5、三種の民を統べた者についての対話
賢い人よ、三種の民を統べた者について教えてください。
東の地に年老いた夫と石女の妻がいた。この女は真に神々を崇め、時折訪れる我ら御使いにも実に親切であった。我ら御使いは常に何処でも歓迎される存在ではないのにも関わらずである。私もまた東の地に悪を追った時には、そういうことがかつてしばしばあったのだが、世話になったことがある。
女は子を生すことを望んでいたが、悪しき想いのせいか、土の穢れか、長らく子をなすことができなかった。しかし、女はこれを神々に願うことはなく、神々も子を与えるというような僭越な真似をすることはなかった。
その女がある時子を生した。煎り豆に花咲くことはなく、割れ目なき岩に木が生えることもない世にあって、起り得ぬことが起った。その時は誰も知らなかったが、実は神々の内の「憐れみ」が秘かに子を授け、更には神々の力を分けた生命の石と清めの剣を与えて祝福したのであった。その子どもこそ後の三種の民を統べた者である。
なぜ、三種の民を統べた者と言われるのでしょうか。
石女が生し得ぬ子を生したことを知った村人はこれを恐れ、女とその夫と得体の知れぬ赤子を村から遠く離れた森へ追いやった。そして、森の奥深くで生命の石によって時を留めた両親の許で、思慮は足らぬが心優しく、丈高く力強き立派な若者に育ったのである。
この若者が18の時か、森の新たなる主となった大熊より虐げられたる獣や鳥たちを助けるべく決闘し見事勝利したことを、眷属どもより聞き知った東の地の木の民、石の民、風の民が、使いを出して「悪しき」土の民の「圧制」からの解放を願うと、これを哀れに思うて快諾したのである。
そのような心映えの良い若者であった筈の三種の民を統べた者が神々の裁きを受けたというのは、俄かには信じられません。
信ずるかどうかは知らぬが、間違いなく彼の者は神々の裁きを受けた。三種の民の願いを快諾した彼の者が女とその夫に報告すると、両名は強く反対したが、彼の者の願いが強盛であることを悟るとこれを許し、女は生命の石と清めの剣を与え送り出したのであった。彼の者が森の我が家を旅立つと、たちまちに女とその夫は更に老いを重ねて死んだ。不完全な模倣は悪しき結果しか生まぬのである。
そのことを知らぬ彼の者は、三種の民の軍が集う広場に至って、生命の石と清めの剣を掲げ、彼らの「解放」を約束し、三種の民を統べる者の称号を受けた。彼の者は思慮が足らず智恵薄き者であったから、行く先々の村々に「圧制」の影を見出すことがなくとも気に止め得なかった。むしろ行く先々で演じられる三文芝居に「圧制」を見出し、「悪しき」土の民への怒りをいや増したのである。
さて、「悪しき」土の民の「都」は、金や銀、それらを超える霊妙なる金属を産む山の麓の村であった。然り、村であり、そこに住まう土の民は勤勉に働き、山に感謝しながら必要な分だけを掘り出し、それを以て他の土の民や、三種の民どもと交易をして暮らしていた。彼らは絶えず嫉みに曝されていたが、それに対抗する力と智恵を備えており、度重なる侵攻を見事に失敗せしめていたのであった。
しかし、此度の侵入者たる三種の民はこれまでの侵入者とは異なっていた。すなわち、生命の石によって傷つかざる身となった雑兵は恐れを知らず、清めの剣を掲げるその長の豪勇は人ならざるものだったからである。それであっても、「悪しき」土の民は懸命に防戦し、三種の民を統べる者によってその長が斃されるまで戦い続けたのである。
この恐るべき戦が終わると、三種の民を統べる者は向後三種の民を襲わぬことを約束させた上で、降伏した者、女・子どもは許し、掠奪を禁ずる旨を三種の民どもに命じ、自らは森への帰途についた。しかし、それぞれの長の密命を受けて殿を志願した者たちは秘かにかつての「都」に戻り、生き残った者たちを皆殺しにした上、財宝をすべて掠奪し、鉱山を占領する者どもを残したのであった。
三種の民を統べる者は森の入り口で軍を解散せしめ、その称号を返し家に帰った。しかし、そこにはかつて親であった者たちの亡骸だけが吹き曝しとなっていた。そして、神々より裁きの命を受けた我ら御使いが彼の者を待ち受けていたのである。
彼奴めは我ら御使いの仕業と思い違えて逆上し、愚かにも剣を向けた。如何な神々の力を分けた剣と言えども、所詮は不完全な模造品、我らの前には粉と消え、我らは彼の者から生命を取り去り、土くれに返したのであった。そして、その魂を滅ぼした。これが神々の裁きである。ただし、さすがは「憐れみ」の愛し子である、完全に滅ぼせたかは断言できぬ。
無辜の我が同胞を襲った悪しき者たちはどうなったのでしょうか。
彼の者を裁いた我ら御使いは、それぞれ木の民、石の民、風の民に紛れ、或る者は他の民の裏切りを告げ、或る者は他の民を裏切ることを勧め、また或る者は「都」に留まる悪魔より悪しき者どもに裁きを与え、金銀の山を海深くに沈めた。尽きせぬ欲望に支配され、半ば悪しき想いの虜となっていた三種の民たちとその長は容易く我らの離間の計に掛かって同士討ちを始め、遂には互いに互いを滅ぼすこととなった。これも神々の裁きである。この者たちの魂はすべて影となり、多くは魔物と化して長く東の地に蔓延ったのであった。死してなお忌々しい者どもである。
「憐れみ」はどうなったのでしょうか。
いかなる意図があったにせよ、これらは偏に「憐れみ」の愚かさと不完全なる模倣による悪しき転変であった。その結果、無辜の民が滅ぼされ、罪なき男女と自覚なく罪を犯した子が罰を受けることとなった。神々は大いなる御方に裁きを願い、「憐れみ」は救世王を度々助けた勲功を認められるまで、神々の列から外され、自ら望んで偽りの世界に身を堕としたのであった。
「憐れみ」とは、かの「癒しの母」ですか。
然り。救世王を度々癒し、悪しき想いの呪いから助けた「癒しの母」こそが「憐れみ」である。
救世王を助けて、東の魔族を討ち果たした「影の騎士」が、三種の民を統べた者の影であるという伝説がありますが、御使いが彼の魂を滅ぼされたということは、別の存在ということでしょうか。
それについては分からぬ。我ら御使いは彼の者の魂を滅ぼした。しかし、少しでも滅ぼし損ねていれば、神々の力を分かたれた者であるから、あり得ない話ではない。ただ、私はその「影の騎士」には会っていないので分からない。