4-①
「おいおい、大丈夫かあいつ……」
ノワール館の中庭で、木の影に隠れていた少年は呟く。
彼の名前はレオン・ベルニエ。ロザリーと同じく子爵家の生まれで、幼い頃から彼女を知る友人だ。
彼は突然ノワールクラスに編入していった幼なじみが心配で、こっそりと立ち入りが禁止されているノワール館に忍び込んできたのだった。
レオンは木の影に隠れながら、じっと建物の中の様子を覗き見る。そこはどうやら休憩室のようで、数人の令嬢が集まってテーブルを囲んでいた。お茶会でもしているらしい。
テーブルの端に居心地悪そうに座っているロザリーが見える。いつも天真爛漫な彼女なのに、今は虚ろな目をして、令嬢たちの仕草一つ一つにびくびくと肩を揺らしている。
レオンはなんとも言えない気持ちになって、渋い顔をしてその様子を眺めた。
その時、令嬢の一人がロザリーを肘で押した。突然押された彼女は思わずカップを落とし、制服に紅茶がかかる。
レオンは思わず木の影から飛び出して窓のそばにかけよった。棚の影に隠れてはいるが、令嬢たちの誰かが目を向ければ簡単に見つかってしまう位置だ。しかし、レオンには考える余裕もなかった。
窓が少し開いているのか、中から小さく声が聞こえてくる。
「あら、大変! 大丈夫ですの? ロザリーさん」
「布巾がありますわよ。どうぞ使って」
「あ、ありがとうございます……」
令嬢たちはロザリーに近づいてしきりに声をかける。ロザリーは令嬢の一人が差し出した布巾を受け取った。
「あの、これ……」
ロザリーは困惑顔で布巾を見ている。レオンが目をこらすと、それは布巾というよりも、汚れた雑巾のように見えた。
「あら、ご不満でした? 元ブロンクラスの生徒なら気にしないと思いましたのに」
「嫌ですわ、デルフィーヌ様。ロザリーさんはブロンクラスの生徒は生徒でも、王子に近づいて図々しくノワールクラスへやって来るほどの野心家なのですわよ。こんな貧相な布巾使いたくないに決まってるじゃないですか」
「そうでしたわね。失礼しました、ロザリーさん」
令嬢たちの甲高い笑い声が響く。ロザリーはすっかり元気をなくしてうつむいてしまっていた。レオンは歯をぎりぎり噛みしめてその不愉快な光景を眺める。
「……私はもう戻らせていただきます」
ロザリーはすっと立ち上がると、令嬢たちに背を向けて走り去っていった。後ろから黒髪のきつそうな顔立ちの少女が制服を拭かなくていいんですの? としらじらしく声をかけるのを見て、レオンの苛立ちは増していく。
「あの女……」
レオンは窓の隙間にそっと近づくと、見つからないように中に杖を差し入れた。そして令嬢たちが誰も注意を向けていないのを確認すると、小声で呪文を唱え始める。
(……動け……あの女に向かって……そうだ、そのまま)
「きゃあっ!!」
黒髪の少女の悲鳴が響き渡った。少女の制服には、紅茶の染みが広がっている。
「だ、大丈夫ですか!? デルフィーヌ様!!」
「なぜ紅茶が……離れたところに置いてあったはずなのに」
令嬢たちは慌てた様子でデルフィーヌに声をかけ、布巾(もちろんロザリーに渡したのとは違うきれいな布巾だ)を渡しながら、不思議そうにしている。
当然だ。デルフィーヌはテーブルから離れた、間違っても紅茶のカップが届きそうにない位置に立っていたのだから。
しかし窓から覗き込んでいる生徒がいることなど知る由もない令嬢たちは、首を傾げるばかりだった。
「最悪ですわ。一体何なの!!」
デルフィーヌは顔をしかめてスカートを布巾で押さえながら文句を言っている。
その姿にレオンは少しだけ溜飲が下がったが、悲しそうに部屋を出て行ったロザリーの姿を思い出してうなだれる。探しに行きたいが、さすがにノワール館の中まで入っていくことはできない。
「くそ……。ロザリーのやつ、俺の忠告を聞かないからこんなことになるんだ。リシャール殿下も一体何してるんだよ」
レオンは悔しそうに唇を噛むと、後ろ髪を引かれながらもノワール館を出て、ブロン館に戻っていった。