“夢幻のラビリンス”へ
夕方過ぎの7時前に、この離れの別館付きのメイドが部屋に食事を届けてくれた。ついでに着替え一式と、それからハードな伝言を添えて。
着替えは探索者用のそれで、感心した事に朔也の体型にバッチリ合っていた。それから伝言だが、新当主から今夜からダンジョンに潜るようにとの指示が。
どうやらこれは、今は亡き祖父の孫たち全員に通達されているようだ……その数は、確か合計で16名だったか。さっきの大部屋での説明会の際に、その辺は抜かりなくチェックしていた朔也である。
しかし、まさか初日の今日からこんなハードモードな指示が下されるとは。まぁ、49日が過ぎたら祖父のカードは消滅(?)してしまうとの説明だったので。
向こうが焦るのも、ある意味当然の事なのかも知れない。
メイドにどこに向かえば良いのか尋ねて、後は簡単に1人での食事を済ませる。いつもは同僚の生徒達と一緒の賑やかな食事なので、この静けさは精神的に辛いかも。
そんな事より、ダンジョン探索の指令である。手持ちにはたった2枚のF級カードしか無く、朔也自身も探索初心者の身。これではまるで、死にに行くようなモノだ。
その辺は、主催者と言うか新当主の盛光は何も考えてないのだろうか。自分の子を含めて、親族の子供達の数が減る事態をまさか想定していないとか?
探索者の家業で1代で成り上がった家系の、或いはスパルタ的な後継者選びとも取れるけど。まさかそんな命懸けの試練を、子供達に与えるとはちょっと考え難い。
まぁ、初代当主の鷹山爺様ならあり得るかも知れない。自分のように、己の力のみで成り上がって見せろ的な喝入れが、親族に向けられても不思議ではないかも。
そこをカード20枚を配布して、バランスを取った新当主はある意味知恵者とも取れる。もっとも、朔也の手にはたった2枚しかカードは無いのだが。
それを理由に、今夜の探索辞退は恐らく許されないだろう。
そんな訳で、仕方なく朔也は指定された本館の3階の1室へと赴く事に。光洋に出遭う恐れもあったが、幸いにも誰とも顔を合わす事なく目的地へ辿り着けた。
一応ノックをすると、中から返事が聞こえて来た。そして開かれる扉、迎えてくれたのは初老の執事だった。その奥には、若い執事とメイド姿の女性が1人ずつ。
合計3名が待機しているこの部屋は、どうやら生前の祖父の執務室か何かだった模様だ。初老の執事は軽く自己紹介、毛利と名乗って優雅にお辞儀をする。
それから若い執事の方は金山と名乗って、メイドの女性は白石と言うそうだ。3人とも探索者としての実力を兼ね備えていて、もう何年も畝傍ヶ原家に仕えているそう。
それは頼もしいが、こちらは初心者でしか無い訳で。話から察するに、初日だからと言って探索について来てくれる訳でもない様子。
それでも危険は少ないでしょうと、毛利は満面の笑みで請け合ってくれた。
「盛光様が先ほど配られたカードには、C級からF級のランクのモンスターが封じられております。F級はともかく、C級と言えば中堅探索者の実力に匹敵します。
それを複数召喚が可能なカード使いは、超レア職と言って差し支えありません。鷹山様が若い頃は、お1人で難関ダンジョンの制圧も可能な程でしたから。
お館様が1代で成り上がったのは、その特殊スキルのお陰ですな」
