エンシェンか。すまない、久しぶりでわからなかった。うん、話は聞いている。ストラティスラに次ぐ女性将校の誕生だな」
彼女とは学年が違うとはいえ、同じ学校で学んでいたのだから、マケランもよく知っている。
それなのにすぐにわからなかったのは、以前に会った時よりも体型が横に広がっているからだ。
「いえいえ! わたしなんてストラティスラ先輩の足元にも及びません! あの方が常勝なら、私は常敗です!」
「軍人として致命的だ」
「それにストラティスラ先輩はあんなに美しいのに、わたしはこんなにプクプクと太っちゃって。王都の食べ物はおいしいものですから、つい」
「そういえば9期生は、所属が決まるまでかなり待たされたらしいな」
8期生であるマケランが新任将校としてレイシールズ城に配属されたのは、1年以上前である。
9期生も本来ならとっくに任務についているはずだったが、北部諸侯の反乱で軍がゴタゴタになり、王都で待機させられていたのだ。
「ピット、シャノンを探してここに連れてこい」
マケランが命令すると、ピットは嬉しそうに「わかった!」と答えて走り出した。そして、あっという間に見えなくなった。
シャノンがどこにいるかわからないが、ピットなら匂いで見つけることができる。
「あの子が噂のピット君ですね」
「どんな噂か知らないが、その通りだ」
「シャノンさんというのは?」
「黒蛇軍団の兵士長だ。君のような新任将校にとって、彼女のような熟練の下士官は頼りになる存在だ。いろいろ教えてもらうといい」
「それでしたら、わたしからシャノンさんを訪ねましたのに。教えられる立場で呼びつけるなんて、恐れ多いです」
(どうも彼女は、まだ学生気分が抜けていないようだ)
「エンシェン少尉」
マケランはメガネをクイッと上げてから、注意する。「シャノンは死線をくぐり抜けてきたベテランなのに対し、君は軍務経験がない見習いだ。それでも君は将校なんだ。高圧的に振る舞う必要はないが、なめられない程度には毅然としていろ」
「は、はい、申し訳ありません」
しばらくして、シャノンが馬に乗って城館前にやってきた。
すらっと右足で弧を描き、颯爽と馬から降りると、マケランの前にやってきて敬礼をする。
そのキビキビとした動きは、いかにも熟練の軍人だ。
初めてシャノンに会った時は、おしとやかな女性という印象だった。
しかし今は、かつての兵士長グラディスを彷彿とさせる威厳を身につけている。
矢傷で失った左目を覆う黒い眼帯は、いかにも「鬼の兵士長」と呼ばれるにふさわしい迫力を感じさせた。
「司令官、私に何かご用でしょうか? なんなりとご命令ください」
「彼女は今日から黒蛇軍団に配属された、エンシェン少尉だ」
マケランはエンシェンを紹介した。「来たばかりで何もわからないだろうから、いろいろ教えてやってほしい」
「承知しました」
シャノンはエンシェンに向き直った。
そして背筋を伸ばし、ビシッと敬礼をした。まったく無駄のない、鋭い動きだ。
「エンシェン少尉、私は兵士長のシャノンと申します。なんなりとおたずねください」
研ぎ澄まされた軍人の礼儀が、学生上がりのエンシェンのぬるい精神を圧倒する。
「ふぁ、ふぁいっ。こ、こちらこそ、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いもにょしまげ……もにょもにょ」
舌がもつれて、後半は何を言っているかわからない。しかもシャノンと目を合わせることができず、ずっと下を向いている。
(うーん、大丈夫かな……)




