33.ハンディングモード(1)
「おはよう……。いつ帰って来たの?」
「……夜12時過ぎ。今日は午後から出社する」
真文の声はかすれ、髪の毛はぼさぼさだ。父の忙しさを察する。真見は気配で真文が帰って来たのは分かったが眠くて体を起こすことができなかった。
(やっぱり。昨日は忙しかったんだ。それにゲームリリースも今日からだし……)
「ゆっくり休んでね」
「ああ。それから……真見」
「何?」
「予想以上のことが起こったとしても、自分のできることをやりなさい。駄目なら逃げてもいい」
「何のこと?どうかしたの?」
真文の言葉に首を傾げる。一瞬だけ真文の声から不安のようなものを感じた。真文は頭を掻くと、いつもの不愛想な父親に戻る。
「……やっぱり何でもない。疲れた」
「大丈夫?じゃあ、行ってくるね」
「いってらっしゃい」
この島に来て、真文の「いってらっしゃい」にも慣れたものだ。
「……行ってきます」
真見は心配に思いながらもスクールバックを手に、玄関から飛び出した。
(今日はなるべく早く帰ろう)
「おはよう」
「瑠璃!おはよう……」
アキレス腱を伸ばす瑠璃が社宅の下で顔を合わせる。瑠璃から微かに汗と海の香りがした。
「もしかして、海沿いを走ってたの?」
真見の言葉に瑠璃が目を開ける。
「すごい。正解。それも真見の能力?」
「あ……うん。能力ってほどのものでもないけど」
「真見も走る?頭の中空っぽになって思考が冴えわたるよ」
「私は……いいよ」
真見は遠慮がちに手を振る。話題は自然と昨日の動画配信の話になった。
「昨日の新作ゲーム、すごくなかった?現実とバーチャル世界があんな風に繋がるなんて。しかもこのセル・ディビジョンでだよ。何だか信じられないよね」
「ものすごいスピードで時代が動いてるって感じがする」
瑠璃が淡々とした口調で答える。2人の間を通り抜ける風が気持ち良い。カラッとした風から夏がすぐそばまでやって来ているのを感じる。
遠目に青い海が光に照らされて光の粒を生み出していた。空は水色で、絵具をそのまま出したような鮮やかな色彩が広がっている。
真見のポケットがもぞもぞと動き、瑠璃が反応する。顔を出したのはサンだ。
「サン連れてきたの?」
「そう。今日の放課後、試運転の日なの」
瑠璃は人差し指でサンに触れる。
「万野先輩が同行するだろうから私は遠慮しておくよ。良もシー・リサーチャーと海を泳いでいるだろうし」
「だから!万野先輩とはそんなんじゃないから」
真見は慌てて言い返すが瑠璃は余裕たっぷりに薄く笑う。
(瑠璃ってクールだけどしっかり人のことからかうようね)
朝の胸騒ぎは瑠璃との交流によって忘れ去られた。
「空気が綺麗……」
「でしょう。こうやって自然を体感できるのも命島の魅力だからね」
木々を通り抜けていく風が清々しい。真見と佳史は島の自然エリアに足を踏み入れていた。
湿った土の香り、つんっとした生命力溢れる草木の香りを吸い込む。木の葉の隙間から差し込む光は真見に優しい光を落とす。緑と茶色の色彩は真見の心を穏やかにさせた。
「サンも調査する気満々だね」
そう言って佳史は真見に肩を寄せる。真見の掌にいるサンに触れた。
(万野先輩って距離が近いなー……)
真見はドキドキしながら佳史から一歩距離を取る。石鹸のような香りが少し遠ざかった。
「サン、いっておいで」
真見はそう言って掌を下げると天へ放った。勢いをつけてサンが飛び立つ。
「放しちゃって大丈夫なんだ」
「はい……。追跡機能がありますから。土壌調査や生物については自動的にデータを送ってくれるみたいです」
真見はそう言うとサンと連携するアプリを立ち上げた。セル・ディビジョンから画面が浮かび、赤い点が地図上を動き始めた。
「指示を出せばちゃんと私の元に戻って来るんです。目的地も細かい具体的なポイントを指定できます」
「じゃあサンが調査中、僕らは暇なんだね」
「暇というわけじゃ……。サンの動きに異常がないか監視してないと」
「神野さんは真面目だね。エマが見てるわけでもないし。散歩でも楽しめばいいんだよ」
慌てる真見を見て佳史がくすくすと笑う。遅れて真見もはにかんだ笑みを浮かべた。
「こっちだ!こっち!」
「待ってよー」
真見は森林に程近い道を小学部の子供達が駆け抜けていくのを見た。
「何かあったんでしょうか?」
「きっと『My ISLAND』だろうね。トレジャーモードで宝探しをしてるんだ」
「トレジャーモード。昨日の紹介で宝探しができるとか言ってたね。もう使いこなしてるんだ……」
「ゲームに関しては小学部の子達の方が使いこなしているみたいだね。他にもハンティングモード、観光モードもあるって」
佳史はセルディビジョンから浮かび上がる映像を眺めながら言った。時刻は午後三時過ぎ。すでにMy ISLANDがリリースされている頃だ。
「ハンティングモードって怖そう……。巻き込まれたりとかしないんでしょうか」
「それは大丈夫。ハンティングモードに設定していない人は巻き込まれないよう、クリーチャーが反応しないようになっているらしい」
真見が胸を撫で下ろす。すぐに『観光モード』に切り替えた。
「不思議だよね。まるで何重にも世界が重なってるみたいで。異世界のような現実のような……。境界線がまるでない」
隣で伸びをしながら佳史が呟く。大人っぽいような子供っぽいような……。不思議な魅力を兼ね備えた佳史を見上げた。
心臓の鼓動が耳元まで聞こえてくる。真見はそれを自覚して急に恥ずかしくなった。
(私、緊張してるの?瑠璃に好きでしょって言われてから……!変に意識しちゃってるだけだ)
真見が自分の好意を掻き消していると、何かが駆け抜けていく音がした。真見は慌てて我に返る。
「こっちだ!こっちに来い!」
子供の大声が聞こえてきた。
「何だ?」
佳史は伸びていた両手を下ろして呟いた。真見は大声に驚いて肩を震わせる。
「ゲームがどんなものか少し確認してみるか」
「ま……待って!」
佳史が何の迷いもなく駆けていく。真見も慌てて佳史の後を追った。
森林地帯を抜けると公園のような、広場が現れる。土から整備されたコンクリートに変わっている。自然エリアの中にも観光客向けの施設を建てようとしていることが伺い知れた。
「あれは……?」
真見は思わず息を呑んだ。目の前に見たこともない、巨大な生物がいる。
オオトカゲのような。恐竜のようにも見えた。細長い、蛇のような舌をシュルシュルと出している。赤黒い表皮がごつごつとしていて硬そうだった。そのひび割れた皮からは血液の代わりに炎が脈々と流れているのが見える。