「もちろん、鷹山様は普段から鍛錬も欠かさず行っていました。それこそ、敷地内に専用のダンジョンを抱える程度には。この“夢幻のラビリンス”も、お館様にとっては大事な資産との認識でしたね。
そうそう……お孫様には毎日必ず1度は、この“夢幻のラビリンス”に突入して頂く事になっております。それが鷹山様の遺言の内容ですから。
目的はお聞きになった通り、お館様の愛用していたカードの回収です」
「この“夢幻のラビリンス”内ですが、侵入ゲートが同じでも排出される場所は毎回バラバラとなっております。そのため、お孫様たちが探索中にかち合う心配は無いとは思いますが。
迷子になったり、面倒事が起きた場合はこの転移の巻物をご使用ください。一瞬で地上に戻って来れますので、使いやすい場所に仕舞っておく事をお勧めします。
他にも、この鞄にポーションや携帯食を詰めておきました」
そう言ってメイドの白石が差し出した鞄は、割とずっしりと重かった。どうやら巷で噂の『空間収納』機能は付いていない様子である。
ダンジョン内では、そんなレア装備も回収が可能との噂は聞いた事があるのだが。それでも探索者の数が増えないのは、やはり危険を回避する人の性なのだろう。
朔也もそれほど乗り気では無いけど、自立するには探索者の道もアリかなって考えも。手っ取り早く稼げるのは、まぁかなりの利点には違いは無い。
ただし賭けるコインは、自分のたった1つの命である。しかし、毎日必ず1度は突入すべしとは、かなりのスパルタだ。探索者はレベルの概念があると言うし、その対策だろうか。
つまりは探索の機会を増やして、バンバン孫たちのレベルを上げたいって目論見なのかも。まぁ間違ってはいないかもだが、やっぱりスパルタには違いない。
執事の毛利は、鞄の中には『鑑定の書』も入っていると最後に助言をくれた。それで自己のステータスの確認も、すると良いだろう的に話を締め括って来る。
それから良い探索をと、3人揃って視線を奥の書棚へと向ける。
その視線の先、書棚と書棚の間には確かに歪んだ昏い空間が存在していた。その奥が見えないのは当然として、そこがダンジョンの入り口らしい。
確か名前は“夢幻のラビリンス”だったか……1代で大富豪に上り詰めた、畝傍ヶ原鷹山の所有する個人用ダンジョンである。
それをカード所有たった2枚で、挑戦する事になる日が来るとは。自分でも無謀じゃないかなと思わなくも無いが、執事の毛利の期待に満ちた目と来たら。
そして何となく理解、彼らは新しい主の出現を待ち侘びているのだ。鷹山の子供達の代は、長男の盛光しか探索者デビューしなかったと言う話だし。
孫の世代にしても、たった数名のデビューで、これでは探索者として財を築き上げた畝傍ヶ原家の名折れである。長年仕えている身としては、それが無念でならなかったのかも。
朔也のそんな推測が正しいかは別として、この空気でやっぱり止めますは言い出せない。仕方なくの重い足取りで、朔也はその昏いゲートに身を投じる。
次に目を開いたら、既にそこはダンジョン空間だった――
「……凄いな、ここがダンジョンかぁ。洞窟タイプかな、天井は随分高く感じるけど。微妙に明るいのは、苔か何かが光っているからかな?
