1.マケランの着任
「本日からレイシールズ城に配属されました、ハマーチルド・マケランと申します。階級は少尉です。まだ22歳の若輩者ですが、精一杯努めたいと思います」
城主の部屋を訪れたマケランは、片ひざをついて着任の挨拶をした。
対する城主のレックスは椅子の背もたれに体を預けて、机の上に両足を投げ出している。まるでごろつきだ。
マケランを一瞥するとフンと鼻を鳴らして、
「少尉なんて言われても、どれほど偉いのかわからんな。ハマーチルド家というのは聞いたことがないが、将校になれるほどの名家なのか?」
「私は貴族の出ではありません。父は大工です」
「ちっ、平民か。なんでそんな奴が将校になりやがった」
蔑みの感情を隠そうともせず吐き捨てた。騎士である彼にとって、平民が軍の指揮官になることは納得できないのだろう。
(なるほど、わかりやすい男だ)
マケランもまた、騎士と呼ばれる者たちを嫌っている。
彼らが騎士道精神を発揮するのは上流階級の人間に対してだけで、平民には尊大な態度をとるどころか、理由もなく暴力を振るうことさえあるのだ。
マケランはすっくと立ちあがり、レックスをにらみつけた。
「たしかに私は平民出身ですが、先日王立士官学校を卒業し、今は王家の軍に所属する将校です。ここレイシールズ城は王家の城ではありませんが、サーペンス王国の最前線に位置する重要な拠点であるため、防衛協力の目的で私が派遣されました。この城の騎士の方たちと協力して、全力で軍務に服する所存です」
王家が士官学校を創設して平民にも将校になる道を開いたのは、今から12年前のことだ。
それまでは軍の指揮官となれるのは貴族に限られており、特に騎士が戦いの中心的な存在だった。
しかし時代が進むにつれ、騎士は戦争で役に立たなくなった。
騎士が好む戦い方といえば、馬上で騎槍を構えて正面から突撃することだ。それは己の武勇を示すことが第一の目的であり、「戦術」を軽視している。
だが国と国との本格的な戦争は、武勇だけでは勝てない。
隣国のペルテ共和国はいち早くそれに気づき、時代遅れの騎士に代わって、体系的に戦術を学んだ者を軍の指揮官にすえた。
すると騎士が指揮する王国軍は、迂回や偽りの退却などの戦術を駆使して戦う共和国軍に、散々に撃ち破られた。
当時の国王は多くの人命と領土を失うに至り、軍制改革を行うことを決断した。平民でも入学できる士官学校を創設し、そこで戦術を学んだ者を将校として採用することにしたのだ。
新たな階級制度も考案し、士官学校を卒業すれば自動的に少尉に任官されることになった。
とはいえそれは王家に限った話であり、レイシールズ城のような諸侯の支配地域では、相変わらず騎士が幅を利かせている。少尉などという聞いたことのない階級は、彼らの知ったことではないのだ。
「ふん、よく口のまわることだ」
こんなに堂々と言い返されるとは思わなかったのか、レックスは鼻白んでいる。
それでもマケランの全身をジロジロとながめると、
「それにしても、貴様はまったく軍人には見えんな。青白い顔で、偉そうにメガネまでかけやがって、ずいぶんと陰険そうだ。そんな細い腕で馬上槍が使えるのか?」
(偉そうにするためにメガネをかけているわけではないが、俺が軍人に見えないというのはその通りだろうな)
支給された黒いサーコートがまったく似合っていないことは自覚している。陰険そうと言われたのも、初めてではない。
それにしても、自分の部下になる者に対してひどい言いぐさだ。
「馬上槍は必ずしも指揮官に必要な能力ではありませんが、一応訓練は受けています」
「じゃあ、今まで何人敵を殺した?」
「まだ実戦経験はありません」
レックスは話にならんと言いたげに首を振り、立ち上がった。
「まったく……王家は俺たちをバカにしているのか。女の兵士だけでなく、学校で勉強しただけの平民将校までこの城に送り込んでくるとは」
彼はマケランの脇を通り過ぎて部屋の中央まで移動すると、従騎士に手伝わせて鎧、手甲、すね当てを身につけ始めた。
もうマケランのことは完全に無視している。
(はあ……前途多難だな)
怒鳴りつけてやりたいが、そういうわけにもいかない。一応相手は城主だ。
気持ちを落ち着かせるため、親指と中指でメガネの位置を直し、コホンと咳ばらいをしてから声をかける。
「城主殿、武装してどこかに行かれるのですか?」
レックスは面倒くさそうにチラリとこちらを見た。
「騎士や兵士たちを連れて、国境の視察に行く」
「では、私もお供します」
「陰険メガネはここにいろ。戦いを知らん奴は足手まといだ」
そう言ってから、ぞんざいな口調で付け加えた。
「留守番の間、主塔の屋上にある俺の石像を掃除しておけ。そろそろ鳥の糞で汚れているだろうからな」
―――
(くそっ、あのマケランとかいう小僧め。平民上がりのくせに、この俺に偉そうな口をききやがって)
マケランに自分の石像の掃除を命じたレックスは、12人の騎士とその従者、さらに1500人の兵士を引き連れて城を出た。これはレイシールズ城のすべての戦力である。
マケランには国境の視察と言ったが、それは嘘で、本当の目的は模擬戦をすることだ。
模擬戦は騎士にとってはスポーツのようなものであり、暇をもてあましている彼らにとって格好の娯楽である。
とはいえレイシールズ城は王国の最前線の城だ。
模擬戦を行うことになっている場所は、過去に何度も戦火を交えてきたペルテ共和国との国境沿いの森の中にある。
そんな場所でスポーツを楽しもうとしていることをマケランが知れば、気がゆるみすぎだと言って注意しただろう。
だが愛馬にまたがって、森の中を悠々と進むレックスに緊張感はない。
現在ペルテ共和国とは休戦協定を結んでいるため、国境の近くで模擬戦をしたとて問題はないはずだ。
「サー・レックス」
配下の騎士が声をかけてきた。「この先からたくさんの人間の臭いがすると、犬が言っていますが」
「犬の言うことなど、放っておけ」
「ですが、犬の嗅覚は人間とは比べ物になりません。一応気に留めておいたほうがよいのでは」
「こんなところに大勢の人間がいるはずがないだろう。どうせ俺たちの気を引くために適当なことを言ってるんだ。あいつは狩りでは役に立つが、模擬戦に連れてくる必要はなかったな」
レックスは報告を無視して行軍を続けた。
耳を傾けていれば、この後の惨劇は防げたかもしれないのだが。
やがて一同は、模擬戦の会場である森を切り開いた平地までやって来た。
ここに至り、ようやくレックスも異変を察知した。突き刺すような大量の殺気で、空気がピリピリしているのだ。
彼は若いころペルテ共和国軍の伏兵に襲撃され、重傷を負ったことがある。その時の感覚に似ていた。
(このあたりの森は、兵を伏せるにはもってこいの場所だな)
不安に駆られたレックスは、大声で周囲に呼びかけた。
「誰かいるのか! いるなら姿を見せろ!」
動くものなら虫1匹さえ見逃すまいと、息をつめて待っていると、
「ほう、腐っても騎士だな。我々の気配に気づくとは」
どこかあざけるような調子の声に続いて、左右の森から武装した者たちがぞろぞろと姿を現した。
その軍装は、ペルテ共和国軍の兵士のものだった。