えっと、まずは何をどうするべき?」
思わず独り言を盛大に呟く朔也だが、身の安全の確保が大前提だと思い至って。唯一の戦力である、戦士カードを召喚出来るかのチェックを行う事に。
幸いな事に、朔也の出て来たゲートはすぐ近くに確認が出来ていた。つまりは、危なくなればそこから脱出も可能って意味である。
続けての幸運は、朔也の呼びかけに反応して【負傷した戦士】と【錆びた剣】が実体化してくれた事。つまりは、朔也もしっかり《カード化》スキルを持っていた訳で本当に良かった。
『能力の系譜』って凄いなと感心しつつ、朔也は改めて出現した戦士を眺めてみる。それは見事にボロボロの様相で、片腕を失った隻腕の負傷兵だった。
粗末な革鎧を着込んで、一応はこれまた粗末な剣を装備している。隻腕と言うハンデは、このダンジョンでどう作用するかは不明のまま。
ちなみに、錆びた剣に関してはコメントのしようもない程のクズ装備だと判明した。斬れ味は無いに等しくて、杖か殴り武器に使えるかなって感じ。
まぁ、ダンジョンでの護身用に持っておいて損は無いだろう。それより、入る時渡された鞄の中身も、一応はチェックしておく事に。執事によると、お助けアイテムも入っているって話だった筈。
それらは確かに入っていて、ポーション瓶が2本にエーテル瓶が1本確認出来た。なぜそれが分かったかと言うと、瓶にタグが張られていたからだ。
それから携帯食にお茶か何かの入った水筒が1つ、タオルと着替えも用意されていた。下着もあるので、或いはお漏らしした時用の気遣い品なのかも知れない。
ダンジョンとお化け屋敷、果たして怖いのはどっちかは分からないけど。他にも救急キットやら袋類やビニールシート類、噂の鑑定の書も5枚ほど入っていた。
後は帰還の巻物と、それから懐中電灯が1つ。
帰還の魔方陣に関しては、確かすぐ取り出せる場所に仕舞っておけと忠告されたような。それに従って内ポケットにそれを仕舞い、重みのある懐中電灯は左手に持つ事に。
鑑定の書については、鑑定したい物に擦りつければオッケーだと聞いていた。朔也は言われた通り、1枚を取り出して自分の腕にそれを擦り付けてみる。
名前:百々貫朔也 ランク:――
レベル:01 HP 11/18 MP 08/12 SP 10/10
筋力:12 体力:10 器用:15
敏捷:12 魔力:13 精神:16
幸運:08 魅力:08 統率:18
スキル:《カード化》
武器スキル:――
称号:『能力の系譜』
サポート:【】
すると、鑑定の書に浮かび上がる文字と言うか朔也のステータス。それをまじまじと眺めながら、脳内で色々と分析してみる。まずHPが減っているのは、襲撃の際のダメージだろうか。
MP減りに関しては、恐らくカードを2枚実体化させた時のコストだろう。つまり幾らたくさんカードを持っていても、MPが無ければ宝の持ち腐れと言う事に。
筋力などのステータスは、他の人に較べてみないと高いか低いかは不明である。朔也は現在14歳の中学2年生で、その平均すらも定かではない。
それでもまぁ、辛うじて希望が持てるのはスキル欄に光り輝く《カード化》の文字であろう。さきほどの集会で、新当主が血族に連なる者は持っている筈とは言ってくれていた。
とは言え、内心ではやはり自分は妾の子だと言う、引け目を感じていた朔也である。それでも称号に『能力の系譜』まで持っていて、つまりは自分の子供にもこのスキルを継げるって事だろうか。
とにかくこれで、このダンジョンを生きて帰れる自信が出て来た。後はこの隻腕の戦士が、どの程度の強さなのかが攻略の鍵となって来る。
F級なのでそこまで過度な期待はしないけど、このダンジョンの1層目くらいは通用して欲しい所。執事の毛利も、最初の層の敵は強くは無いからと安心させてくれていた。
そんな感じで脳内の葛藤を完了させて、改めてこの“夢幻のラビリンス”の第1層を見回してみる。どちらに進むかは別として、敵の気配はそこかしこから感じて来た。
洞窟タイプの進行方向は、ゲートの出現位置からまっすぐ進むか、それとも反対方向に向かうかの2通りしかない。朔也は右手に錆びた剣を、左手に懐中電灯を手に取り敢えずまっすぐ進む事に。
それに反応して、隻腕の戦士もゆっくりと歩き出してくれた。無視されたらどうしようと言う杞憂は、取り敢えず解消されてホッと一息の朔也ではある。
まぁどうせなら、自分より前を進んでくれないかなと思うのは仕方が無い。
何しろ、一応は武器を手にしていても、使い方に関しては朔也は全くの素人なのだ。モンスターが出て来ても、対応のしようが無いのは胸を張って言える。
などと考えていたら、最初の敵影が視界内に入って来た。
――さてさて、有り難くもない最初の戦闘の始まりだ。